気が付いた頃には、ホグワーツ中が魔法魔術大会の話題で持ちきりだった。そこかしこで話が飛び交っていて、一年の頃のぼくはよくもまぁ何一つ気が付かなかったものよと思うばかりだ。
そんな折、ぼくはジェームズとシリウスに捕まった。
「秋! 聞いたぜ我が友人よ!」
「君も魔法魔術大会に出るんだって?」
「あぁ、まぁ……よく知ってるね、本当」
交友関係が広いのだ、この二人は。情報通と言うべきか。インフルエンサーだから自然と情報が集まるのだろうか?
「そうそう、ぼくも君達の噂は耳にしたよ。君達も出るんだって? グリフィンドールのトップ2は流石だね」
友達が少ないぼくでさえ、この二人の話は聞き及んでいる。いろんな意味で、ぼくら四年生の中で一番有名な二人組なのだ。
「勿論、出るに決まってるだろ? こんな面白いイベント、参加しない訳がない!」
「でも秋が出るのはちょっと意外だったな。君ってあまり行事ごとに興味がなさそうだったから。クィディッチにもあんまり興味ないでしょ、実際」
「そ、そんなことないよ。戦略とか、戦術とかは嫌いじゃないし……ジェームズもリィフも凄いって思う」
これはぼくの忌憚なき本心だ。
よくもまぁ、上下左右を自由自在に飛び回りながらボールを自在にキャッチしたり投げたりできるものだよ。箒に乗るくらいならぼくもできるものの、そこから片手ないし両手を離してクアッフルやスニッチを掴み襲い来るブラッジャーを避けるなんて……同じ人間だとは到底思えない。
「そりゃそうさ。そして、出るなら当然優勝を狙う。今まで三回連続で我が寮、グリフィンドールが優勝杯を手にしている──言いたいことが分かるか、秋?」
「……なるほど。他の寮に……レイブンクローに勝たせる気はないと言うことか? シリウス」
「レイブンクローにもハッフルパフにも、当然スリザリンにもだ。どこにも勝ちを譲る気はないね」
「……それじゃあ、同じセリフをぼくも君達二人に返すことにしよう。この大会にぼくが出る以上、レイブンクローが勝たせてもらう」
「……そう言うと思っていたよ」
視線はどこか鋭いまま、ぼくらは顔を見合わせ笑い合う。
「幣原秋。君は僕らの対等なライバルだ」
「どっちが勝っても恨みっこなしだぜ」
「上等。魔法の腕なら負ける気がしないね。ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック。容赦はしないよ、全力で叩きのめしてあげる」
「君のそういう勝ち気なところが、僕は好きだよ」
ぼくらは拳を合わせあう代わりに、杖を合わせた。
……ま、とは言ってもこれは売り言葉に買い言葉。
まだ四年生のぼくらにとって、優勝争いなどずっと遠い世界の話だと──この時のぼくは、まだまだそんなことを思っていた。
◇ ◆ ◇
アクアマリン・ベルフェゴール。「純血」を誇りとする名門、悪魔ベルフェゴールの名を冠する家の長女。
ドラコ・マルフォイの生まれる前からの婚約者であり、そして二年前、ぼくが一目惚れした女の子。
普段、ベッドに横になるとストンと眠りに落ちるぼくにしては珍しく、その日の夜はなかなか寝付くことができなかった。
フィスナー家の客間の一室(当然ながら、ダーズリー家のどの部屋よりも広い)のベッドの上で、ぼくは一人天井を見上げていた。ホグワーツのように空を映す魔法は掛かっていないけれど、幾何学的な模様が幾重にも連なる天井は、見続けていても案外飽きない。
頭の中を取り止めのない考えが巡る。その中心に居座っているのはやはり、アクアに対するどうしようもない想いなのだった。
……初めは完全に一目惚れだった。
さらさらで真っ直ぐな銀の髪に、雪のように白い肌。幼くも綺麗と呼ぶに相応しい容姿と、守ってあげたくなる小柄で華奢な体躯。こんな可愛い子見たことないと、一瞬で心が奪われた。
その後、彼女の性格に触れた。大人しそうに見えて意外と強情なところ。案外負けん気が強いところ。
出会ったばかりの頃は分からなかった彼女の表情の変化が、最近分かるようになってきた。ぼくに対して少し気を許してくれたのか、目が合うと微かに微笑んでくれるようになった。
アクアが傍にいると、今でもどうしようもなく舞い上がってしまう。こんなにも思い通りにならない感情が自分の中にあるんだと、アクアに出会って初めて知った。
他の女の子には抱いたことがない感情。他でもないアクアにだけ、心の奥底が揺さぶられる心地になる。
──これがきっと「好き」という感情なのだろう。
ぼくはアクアのことが好きだ。その気持ちはもう、嘘にも偽りにもできない。
でも──ぼくの側にいることでアクアが不幸になるのなら、それは、やっぱり良くないことだ。
……何、簡単なことじゃないか。そもそもぼくは彼女に想いを打ち明けてもいない。寮も違うし、授業も大体は別だし。
それに……一番重要なことに、アクアがぼくを好きな訳じゃない。だって、アクアの好きな人は──。
だから、ぼくじゃダメなんだ。ぼくじゃアクアを守れない。
いいじゃないか。ドラコがアクアを守ってくれる。アクアを取り巻く全てから、ドラコはきっと守ってくれる。それでいいじゃないか。
アクアが笑っていられるなら──それで、いいじゃないか。アクアが幸せなら、それでいいじゃないか。
────本当に?
「いいんだ、それで」
己に言い聞かせるように呟いた。
その時、窓ガラスにカツンと何かがぶつかる音が聞こえてきた。ぼくはベッドから身体を起こしては、どうしたのだろうと窓辺に歩み寄る。
「……ふくろう?」
見慣れないふくろうが五羽ばかり、窓ガラスを割らんとばかりに順繰りに体当たりをかましている。
慌てて窓を開けると、ふくろう達は一斉に室内へと飛び込んで来ては、カーペットの上に荷物を投げ捨て、入ってきた唐突さそのままに一瞬で外へと出て行ってしまった。
「…………」
ぼくだってなぁ、ぼくだって傷付くんだぞ? 分かってんのか?
動物に嫌われるスキルは相変わらず常時発動中のようだった。この体質のせいで、ぼくは魔法生物飼育学の授業を諦めたんだ……。
ハリーと一緒に決めたはいいものの、提出する直前になって「ダメじゃん!」と気が付いた。気が付けて良かった……ぼくがいたら授業が滅茶苦茶になること間違いなしだ。まぁ単位は確実にもらえないことだろう。
カーペットに散らばったものを拾い集めようとした時『羊皮紙』がハリーからの言伝を受信した。去年、ぼくがハリーに渡した通信魔法の羊皮紙だ。ぼくらは夏休みの間、この『羊皮紙』でほぼ毎日ひっきりなしに連絡を取り合っている。お互いなかなか兄離れ・弟離れができないものだ。
羊皮紙を広げる。そこには見慣れたハリーの字が躍っていた。
『寝てるかな? まぁいっか、誕生日おめでとう、アキ!』
そうか、七月三十一日。もう日付が変わって、ぼくらの誕生日が来ていた。
取り急ぎ、ハリーへの羊皮紙に『起きてたよ! 誕生日おめでとう、ハリー!』と書き記してカーペットの上の荷物を見下ろす。
ということは、今さっきふくろう達が運び込んできたのは誕生日のプレゼントだったのか。
……いくらぼくのことが嫌いだからって、プレゼントまで放り投げることはないんじゃないかな、ふくろうさんよ……。
まぁでも、ふくろうからどんな渡され方をされようとも嬉しいものは嬉しい。勝手に緩む頬を抑えながら、ぼくはカーペットに腰を下ろして包みを開いた。
ロンからは『
ハーマイオニーからは本が三冊贈られてきていた。マグル界で人気のある、ぼくが一番好きな作者のものだ。一回喋った話を覚えていてくれたんだ。ハーマイオニーはフランスにいるらしい。いいな、生まれてこの方外国には行ったことがない。ダーズリー家がぼくとハリーを連れてどこかに行くなんて絶対にあり得ないことだ。
続いてはハグリッドだった。歯の折れそうなロックケーキが丸々一つ入っている。これは後でありがたくいただくことにしよう。
他にも同寮の友人や、フリットウィック先生からの包みもあった。心が温かくなるのを感じながら、ぼくはそれらのプレゼントを一個一個丁寧に仕分けていく。
次に手に触れたのはホグワーツからの手紙だった。中には新学期の教科書リストと、ホグズミードの許可証が入っていた。
幣原の記憶でホグズミードがどんな場所なのかは知っていた。魔法使いだけが暮らす街で、三年生からは数週間に一度遊びに行けるようになる。許可証には保護者のサインが必須との記載があり、ぼくは思わず真顔になった。
ダーズリー家にいないぼくがサインをもらえないのはどうでもいい。そもそもダーズリー家にいたとして、バーノンおじさんが素直にサインをしてくれると思えないのが問題なのだ。ハリー、駆け引きめいた取引は苦手だし……。
ふと時計を見ると、針は夜中の二時を指していた。こんなに夜更かししたのはいつぶりだろう。
最後、残していた二枚のメッセージカードを手に取った。ドラコと、そしてアクアからのものだ。
先にドラコからのカードを開いた。彼らしい流麗な字で、どこか素直じゃない祝いの言葉が並んでいる。苦笑して、最後にアクアからのカードをぱらりと開けた。
そこには、いつもの彼女の字で一言。
『親愛なるアキへ』
「親愛なる……か」
アクアの字を指でなぞりながら、ぼくはそっと呟いた。
この気持ちを消してしまえたのなら、きっと何もかもが上手くいくのだろう。生まれる前から定められた婚約を、それでも二人とも嫌がってはいないことが分かったのだから。喜ばしいと祝福すべきなのだろう。
ずっと、ずっと、ぼくとアクアは友達のまま……ドラコの隣で幸せな花嫁となるその姿を、見守ってあげるべきなのだろう。
それでいいんだ。
それで……いいんだ。
「……っ、いいんだよ、それで」
床に散らばるカードやプレゼントを拾い集め、机の上に丁寧に置いた。アクアから届いたカードを一番下に重ね、目に入らないようにする。
ベッドに潜り込んだぼくは、ぎゅっと強く目を瞑った。
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