破綻論理。

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空の記憶

第9話 楽勝以外の勝ち方First posted : 2014.03.07
Last update : 2023.03.31

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 大広間ではないものの、大広間と同じくらいの広さを持つ教室が、魔法魔術大会の会場だった。
 教室は大会会場らしく飾り付けられており、中央には腰ほどの高さがある決闘用の舞台が据えられ、その周囲は観客席として椅子が等間隔に設置されている。真ん中で戦う二人を、三百六十度どこからでも見ることができるようにとのことだ。観客席には防御魔法が掛けられていて、万が一呪文が逸れたとしても大丈夫な仕様らしい。

 十月四日。いよいよぼくの順番が回ってくる。今まで二日間、それぞれの決闘を観客側で見ていた訳だけど……いやぁ、うん。ぼくには無理だわ。
 こんな衆目監視の中で決闘だなんて、怖くて足が震えてしまうこと間違いなしだ。確かに決闘のやり方くらいは授業で習ったものの、授業と実践とじゃ全く勝手が違うだろう。

 幸いなことに、四年生同士での決闘だから上級生が見に来ていることはほぼ無いようだ。でも同級生と後輩とで、観客席はいつも三分の一ほど埋まっていた。それだけ注目されると思うと緊張も半端じゃない。

 加えて、ジェームズやシリウス、リーマス、ピーターといった悪戯仕掛人四人組も、昨日は随分とハッパかけてくれちゃって。
「僕らの友人兼ライバルたる君のこと、初戦負けなんて無様なことはしてくれるなよ?」とか。
 ちなみにジェームズとシリウスは二人とも余裕の圧勝で二回戦へと駒を進めていた。くっそ、流石は学年主席に学年次席。彼らも観客席のどこかにいるのだろうか。……いるんだろうなぁ。

 リリーからは複雑そうな顔で「どちらを応援すればいいのか私には分からないわ……」と言われてしまった。そう言えば、ぼくがこれから戦う相手はグリフィンドールの女の子──つまりはリリーのクラスメイトなのだった。

 セブルスは「こんな浮ついた行事に興味などない」と言っていた。応援されるよりそちらの方がよっぽどありがたい。

「──さて次は、レイブンクローのミスター・幣原とグリフィンドールのミス・シェフィールド。尊い騎士道精神に基づき、正々堂々闘ってくださいね」

 フリットウィック先生の声に覚悟を決めた。
 ……えぇい、ままよ。

 ぼくは杖を強く握り締めて舞台へと上がった。パッと注目が集まるのが分かる。うぅ、どうかぼくを見ないでください。注目には慣れていないんだ。

 ぼくと向かい合う位置で立っているのは、グリフィンドールのシェフィールド嬢──下の名前は知らない。
 茶色の長い髪の毛をバレッタで留めている女の子だ。スラッとしていてぼくより十センチは背が高い。勝気にぼくを見つめるその顔は、緊張で今にも足が震えそうなぼくとは大違いだ。

 ぼくらは向き合って一礼した後、杖を剣のように前に突き出し構えた。

「行きますよ──いち、に──さん!」
Expelli 武器よ──」
Glisseo滑れ!」

 ぼくが呪文を唱えるより、相手の方が早かった。
 直後、足元の床の摩擦係数が一気にゼロになり、たまらずぼくはすっ転ぶ。

Flipendo撃て!」

 無防備なぼくに畳みかけるように、彼女は呪文を唱えた。彼女の杖から弾丸のようなものが発射される。

 でも、何と言うべきか──ぼくはそれを避けようとしたんだ、それだけは認めてほしい。
 足元が滑りやすくなっていたことが幸いした。立ち上がろうとしたぼくはまたも床に足を取られて滑ったものの、そのおかげで弾丸を避けることができた。ラッキーラッキー。

 しかしその後も防戦一方で、相手からの一方的な攻撃をただただ凌ぐだけだ。

ー! お前、本気出せよー!」
「君の実力はこんなもんじゃない筈だー!」

 ジェームズとシリウスの声。うぁぁ、やっぱり見に来てる。

 うるさいなぁ。ぼくは所詮こんなもんだよ。君達はぼくを買い被り過ぎているだけなんだ。
 実際のぼくは、皆と違って全然格好良くないし、頭も普通だし、ただの一介の学生に過ぎなくて────

「『呪文学の天才児』が聞いて呆れるわね! どんな強敵かと思っていたのに──」

 勝利を確信してか、彼女は笑っている。呪文を杖で打ち消しながら、ぼくは小さな声で呟いた。

「……違う」
「え? 何か言ったかしら?」
「別に……なんでもないよ」

Finite終われ」でやっとこさ足元の摩擦が復活する。やれやれ、これは案外面倒な呪文だな。覚えておくことにしよう。

「ふふ……やっと本気になったって目ね。そうでないとつまらないわ」

 ローブを払い、ぼくはゆっくりと立ち上がる。彼女は追撃の手を休め、ただぼくが立ち上がるのを待っていてくれた。

「……あぁ、よく分かったよ」
「は? 何が分かったっていうの?」
「ぼく自身の戦い方、ってやつかな……なんともつまらない、ね」

 彼女はきょとんとぼくを見ている。何を言っているのか分からないって顔だ。
 彼女の杖は未だ、油断なくぼくに向けられ続けていたものの────
 そんなもの、ぼくの敵じゃない。

Expelliarmus武器よ去れ

 彼女に杖を向け、淡々と唱える。
 彼女の手元を離れた杖は、一直線にぼく目掛けて飛んできた。目の前で直立した杖を難なくキャッチした後、ぼくは彼女へ歩み寄り、呆然とする彼女に杖を突きつけた。

楽勝以外じゃ、ぼくは勝てないみたいだ……本当につまらないよ、これは」
「…………!」

 声も出せずにパクパクと口を動かす彼女に、ぼくは「ごめんね」と微笑んだ。


、君は一体何をしたんだい?」

 魔法魔術大会が終わり、寮への帰路。リィフと並んで廊下を歩いていた時、リィフはそうぼくに問いかけてきた。

「ん? 何の話?」
「だから、さっきの大会の話だよ。始終防戦一方だった君が、どうして最後にはあんなにあっさりと逆転してしまったんだい?」
「別に……あんなのはただ、ぼくが決闘ってものに慣れてなかったからちょっと手間取っちゃっただけさ。無様な姿を晒してしまった」
「だーかーら、何をしたんだいって聞いてるじゃないか」
「大したことはしてないってば。呪文でね、ちょちょいっと」

 どこかおちょくるようなぼくの言葉に、リィフが少しイラッとしたのが分かった。はいはい、とぼくは素直にネタばらしをすることにする。

「相手に黙らせ呪文を掛けただけさ。まだ四年生だから、無言呪文は流石に使えないでしょ?」
「……その黙らせ呪文とやらはいつ掛けたのさ。観客側として言わせてもらえば、君は『Finite終われ』と『Expelliarmus武器よ去れ』しか唱えてなかったと思うけど?」
「そりゃあ、無言呪文でに決まってる」
「…………」

 呆れたとばかりにリィフは天を仰いだ。

「だから、つまらないって言ったんだよ」

 ぼくには楽勝以外の勝ち方が分からない。
 つまりはそういうことさと言うと、リィフは目を眇めて「君って、案外嫌な奴だね」と呟いた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 夏休み最終日にやっと、ダイアゴン横丁にロンとハーマイオニーが姿を現した。
 アイスクリーム・パーラーの席でぼくらに呼びかけた二人を見た瞬間のハリーの表情は忘れられない。人ってあんなに晴れやかな顔ができるんだ、とさえ思ったものだ。

「やっと会えた! 僕達『漏れ鍋』に行ったんだけど、もう出ちゃったって言われたんだ。フローリシュ・アンド・ブロッツにも行ってみたしマダム・マルキンのとこにも、それで……」
「僕ら、学校に必要なものは先週買ってしまったんだ。『漏れ鍋』に泊まってるって、どうして知ってたの?」
「パパさ」
「ハリー、ぼくがどうやって君の居場所を知ったのか、もう忘れちゃったの?」

 あぁそっか、とハリーは目を何度もパチパチさせている。その時ハーマイオニーが大真面目な顔で「ハリー、本当におばさんを膨らませちゃったの?」と尋ねたので、ぼくとロンは思わず吹き出してしまった。ハリーは照れたように頭を掻く。

「そんなつもりはなかったんだ。ただ、僕、ちょっと──キレちゃって」
アキ、ロン、笑うようなことじゃないわ。本当よ。むしろハリーが退学にならなかったのが驚きだわ」
「僕もそう思ってる。退学処分どころじゃない。僕、逮捕されるかと思った」

 事の重大さを思い出したのか、ハリーは真顔になった。

「多分、君が君だからさ。違う? 有名なハリー・ポッター、いつものことさ。おばさんを膨らませたのが僕だったら、魔法省が僕に何をするか見たくないなぁ。もっとも、まず僕を土の下から掘り起こさないといけないだろうな。だってきっと僕、ママに殺されちゃってるよ。それはそうと、僕達も今晩『漏れ鍋』に泊まるんだ! だから明日は僕達と一緒にキングズ・クロス駅に行ける! ハーマイオニーも一緒だ!」

 ロンとハーマイオニーがにっこりと笑う。ぼくとハリーもつられて笑顔になった。二人が一緒ならどんなに楽しいだろう。おまけに明日からは待ち侘びたホグワーツの新学期が始まるのだ。

「パパとママが、今朝ここまで送ってくれたの。ホグワーツ用のいろんなものも全部一緒にね」
「最高! それじゃ、新しい教科書とか、もう全部買ったの?」

 ハリーの問いかけに、ロンは袋から細長い箱を取り出した。オリバンダーの杖の箱だ。

「これ見てくれよ。ピカピカの新品の杖。三十三センチ、柳の木、ユニコーンの尻尾の毛が一本入ってる。去年アキが頑張って直してくれたけど、流石にあれじゃあ呪文は使えないもんな。……いや、その、とってもありがたかったけど!」

「そりゃ新しい杖の方がいいに決まってるよ。ロン、良かったね」

 ニコリとロンに笑みを向ける。
 ……だってあの杖、見るも無惨なほどに壊れていたものなぁ……。よくあれで一年保ったものだよ。杖があの惨状なのは、魔法使いにとって致命的だもの。
 ロンは「ありがとう」とはにかんだ。

「──それに、僕達二人とも教科書は全部揃えた。怪物本、ありゃ、なんだい、エ? 僕達が二冊欲しいって言ったら、店員が半べそだったぜ」

 怪物本というのは確か、今年の魔法生物飼育学の指定教科書か。ぼくは受講していないから良かったものの、凄まじく凶暴なようで、ハリーはベルトで縛っていた。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の店先では、本同士で殺し合い(?)なんてしてたし。あれは……ちょっといただけない。

「ハーマイオニー、そんなにたくさんどうしたの?」

 ハリーはハーマイオニーの隣の椅子に山積みになっている袋を指差した。
 ハーマイオニーは当然のように言う。

「ほら、私、あなた達よりもたくさん新しい科目を取るでしょ? これ、その教科書よ。数占い、魔法生物飼育学、占い学、古代ルーン文字学、マグル学──」
「なんでマグル学なんか取るんだい? 君はマグル出身じゃないか! パパやママはマグルじゃないか! マグルのことはとっくに知ってるだろう!」

 うーん、ロンの疑問ももっともかも。マグル学はマグルのことを知らない魔法族の子供が学ぶことを想定しているものだから、マグル生まれのハーマイオニーにとっては退屈そうだ。
 ……そう言えば確か、リィフはマグル学を取っていたっけ。それも大層熱心に。やっぱり名門貴族フィスナー家のご子息となれば、マグル関連にも造詣を深めておきたいと思うものなのだろうか。シリウスやジェームズが受講していたのは好奇心故のものだろうけど。

「だって、マグルのことを魔法的視点から勉強するのってとっても面白いと思うわ」

 ハーマイオニーは大真面目な顔だ。流石、学年首位の才女は言うことが違いますぜ……。ハリーまでもが「ハーマイオニー、これから一年、食べたり眠ったりする予定はあるの?」などと尋ねる始末だ。

「私、まだ十ガリオン持ってるわ。私のお誕生日は九月なんだけど、自分で一足早くプレゼントを買いなさいって、パパとママがお小遣いをくださったの」
「すてきなご本はいかが?」

 ロンの茶々を、ハーマイオニーは「お気の毒様」で切って捨てた。

「私、とってもふくろうが欲しいの。だって、ハリーにはヘドウィグがいるし、ロンにはエロールが……」
「僕のじゃない、エロールは家族全員のふくろうなんだ。僕にはスキャバーズきりいない」
「まぁいいじゃない。ぼくなんて何も飼えっこないんだから」

 一体どうして動物は、すべからくぼくのことが嫌いなのだろうか。遺伝子にでも刻みつけられてるのかな。……いやまぁ、ぼくを取り巻く魔力のせいらしいってことは知っているけどさ。

アキみたいな奴がいるなんて、ホグワーツに入学するまでさっぱり知らなかったよ……っと、こいつをよく診てもらわなきゃ。どうも、エジプトの水が合わなかったらしくて」

 言いながら、ロンはスキャバーズをテーブルの上に置いた。
 スキャバーズをちゃんと見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。確かに具合が悪そうだ。もう結構な歳なのだろう、ぐったりと痩せ細っていて髭もダラリとしている。

 それに──よく見れば、足が一本──……

「……ん?」

 その時、何かが脳裏で弾けたような感覚に襲われ、ぼくは咄嗟に頭を押さえた。スパークのような痛みはなかなか引かず、それどころか奇妙な動悸まで襲ってくる。
 視界の端で、スキャバーズが怯えたように毛を逆立てながらロンのポケットの中に隠れて行くのが見えた。

 ハリーが気遣わしげにぼくを見る。

「大丈夫かい? アキ
「あぁ……何でもないよ、ハリー。一瞬頭が痛くなっただけ……スキャバーズを怯えさせちゃってごめんね」

 前半はハリーに、後半はロンに向けて答えた。ハリーはふと思いついた顔で言う。

「そう言えば、すぐそこに『魔法動物ペットショップ』があるよ。ロンはスキャバーズ用に何かあるかどうか探せるし、ハーマイオニーはふくろうが買える。だから……」
「じゃあ、ぼくは先に『漏れ鍋』に戻ってるよ」

 そう言ってぼくは先に立ち上がった。「じゃあ僕も……」と立ち上がりかけた我が兄を「君はロンとハーマイオニーをペットショップまで案内してあげるんだよ、いいね?」と宥める。
 アイスクリームの代金だけを置いて、ぼくはパーラーを出た。

 真夏の太陽の光に目が眩む。先程までの頭痛は既に引いていたものの、少し気分が悪かった。ぼくは近くの店の壁に手をつき、体重を預け息をする。

「っ、はぁ……」

 ──暑い、のに寒い。
 這い寄る悪寒に身震いをして額の汗を拭った。手で口元を覆い背を丸める。

 何故か心だけが急いている。何に急かされているのかも分からないまま、心臓の鼓動が身体の中央で響いている。
 理屈に合わない嫌な予感。知らない筈の事柄なのに、何故か記憶にあるような。
 一年の頃、ヴォルデモートに幣原の両親の死を伝えられた時と同じ感覚だ。
 心のうろを覗き込むような浮遊感に、何とか足を踏ん張って耐える。

「……あれ? あんた、だいじょうぶ?」

 その時、背後から歌うような声が聞こえた。高く軽やかな声に振り返る。

「あ……ルーナじゃないか」
「ん? あたし、名前名乗ったっけ?」
「何言ってるんだ……後輩の名前を忘れるほど、ぼくは不義理な先輩じゃないつもりだけど」

 レイブンクローの後輩、ルーナ・ラブグッドは大きな瞳をぱちくりと瞬かせている。

 ダークブロンドのふわふわとした長い髪に、銀灰色の瞳を持つこの可愛い後輩は、自分がどれだけ有名人なのかを知らないみたいだ。他寮から「変人揃い」と揶揄されるレイブンクローの中でも、左耳の後ろに杖を挟んでいたり、コルクで自作したネックレスを首から下げていたり、カブのイヤリングをしていたりする女の子はあまりいない。
 おまけに綺麗な顔立ちをしているものだから、レイブンクローでもちょっと悪目立ちしている気がして、ぼくはそれとなく気に掛けるようにしている。

「去年、君の教科書を探してあげただろ……忘れちゃった?」
「だってあたしのそれ、いつものことだもン。でも、確か……結局あたしの見つかんなくって『基本呪文集』をくれた人? アキ・ポッター?」
「そうそう、それそれ。思い出してくれたようで重畳重畳」

 ニコリと笑ってみせる。ルーナはぼくをじぃっと見つめた後、小さく首を傾げて「具合が悪いの?」と尋ねてきた。

「少し暑さにやられた気がするんだ。少し休めば良くなるだろうから、気にしないで」
「フゥン……じゃあ、折角だからこれあげる。ドルーブルのベスト風船ガムだよ」

 ぼくの手を取ったルーナは、ガムを握り込ませるとにっこりと笑った。

 ……きっと、心が消耗していたせいだろう。
 憔悴していた精神メンタルが、ルーナの優しさを一瞬、ほんの一瞬だけ──幣原アキナ母さんのものと取り違えた。
「……難儀だね」
「ん? どうしたの?」
「なんでもないよ……少し、気分が良くなった。ありがとう」

 呟き、壁から手を離す。暢気のんきに笑ったルーナは「それは良かったねぇ。じゃあね、バイバーイ」とぼくに手を振り去って行った。

「別に……重ねてる訳じゃないんだ」

 全然似ていない。改めて考えてみても、共通点なんてほとんどない。
 でも……ただ、どうしても。

「優しいんだね、ルーナ」

 手の中のガムをぼんやりと見下ろす。
 ──何故か無性に、アクアに会いたくなった。





 八月三十一日──つまり夏休み最終日の夜の『漏れ鍋』は大騒ぎだった。主にウィーズリー家の皆さんの大騒動で、だけど。
 明日持っていくものを確かめるだけの筈なのに、どうしてこうも大騒ぎになるのだろう。パーシーは首席のバッジがないと怒鳴っていたし、ロンはネズミ栄養ドリンクがなくなったと辺りを探し回っていた。荷造りが終わったぼくとハリーは、とりあえずネズミ栄養ドリンクが落ちているかもしれないと、バーまで探しに行くことにした。

「こんなにうるさいんじゃ眠れないよね」
「全くだよ」

 ハリーと二人、笑い合いながら廊下を歩いていると、扉の奥から今度は別の誰かが言い争っている声が聞こえた。またかぁと思わず呆れるも、ハリーはハッと気が付いた顔で「ウィーズリー夫妻だ」とぼくに耳打ちをする。

 耳を澄ませば、口喧嘩をしているのは確かにウィーズリー夫妻──アーサーおじさんとモリーおばさんのだ。どうやら食堂にいるようなのだが、バーに行くためには食堂を通り抜けないといけない。

 どうしようかとハリーに目配せをしたちょうどその時、扉の奥からハリーの名前が聞こえてきた。思わず立ち止まったぼくらは、そっと食堂の扉に忍び寄る。

「……ハリーに教えないなんてバカな話があるか。ハリーには知る権利がある。ファッジに何度もそう言ったんだが、ファッジは譲らないんだ。ハリーを子供扱いしている。ハリーはもう十三歳なんだ。それに──」
「アーサー、本当のことを言ったら、あの子は怖がるだけです! ハリーがあんなことを引きずったまま学校に戻る方がいいって、あなた、本気でそうおっしゃるの? とんでもないわ! 知らない方がハリーは幸せなのよ」
「あの子に惨めな思いをさせたい訳じゃない。私はあの子に自分自身で警戒させたいだけなんだ。ハリーやロンがどんな子か、母さんも知ってるだろう。二人でフラフラ出歩いて──もう『禁じられた森』に二回も入り込んでいるんだよ! 今学期はハリーはそんなことをしちゃいかんのだ!
 ハリーが家から逃げ出したあの夜、あの子の身に何か起こっていたかも分からんと思うと! アキは傍にいなかったし、見張っていたあの女好きは、ハリーが家から飛び出した瞬間を見計らっていたかの如く消えちまってたしあのクソ野郎! リィフが大層キレていたよ。何日あのクソ野郎が小間使いのように魔法省の雑用をやらされていたか、あっちでくるくるこっちでくるくる……。
 コホン。『夜の騎士ナイトバス』があの子を拾っていなかったら、賭けてもいい、魔法省に発見される前にあの子は死んでいたよ」

 ……最近段々と、ハリーの見張りをしていた人がどんな人物なのか興味を掻き立てられることが多くなった。そんなに皆から女好きだのなんだの評されると気になるじゃないか。この前会った時にちょっとでも話しておけば良かったかなぁ。

「でも、あの子は死んでいませんわ。無事なのよ。だからわざわざ何も──」
「モリー母さん。シリウス・ブラックは狂人だと皆が言う。多分そうだろう。しかし、アズカバンから脱獄する才覚があった。しかも不可能と言われていた脱獄だ。もう三週間も経つのに、誰一人ブラックの足跡さえ見ていない。ファッジが『日刊預言者新聞』に何と言おうと、事実、我々がブラックを捕まえる見込みは薄いのだよ。まるで勝手に魔法を掛ける杖を発明するのと同じぐらい難しいことだ。一つだけはっきり我々が掴んでいるのは、ヤツの狙いが──」
「でも、ハリーはホグワーツにいれば絶対安全ですわ」
「我々はアズカバンも絶対間違いないと思っていたんだよ。ブラックがアズカバンを破って出られるなら、ホグワーツにだって破って入れる」
「でも、誰もはっきりとは分からないじゃありませんか。ブラックがハリーを狙ってるなんて──」

 ドスンと木を叩く音が聞こえた。恐らく、アーサーおじさんがテーブルを叩くか蹴るかした音だ。思わずびくっと肩を震わせた瞬間、すかさずハリーがぼくの肩を抱く。

「モリー、何度言えば分かるんだね? 新聞に載っていないのは、ファッジがそれを秘密にしておきたいからなんだ。しかし、ブラックが脱走したあの夜、ファッジはアズカバンに視察に行ってたんだ。看守達がファッジに報告したそうだ。ブラックがこのところ寝言を言うって。いつもおんなじ寝言だ。『あいつはホグワーツにいる……あいつはホグワーツにいる』。
 ブラックはね、モリー、狂ってる。ハリーの死を望んでいるんだ。私の考えでは、ヤツはハリーを殺せば『例のあの人』の権力が戻ると思っているんだ。ハリーが『例のあの人』に引導を渡したあの夜、ブラックは全てを失った。そして十二年間、ヤツはアズカバンの独房でそのことだけを思い詰めていた……」

 ──シリウス・ブラック。
 ジェームズとお互い『相棒』と呼び合うほど仲が良かった。そんなシリウスが、ジェームズの子供であるハリーを殺そうとしているなんて……時とはなんと残酷なのだろうか。

「そうね、アーサー、あなたが正しいと思うことをなさらなければ。でも、アルバス・ダンブルドアのことをお忘れよ。ダンブルドアが校長をなさっている限り、ホグワーツでは決してハリーを傷つけることはできないと思います。ダンブルドアはこのことを全てご存知なんでしょう?」
「勿論知っていらっしゃる。アズカバンの看守達を学校の入り口付近に配備しても良いかどうか、我々役所としても、校長にお伺いを立てなければならなかった。ダンブルドアはご不満ではあったが、同意した」
「ご不満? ブラックを捕まえるために配備されるのに、どこがご不満なんですか?」
「ダンブルドアはアズカバンの看守達がお嫌いなんだ。……それを言うなら、私も嫌いだ……。しかしブラックのような魔法使いが相手では、嫌な連中とも手を組まなければならんこともある」
「看守達がハリーを救ってくれたなら──」
「そうしたら、私はもう一言もあの連中の悪口は言わんよ……母さん、もう遅い。そろそろ休もうか……」

 椅子の動く音が聞こえた。ぼくとハリーは目配せし合うと立ち上がり、急いで物影に隠れる。
 食堂の扉が開いた後、足音が階段を上がっていく。二階で部屋の扉が閉まる音が聞こえるまで待った後、ぼくらはようやく立ち上がった。
 そのままバーに行こうとするハリーの右手を、ぼくはぎゅっと掴む。

「……アキ

 一瞬目を伏せたハリーは、ぼくと繋いだ手に力を込めた。
 ロンのネズミ栄養ドリンクは、午後に皆が座っていたテーブルの下に落ちていた。栄養ドリンクを拾ったぼくらは、お互い聞いたことには何も触れずに二階へと戻った。



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