マグル学の授業が終わり、放課後。教科書とノートをカバンに詰め込んでいたリィフ・フィスナーは、背後から掛けられた声に振り返った。
「よう、久しぶり」
「……シリウス……と、ポッターか」
シリウス・ブラックとジェームズ・ポッターが並んでいる様子を見て、リィフは小さく息をついた。さっと周囲を見渡したシリウスは、小声で「リィフ、今から時間はあるか?」と尋ねる。
「なくっても作るよ。ブラック家長子とポッター家長子に頼まれちゃ、断れない」
そう言って、リィフはカバンを掴むと立ち上がった。
《中立不可侵》を
後にこの世に誕生する、リィフ・フィスナーの息子アリス・フィスナーは、そのような『馴れ合い』を好まずいつも社交界をパッと抜け出してばかりで、リィフはホトホト手を焼くことになるのだが……ともあれ普段のリィフ・フィスナーは、両親、ないし純血名門の秩序には従順であり恭順の意を示していた。
「シリウスの従姉妹はマグル生まれと駆け落ちしたんだって?」
「あぁ。ふふっ、ドロメダもよくやるよな。何とも粋、何とも自由だ。俺もあんな風に生きたいよ」
「シリウスもかなり自由な人間だと、僕は思うがね」
「君は窮屈なんだよ、リィフ」
空き教室に入ると、念のため防音魔法を施す。椅子にそれぞれ腰掛けた後、ジェームズは「さて」と切り出した。
「《中立不可侵》フィスナー家のリィフ・フィスナーに聞きたいことがある」
「あぁ。僕も、グリフィンドール側であるジェームズ・ポッターと、スリザリン側であるシリウス・ブラックに聞きたいことがあった」
互いに顔を見合わせた三人は、ほぼ同時に口を開いた。
「今、どうなってる?」
「しかしまぁ、こうして名門家系三人が集まると、何とも壮観だねぇ」
ジェームズはニヤニヤと笑っている。「うるさいぞ、ジェームズ」とシリウスはニコリともせずにピシャリと言った。
「ま、我がポッター家は名門とかそういうもので言うと『庶民派』ですからねぇ。『純血一族一覧』にも載ってませんし、そういうお貴族様の社交場にも縁はなかったし」
「確かに僕も、ポッター家の一人息子と同学年だって知ったのは入学してしばらく経ってからだったから……シリウスとポッターは親戚なんだって?」
「あぁ、僕の母親はブラック姓だからね」
「でも、それを言うならブラック家は大体の純血家系と親戚だろ……フィスナー家にも何人か嫁いでたと思うがね」
「そうだね。僕の伯母さんもブラック家の人だ……」
頷くリィフに、ジェームズは笑みを崩さぬまま「でも、二人ともイイトコのご貴族様だし、なんだか僕は肩身が狭いなぁ」と嘯く。
「フランクでも連れてくる? ロングボトムのさ」
「あそこは
「じゃ、フェービアン・プルウェットだ。彼ならきっとヒマしてるよ」
「ここにいる三人で事足りるだろ、ポッター」
「足りないと思ってこその言葉さ……まぁいいや。黙る、黙りますよ」
そう言ってようやっと口を閉じたジェームズに、リィフは小さくため息をついた。
「今日僕を呼んだのは、マッキノン家襲撃事件があったからか?」
「ご名答。それぞれの家の見解を聞きたくてな」
シリウスは頷く。
「ブラック家はまだ様子見だそうだ。だが十中八九『あいつ』に間違いはないだろう」
「『あいつ』──ヴォルデモート卿か」
「あぁ。全く、自分を『卿』と名乗るなんて一体どんな神経してんだか……ブラック家はほぼノータッチだが、どうも最近近辺で不穏な動きが多い。マルフォイ家やレストレンジ家辺りは要注意だ」
「……ルシウス・マルフォイやロドルファス・レストレンジか。とすると、卒業してからヴォルデモートの配下に入ったと考えるのが妥当だろうか?」
「おそらくそうだろう。俺の従姉妹のベラトリクスって奴が、この前そのロドルファス・レストレンジと結婚した。ブラック家も取り込まれる可能性は否定できない」
「ブラック家が取り込まれる、ね……今までの常識じゃ考えられないな」
眉を寄せるリィフに、シリウスは「中立側から見ると、どうなんだ?」と問い掛けた。
「とりあえず、魔法省は闇祓いの戦力を底上げしようとしているみたいだ。あまり大々的には公表されていないけれど、闇祓いに『許されざる呪文』の行使を認めたり、闇の陣営に対しては裁判をせずとも捕縛したり殺したりしても良い権限を与え始めた。知ってるだろう? クラウチ家当主で魔法法執行部部長のバーテミウス・クラウチだよ」
「あぁ。確かその息子がスリザリンにいた筈だぜ、同名のジュニアがな。十二ふくろうの天才だと持て囃されてた」
「闇祓いの戦力……権限を底上げ、か。それもそうだね。世間も皆、何かが迫ってきたことを薄々察し始めた」
小さな声で呟くジェームズに「『何か』って、そりゃざっくりとしてるな」とシリウスは苦笑した。しかしジェームズは真面目な顔つきだ。
「そりゃあ、魔法省もふわっとしかまだ分かってないさ……そうだ、まだ全容はさっぱり分かってない。何せ、これは英国魔法界始まって以来の危機だ。下手するとグリンデルバルドの台頭以上かもしれないね。歴史に名を刻む、今までの常識を打ち壊すような、凄まじいまでの力が台頭してきているんだ」
シリウスとリィフは揃ってジェームズを見た。
ジェームズは腕を組んだまま、虚空を一直線に見つめて口を開く。
「グリフィンドール側でも新たな動きが見られる。ヴォルデモートの陣営に対抗しようとする者達が徐々に集まり始めている。つまり、何が今から起こるか、分かるかい?」
「何が、って……何だよ」
シリウスは戸惑いがちの声を漏らした。リィフは唇を噛み締め、じっとジェームズを見据える。
学年首位の頭脳を持つ、ポッター家の末裔である彼、ジェームズ・ポッターは、眼鏡の奥の瞳を煌かせた。
「────戦争だよ」
◇ ◆ ◇
汽車が動き出す揺れと音で、ハッと我に返った。車内の照明が一斉に灯る。
……頭の奥が焼け付くように痛い。鈍い痛みがじわじわと広がっていくようだ。
痛みに思わず顔を顰めたその時、左手に杖が握られていたことに気が付いた。無意識に掴んでいたようだ。
「やだ……やだ、トム……」
ぼくの膝の上では、ジニーがガタガタと震えていた。
大丈夫かい? とそっと尋ねる。ぼくを見たジニーは、僅かに安心した表情を浮かべて頷いた。
具合が悪そうなのはジニーだけではないようだ。誰もが酷い寒気に襲われたように顔色が悪い。
「ハリー! 大丈夫!?」
ジニーを席に座らせ、ぼくは慌てて床に倒れているハリーに駆け寄った。ハリーの肩を強く揺さぶる。
呻き声を上げたハリーはゆっくりと目を開けた。誰もが顔色を悪くさせているものの、ハリーは殊更輪を掛けて酷い。
ロンに手を貸してもらい、ハリーを席に戻した。ハリーの手をぎゅっと握り締める。ぼくの手もひんやりと冷たくなっていたが、ハリーの手はぼく以上に冷たくて、おまけに小さく震えていた。
「大丈夫かい?」
「ああ……何が起こったの? どこに行ったんだ……あいつは? 誰が叫んだの?」
「誰も叫びやしないよ」
ハリーの疑問に、ロンが心配そうに答えた。ハリーはコンパートメントを見渡した後「でも、僕、叫び声を聞いたんだ……」と呟いた。
叫び声? ハリーは一体何を聞いたのだろう。
考えようとしたちょうどその時、バキッと大きな音がして、皆が驚いて飛び上がった。リーマスが巨大な板チョコを割ったのだ。
「さあ。食べるといい。気分が良くなるから」
リーマスはハリーに一番大きな一欠片を差し出した。ハリーは受け取ったものの、口にはせずに「あれはなんだったのですか?」と尋ねる。
「ディメンター、吸魂鬼だ。……アズカバンの吸魂鬼の一人だ」
「ディメンター? でも、彼らはアズカバンにいる筈じゃ……」
ぼくが呈した疑問に、リーマスは皆にもチョコを配りながら「分からない」とそっと首を振った。
「気の早い個体がいたのか……それよりも食べなさい、元気になる。私は運転手と話してこなければ。失礼……」
そう言い残して、リーマスはコンパートメントを出て行ってしまった。
ぼくはリーマスからもらったチョコの端を軽く齧る。途端、ふっと身体の芯が温まった感覚がした。頭痛に加えて、ざわついていた胸中も少し収まる。
「ハリー、本当に大丈夫?」
「僕、訳が分からない……何があったの?」
ハーマイオニーの問い掛けに答えるハリーは、未だ困惑した面持ちだ。
「ええ、あれが──あの
「僕、君が引き付けかなんか起こしたのかと思った。君、何だか硬直して、座席から落ちて、ヒクヒクしはじめたんだ──」
ハーマイオニーの後をロンが引き継ぐ。
「そうしたら、ルーピン先生があなたを跨いで
「怖かったよぉ。あいつが入ってきた時どんなに寒かったか、みんな感じたよね?」
ネビルが上擦った声で囁く。ロンも気持ち悪そうに肩を揺すって「僕、妙な気持ちになった。もう一生楽しい気分になれないんじゃないかって……」と項垂れた。
「だけど、誰か──座席から落ちた?」
ハリーの問いに、皆が気まずそうに首を振った。
ぼくはチョコを見つめながら、先程見たものについて思いを巡らせる。
……あの記憶はぼくのものではない。だとしたらあれらは、幣原秋のものなのだろう。
最後──屋上から飛び降りた幣原に、ぼくは手が届かなくて──。
……そりゃそうだ、届く筈もない。だってあれは、ただの……ぼくの夢なのだ。過去に起こったことは決して変えられない。
それでも、ぼくは……。
その時リーマスがコンパートメントに戻ってきた。
ぼくらの様子を見たリーマスは「おやおや、チョコレートに毒なんか入れてないよ……」と苦笑する。
リーマスの言葉に、皆もやっと自分の手にチョコレートが握られていたことに気付いたようだ。ネビルなんて慌てて口の中に押し込んでいる。
……
「あと十分でホグワーツに着く。ハリー、大丈夫かい?」
「……はい」
リーマスの問いに、ハリーは目を伏せたまま頷く。穏やかに笑顔を浮かべたリーマスは、そのまま視線をぼくに向けた。そして────
「……っ!?」
リーマスがぼくの耳元に顔を近付け、一言囁く。その動作はあまりにも自然で、ぼくの隣に座っていたハリーも違和感は持たなかったようだが──囁かれた言葉に、ぼくは目を見開いた。
リーマスは──ルーピン先生はぼくに悪戯っぽい視線を向けた後、そっと片目を閉じてみせる。今は何も──何も聞くなってことか。
ぼくはしばらくリーマスをじっと見つめていたものの、やがて視線を逸らすと残ったチョコレートを口の中に放り込んだ。
チョコレートの甘みと共に、今の言葉を反芻する。
『久しぶりだね、秋』
「…………」
ホグワーツ特急は、様々な人間の思惑も一緒に乗せて、ホグワーツへと一直線に進んでいた。
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