足音に、リリーと二人目配せをした。
二人で息を詰め、数秒待つ。自分の心臓の鼓動がうるさく聞こえてしまうほどの静寂と興奮の中、ぼくらは二人で「わっ!」と叫び、セブルスの目の前に飛び出した。
「うわぁっ!?」
単純だが効果のある悪戯に、セブルスは見事驚いてくれたようだ。悪戯の成功にリリーと手を叩いて喜んでいると、やがてセブルスは大きなため息をついては頭を押さえた。
「……秋、リリー。君らはちょっと、あいつらに影響され過ぎやしないか? リリーはともかくとして、秋までが乗るとは思っていなかったよ」
「何を言ってるんだいセブルス! ぼくはそんなに大人しい子じゃないよ」
「やっぱり私の見立ては正しかったのね! 秋ったらノリノリで乗ってくれたわよ。持つべきものは良き友! よねー」
セブルスが一人でいる時を見計らい、物陰に隠れて驚かす。言葉で書けば十数文字で表せてしまう程度の行動だけれど、実行するとなると案外難しい。
まずセブルスを一人で、人気のない廊下に誘導すること、そしてそれを先回りして待つこと。タイミングもかなり重要だ。セブルスの目の前に急に現れないと、驚きも半減してしまう。
リリーはその点、とても優秀な仕掛け人だった。流石はセブルスの幼馴染なだけはある。セブルスが「昔のリリーは凄くやんちゃで……」と苦い口ぶりで語るのが少し理解出来た程だ。
「それで? これからどんなコンボが待っているんだ? 爆竹がバンバン鳴りながら後ろから迫ってくるのか? カエルが無限に増殖して部屋を溢れ返らせるのか?」
「あれ? 私、そんなことしたっけ」
「したんだ! 勝手に忘れられちゃあ困る」
ぼくはリリーと顔を見合わせた。リリーが可愛らしくウィンクをする。そんな可愛らしい顔をして、一体何をやっているんだ君は。
「今回は本当にあれで最後の悪戯か? まだ続きがあるんじゃないだろうな」
「やだなぁ、あれだけだって。そんなに警戒しないでよ」
「ふん、どうだかな……リリーとずっと一緒にいて、警戒しなくなる方がおかしいんだ」
どれだけリリーに悪戯されてきたんだ、セブルスは。
「セブルスが悪戯されたそうな顔してるからじゃないかな?」
「どんな顔だ!」
「そんな顔よ、セブ」
ぼくとリリーはクスクスと笑い合った。セブルスは言い返そうとしたようだったが、諦めたように肩を下ろす。
「大広間では悪戯仕掛人がまだ何やらやってるみたいだが、君らはいいのか? 行かなくて」
「別にぼくら、悪戯仕掛人じゃないしね。セブルスとリリーとこうして三人でいる方が、ぼくは好きだな」
「そうそう。やっぱりこの三人じゃないとねー」
そう言うぼくらに、セブルスはちょっと驚いたようだった。ぼくらを交互に見た後、ふっと表情を和らげ「君達は……」と呟く。
「私達が離れていくとでも思って安心してたんでしょ。残念でした、私達はセブのことがだーいすきだから、いっくらセブが望んでも離れてなんてあげませーん」
「まぁ、三人とも寮が違うのにわざわざ一緒にいる辺り、離れる気なんてそうそうないよね」
──そう、これは、ぼくが出した結論。
ぼくと、リリーとセブルス、この三人の友情ほど手放したくないものは存在しない。
これこそが、ぼくが守りたいもの。
そう胸を張って言える、掛け替えのないものなのだと。
「……ありがとう」
セブルスが小さな声でそう言った。ぼくらは笑顔でそれに応える。
「よーし、じゃあネタばらししましょうか!」
リリーが大きな声でそう言った。
きょとんとするセブルスの前に出たぼくは、赤く長い、まるでリリーの髪の毛みたいなカツラを外す。その下に現れた黒髪を見て、セブルスはぽかんと口を開けた。同時にリリーが、まるでぼくの髪のような黒髪のカツラを外すと、ぼくの隣に並ぶ。杖を取り出し、一振りで声を元に戻した。
「……あー、うん。やっぱり自分の声がしっくりくるよ。自分の喉からリリーの声が出てくるなんて、なんか妙な感じ」
「私はむしろ、自分が喋ってないのに自分の声が聞こえることの方が変に感じたわ。それにしても秋、スカート似合うわね。やっぱり滅茶苦茶可愛いわ」
「ぼくとしては早く着替えたい限りなんだけどね……凄く心許ないんだけど、これ。女の子はいつもこんなに不安な気持ちで一杯なの?」
「うーん、慣れれば別に何ともないわよ? それより秋、今度本格的に女装させてくれないかしら。あなた目も大きいし睫毛長いし、すっごく可愛くなると思うの! 今もすっごく可愛いんだけど!」
「いやだよ!?」
呆然とぼくらを見ていたセブルスが、ようやっと「な……なっ!?」と我に返ったように後ずさった。ぼくら二人を交互に見た後、もう一度「……はぁっ!?」と叫ぶ。
「き……君達、いつの間に!?」
「一番最初の、セブを驚かす前から」
「で、でも……た、確かに君達は体格も似てるし、身長も同じくらいだし……で、でも目の色とかは!?」
「カラコンって言うのが、今女の子の間で流行ってるの」
「声は!?」
「流石にそれは魔法を使ったんだ。魔法式を組むの、結構苦労したんだよ?」
息を呑むセブルスに、ぼくら二人は笑顔で、声を揃えて言った。
「「悪戯成功!」」
◇ ◆ ◇
学期末の試験がなくなったことに、学校中が歓喜に沸いた。普通なら試験期間真っ最中のはずなのに、ぼくら生徒は一足早い夏休みが来たとばかりに全力で遊び呆けている。
ついこの前まで寒さが抜けなかったホグワーツにも、気が付けば夏が訪れていた。焼けるような暑さを存分に振り撒いている。
中庭の木陰で、僕は芝生の斜面に寝転んでいた。闇の魔術に対する防衛術の授業が中止になったため、この一コマはぼくらレイブンクロー生にとってありがたい空き時間だ。
さっきまで読んでいた分厚い本を枕に、ぼくはぼんやりと空を眺める。雲の流れが早い。風が芝生をさあっと駆け抜け、鳥が優雅に空を横切って行った。
「アキ」
「うわあぁっ!?」
視界が銀に覆われた。それが何かを理解したのは、頭より身体が早かった。
ぼくの運動能力では驚くべきと表現できるほど早く、ぼくは身体を起こして振り返る。
「あ……、アクア」
長く真っ直ぐな銀髪。小柄で華奢な体躯。きっちりと留められた制服には、スリザリンのカラーであるグリーンがあらゆるところに刺繍されている。
アクアもぼくの咄嗟の動きに驚いたらしい。ぽかんとぼくを見ていたが、やがて口を開いた。
「……びっくりした」
「あ、ごめん……えと、まあぼくもびっくりしたし、おあいこってところで。で……」
辺りを見回す。
「……え、と。何か用?」
「……用ってほどじゃ、ないんだけど。あなたと話したいと思って」
ほう。嬉しいことを言ってくれるじゃないか。舞い上がってしまいそうだ。
「スリザリンは、授業は?」
「……さっき、早めに終わったの。呪文学の授業。もう二年生で習う範囲は終わっちゃったからって。……あそこで寝てるのはアキかな? と思って、来てみたの」
アクアはその場に、スカートの皺を気にしつつ座った。
……あー、もうね、なんだか分からないけどとりあえず嬉しいね。心が温かくなるっていうの? アクアがぼくの視界の中にいるってだけで、何だか浮き足立ってきてそわそわする。
「……無事で、よかった」
「あはは……ありがとう」
言葉に困って頭を掻いた。
ぼくはただ、巻き込まれただけなのだ。ハリーをおびき寄せるためにリドルが使った囮の役割。あれだけ散々ぶちのめされたのに怪我一つしていなかったのは、流石夢の世界だから、と言うべきだろうか。
「……それと。あのね。フィスナーの件、ありがとう」
「え? ……あ、あぁ……別に、ぼくは何もしてないよ」
笑って頭を振る。
ぼくはただ、思いのままに二人に対して思いをぶち撒けただけだ。関係を修復させたのは、二人がお互いに歩み寄ったから。ただそれだけに他ならない。
「……でも、きっかけを与えてくれたのはあなたよ。ドラコもあなたには感謝してた。お礼を言うのが遅くなって、ごめんなさい」
「そんな、お礼だなんて。いいよ、アクアのその言葉だけでぼくは十分だよ」
むしろ、アクアにそこまで心を配ってもらえるアリスがむしろ羨ましいほどだ。
「ドラコは? 最近落ち込んでるって、風の噂で聞いたけど」
「あぁ……別に、放っておいて大丈夫よ。アキが気にすることじゃないわ。ドラコのお父様が、ホグワーツの理事長の職を辞された、それだけのことよ。校内を威張って歩けないのが不満みたい」
くすくすとアクアは笑った。僅かに彼女の頭が揺れ、銀髪が日の光に当たってキラキラと輝く。
やがて、お互いの間を沈黙が流れた。
でも、この沈黙は嫌なものじゃない。穏やかで、何処か暖かい。なんとなく、ずっと感じていたいと思う。
「……ねぇ、アキ」
「……ん?」
アクアは、僅かに不安げな表情でぼくを見上げた。
「あなたは、この世界が好き?」
「え……」
思わずアクアを見返した。ごくりと唾を呑み込む。
アクアはどうして、そんなことを訊くのだろう。
この世界とは、何を指しているのだろう?
「そうだね、好きか嫌いかって言われたら、迷い無く好きって答えられるくらいには好きかな、ぼくは。ぼくが大好きな人たちが一杯いるこの世界が、ぼくは大好きだよ」
物言いたげに、アクアの瞳が揺れた。
今のぼくの答えは正解だったのだろうか。それとも間違えてしまったのだろうか。アクアの表情からは、上手く正解が読み取れなかった。
「……アキは、優しいわね」
「そうかな? ぼくは、自分の思う通りに生きてるだけだよ」
アクアはくすりと柔らかく微笑む。
「……私も、大好きな人達がたくさんいるこの世界は、大好きよ」
いいねを押すと一言あとがきが読めます