楽しい時間はいつだってあっという間に過ぎていく。一体いつの間に時間が経っていたのやら、気が付いたらもう夏休みは終わっていた。
そんなことを思うのもきっと、今年の夏は我が家にしては珍しく、いろんな場所に行ったからだろう。海水浴やキャンプ、地域のお祭りや花火大会と、楽しげな両親にひたすら連れ回されていた。
そりゃあ楽しかったけどね? 夏休みの課題が新学期の前日まで終わらなかったのは生まれて初めてだ。
そんな訳で九月一日、新学期。
九と四分の三番線のホームを潜り抜けると、深紅のホグワーツ特急は既にプラットホームに停まっていた。まだ人の数は少ないものの、これからどんどん増えていくことだろう。
そんな中、乗客の中に友人、セブルス・スネイプの姿を見つけたぼくは大きく手を振った。
「あっ、セブルス!」
ぼくの姿を認め、セブルスは驚いたように目を丸くしている。夏場だというのに、セブルスは長く野暮ったいコートをきっちりとその身に纏っていた。
そう言えばセブルスの私服を見たのは初対面の時以来な気がする。あの日も確か、小柄な身体に不釣り合いなほど大きなコートを着ていたっけ。
「久しぶり。元気だった?」
「あぁ、久しぶりだな。まずまずだよ」
笑みを浮かべてセブルスの元へ駆け寄った。セブルスも頬を僅かに緩め、ぼくを歓迎してくれる。
「ちょっと秋、急に走り出さないでよね。見失ったと思ってお母さん……あら?」
その時ぼくを追いかけてきた母が「アイリーン! アイリーンじゃないの!」と明るい声を上げた。
母の視線を辿れば、セブルスのすぐ傍に佇む一人の女性にぶつかる。セブルスとよく似た目鼻立ちをしているから、きっとセブルスのお母様だろう。
いきなり母に話しかけられて、彼女はオロオロと視線を彷徨わせている。そんな彼女に構うことなく、母は「久しぶり! 私のこと
「私が辞めちゃってからはさっぱりだったものね。忘れられてても仕方ないかな」
「そんな……あなたみたいな人、忘れられる筈がないわ……アキナ先輩」
彼女はか細い声で呟き首を振る。途端、母の表情がぱぁっと明るくなった。
「本当? 嬉しい! まさか秋の友達がアイリーンの子供だなんて思ってなかったわ、素敵な偶然ね! あ、この子は息子の秋よ。セブルスくん、秋といつも仲良くしてくれてるらしいの。本当にありがとう」
「そんな……こちらこそ……」
ようやくカートを引いた父が追いついてくる。母がまた何やら暴走していることを察した父は、少し困った顔をした。と、パッと振り返った母は「直さん!」とキラキラ笑顔で父を呼ぶ。
「直さん、彼女のこと憶えてる? アイリーンよ、アイリーン・プリンス!」
「プリンス? ……あぁ、トムの後輩か……久しぶりだね、元気だったかい?」
「ねぇアイリーン、ゴブストーンはまだやってるの? 直さんも秋もあんまり好きじゃないみたいで、誰も一緒にやってくれないの」
「い、いえ、もう……夫が……そういうの、あまり好きじゃなくて」
「じゃあ今度、一緒にしましょうよ! わぁ、学生時代に戻ったみたい!」
大人組は大人組で、子供のことを放って和気藹々としている。ぼくはセブルスに「ぼくらは汽車に乗ってようよ」と耳打ちしたが、セブルスはぼくの言葉がまるで耳に入っていないらしく、目を丸くしては大人組を──特に、セブルスのお母さんを──凝視している。
「セブルス、どうしたの?」
「いや……その、母があんなに明るい顔を見せるのは珍しいと思っただけだ」
セブルスは小さく笑って視線を逸らす。その瞳に一瞬暗いものが過ぎった気がしたが──光の加減だろうか、すぐに見失ってしまった。
……そう言えば、セブルスは家族の話を全くと言っていいほどしてくれない。兄弟はいないようだが……流石に、今日姿が見えない父親のことまでは聞けないや。
「君のご両親は、不思議な力を持っているんだな」
「え?」
「人を笑顔にする力だよ」
そう言ってセブルスは笑うと、俯いた。
母とセブルスのお母さんは、学生時代にゴブストーン・クラブで一緒に活動する仲間だったらしい。
ゴブストーンというのはマグル界のおはじきゲームと同じようなものだ。枠内に置かれたビー玉を、外側から狙って弾き飛ばすという至極単純なゲームである。
魔法界ではごく一般的に認知されているゲームのようで、談話室や大広間といった生徒達が集まる憩いの場には常備してある。ぼくも何度かプレイしたことがあるものの、失点のたびにイヤな臭いの液体を吹きかけられるわ、しかもその臭いが中々取れないわで、基本的には不人気側のゲームだ。
ぼくとセブルスは先に汽車へと乗り込むと、コンパートメントでリリーの到着を待った。まだ汽車が出発してもいないのにそそくさとホグワーツのローブに着替えたセブルスは(なんとコートのすぐ下にホグワーツの制服を着込んでいた。賢い)窓の枠に肘を乗せ、プラットフォームを行き交う人々をじっと眺めている。
きっとリリーを探しているのだとニヤニヤしていたら、セブルスに気付かれてしまった。
「……何だ」
「ん? 別にー?」
「その顔を止めろ!」
「まぁまぁ、あ、リリーだ」
途端、セブルスは物凄い勢いで「リリー!?」と頭を窓から突き出した。その態度でよく隠せていると思えるよな。バレバレなんだよ。
赤い髪の女の子が、重たそうなカートを手に一人で歩いている。「おーい、リリー!」と叫ぶと、リリーは晴れやかな表情で手を振り返しては、足取りも軽やかに近付いてきた。リリーに気付いた大人組も笑顔でリリーを迎える。
「ハァイ、セブ、秋! 久しぶりね!」
「久しぶり、リリー!」
裏表のない明るい性格に、周囲を華やかに染め上げる明るい笑顔。セブルスが惚れるのも無理はない。
「あ、ごめん、セブルスちょっと邪魔かな、よっと」
……まぁ、窓からコンパートメントに入って来るなどちょっとアクティブすぎる面に目を瞑れば、かな……。ショートカットの仕方が大胆だよ。
「あら、トランクを持ってくださるなんて、ありがとう秋のお父様!」
「いやいやこのくらい」
「リリーちゃんも久しぶり! 君は見るたびに可愛く美人さんになっていくね!」
「あはっ、秋のお母様も若くてお綺麗なのに、嬉しいです!」
……ま、いいか。リリーだし。
「一人で来たの? お父さんやお母さんは?」
「パパやママは、チュニーの……姉の、方に」
そう言いながらリリーは少し寂しそうな顔をした。
リリーの姉……というと、夏休みが始まる前にリリーを迎えに来ていたご両親と一緒にいた女の子かな。……残念だ、また会えるかと思ったんだけど。
その時、出発の合図の汽笛が高らかに響き渡った。ガタン、と汽車全体が振動する。
「そろそろ出発だね……行ってらっしゃい、秋」
「うん、行ってきます、母さん」
両手を広げる母にぎゅっと抱きつく。次いで父にも。母は手を伸ばすと、リリーとセブルスも一緒に抱き締めた。
「秋をよろしくね、二人とも」
ホグワーツ特急がゆっくりと動き出した。遠ざかっていく両親に、ぼくは笑顔で手を振る。
「またクリスマスにね!」
──これが今生の別れになるとは、この時のぼくは夢にも思っていなかったんだ。
深紅のホグワーツ特急がカーブで姿を消す。振っていた手を降ろしたアキナは、堪えきれなくなったように両手で顔を覆った。肩を震わせしゃくりあげるアキナに、アイリーン・スネイプは驚いて半歩後ろに下がった。
「せ、先輩……?」
「ごめんね、プリンス──あ、今はスネイプ夫人だっけ。ちょっと……いろいろあってさ」
幣原直は、予想していたようにアキナの肩を抱いた。ニコリと柔らかく微笑んだ笑顔は、学生時代によく向けられたものと同じだ。他寮の後輩であるアイリーンにも、直はよく穏やかに笑いかけてくれた。
……そう言えば、あの人は今どうしているのだろう。
学生時代、幣原直とよく共にいた彼。スリザリン寮、いやホグワーツの歴史に残るほど優秀で、教師からの覚えもめでたく将来は官僚か学者かと期待されていた。
当時の女子生徒は誰もが彼に憧れていて、アイリーンも皆に漏れずではあったものの、しかし自分ではあの人に釣り合わないと想いは胸の内に秘めた。今となっては懐かしく甘酸っぱい思い出だ。
彼は今何をしているのだろう。アイリーン自身、マグルの夫と結婚したのを契機に魔法界の情報には疎くなってしまった。
直もアキナも、アイリーンと入った寮は異なる。それでもこうして親しみを抱くのは、二人が寮の垣根を気にすることなくアイリーンと接してくれたからだ。特にアキナはスリザリン寮と天敵のグリフィンドール寮出身だというのに、驚くほどに親切にしてくれた。
学生時代からいつも笑顔のイメージしかないアキナの唐突な涙に、アイリーンは思わず慌ててしまう。アキナは目元を拭うと、泣き笑いのような顔でアイリーンを振り返った。
「ごめんなさい、アイリーン。一緒にゴブストーンしようねって約束は、多分、守れそうにないや……」
決意を秘めたその瞳を、アイリーンはただただ見つめ返した。
◇ ◆ ◇
フィスナー家の敷地をジョギングペースでぐるっと二周したところで、体力の限界が先に来た。膝に手をつきぜーはーと肩で息をするぼくに、アリスが驚愕とばかりの顔で駆け寄ってくる。
「ウッソだろお前……まだ二周だぞ」
「いや無理ごめん……ちょっと休憩……」
フィスナー家の敷地の広大さを舐めていた。こっちはプリベット通りを走る気分でいたのに、いきなりハーフマラソンコースをご用意された気分だ。
フィスナー家に滞在して一週間、そろそろ屋敷の掃除に目処がついてきた。来週あたりには使用人も何人か戻ってくる手筈にもなったらしい。少し時間の余裕ができたのを幸いと、ぼくはアリスに「ぼくもトレーニングにご一緒させてほしい」とお願いしたのだった。
アリスが元々一通りの体術をきちんと学んできているのは、普段の身のこなしから何となく感じていた。実際聞いてみたところ、確かに剣術・体術・格闘術は幼い頃から専門の教師を付けられ叩き込まれていたらしい。
ホグワーツに入学してからは指導を受ける機会も無くなったものの、それでもたびたび身体が鈍らないよう走りに行っていたようだ。道理で、普段朝には弱いくせにたまに早起きして外に出てってるなとは思っていたよ。
なんだよ一人で格好つけちゃってぼくも誘えよとごねたところ、アリスはすこぶる嫌そうな顔をしつつも最後には渋々了承してくれた。
そしていよいよ迎えた本日、だったのだが────
「どーよ、俺と走った感想は」
「思った以上に体力の差が歴然としてて凹む」
「そいつは自明だったろ」
そりゃ自分だって運動神経が良い方だとは思っていなかったものの、それでも割と身軽な方だし徒歩だったら長距離歩いても平気だし、と慢心していたのは否めない。いやうん、確かに慢心していた。今日ので思い知った、ぼく、同級生の中でも体力ない方だ。小柄だし筋肉ないしで頼り甲斐のない男だった。
「それにしても、急に体力作りに励むなんてどーしたよ」
手持ち無沙汰なのか、アリスがストレッチをしながら尋ねてくる。
……何かあったというか、こう、諸々が積み重なった感じなんだよな。
トランクを運ぶ手伝いをしようとしたらウィーズリーの双子に「いらない」と言われたり、クィレルに殴られて気絶したり、リドルに操られたジニーに首を締められて意識を飛ばしたり、リドルとの対決でボロボロになるまで痛めつけられたり。そんな諸々が積み重なった結果芽生えた感情ではある。それに自分の身は自分で守れた方がいいし。
ぼくがそう言うと、アリスは少し不思議そうな顔で首を傾げた。
「そりゃ体力はあるに越したことがないのは事実だが、でもお前、今のままでも自分の身くらい余裕で守れるだろ?」
「え?」
「魔力。そんだけ辺りに漂わせといて、自覚がないとは言わせねぇ。正直言って、そんだけ魔力持ってりゃ無敵じゃね? 俺だって、お前と魔法ありの勝負じゃ絶対敵わねぇもん」
「うーん……」
そう言われればそうかもしれないんだけど、それでも現実問題、魔力以外の部分で負けがちなんだよな……物理攻撃に弱いというか。
「魔力を薄ーく伸ばして全身に纏わせとくのは? 直で生身に攻撃喰らわないようにさぁ。もしくは魔力を索敵目的で周囲に漂わせて、間合いに入った敵を感知するとか。つまりは反応できない距離から攻撃されるとしんどいってことだろ」
アリスが指折り数えながら提案してくる。こいつ物騒なことになるとポンポンアイディア出てくるな。ごく平凡な学生生活送ってる中、どうして死角から攻撃された場合の対応を考えなければならないのだろう? でも実際問題として、ぼくってば割と死角から攻撃されやすいんだから仕方ない。
「まぁ、そうだなぁ……それがいいのかな。ちょっと集中力使うけど、何とかなるか」
「マジ?『ちょっと』で済むの、お前? 化け物ー……」
何故か、ぼくに提案した側のアリスが引いていた。君が言い出したくせに梯子を外すのは止めてほしい。
……そう言えば、闇祓いは法執行部に所属する軍人でもあるのだった。幣原も身体を鍛えたのだろうか。……なんか似合わないけど……。
少し休んで呼吸が整った。汗を拭いて「よし」と立ち上がると、アリスは「なんだ、まだやる気かよ」と苦笑する。
「それはそれ、これはこれ。やっぱりいざって時に動けた方が都合がいいしね。それに……」
「それに?」
「鍛えてた方がモテそうじゃん。アクアはどういう人が好みかな? でも運動できない奴よりできる奴の方がなんかいいよね」
「……そいつは知らんが、ま、頑張れよ」
「パーティー?」
リィフが言った耳慣れぬ言葉に、ぼくはこてんと首を傾けた。
あの後再び屋敷の敷地を一周し、朝から良い汗をかいたなぁと朝食を美味しく頂いていた時のことだ。
夏休み初日は人も入れない惨状を呈していたキッチンは、アリスが執念で綺麗さっぱり磨き上げてぴっかぴかだ。やっぱり綺麗だと居心地がいいね。
特にフィスナー家はどこを見ても見栄えがする。まぁその分、手入れをしないとすぐにゴーストハウスの一角かと思うほど廃れてしまうのだけど……。
ちなみに今お皿に乗っている、まるでお手本のようなイングリッシュ・ブレックファストはアリスの手作りだ。ぼくも手伝うよと言ったのだが、客人は座っていなさいとリィフに窘められた。ついでに言えばそんなリィフも、アリスに邪魔だと秒殺されてすごすごとキッチンから戻ってきた。
まさかアリスの手料理が食べられるなんて、こりゃクラスメイトに自慢するネタがまた一つ増えたなと思いながら、ベイクドビーンズを頬張っていた矢先のことだ。
「あぁ。パーティーと言っても比較的カジュアルなものだしね。アキ、君もおいで。主催者も快く了承してくださった。美味しい食べ物もたくさん出るから楽しみにしておくといいよ」
リィフは普段通りの穏やかな微笑みを浮かべたまま、紅茶のカップを軽く持ち上げてみせた。「はぁ」とぼくは曖昧に頷く。
『パーティー』なんて、普段の日常からかけ離れたことを突然言われると、人間の脳は思わず処理落ちしてしまうらしい。
パーティーか。ダーズリー家でもパーティーはたまに開かれていたものの、ぼくとハリーは厄介者としてずっと部屋に籠らされていた。そう思うと、ぼくはホグワーツで経験したハロウィンとクリスマスのパーティーくらいしか経験がない。
……楽しみだけど、一体どんなパーティーなんだろう?
「……ちょっと待て、親父様よ。……今、何て?」
「なんだい我が息子よ、聞こえなかったか? 私は『パーティーが開かれるから行くぞ』と言ったんだよ。あぁ、お前は絶対に連れて行くからな。フィスナー家の後継として挨拶回りの義務が残ってるんだ、嫌だと喚いても強制参加だぞ」
「そのくらい分かってる。なぁ、一つ聞かせてくれよ。アンタの言うパーティーの日取りはいつだ?」
ふむ、とリィフは頷いた。今アリスを見遣ったならば、きっと物凄い顔をしていることだろう。ぼくはそっと二人から視線を外す。
「つまりアリス、お前は『どうして今日開催予定のパーティーのことをよりによって当日伝えるんだ!』と言いたいのかな?」
「その通りだよド畜生! あぁもううぜぇっ、分かってんのならとっとと言いやがれクソ親父! パーティー? パーティーっつったか!? アンタの言うパーティーってのはドレスコードは存在しねぇのか! Tシャツジーンズで行っていい場所なのか、あぁ!?」
「全くお前は口が悪いね」とリィフはため息をついた。その意見には全面的に賛成するものの、今回ばかりはリィフが悪いと思う。
「あのリィフさん、ぼくちゃんとした服なんて持ってないので、流石に遠慮させてもらいたいんですけど……」
「あぁ、気にすることはないよ。あと一時間もしたら仕立て屋が来るからね。君に合う服をちゃんと見立ててあげようじゃないか。アリスも座りなさい、折角の朝食が冷めてしまうだろう?」
アリスは苦虫を数十匹噛み潰したような表情でリィフを睨みつけ「アンタのそういうトコが、俺は心底大っ嫌いなんだよ!」と叫んだ。
……改めて……この親子、性格全く似てないな……。
「一体どの辺りを見て『比較的カジュアル』などと言っておられるのでしょうね、リィフさんは……」
同僚のホームパーティーだから、なんてリィフの言葉に騙された。ホームパーティーなら敷居も高くなくてちょっと安心だと思っていた数時間前の自分に会えたら忠告してやりたい。ぼくら庶民の感覚での『普通』とお貴族様の『普通』が同じ次元な訳ないだろうと。
ホグワーツの大広間の半分ほどの広さを持つ一室に、煌びやかな服を纏った人々がひしめき合って歓談している。等間隔に配置された丸テーブルの上には一口サイズに小分けされた美麗な食事が並び、テーブルの間を縫うように給仕が忙しく立ち回っている。
うぅん、ダーズリー家のホームパーティーとはどこをとっても雲泥の差だ。もはや別物として単語を分けた方がいいんじゃないかと、ぼくは今着ているドレスローブ(昼間にフィスナー家に来た仕立て屋に仕立ててもらった一品だ、手触りがまるで水のようで、黒のシンプルなローブなのに細部のデザインが優美で、どうしても値段を聞く勇気が出なかったほどの恐ろしい代物である)を何となしに整えながら思うばかりだ。
初めてのパーティーに怯えまくるぼくと正反対に、アリスは至って堂々としたものだったが(夜空色のローブが似合って仕方なかった、ツラが良いというのはどこまで行っても得でしかない)リィフに半ば無理矢理連れ去られる形で人混みの中に消えてしまった。
一人残されたぼくは、もう腹を括るしか道はない。美味しい料理をひたすら食べ、人に話しかけられれば笑顔で受け答えをする。今フィスナー家に遊びに来ているんです、フィスナー家の息子のアリスとはクラスメイトなもので。
そう話せば大体の人が納得した表情を見せるのには驚いたが。皆が皆アリスのことを知っているというのは、何だか少し気持ちが悪いものだ。これが名門貴族に生まれた宿命というものなのだろうか。
……ハリーもいつもこんな思いをしてるんだろうなぁ……可哀想に。
ノンアルコールのカクテルを手に壁に寄り掛かって人の群れを眺めていたところ、ふと見知った顔が見えた。「お」と身を乗り出すと、彼らもぼくに気付いたようだ。驚きに目を瞠りながら歩み寄ってくる。
「やぁ、ドラコにアクア。久しぶりだね」
「アキ! どうしてここに?」
ドラコもフォーマルな服装が似合うなぁ。着慣れてるっていうの?
はてさて、今自分が一体どんな風に他人から見えているのか想像もしたくない。きっと服に着られている感が満載なのだろう。
「実は今、アリスの家にお世話になっててさ。夏休みはそこで過ごさせてもらってるんだ」
「あぁ、フィスナーのか。確かこのパーティーの主催者とあいつの父親は同僚だったな。……ということは今日はフィスナーも来ているのか? 珍しい」
「いるいる。父親に連れられてどっかに行っちゃったけどね。挨拶回り、だそうだけど」
「ふん、そりゃそうだ。ずっと家に寄り付かなかった馬鹿息子がようやく帰ってきたんだからな。フィスナーの後継として顔見せをしないと始まらない。あいつの父親に心底同情するよ」
ふふんとドラコは笑っている。どうやら機嫌は悪くないようだ。
夏休みの直前、ドラコの父親が学校の理事長を辞めさせられたとかで荒れていたことは記憶に新しい。しかも辞職の原因を作ったのは、ドラコの天敵であるハリーだし。
……しかし、それにしても……。
「アキは楽しめているかい? ハハッ、楽しむほどの余裕はなさそうだな。人生初のパーティーに緊張しているのか? まぁ無理もない。せいぜい豪華な料理でも口にしているとい」
「あ……うん、そうさせてもらうよ……」
ドラコから目を逸らし、視界の隅にちらちらと映る『彼女』をずっと見つめていたい衝動になんとか打ち勝つ。しかしぼくの秘めたる努力も『彼女』が一歩ぼくに歩み寄ったことで簡単に砕け散ってしまった。
「……久しぶり、アキ」
ドレスの裾を摘んだアクアはその場でそっと淑女の礼をとると、ぼくを見上げてニコリと微笑んだ。
普段は自然なまま下ろされている真っ直ぐで長い銀髪は、パーティーの場だからか華やかに纏め上げられ、優雅な気品に溢れている。ドレスは年相応の柔らかさと可愛らしさのある雰囲気で纏められており、アクアの可愛らしさを爆上げしている。今まで想像すらしたことがないアクアのドレス姿を目の当たりにして、ぼくは完全に言葉を失ってしまった。
……可愛すぎる。天使だ。
「ひ、久しぶり、アクア」
動揺のあまり上手く口が回らない。アクアを直視できなくて、ぼくは無様に視線を
「……でも、まさか君達が来てるなんて驚いちゃったよ」
わざと、近い位置にいるアクアではなく少し離れたドラコに話しかける。ドラコは少し訝しげに眉を顰めたものの「今回の主催者はうちの親戚筋だからな」と律儀に言葉を返した。
「あ、そうだったんだ」
「あぁ。それに、驚いたのは僕らの方さ。大体、英国魔法界に於ける名家も一世代前と違って随分と数を減らしてきた。今となっては《こちら側》だとマルフォイ家やベルフェゴール家、グリーングラス家が主流で《あちら側》だとダンブルドア家やウィーズリー……ウィーズリーを名家と呼ぶべきかどうかについては議論の余地を残すと思うが、歴だけは張るから仕方ない。後は《中立不可侵》のフィスナー家やらといった辺り……見回すだけでもかなりの人間が見知った奴らばかりだ。この中で君を見かけるなんて、本当に驚いたんだからな」
《こちら側》や《あちら側》というのは、何となくだけれど《スリザリン派閥》と《グリフィンドール派閥》という意味合いだろうか。フィスナー家の《中立不可侵》は去年アリスの家庭のゴタゴタで何度か耳にしたことがある。
少し考えようとしたものの、アクアの視線が気になってどうしても気が散ってしまう。どうかお願いアクア、今だけぼくから目を逸らしていてくれないかな? 息が苦しくて敵わない。
「姉上!」
と、その時子供の声がした。同時に人混みの中から小さな少年が飛び出してくる。銀髪の利発そうな顔立ちをした美少年だ。
姉上? と疑問に思う間もなく、あろうことかその少年はアクアに抱きついたではないか。思わず目を瞠ってポカンと口を開ける。
「姉上、探しましたよっ! 僕を置いてどこに行くんですか!」
「えっ、姉上?」
「……ユーク。お行儀が悪い真似はしないで」
「はいっ、姉上」
静かなアクアの声に、少年はパッとアクアから離れた。続いてぼくを見上げては「ところでこいつは誰ですか! さっきから下心ある目つきで姉上をチラチラ見てたんですけど!」と叫ぶ。
な、なんと失礼な。そういうことは分かっていても言わないのが同性としてのマナーじゃないか。それに、ぼくは下心なんて全くこれっぽっちも持っていない。神に誓おうじゃないか。目を逸らしたい気持ちとずっと見ていたい気持ちが
「……って、姉上!? 姉上って、アクアが!?」
「姉上のことを呼び捨てにしやがりましたね貴方! 一体どういう了見ですか!」
背丈はアクアより少し高く、ぼくより少しだけ低いくらい。小生意気そうな目をぼくに向けた少年は、アクアを守るようにぼくの前に立ち塞がる。その姿に思わずたじろいだ。
助けを求める眼差しをドラコに向けると、ドラコはやれやれと大仰に肩を竦めた。
「彼はアクアの弟で、ユークレース・ベルフェゴールだ。僕らはユークと呼んでいる。ベルフェゴール家の長男で、ベルフェゴールの後継は彼になる。そしてこちらは……あー、えっと、僕の友人でアキと言う。ホグワーツの学友でね、この夏はアリス・フィスナーの家に世話になっているらしい」
前半はぼくに、後半は少年に向けてドラコは説明する。ドラコがぼくの姓を伏せたのは、この場で騒ぎになる可能性を危惧したからだろう。ポッターの姓は、親愛なる我が兄貴ハリー・ポッターのおかげで大層有名なものだから。
「ほらユーク、挨拶をしないか。仮にもベルフェゴールの長男だろう」
「……ユーク」
二人に言われ、少年はしぶしぶ「……ユークレース・ベルフェゴールです」と名乗り、ぼくに右手を差し出した。しかしその目はぼくを確実に『姉にちょっかいを出そうとする敵』だと認識している。頬が引き攣るのを堪えつつ「……どうも」と彼の手を取り、握手した。
「……しかし、アクアに弟がいるなんて初耳だったよ」
声に恨めしい色を乗せると、ドラコは「それはすまなかった」と苦笑した。
「ユークは今年ホグワーツに入学するんだ。まぁ寮が異なる下級生などあまり関わりはないとは思うが、何かあればよろしく頼む」
「この人に『よろしく』されることはないと思いますけどっ」
ユークが小生意気な口を挟んでくる。ここが格式ばったパーティー会場じゃなければ「あっかんべー」も繰り出してきそうだ。
ユークは姉に咎められるよりも早くドラコに駆け寄ると「それよりドラコ、アリス・フィスナーを見ませんでしたか?」と尋ねかけた。
「フィスナーか? 会場のどこかにはいると思うが、どうして?」
「是非とも挨拶をしておきたくて。今年僕もホグワーツに入学しますから。それと、珍しくもこのようなパーティーに足をお運びいただいたことに対するお礼と、あの精悍なお顔を久しぶりに見てみたくって!」
このようなパーティーに足をお運びいただいたことに対するお礼? 精悍なお顔? ユークの口から信じられない言葉が次々と飛び出てきて、思わず目が回りそうだ。
とりあえず、この少年はアリスのことがものすごーく好きなんだということは分かった。そして何故だか、ぼくのアクアに対する密かな恋心も一瞬で見抜かれてしまったであろうことも。
……とりあえず先程の下心云々の話を早めに訂正しておきたいんだけど、今更話を蒸し返すのも何だか変な空気になりそうだし……うーん、困った。
「……あ」
その時アクアが小さな声を上げた。「どうしたんですか、姉上?」とユークがすかさず問いかける。
「……フィスナー、あっちにいたわ」
「えっ、本当ですか! 行きましょう姉上! それではドラコ、また後で!」
ユークはアクアの手を取ると、一直線に人混みの中へと突撃して行った。しっかりとぼくに睨みを利かせていくことも忘れない。
ユークとアクアの姿が見えなくなり、はぁと胸を撫で下ろした。「すまなかったな、騒がしい奴で」とドラコはため息をつく。
「あれは姉のことが好きで好きでしょうがないらしい。僕ですら時折恨み言を吐かれる始末だ」
「あぁ、婚約者だから……」
「全く困ったものだな。こんなもの、生まれる前に親同士で取り決められたものだ。二人とも婚約者になりたくてなった訳ではないと言うのに」
肩を竦めたドラコは、ふと笑ってテラスを指差した。
「少し風に当たらないか? ユークと接していると、こちらまで熱くなる」
外に出ると、もう既に夜はとっぷりと暮れていた。汗ばんだ身体には冷たい夜風が心地いい。室内から一枚隔てただけなのに、パーティーの喧騒は一気に遠ざかった。
「アキ。僕が間違っていたらすまない。最初に謝っておく」
「一体どうしたの? そんな真面目な顔しちゃって」
いやまぁ、と気まずげにドラコは目を逸らした。はてと首を傾げるも、次いでドラコの口から発せられた言葉に、ぼくは思わず呼吸を止めた。
「君は、アクアマリン・ベルフェゴールのことが好きなのか?」
一音一音のどこにも失礼さを滲ませぬよう、神経が使われた声だった。
しばらく黙って、ゆっくりとぼくは「そうだね」と頷いた。
「……あーあ、バレちゃった? まぁね、うん、そうだね。ぼくは彼女のことが好きだ。実は一目惚れだったんだよね。君は彼女の婚約者だし、出来れば知られたくなかったんだけど、まぁバレちゃったものは仕方ないよね。だからぼくにとって君は友達である以上に恋敵でもあった訳で、あ、でも無理矢理奪おうとかそういう気持ちは全くないから。彼女を見ているだけで、ぼくは幸せだからさ。ま、ぼくはズルい人間だから、君が婚約を破談にしてくれたのならぼくが付け入る隙もほんのちょっぴりだけあるかなーなんて考えたりもしちゃうんだけどね。はは……」
ぼくの顔を、ドラコは眉を寄せて見つめていた。その目を真っ直ぐに見返すことができなくて、ぼくは自然を装い目を逸らす。
──こういう時は、いつか来ると思っていた。
ぼくの恋心がドラコに知られた時、きっと多分、ぼくとドラコの友情めいたものは終わるのだ。そんな漠然とした予感は、ずっと心の奥底に存在していた。
「……ごめんね。ずっと、君を騙していた気分だった」
ドラコに近付く理由の一つに、アクアと会えるかなという期待があったことは事実だ。アクアと会いたい、話したい、そう思った時、いつもアクアの近くにいるドラコは格好の建前だった。
ドラコがアクアを大切に想っていることくらい、気付いていた。アクアもドラコを想っていることだって知っていた。割り込める訳がないことも、全部、全部分かっていた。
「……僕こそ、すまない」
「え?」
ドラコの口から発された思わぬ謝罪の言葉に、ぼくはドラコを見返した。ドラコは意を決したような、射抜くような目でぼくを見る。
「……僕は、君と友人関係を結ぶことができた理由が分からなかった。君はハリー・ポッターの弟だ。ポッターと僕のようにいがみ合っていても全然おかしくはない。むしろそちらの方が自然だろう」
「…………」
どうして、いきなりそんな話を?
戸惑いながらも、ぼくはドラコの話に耳を傾けた。
「初対面で飛び蹴りを食らわせてきたり、僕に首輪をつけて禁じられた森を散歩すると杖を突きつけて脅したり。僕の今までの人生で、君のような無茶苦茶な奴には出会ったことがない」
あぁ、そう言えばそんなこともあったっけ。そんなことをねちねち覚えているなんて、執念深い奴め。というか飛び蹴りくらいはアリスだってやってただろ。あ、アリスは初対面じゃなかったか。
「僕とアクアが何年掛かってもどうにもできなかったフィスナー家の問題を、君は一年も掛からずに解決してしまった。秘密の部屋に連れ去られた筈なのに、何故か無傷で戻ってきた。そして──他寮の人間なのに、マルフォイ家の僕とも普通に仲良くしてくれる」
君はきっと、いい奴なのだろう。
ドラコはそう呟いた。
「君を大切な友人と認めた上での言葉だ、アキ」
瞳に宿った光に、思わず息を呑んだ。
意志が篭った瞳だった。
「アクアは、ダメだ。アクアマリン・ベルフェゴールは、あいつだけは、君には渡さない」
「悪魔の名を持つ少女は、アキ・ポッターには守れない」
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