アクアマリン・ベルフェゴールにとっては当然のことながら、その知らせは到底受け入れられるものではなかった。
アキが素直に病室にいることは稀だ。大抵はどこかを彷徨っていたり、気付くと病院を抜け出していることもザラにある。
今日は、比較的早く見つけることが出来た。中庭で子供達とボールを投げ合い遊んでいたのだ。
左手を吊ったまま、右手でボールをキャッチしては投げ、弾けた笑顔を浮かべている。
右が利き腕ではないため時折ミスするのが、子供達にとっては楽しくって仕方がないらしい。アキがボールを取り落とすたびに、邪気のない笑い声が上がった。
中庭に降り、日陰を選んでベンチに腰掛ける。ぼんやりとアキを見つめた。
今、あぁして子供達に囲まれ遊んでいる少年が、つい先日『アキ・ポッターは消えてしまう』と能面のような無表情で言い放った彼と同一人物なのだと、一体誰が思うだろう。
あの無邪気に笑う少年が、先の戦争の静かな功労者であると、一体誰が信じるだろう。
やがて休み時間が終わったのか、バラバラと子供達はアキに手を振って病院の中に走って行った。それに手を振り返したところで、アキがアクアに気がついた。僅かに目を見開いて、アキはこちらに近付いてくる。
「アクア」
「アキ……今から少し、話せる?」
アキは僅かに微笑んで、右手の甲で額の汗を拭った。
「いいよ」
覚悟を決めた、瞳だった。
◇ ◆ ◇
日陰のベンチに、二人並んで腰掛ける。
アキも、何と口にしていいのか迷っている風だった。共にいる沈黙がこんなに気まずく感じたのは、初めてだった。
「……あの、ね」
自分から話がしたいと言ったのだ、自分が口火を切るべきだろう。
口を開いたアクアに、アキは僅かに身じろぎをした。
「何?」
「えっと……その」
沈黙は崩れたが、しかしアクアの頭はまだ纏まってはいなかった。
それでも、時間を掛けても纏まることはないのだろう。そう思って、強引に言葉を押し出した。
「……嘘、そうなんでしょう? いつもみたいに、何もかも嘘なんでしょう?」
「……何が?」
「あなたが……アキが、消えてしまうって」
「……残念ながら、本当なんだよ、アクア」
アクアはアキを見た。
視線に気付いていない訳でもないだろうに、アキは頑としてアクアを見なかった。
「じゃあ……なんで」
止まりそうな呼吸を、意図して整える。激しく叩きつけたい気持ちを制御して、静かに言った。
「どうして私を拒絶しなかったの。あなたは賢い人よ。なのに一体、どうして私を引き離さなかったの。私は……」
ねぇ、アキ、見てよ。
こっちをキチンと見なさいよ。
「私はあなたの『心残り』じゃないの?」
アキの右手に力が篭ったのを見て取った。歯を食い縛ると、アキは目を伏せ、そして静かにアクアに向き直る。
漆黒の瞳と向かい合い、つい先ほどまであれほどこちらを向いて欲しいと願ったのにも関わらず、居心地の悪さを感じた。
「本当は、もっと早くに言わないといけなかった。切り出せなかったのは、ぼくが弱かったからだ。……君を手放す勇気が、持てなかったから」
アキは、淡々と言葉を紡いだ。
『心残り』を、『未練』を、引き剥がしに掛かる。
「別れよう、アクア」
――覚悟は既に、出来ていた。
それでも一瞬、頭は真っ白になった。
「ぼくは君を幸せには出来ない。もっと早く言えって……はは、本当その通りだよ」
自嘲して、アキは目を逸らすと乱暴な手つきで頭を掻いた。
「本当、もっと、早く……」
震える声で呟くと、目を伏せる。次にアクアを見たときには、静かな微笑みが浮かんでいた。
全ての悲しみも苦しみも、心の奥底に押し込めてしまうような微笑みだった。
「君に手を出さなくって、本当に……良かった。君の人生を浪費させてしまって、本当にごめんね。ぼくじゃない人の隣で、君は幸せでいて。それが……ぼくの、一番の願いだよ」
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