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空の記憶

第26話 レモン・キャンディーFirst posted : 2011.08.14
Last update : 2022.09.12

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 期末試験まで後、十週間を切った。ホグワーツでは日本の学校とは違い、学期末にドドンと重たい試験があるらしい。今まで試験など受けたことのないぼくら一年生も、上級生のピリピリとした緊張感に当てられて、それぞれがせっせと復習に取り組み始めた。授業が終われば、すぐさま教師の周りに人垣が出来、談話室を見渡せば、そこかしこで勉強道具を広げている。そんな勉強熱心さは、恐らくレイブンクローならでは、我が寮名物とも呼べるものだろう。


「リィフ? どうしたの」

 そんな彼らを横目に談話室を通り抜けようとした時、腕を引かれて振り返った。

「図書館に行くの? それなら、この本をついでに返しておいて欲しいんだ」
「いいけど、また返却期限過ぎちゃったの? 怒られるのはぼくなんだけど。君は机の上を片付ける習慣を付けた方がいいよ、どうせ今回も埋もれてたんでしょ」
「う……その通りです、申し訳ない……この前の紅茶クッキー一缶でどうだろう」

 頭の中で天秤に掛ける。頷いた。

「乗った」
「ありがとう! 流石はだ、話が分かるね!」

 左手を出すと、肩を竦めて本を受け取った。

「リィフ、ちょっと……、あ」

 リィフを呼ぶ声に、つられて振り返る。とそこには、クラスメイトのフィアン・エンクローチェが立っていた。ぼくがいるのに気が付かず、リィフに声を掛けたのだろう、ぼくを見て表情を凍りつかせている。もっともそれはぼくだって同じだ。

 右手には、あの『事故』からずっと包帯が巻かれている。『ぼくに対して当てつけるため』など、そんなことで日常生活の不便を我慢するような不合理的な人間では、彼はない。

 彼は合理的な人間だ。
 リィフ・フィスナーに諭され、不合理極まりないものである『ぼくへの嫌がらせ』から即座に手を引く程度には、色んなものを弁えている。

「じゃあね、リィフ。クッキー楽しみにしているから」

 フィアン・エンクローチェに見せるように、ぼくはゆったりとした微笑みを浮かべた。リィフは数瞬、どうしようかと素早くぼくらに視線を走らせていたようだったが、ぼくの言葉に反射的に「う、うん」と頷いた。

 リィフ、君は。
 優しすぎる男だ。

 リィフに手を振り、前を向く。

 さぁ、セブルスとリリーが待ってる図書館に行こう。

 ぼくの本当の居場所は、多分──そこだから。

 そこしか、ないのだから。


  ◇  ◆  ◇



 ハリーは、右手をぎゅっと握り締めた。

 スネイプではなく、クィレルがヴォルデモートの手下だった。彼らは賢者の石を狙っていて、それは今(何故かはよく分からないが)ハリーのポケットの中にある。

 心臓がどくどくと脈打つ。自身の両親を殺した相手が、自身を殺しかけた相手が目の前にいるこの状況に、恐怖で今にも震え出しそうだ。ぎゅっと下腹部に力を込め、堪えてぎっと睨みつける。

『さあ『石』をよこせ』

 ヴォルデモートの顔が、醜く歪んだ。笑ったのだ、と気付き、背筋に寒気が走る。

 いっそのこと、賢者の石を渡してしまおうか。そうすれば、命だけは助けてもらえる。

 しかしその考えを、ハリーは即座に打ち消した。

 駄目だ、そんなことは出来ない。

 もし石を渡してしまえば、ヴォルデモートは復活して力を取り戻してしまう。かつての頃のように、また何人もの人が死ぬことになってしまう。

 そして何より、そんなことになってしまえば──

 アキに、顔向けが出来ない。

 アキはきっと、僕を責めないだろう。
 何も言わずに、静かに、目を伏せて──

 黙って、僕に背を向けるのだ。
 僕を置いて、一人で、僕の手の届かない場所へ行ってしまう。

 ──そんなの
 ──そんなの、嫌だ!!

 アキに軽蔑されたくない、嘲笑されたくない。
 嫌われたくない、馬鹿にされたくない。

 アキに、ハリーがそんな奴だったなんて、見込み違いだったと落胆されたくない。
 兄として、弟に失望されたくない。

 だから。
 だから、僕は。

 固い石の感触を太股に感じながら、ハリーは叫んだ。

「やるもんか!!」
『捕まえろ!!』

 先程やって来た扉へと駆け出すも、十一歳の脚力は成人男性には敵わない。強く手首を掴まれた途端、針で刺したような鋭い痛みが頭を──正確には額の傷痕を──貫いた。訳が分からず、痛みと恐怖で叫び声を上げ藻掻く。

「ハリーを放せ!!」

 瞬間、目も眩むような閃光と爆音が轟いた。手首から、掴まれていた感触が消える。強い風に吹き飛ばされ、思わず尻餅をついた。

 強烈な光を見た直後のためか、視力はほぼ皆無に近い。それでもハリーは、目を凝らした。

 今、確かに。
 聞き覚えのある声が、聞こえたから。

「……アキ?」

 震える声で呟いて、白い世界に手を伸ばした。きゅっとその手が握られる。

 自分の手より一回り小さくて、女の子みたいに、細くて薄くて力を込めたら折れてしまいそうな程に華奢なその手は。

 しかし、力強く、ハリーを引っ張り上げた。

「大丈夫?」

 声変わり前のボーイソプラノが、鼓膜を震わす。聞き慣れたその声に、安心して涙が出そうになった。慌てて、頷く。

「よかった」

 ほっとしたような小さなため息。どんな顔をしているか、自然と脳裏に思い浮かぶ。

『ほぅ……杖なしであの呪縛を打ち破るとはな。流石は幣原、ということか』
「ぼくはアキ・ポッターだ!」

 目の前の少年が叫ぶ。ハリーを後ろ盾に庇うように立つと、小さくハリーに囁いた。

「ハリー、君は逃げるんだ」
「……っ、出来る訳!」
「君がいても、邪魔なんだよ」

 さらりと言われた言葉に、思わず呻く。そうだ、彼は、この弟は、そういうところで率直なのだ。

「賢者の石を、安全なところに」

 トン、と肩を押され、よろけた。アキは笑って言う。

「頼んだよ」
「……うん」

 納得出来ない心を押し止めた。小さく頷くと、そろそろと後ずさる。

『……いいだろう、アキ・ポッター。しかし弱い貴様に興味はない、用があるのは『生き残った男の子』の持つ賢者の石なのだから』
「ぼくを倒さない限り、ハリーには指一本触れさせない!」

 シルエットが霞んで見える。視力がじんわりと戻り掛けているのだ。目を細め、アキの姿を辿った。

『……クィレル、行け。ただし殺すな』
「分かりました」

 クィレルの無機質な声が耳に入る。アキは相手の出方を伺っているのか、じっと動かない。

 背中に固い壁が当たった。壁に寄り掛かりながら、未だにはっきりとは見えない目を凝らし、扉を探す。手探りで、扉の取っ手を掴んだ。

 その時、静寂を切り裂くような大きな音が響いた。慌ててハリーはアキとクィレルがいる方向に目を凝らす。地面に組み伏せられ首に手を掛けられているアキを認識し、思わず駆け寄りそうになって──アキが手を精一杯伸ばして、こちらをぎっと睨んで『近寄るな』と全身で表現しているのに、はっと足が止まった。

「……魔法を使うと思っただろう? 貴様に魔法勝負を挑もうなど、そんな愚行を犯すものか」
「……う……ぐっ……は、りー、行け……っ!」

 アキが苦しげに叫ぶ。

 アキを助けなきゃいけない。
 でも、賢者の石を守れと、他でもないアキに頼まれた。

 どうすればよいか分からなくて、ハリーはその場に立ち尽くした。

幣原、どうして貴様なんかに皆が執着するのか、私には分からんよ……」

 クィレルが、アキの喉に手を掛けたまま呟く。アキは答えない──否、答えられない。

「貴様は私の存在など気にも留めなかった。知っていたかさえ怪しい。……でも、私は知っていたんだ」

 クィレルの顔は髪に隠れ、表情が読めない。クィレルの意味不明な言葉に、しかしアキが微かに首を横に振るのが見えた。

 そっと、最後の力を振り絞るように、アキが左手を伸ばす。しかしクィレルに掠りもせず、やがて力尽きた左手は地面に投げ出された。

 ぴくりとも動かないその腕に。
 理性と本能との間で揺れていたハリーの心のメーターが、とうとう振り切れる。

「わああああああああああ!!!!」

 叫びながら走り、渾身の力でクィレルにしがみつくと、アキから引き離すべく力を込めた。途端、額に激痛が走る。目も眩むような痛みに目を細めながらも、離してなるものかとばかりに足を踏ん張った。

 クィレルも叫び声を上げ、アキの首から手を離すとハリーを振り解こうと藻掻く。駄目だ、クィレルを離したらアキが死んでしまう、その一心で、ハリーは手を伸ばし、クィレルの腕を捕まえ、力の限りしがみついた。

「……っぁ、は、ハ、リー……っ、」

 アキの声に、割れそうに痛む頭を堪え、薄く目を凝らした。身をよじって激しく咳込んでいる彼に、思わず駆け寄りたくなる。
 でも、まずはこちらが先だ。

「あああアアアァァァ!」
『殺せ! 殺せ!』

 叫び声が聞こえる。
 目の前が眩んだ。まばゆい光に、思考が奪われる。

 ──アキ

 それでも、ただ一つ、願うのは。
 一人の少年のことだった。

 ふわりと、妙な浮遊感が全身を襲う。白かった視界が、さぁっと黒に塗り潰された。同時に、あれ程まで強烈な頭痛が消え去る。

 闇が、意識を引きずり込む。
 抵抗する暇もなく、ハリーは闇の中へと落ちて行った。





 クィレルの腕が崩れた。
 肩が、顔が、胴体が、ハリーが触れたところが一瞬の内に風化し、砂となって粉々に砕け散る。

 そんな様子を、ぼくはただ床に這いつくばって、呆然と眺めていただけだった。

 身体の一欠片も残さずに、クィレルの肉体は消滅する。中身が無くなったクィレルのローブにしがみついたまま、ハリーはその場に崩折れた。

「ハリー!!」

 咄嗟に叫んで駆け寄ると、慌てて抱き起こす。ハリーの顔色は真っ青というより紙色で、ぐったりしていて生気がない。ハリーの頬をぺちぺち叩いて、目を覚まさせようとしたその時──

 カチャリ、と扉が開く音がした。思わず身構え、扉を睨みつける。そして──

「ハリーは心配いらんよ。ヴォルデモートの毒気に当てられただけじゃろう」
「……っ、ダンブルドア先生!?」

 どうやらわしは遅かったようじゃのう、と好々爺風に笑われ、呆気に取られる。数秒ぽかんとダンブルドアを見つめ、口が開きっぱなしだということに気付き慌てて閉じた。

「ど……どうして、ここに?」
「そんな当たり前なことを聞くとは、お主らしくないのぉ、アキ・ポッターくん。さぁ、ハリーを医務室に運ばねばなるまい。手伝ってくれるかの?」
「あ……はい」

 しかしダンブルドアはついっと右手の杖を振り、ハリーをふわふわとその場に浮かせるとすたすたと歩き出した。慌ててぼくは後を追う。

「先生、あの……」
アキ、君は本当によくやってくれた」
「よくって……」

 口ごもった。ぼくは、何もしていない。ダンブルドアは詳しくは何も語らず、ただにっっこりと微笑んだ。その笑みに、この場でついさっきヴォルデモートやクィレルとやり合っていたことを、しばし忘れる。

「君に足りないのは、ハリーとのコミュニケーションじゃったのう。ハリーと、もっとしっかり情報交換しておれば、君は君の望む通り、ハリー・ポッターを守り切ることが出来たじゃろうに」
「……先生は、いつから……どこまで、知ってらしたんですか?」

 ダンブルドアの背中を見つめながら、ぼくは問うた。ダンブルドアはちょっと黙って「わしが知るべき量ちょうどじゃ、それ以上でもそれ以下でもない」と返す。

「…………」

 思わず押し黙る。
 それは、つまり、ぼくやハリーがこうして禁じられた廊下に行き、クィレルやヴォルデモートと出会うことも──全て見越した上でのことだと言うのだろうか。

「なら……」

 ぼくは小さく息を吸い込んだ。
 目を伏せて、尋ねる。

幣原を、ご存知ですか?」
「……懐かしい名じゃ」

 しみじみと過去を思い出すような声音で、ダンブルドアは呟いた。

幣原の夢を、毎晩見るんです……。『夢』で、ぼくは幣原として生活していて……楽しいことも苦しいことも悲しいことも嬉しいことも、まるで我が事のように経験しています。……ぼくは最初、あいつはぼくの頭の中だけの住人だと思っていました。でも、違った。あいつは実際にこの世界に、ぼくが住んでいる世界と同じ世界に存在していた。実際にスネイプ教授と言葉を交わし、ヴォルデモートの敵として戦っていた。彼女も……アクアマリン・ベルフェゴールも、幣原を知っていた。……何も知らないのは、ぼくだけだった」

 言葉を切った。息を吸い込み、続ける。

「教えてください、先生。なんでヴォルデモートは、ぼくを『幣原』と認識したんですか? ぼくと幣原は、何の繋がりがあるんですか?」
「……その質問に、わしは答えるべきではない」

 ため息と共に吐き出された言葉に、思わずぼくは詰め寄った。

「どういう意味ですか!? 先生は理由を知っているのに! だから、みぞの鏡でぼくが見えたものを尋ねた! ぼくのついた嘘を見破ってた! ぼくが、ハリーと同じように両親の姿を見ることはないことを知ってた!!
 どうしてですか、なんで、なんでっ……」

 何も知らない自分が悔しくて、無力な自分に苛立って、ぼくは拳を握り締めて目をぎゅっと瞑った。ぎり、と奥歯を噛み締める。

「君に、直々に説明したい人間がいるからじゃ。君の抱く質問に対する答えを、君に直接伝えたい、の」

 その言葉に、ハッと顔を上げた。既にダンブルドアは、ぼくの遥か先を歩いている。慌てて後を追った。

「そっ、それは一体誰なんですか!?」
「さてのう。……それはそうと、わしは君に一つがっかりしたことがあるんじゃよ」
「え?」
「君宛の入学案内書じゃよ、アキ。『レモン・キャンディー』じゃ」

 なんだそれは、と首を捻り、記憶を辿って……思わずぼくは声を上げる。

「あの落書き! 先生だったんですか!?」
「落書きとは失礼じゃのう。校長室への合言葉だったのじゃが。いつ君が気付くか、わくわくして待っておったというのに」
「いや無茶でしょ! どう考えたって無茶苦茶だ!」
「スリザリン寮の合言葉を勘で言い当てた君に言われとうはないの」

 ぐっ、とぼくは言葉に詰まる。一体、どこまで知ってるんだこの人は。

「いつでも校長室に遊びに来るがよい。なぁに、甘いものを全て挙げていけば、いつかは正解に辿り着く」
「そんな重要機密をいち生徒に漏らしていいんですか?」

 ふぉっふぉっふぉと笑いながら、ダンブルドアはお茶目に片目を瞑った。



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