リリーに手を引かれたままフリットウィック先生の元へ事情を説明しに行ったところ、フリットウィック先生は好きなだけ笑い転げた後、一回り小さい制服を貸し与えてくれた。
元々男子としても小柄なぼくだけど、こうして……まぁ認めたくはないものの、女の子になって更に一回り小さくなってしまったようだ。袖も裾もぶっかぶかのずるずるで、流石にこのままでいる訳にはいかない。
「あぁもう秋、私ずっとあなたのことを女の子みたいに可愛いと常日頃から思っていたのだけど、女の子になったら更に可愛いわね! これこそまさに私の天使だわ! マイ・スウィート・エンジェル! あぁ秋、どこまで私を萌えさせれば気が済むの!」
……リリーが壊れた。
ちなみに、例の悪戯仕掛人の四人組は、グリフィンドール寮監にして変身術教授であるマクゴナガル先生の元でド派手にお説教を喰らっているところである。勿論、四人とも女の子の姿で。
三日ぐらいずっとお説教されていればいいのにとは思うものの、元に戻る方法は彼らしか知らないのでそういう訳にもいくまい。
「ほっぺもすべすべだし、睫毛は長いし手首は細いし、ちょっと私フリットウィック先生に女子の制服を頼んでくる!」
「待ってリリー! 落ち着いてよリリー!」
……ぼくの真の敵って、もしかするとリリーなんじゃないのか? いや、助けてもらった身で言えるもんじゃないけどさ。
流石にスカートはダメだろう。男としてのプライドが、それだけは許しちゃダメだって言ってる。去年リリーと制服交換した時にスカート履いたじゃないって? それはそれ、これはこれだってば。
ぼくに引き止められたリリーは不満そうに頬を膨らませていた。そんな顔をするんじゃありません。
今のこの状態の上、女子生徒の制服だなんて……同寮の皆にどんな顔をされるのか、想像すらしたくない。腫れ物に触れるような扱いを受けそうだ。
「……でも今日が日曜日で良かったわね。流石に女の子のまま授業は受けたくないでしょうし……」
「うう……まぁね」
その点では悪戯仕掛人に感謝して……いや感謝はしてないけど。どう好意的に捉えても感謝は絶対にできないけど。
その時机の上に置かれた大鍋の火が消えた。飴玉の成分解析が終わったのだ。
どれどれと立ち上がり大鍋の中を確認したリリーは、すぐさま落胆した声を零した。
「……うーん、ダメね。解析してみたけれど、どんな魔法薬なのか私にも分からないわ」
「そう……魔法薬学が得意なリリーでも分からない、か……」
「まぁ私としては、秋がそのまま女の子の格好でいてくれても全然やぶさかではないのだけれど……」
「早く! 早いとこ元に戻す薬を作らなきゃね、リリー!!」
慌ててリリーの肩を揺さぶる。ぱちぱちと目を瞬かせたリリーは「そ、そうね!」と言い、何故かぼくから目を逸らした。……おい。
「で、でも! あのっ、これ以上贅沢は言わないからせめてあなたの髪の毛だけは結わせて! お願い! 秋の髪、触ってみたかったの!」
……む。まぁ髪の毛くらいなら……いいか。今回の件の後でも、髪は以前と変わりないのだし。
ぼくから許可をもらうが早いか、リリーはウキウキした様子でぼくの背後に回り込んだ。
……何故か寒気が、こう、ゾワッと。何だろう、危機感みたいな?
「髪の毛は前と変わんないと思うんだけど、そんなの弄って楽しいかい?」
「楽しいに決まってるわよ! 今だから言うけど、私、あなたがそれほど綺麗な髪を持ちながら、いつも代わり映えなくただ一つに括っているだけの姿を見て『なんてつまらない人なの』ってうずうずしていたのよ」
「…………はぁ」
つまらない人だと言われてしまった……そりゃ、ぼくはそう面白みのある人間じゃないけどさ……なんかショック。
その時、自分の髪の中にリリーの手が差し入れられた。ゾクゾクッと、何か得体の知れない感情が胸の中で渦を巻く。
う、わ……何というか、これは。
リリーの手がぼくの頭を、耳の後ろを、首筋をそっと撫でていく。その度にぼくは小さく息を詰めた。
──どうして、こんなに緊張するんだろう?
今まで抱き締められたことも手を繋がれたことも、何度だってあったじゃないか。
なのに、たかが髪を触られたくらいで意識するなんて、ぼくらしくもない。
十四年も生きているのだ。自分の見た目が女の子のようなこともいい加減自覚している。性格も口調も柔らかな方だという自認もある。
日本でだって、女の子との距離は異性間というより同性間のように近かった。だからぼくも、その距離感に慣れ切っていた筈なのに。
その時、リリーがそっとぼくに声を掛けた。
「……ねぇ、秋?」
「何?」
「セブと、ケンカでもしたの?」
「…………」
──ケンカ、か。
ケンカならまだ良かったのかもしれない。
「……何なんだろうね。ケンカというか……お互いの意見がさ、合わなかったんだ」
見解の不一致。
意見の相違。
思想の、食い違い。
「ぼくが正しいと思うことと、セブルスが正しいと思うことは、どうしようもなく違っていて……お互い、自分の正しさを相手に認めさせようとしたんだと思う。でも、お互い認め合えなくて、それで今……こんな感じに」
「……秋もセブも、お互い頑固よねぇ」
「……頑固、かなぁ?」
「頑固よ。それとも、男の子ってそういうものなのかな? まぁ、今の秋は男の子じゃないけどね」
「言わないでよそれは……」
認めたくないのだ。物的証拠がいくら揃っていようとも。
「お互い正しいと思っていることがあるんだから、違う意見を認めさせようとしても無理に決まってるじゃない」
リリーはあっさりとそう言った。
「……じゃあ、リリー。リリーはさ、もし友達と感覚が食い違ったら……価値観が違うって感じたら、君はどうするの?」
「私? 私なら……そうね。その意見を持つ友達ごと受け入れる、かしら」
「…………」
「受け入れたい、が正確かしら。受け入れられるかは分からないけど。でも、友達ですもの。だってそんなつまらないことで、友達一人をなくす方が悲しいじゃない?」
「ね、秋?」と、リリーの笑い声が聞こえる。
「さて、秋。男の子は意地っ張りで頑固なのが定説ですけど、今のあなたは女の子よね?」
……敵わないなぁ。
敵わなくてもいいと、思わせてくれるよなぁ。
「あぁ……そうだね」
ぼくは苦笑して、大きく息を吐いた。
その後の顛末は、語る必要もないだろう。
妙な薬を作った癖に、元に戻す薬は作っていなかったジェームズ達のせいで、何日間ぼくらがこのままで過ごさなければいけない羽目になったかなんて、話して聞かせる価値もない……。
悪戯仕掛人四人組のスカート姿は案外似合っていたとだけ伝えておこう。
──あぁ、後、一つ。
幣原秋とセブルス・スネイプが、互いの信条を曲げることなく、それでももう一度、手を取り合ったことは──
それから遠くない将来において、どうしようもないほどに決別し合うことが、既に定められていたとしても────
記しておくに、やぶさかではない。
◇ ◆ ◇
「ねぇ、アクア」
授業の合間の休み時間。廊下を歩いていたアクアマリン・ベルフェゴールは、背後から掛けられた声に振り返った。
ショートカットの黒髪を揺らした同寮の女子──パンジー・パーキンソンが腕を組んで立っている姿を視界に入れる。
「……何、かしら」
「アクアってさ、ドラコの婚約者なのよね?」
「……一応、親同士の取り決めで」
「へーっ、やっぱりご貴族様は違うわね!」
含みのあるパンジーの言葉に、アクアは僅かに眉を寄せた。
クラスメイトではあるものの、彼女のことは好きにはなれなかった。
もっともアクアはスリザリン生の大半が好きではない。アクアがスリザリン生の中で気を許している相手など、幼馴染であるドラコ・マルフォイと友人のダフネ・グリーングラスくらいなものだ。
「……何の用?」
つっけんどんに尋ねる。アクアの態度に、パンジーは肩を竦めてため息をついた。
「……はーあ、少しはアンタとお喋りでもしようかと思ってたんだけどね……アンタがその気じゃないようだし、まぁいいわ。本題に入りましょう」
パンジーは笑顔を浮かべ、アクアに一歩近付いた。
「婚約者、でもドラコは嫌がってるみたいだけど? 話してくれたわ、『望まない相手と結婚なんて』『こんな婚約今すぐにでも破棄したいのに』って」
「……だから?」
そんな言葉は言われ慣れている。他でもない、ドラコ本人の口から。
無意識のうちに、両手でスカートをぎゅっと掴んでいた。
「アクアは実際、ドラコのことをどう思ってんの?」
「…………」
ドラコ・マルフォイ。自分達が生まれる前からの、親に定められた婚約者。マルフォイ家とベルフェゴール家の間の取り決め。
子供の頃から兄妹のように育ってきた。ずっと、ずっと一緒だった。
アクアが闇の帝王についての違和感を口にするたび、ドラコはいつも怖い顔をしてアクアを怒鳴りつけた。しかしそれもドラコなりの優しさなのだと、アクアは知っている。
ドラコがアクアを守ろうとしてくれていることも。だから、嫌だ嫌だと言いながらもアクアとの婚約を破棄しないことも、知っている。
──私は、誰からも守られてばかりだ。
アクアはうっすらと微笑んだ。僅かな表情の変化ではあったものの、曲がりなりにも二年余りの歳月をクラスメイトとして過ごしているのだ。アクアの笑みに気付いたパンジーは、僅かに警戒するような態度を見せた。
「……あなた、ドラコのことが好きなんでしょう?」
「なっ……いきなり、何を」
「……隠さなくてもいいわ、今更よ」
──そうね。私もいい加減、何かを決断しなければならないのかもしれない。
「……私に許可なんて取らなくていいわ、好きになさい。私とドラコは名目上は婚約者ではあるけれど、実際はただの幼馴染。それ以上のものは何もないわ」
驚いたようにアクアを見ていたパンジーは、やがて白い頬を赤く染めた。
「ば、バカにしないで!」
「……話はそれだけ? 私、次の授業があるの。行かなくちゃ」
ヒラリと手を振りパンジーに背を向ける。
しかし数歩踏み出したところで、背後の怒鳴り声に呼び止められた。
「何よっ、この……スリザリンの異端児! アンタなんてね、ドラコがいなけりゃあっという間にいじめられてたわよ! 家でも鼻つまみ者らしいじゃない! いつだってドラコに守られてる癖に、ただ可愛いだけの、守られるしか能のないお姫様な癖に!」
「…………っ!」
堪え切れずに杖を抜いた。振り向き、パンジーに杖を向ける。パンジーも素早くローブから杖を取り出すと、キッとアクアに向かい合った。
突如始まった二人のケンカに、廊下にいた生徒達がざわつく。
「アラ、図星を指されて頭に来ちゃった? 可愛い可愛いお嬢様。あなたでも怒ることなんてあるのねぇ」
「……私は案外気が短いのよ。知らなかったのなら教えてあげるわ」
肩に掛かる髪を左手で払った。
ドラコが来たらそれはそれで面倒なことになる。早目にケリをつけたいところだ。
「アンタの弟も! ベルフェゴール家の長男がスリザリン以外の寮に入ったなんて、ベルフェゴール家の醜聞だったんじゃない?」
「……私の弟を悪く言わないで」
「姉弟二人共がこんな有様じゃあ、ベルフェゴールも落ちぶれたものねぇ! ご両親に同情しちゃうわ!」
「……
「
明るい青の火花と赤の火花がぶつかり合い、相殺し合う。それを見て、辺りにいた生徒達が悲鳴を上げて逃げ惑った。
「……っ、この……!」
「
「っ、
パンジーが炎を放ってくる。慌てて杖先から水を出して打ち消した。数歩下がったアクアは、次は何が出てくるかと身構える。
パンジーが杖を振りかぶった。
「
「やめろっ!!」
唐突に辺りに響き渡った大声に、アクアとパンジーは慌てて振り返った。
後ろで一つに括られた艶のある長い黒髪に、レイブンクローの制服を纏った小柄な身体。つい先程までこの廊下にはスリザリン生しかいなかったというのに、一体どこから現れたのだろう。何故か、奥にはグリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーの姿まで見える。
そんな彼は──アキ・ポッターは「はい、ケンカはやめなさいね」とパンパンと手を叩きながら、アクアとパンジーに近付いてきた。その口元には
「……っ、ポッター!」
「あんまり苗字で呼ばないでよね、パンジー・パーキンソン。我が親愛なる兄貴と被るじゃないか。あと、むやみやたらと人に杖を向けないの」
アキは杖を抜くと軽く振り上げた。途端、アクアとパンジーの杖は持ち主の手を離れ、各々のローブのポケットの中にひとりでに収まってゆく。
「廊下でのケンカは、確か校則違反だった筈だけど?」
「……アキ、その……」
ごめんなさいと言い掛けた言葉は、アキにそっと背中を叩かれたことで止まった。
「アクア、謝る相手が違うんじゃない?」
「……ごめんなさい、パンジー」
「あ、いや、まあ……言い過ぎたわ。ごめんね、アクア」
アクアとパンジーがお互い謝罪し合ったのを見て、アキは「そう、仲良きことは美しき
アクアとパンジーも振り返る。
「……廊下で魔法を使っているとの報告を受けましてね。貴様か、アキ・ポッター」
「な、何のことでしょうスネイプ教授、はは……」
「レイブンクローに十点減点。おやおや、ミス・グレンジャーも一緒とはグリフィンドールも十点減点」
「理不尽!」
「今の口答えにレイブンクローからもう十点減点だ、アキ・ポッター」
「……ひっどい身内贔屓」
「罰則追加。次の週末、我輩の研究室へ来い」
「嘘だろ!?」
……学ばない人だ……口
現れたセブルス・スネイプは、一瞬だけアクアを見た後「あと三十秒ほどで授業が始まる筈だが? 高貴で誇りあるスリザリン生よ、早く教室へ向かいたまえ」と生徒を追い立てる。生徒は蜘蛛の子を散らすようにパァッと逃げて行った。アキとハーマイオニーも時計を見ては、慌てた顔で授業へと駆けて行く。
「……アクアマリン。どうして次の授業に行かないのかね」
「……先に杖を出したのは私よ、先生」
「そんなことは瑣末なことに過ぎん。それとも、罰則をアキ・ポッターと共に受けたいのかね?」
挑むような眼差しで、スネイプはアクアを見下ろした。その眼差しに一瞬怯んだものの、アクアは立ち向かう。
「……ええ、それも悪くないかもしれないわね、先生。アキと一緒だと、罰則だってきっと楽しく過ごせるもの」
「……驚いたな。自ら罰則を望む酔狂な者がいるとは。あの場で杖を持っていたのはアキ・ポッターただ一人だ、君もパンジーも両手は空いていたと我輩は記憶しているが?」
「…………」
やはりスネイプも、アクアとパンジーのケンカだと気付いていたのだ。
だからアキは、先にアクアとパンジーに杖を仕舞わせた。先生に見られても言い訳が効くように。
全くどこまで──聡い人。
「アキ・ポッターと君が、いつの間にかファーストネームで呼び合う関係になっていたことには驚いたが」
「……別に。友達、ですもの」
「ほう。君の狭いカテゴリーの範疇にあの少年が入っているとは、まっこと意外」
「……あなたがアキに辛辣なのは、彼が幣原秋に似てるから?」
アクアの言葉に、スネイプは少し黙り込んだ。アクアも口を噤む。
「アクアマリン・ベルフェゴール。ここは学校だ。我輩は教師、そして君は生徒だ。……早く行きなさい。我輩は自分の寮から点を引くという気が進まぬことはしたくない」
「……えぇ、ごめんなさい、先生」
アクアはそっと頭を下げた後、スネイプの横を小走りですり抜ける。しかしその足は数メートル先で止まった。
「……あの、先生。……今度あなたの研究室に、お茶を飲みに行っても構わないかしら」
アクアの問いに、スネイプは少し瞳を揺らした。しかしすぐさまその顔に笑みを浮かべては軽く頷く。
「……あぁ。罰則以外ならば、いくらでも来るといい。君の舌に合うかは、分からないが」
アクアは微笑むと、今度こそ駆け出した。
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