破綻論理。

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空の記憶

第20話 「問題です。ぼくは一体誰でしょう?」First posted : 2014.04.29
Last update : 2023.03.31

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 ダンスパーティーの日がやって来た。

 最初のダンスを踊った後、レギュラスは「もう自分が果たすべき義務は終わった」とばかりに、ぼくに一瞥もくれず、勿論言葉も何もくれずに人混みの中へと消えていった。その清々しさといったらない。
 まぁ、一曲踊ってくれただけでも良しとしよう。千里の道も一歩からとよく言うじゃないか。

 しかし……慣れないダンスと人混みに、まだまだパーティーは始まったばかりにもかかわらず、少々気疲れしてしまった。壁際で水の入ったグラスを煽り、人心地つく。

 ふと大広間に視線を向けたところ、見慣れた人物を発見した。リリーとセブルスだ。
 なんかすっげぇ勢いでセブルスがリリーに振り回されているけれど、楽しんでいるようで何よりだ。

「ねぇ、きみが幣原?」

 その時、斜め横から突然声を掛けられた。
 振り向くとそこには三人の女子生徒が立っていた。赤に、黄色に、紫のドレスを身に纏っている。華やかに巻かれた綺麗な髪は気合十分って感じの出で立ちだ。

 きょとんと彼女達を見返していると、三人の真ん中にいた赤いドレスの女の子が、一歩ぼくに歩み寄った。

「……そう、ですけど」

 半歩下がって言葉を返す。
 ……何だろう、彼女達に見覚えはないけれど、ぼく、何かしたっけか。

 ぼくを囲むように半円状に広がる彼女達の方が、ぼくより背が高い。女の子相手に表現が悪い気もするものの、なんだかまるで追い込まれているような気分にもなる。

 ぼくの返事に、彼女達は顔を見合わせた。居心地の悪さを感じてぼくは更にもう半歩下がる。
 その時いきなり、赤いドレスの女の子に両手をガシッと掴まれた。思わずビクッと肩を震わせるぼくに構わず、彼女達はキラキラした目でぼくに詰め寄ってくる。

「やっぱり! やっぱりやっぱり幣原くんだ! 魔法魔術大会の本戦進出者の幣原くんでファイナルアンサー!?」

 見れば、黄色のドレスの子も紫色の子も、何故かぼくに興味津々といった面持ちだ。
 なになになに、一体何が起こっているんだ。ぼくが一体何をした。

 表情に出さないようにしながらも、内心は既にパニック状態。リリー以外の女の子と話したのなんて一体何ヶ月ぶりだろう。

「うわうわうわっ、噂に違わぬ、いやいや噂以上の可愛らしさだっ! こりゃあ将来、ブラックも認めるレベルのイケメンになることは間違いないですなぁ!」
「今のうちから目をつけておいて損はないよね。隠れイケメン、はっけーん」
「東洋の顔立ちって、やっぱりいい感じ。ねぇくん、お姉さん達と一緒にお喋りしない? 君なら大歓迎だよ!」
「…………」

 混乱しすぎて言葉も出ない。何だ何だ何なんだ。
 無意識にまた一歩下がった時、腰がテーブルにぶつかった。弾みでテーブルの上に乗っていたグラスが空中へと投げ出される。
 グラスを目で追いつつ、反射的に呟いていた。

Locomotor動け

 瞬間、重力に従い落下していたグラスが空中でピタリと動きを止めた。
 やがてふわりと浮かび上がると、テーブルの元あった場所に、中に入っていたジュースもそのままの状態で、何事もなかったかのように戻っていく。
 一瞬後、今の様子を見ていた三人が再びぼくに詰め寄った。

「何何何今の!? 杖抜いてないよねっ、私が幣原くんの手握ってるもんねっ! こんなこと出来る人本当にいたんだっ!」
「評判通り……いや、評判以上の人物」
くん、良かったらこっちで、お姉さん達とお喋りしよう?」

 ……えっと、これはもしかして。ぼく、褒められているのだろうか?
 それはそれは……その……悪くはない気分だ。三人ともなかなかの可愛い子揃いだし……。
 コホン。そりゃ、ぼくだって男の子ですから。女の子に寄ってたかられてちやほやされる、なんて男の夢でしょ。

「ね、くん?」

 赤いドレスの子に両手を、黄色いドレスの子にダンスローブの左袖を、紫のドレスの子に裾を、それぞれ掴まれる。
 六つの瞳に見つめられて思わず頷きかけたその時、背後から肩をぐいっと引っ張られた。

「私の大切な人を軽々しく口説かないでくれるかしら? 先輩方」

 聞き慣れた声に慌てて振り返る。
 リリー・エバンズが、険しい表情で彼女達を見つめていた。リリーの魅力的な深紅の髪にとても映える、同じ色の華やかなドレス。胸元には白い花のコサージュがあしらわれている。普段よりも背が高く見えるのは、きっと足元のヒールのせいだろう。

「り、リリー……?」

 何故だか声を掛けづらくて、言葉が尻すぼみになっていく。
 彼女達は、突然現れたリリーを上から下まで見つめた後、ぼくに向き直っては笑顔を見せた。

「あらら、彼女ちゃんが来ちゃったよ。それじゃあね、幣原くん。大会、応援してるよっ!」

 ひらひらと手を振って彼女達は去っていく。ぽかんとその背中を見つめていたぼくは、リリーにネクタイをぐいっと引っ張られて我に返った。

「あーもうっ、何女の子に囲まれてデレデレしてんのよっ! あんな人達なんかにっ!」
「ご、ごめん……」

 一体どうしてぼくは謝っているのだろうか。それ以上に、どうしてリリーは怒っているのだろう?
 ……あぁ、もしかして。

「ごめんねリリー、さっきの子達が君をぼくの彼女だって誤解したことについて怒ってるんだよね。ぼくみたいな頼りない男が彼氏だなんて、笑っちゃうくらいの冗談をさ。全く、一体どこを見てるんだか……」
「違うわよ! のバカ!!」

 ……違ったらしい。女の子って難しいな。
 ぼくの今の発言は、リリーの怒りの火に油をドバドバッと注ぎこんでしまったようだ。リリーの怒りが、もう雰囲気からビシバシ伝わってくる。
 怖い、怖すぎる。

「あ、あの……リリーさん?」
「何よ」

 ……怖い。
 リリーはぼくの手をぎゅっと強く握ったまま、スタスタと早足で歩き出した。引っ張られたぼくは慌ててリリーの後を追う。

 手を掴まれていてある意味助かったというべきか。これだけの人混みではあるが、なんとか逸れずについていけている。
 しかも多分、リリーってば闇雲に歩いているだけだし。今もほら、リリーの可愛さに目を惹かれて声を掛けようとした男が、雰囲気に押されて引いちゃったし。
 ……まぁ、ぼくの目の前で、変な男にリリーを誘わせるかって。

 しっかし……そんなに怒らせるようなことしたかなぁ?

「リリー! 君って子は、昔から!」

 と、人混みをかき分けセブルスがぼくらの前に飛び出してきた。荒い息を吐きながら、疲れた声でリリーの肩を掴む。

「頼むから勝手にどこかに消えないでくれ……はぁ……」

 どうやら姿を消したリリーを探して彷徨っていたらしい。……セブルスも大変だ。
 セブルスの登場に、リリーも落ち着きを取り戻したようだった。流石は幼馴染だ。

「……だって、が女の子に声掛けられてんの見たら、いてもたってもいられなくなったんだもん」

 そう言ってリリーはぷくーっと頬を膨らませる。可愛い。
 セブルスは「……そうか」と苦笑いとも苦虫を噛み潰したような顔とも取れる表情を浮かべてぼくを見た。

「……今まで見向きもしなかった癖に、今更になって手の平返すみたいな……」
「ん? 何か言ったかい、リリー」
「……なんでもない」

 リリーが何やらボソッと呟いたように聞こえたけれど、どうやら気のせいだったようだ。

「セブルス、楽しんでる?」
「うるさい、暑い、人が多いの三重地獄に苦しんでいる」

 セブルス、ダンスパーティーでそれを言っちゃあおしまいだと思うよ。

「そうじゃなくって……」

 リリーと踊れて、と続けようとしたものの、すぐ目の前に張本人であるリリーがいること、そしてそのリリーとぼくが今手を繋いでいるという状況にやっと思い至った。慌ててそっと手を解く。
 振り返ったリリーはちょっと不満げにぼくを睨んだものの、何も言わなかった。

 セブルスは近くの椅子にどっかりと座ると足を組み、ぼくとリリーに向かって言う。

「僕は疲れた、元気爆発のリリーと踊るのももうたくさんだ。、リリーと踊ってあげるといい」
「え、ぼくが?」
「あぁ。さっきは女役を踊っていたけれど、当然男役も踊れるんだろう?」

 まぁ、と曖昧に頷く。
 リリーはくるっとぼくに向き直ると「本当にっ!?」と目を輝かせた。

「じゃあ、踊りましょう! 私、まだまだ踊り足りないの!」

 ぼくの手を掬い取ったリリーは、今度は打って変わって上機嫌、スキップでもしそうなくらいに飛び跳ねながら、ステージまでぼくを引っ張っていく。
 ちょっと、ぼくまだ何も了承なんてしていないのに! セブルスってば、自分が休憩したいからってリリーをぼくに押し付けやがったな!?

 首を回してセブルスを見ると、セブルスはなかなか見ることの出来ない不敵な笑みを浮かべていらっしゃった。
 ぼくの視界をリリーが遮る。

「ほら、行こう?」

 ……そんな満面の笑みで微笑まれてさぁ、断れる人がいると思ってんの?

「…………」

 リリーに掴まれた左手が、何故だかそこばかり暖かい。
 この暖かさを、温もりを、どうしてだろう──ぼくはこれから先ずっと、忘れることはないだろうと感じた。

 その時、リリーがふと足を止めた。足がもつれそうになり、慌てて体勢を立て直す。

「どうしたのリリー……」

 リリーに問いかけた折、その騒ぎがやっとぼくの耳にも届いた。
 人で溢れる大広間の中、唯一ぽっかりと空いたスペース。そこで男女が言い争って──というか、男側が一方的に口説いていて、女の子の方は心底迷惑そうにしている。

 周囲の人達は止めに入りまではしないまでも、男のしつこさに呆れ果てているようだ。
 その様子を見て、ぼくは何とも言えない気分になった。

 ……確かに、凄く可愛い女の子だった。
 綺麗なプラチナブロンドに青い瞳の彼女は、まるで絵本のお姫様がそのまま現実に出てきたかと思うほどに見目麗しい。

 しかしぼくが何とも言えない気分になったのは、単純に、女の子の気持ちも考えない男のしつこさに呆れたから……だけではない。
 その女の子を口説いていたのが、ぼくの友人だったからだ。

「……ジェームズ……」

 ドン引きだよ、全く。確かに普段から自意識過剰の気はあったけれど、このパーティーという雰囲気に酔っちゃったんだろうか。
 ストッパー役のシリウスやリーマスやピーターはどこに行った。あぁ、ピーターは実家に帰ってんだっけ。

「ね、僕の話聞いてるかい? 学年首席でクィディッチのエース様だよ? こんな僕が君と踊りたいって言っているんだ。君も妙な意地張らずに踊ろうじゃないか」

 ジェームズが髪をクシャクシャにしつつ、女の子に迫っている。自分が断られることなんて一切想定していないような、自信に満ち溢れた笑顔だった。
 リリーの手がぼくから離れた。そのままリリーは無言でジェームズへと歩み寄っていく。ぼくは何も言うことができず、ただその背中を黙って見送った。

 ジェームズの背後に立ったリリーは、リリーの姿に気付いていないジェームズのローブを容赦なく引っ張りこちらを向かせた。
 そして、ジェームズがリリーを視認したかしなかったかのタイミングで、

 パンッ!

 大広間中に響いたんじゃないかとさえ思った。
 人の頬ってあんなにいい音鳴るんだな……。

 広間中とは言いすぎだけれど、少なくともここいら一帯はリリーの平手でシンと静まり返った。
 ジェームズは叩かれた頬を左手で触れ、呆然とした表情でリリーを見ている。

「傲慢もいい加減にしなさい。誰もがあなたの誘いに乗るだなんて考えないで。学年首席がそんなに偉いの? クィディッチが少し人より上手だけれど、それが何よ。あなたの人間性の底が知れるわね」

 眉を寄せたリリーは、鋭い瞳でジェームズを見上げている。
 咳すらできない、身じろぎですら気を遣うような緊張感が、辺りを支配していた。
 ジェームズが口を開くまで、一体どれくらいの間があっただろうか。
 数秒だった気もするけど、何分にも、何時間とも感じられた。

「……エバンズ」

 ジェームズの言葉に、リリーはくいっと顔を上げた。肩に掛かった髪を払い「何よ」と毅然と言う。
 しかし、流石のリリーも、いきなりジェームズから両手を握られることは予想外だったようだ。
 そして、その後に続いた言葉もきっと、リリーにとっては予想外だっただろう。

「好きだ! 僕と付き合ってくれ、エバンズ!!」
「って、えぇぇえ!?」

 思わず声を上げてしまったぼくを、一体誰が責められようか。
 大広間にいた大勢の生徒の、実に三分の一ほどが聞いた公開告白。
 この告白が、これからのぼくらを、否応なしに変えていく。

 

  ◇  ◆  ◇

 

「失礼します……」

 守護霊の呪文はリーマスの方が詳しいからとダンブルドアに促され、ぼくは月曜の放課後、早速リーマス……先生、の研究室へと向かった。

 ……この時間を作るのが、どれだけ大変だったことか……!
 全科目を履修しているぼくとハーマイオニーに出される宿題は、そりゃあもう山が二つ三つできるほどの量だった。加えて予習復習のために割かねばならない時間も相当ある。更に『逆転時計タイムターナー』の件。あれの扱いに気を遣うだけでもかなりの負担だというのに、更に──守護霊の呪文と来たもんだ。

 早目に終わらせなければならない。是非とも、速急に、迅速に。今日はレイブンクロー寮でマグル学のレポート(マグルの衣服の変換とその背景にある歴史との関係について述べよ)を仕上げる予定なのだ。まだ提出期限までは時間があるが、可能であれば今日中に終わらせてしまいたい。

 ……ぼくは、ハリーを。
 ハリーを守らなくちゃ、いけないんだ。

 ハリーをお見舞いに行った際、ハリーはぼくだけに「実は死神犬グリムを見たんだ」と打ち明けてくれた。クィディッチの試合の最中、ピッチにそいつがいたのだとハリーは怯えていた。

 加えて、吸魂鬼について。吸魂鬼が近付くと、ハリーは女性の声を聴くのだと言った。そして──多分その声は、ぼくらの母親──リリー・ポッターの最期の声だと思うと、ハリーは苦しそうな声で零した。

 ハリーを守るためにヴォルデモートに命乞いをする母の声。聴きたくなんてないのに、それでも聴くたび、愛されていたことを実感できるのだ──と。

 そうハリーが言った瞬間、ぼくはハリーをぎゅうっと抱き締めた。
 ハリーを危ない目に合わせるやつは、ぼくが全部排除してあげる。

 ──そのためにも。

「あぁ、アキ。ダンブルドア校長から話は聞いてるよ。守護霊の呪文を習いたいんだって?」
「はい」

 掛けなさいとリーマスに促され、ぼくは大人しくソファに腰を下ろす。
 キョロキョロと辺りを見渡すと、河童だの何だの不思議な生き物達がズラリと並んでいる棚が目に入った。その隣の本棚には、古めかしい書籍がぎっしりと詰まっている。それらを眺めた後、ぼくは最後にリーマスを見上げた。
 リーマスは戸棚の前に歩み寄りながら口を開く。

「でも、アキは魔力の扱いが巧みだし、理論もきちんと頭に入っている。これまで呪文に苦労したこともないだろう? きっと簡単にできるようになると思うんだけどね……何かキッカケが必要なのかな」
「そう……ですかね」
「……まぁ、今回は少しばかり強引だ……ダンブルドアはきっと、君ならば用がなくとも私のところに来るだろうと踏んでいただろうから。君は存外に忙しいようだね」

 リーマスの口ぶりに、ぼくは僅かに目を瞠った。

「えぇ、まあ……それなりに、忙しいですね」

 実態はそれなりに、なんてもんじゃない。時間に追われているというか、時間と戦っているというか。まぁ大変だ。

 しかもその努力を、誰にも知られないようにこなさないといけない。レイブンクロー生はただでさえ鋭い奴が多いのだ。下手にヒントを与えれば、その持ち前の頭でどれだけの真実が暴かれる羽目になるだろうか。
 アリスなんて、たまに一体どうしてと思うほどに冴えた推理を発揮するからな。リィフはその点大分鈍かったんだけど。

「実はね、ダンブルドアと私で仕組んだんだ。どうにかして私の元に君が訪れてくれる場面を作りたいとね。君は授業態度も真面目だし、レポートも優秀で指摘事項がないものだから、なかなか呼び出す機会が掴めなかった」

 リーマスはそう言いながら、カップとソーサーを戸棚から取り出した。まるで客人を出迎えるかのような挙動に、ぼくは不思議に思って問いかける。

「あの、どういう……?」

 振り返ったリーマスは、ぼくを見てニコリと微笑んだ。

「話がしたいんだ、





 ポスンと小さな音を立て、少年の身体がソファに倒れ込む。彼が再び目を開けた時には、先程までにはなかった雰囲気が漂っていた。
 一陣の風が吹き抜ける。その風はリーマスの机の上の資料を揺らし、椅子に掛けられたコートの裾を動かし、少年の括られた髪をなびかせた。

 アキ──否『彼』は、目を閉じたまま静かに頭を振る。そんな彼の正面に、リーマスは淹れたての紅茶を置いた。

「あぁ、ありがとう」
「どういたしまして」

 微笑んだ彼にリーマスも笑みを返し、砂糖のポットを手元に引き寄せる。
 蓋を開けながら「紅茶の好みは昔のまま?」と尋ねたところ「昔よりちょっと甘党になったかな。スプーン三杯が一番美味しく感じるよ」との答えが返ってきた。
 彼の言う通り、砂糖を三杯掬い取りカップに入れる。ティースプーンで軽く掻き混ぜ、彼に渡した。

 そっとカップの取っ手を摘んだ彼は、リーマスの淹れた紅茶を味わうように数口飲むと小さく息を吐いた。その後、リーマスが自分のカップに砂糖をざばざばと投入しているのを見ては含み笑いを零す。

「君の味覚異常はまだ治ってないのかい?」
「そんな風に言わないでよ。人よりほんのちょっぴり甘党なだけさ」
「砂糖をそんだけ入れておいて、よく言うよ。コンパートメントでも、吸魂鬼の襲撃があるなんて予想してなかった癖に、大きな板チョコ持参してさ」

 クスクスと幼い声で笑った彼は、ふと表情から笑みを消した。カップを置くとソファの背もたれに身を預け、大きな目をゆるりと細める。

「本題に入ろうじゃないか、リーマス」
「……あぁ、そうだな」
「シリウス・ブラックのことだろう?」

 そうだ、とリーマスは頷いた。彼は神経質そうに両手の指を合わせつつ眉を顰める。

「アズカバンからシリウス・ブラックが脱獄したことは、アキ・ポッターを通じて──彼の目と耳を通して聞き及んでいる。よくもまぁ、あの監獄から脱獄できたものだとは思うよ」
「……。その件についてダンブルドアから話が来ている。君が捕らえた犯罪者だ。君がこの後の処置を決めるのが妥当だろうと」
「……そうか」

 彼は両手の指を合わせ目を閉じた。項垂れ、小さく息を吐く。

「……ダンブルドアに伝えてくれ。シリウス・ブラックを捕らえた暁にはぼくが直接手を下すと。シリウスを殺す判断をせず、アズカバン送りにしたのはこのぼくだ。彼の命には、ぼくが責任を取らなければならない」
「……、それは」
「それがベストだ。分かるだろう、リーマス」

 彼の声に、リーマスは口を噤んだ。
 再び目を開けた彼の瞳には、強い意志が篭められていた。

「あの時、殺しておくべきだったんだ……ぼくは、あいつを」

 シリウスを、と搾り出すように彼は呟いた。

「……でも、君が手を下す必要はない。、君の代わりに僕がやる。……この十二年間、僕がどれだけの……どれほどの気持ちでいたか」
「ダメだ」

 彼の言葉はにべもない。苦々しい表情を浮かべ、彼は「それだけはダメだ。リーマス、君は手を汚すべきじゃない」と首を振る。

「いいかい、リーマス。殺人っていうのはね、それをした者の魂を引き裂く行為だ。君の魂は穢れていない」
「それを言うなら、君の魂だって!……あ」

 失言したとばかりにリーマスは表情を変えた。
 そんなリーマスを安心させるように、彼はそっと微笑んでみせた。何かを掛け違えたような笑顔だった。

「……違うよ、リーマス。ぼくの魂はもう穢れて壊れている。今更もう一度引き裂かれたところで何の苦痛も感じはしないさ」
「……
「時間がない。話さないといけないことから先に話そう」

 リーマスは一瞬だけ口を噤んだものの「……そうだね」と小さく息を吐いた。

「時間がない、とは? やっぱり頻繁には出て来られない感じかい?」
「そうみたいなんだよね。案外この身体は制約が大きくって……この前ちょっととある人、まぁうん、人だ、そいつにアキ・ポッターが追い詰められちゃってね。くっちゃくちゃのボロ雑巾になるまで痛めつけられて、軽く死に掛けたんだけどさ」
「……軽く言うなよ、我が友人よ」
「今更さ。流石に今死ぬ訳にはいかないと思って久しぶりに出て来た訳だけど、想像以上に時間の制限が短くってね。すぐさまぶっ倒れちゃった。あの時は久方ぶりに死を覚悟したもんだよ」

 肩を竦めた彼は、掻い摘んだ現状を早口で伝える。一年時のヴォルデモートの件、去年の秘密の部屋の件、そして今の『逆転時計タイムターナー』の件。全科目を履修することになってしまったためあまり時間が取れないことを伝えた彼に、リーマスは苦笑いを浮かべた。

アキなら、そう言った危険物の管理を任せても問題ないとのダンブルドアのお考えだろう。あの子は賢い子だね、君に似たんだろうな」
「さぁどうだろう? なんだかアキは、ぼくとはちょっとタイプが違う気がする。同一人物だけど、性格は育った環境に依るのかな……なんだか不思議だよ。だからそう、セブルスとも……」

 彼はそこで言葉を切った。数秒黙り込んだ後、ふと暗い笑みを浮かべてみせる。

「……そう、アキ・ポッターとセブルス・スネイプ。予想外にも彼らは、友情とも信頼ともつかないそこそこ良好な関係を結べているようだ。……全く、信じられないよね? リーマスもそう思うだろう? あっはは、ありえない、ありえない、ありえない。こればっかりはアキが可哀想だ。ぼくは心から同情するね。彼なんかを信用するなんて、彼なんかに友愛の情を抱くなんて」
「…………」
「よくのうのうと生きてられるよ。リリーとジェームズを殺した癖に」

 そう、彼は吐き捨てた。
 彼はしばらくくらい瞳で虚空を見つめていたものの「……まぁいいや」と仕切り直した。

アキ・ポッターがあいつとどのような関係を作っていようが、ぼくには関係ないことだったね。どうせ今だけなのだし、生徒として教師と仲良くしておくに越したことはない。アキが誰かを嫌いになる訳もないのだし……アキ・ポッターは誰に対しても平等だ、残酷なまでにね。流石に人狼についての授業をあいつがした時には、結構怒ってはいたようだけどもね。クラスの空気もあいつへの呪詛で渦巻いてたし、リーマスも良い生徒を持てて幸せなんじゃない?」
「……生徒と言えば、だ。、君も知っているだろうが、少し前の授業でまね妖怪ボガートを扱った」
「うん、知ってるよ」
アキ・ポッターの目の前でまね妖怪が変身した姿は、ハリー・ポッターの死体だった」
「…………」

 彼は両手の指先を合わせると、目を細めて視線を本棚の辺りに向けた。
 リーマスは少し責める口調で言う。

刷り込みすぎ、じゃないか? 確かに『ハリー・ポッターを守る』ことこそが至上の目的だけれども、アキ・ポッターはただの十三歳の少年なんだよ? この数ヶ月アキを見てきたけれど、友達と楽しくはしゃいで騒いで、楽しそうに日々を過ごしていた……年相応の少年らしかった。そんな彼が一番怖がるものが『ハリー・ポッターの死体』だなんて──」
アキ・ポッターは操り人形に過ぎない。目的を達成するために、ハリー・ポッターに近しい人間である必要があった。ハリー・ポッターの弟、その役職が欲しかっただけだ」

 冷ややかな声で、彼は淡々と口ずさんだ。ちらりと視線をリーマスに向けた彼は、リーマスの表情を見て薄く笑う。

「どうしたんだい、その顔は? アキ・ポッターに同情でもしたの? 可愛い可愛いお人形さんに過ぎないあの子に」
「……いや。そうだったね」

 ゆるやかにリーマスは頭を振って目を伏せた。そんなリーマスに、彼は少し言葉を切ると続ける。

「……この身体の主人格はアキ・ポッターだ。確かに少々刷り込みが強かったことは認めるよ……でも、最終的に判断するのはアキだ。ぼくは、彼の意志までは操ることはできない。……それを言うなら、この身体は実に不便なものさ……」

 言いながら彼は左手を広げた。何度か感触を確かめるように、軽く握ってもう一度広げる。

「ぼくは、アキ・ポッターの考えていることや、触れている感触、味わっている味覚、感じている嗅覚、それに痛みまでは感じ取ることができない。ぼくが分かるのは、彼が見たものと聞いたもの、それだけだ。ぼくがアキ・ポッターを思想的に操ることはできない……夢の世界でならばできるのかもしれないけどね。やったことないけど」
「……アキが考えていることは、君に筒抜けという訳ではないのかい?」
「だから不便だと言ってるんだよ。別に、アキ・ポッターのプライバシーに配慮した訳ではないんだけどさ。だから、アキがいくらブラコンのお兄ちゃん大好きっ子だとしても、ぼくはそれに関しては一切ノータッチだ。刷り込みが少々おかしな方向に感化したのかもしれないけど……まぁ、ぼくが見たもの聞いたものは、アキ・ポッターには伝わらないことになってるけどね」

 ふぅん、とリーマスは頷いた。
 小さく息をついた彼は、思い出したかのように紅茶に手を付ける。
 しばらくぼんやりと本棚の書物を眺めていた彼だったが「そう言えば」と口を開いた。

「あと一個、言い忘れてた。アキに言ってあげて。あいつが守護霊を作り出すことができないのは、今までまともな『幸福』を味わったことがないからだって」
「……まともな幸福を味わったことがない? それはどういう……」
「言っておくけど、ぼくのせいじゃないからね。ハリーとアキが育った環境は本当に酷いものだった……あんなところで幸福なんて味わえるものか。心を守って、何とか楽しいと思えるものを見つけ出すのが精一杯だろうさ。でも今のままでもほぼ実体に近いものは作り出せるし、成長すれば器も大きくなる。それに、いざとなればぼくが代わるから問題はないと思うよ」

 そこで、彼は小さく眉を寄せると「っく」と軽く呻いた。頭を押さえ、ソファに腰掛け直す。

「そろそろ時間かな……久しぶりにリーマスと話せて良かった。アキ・ポッターによろしくね……後、しばらく気を失うと思うんだけど、起きるまでそっとしておいてあげて……夕食までに起きなかったら厨房から何か持ってきてあげてね。君、得意でしょ?」
「学生の頃から一体何年が経ってると思ってるんだい……分かったよ。アキのためだからね、善処しよう」

 リーマスの言葉を聞き、彼は安堵したように微笑んだ。目を閉じるとソファにストンと倒れ込む。
 彼に近寄ったリーマスは、そっと呼吸を確かめた。彼の呼吸が眠っている時と同じ穏やかなものだと分かると、呪文で毛布を呼び寄せ、少年の身体に掛けてやる。

「……

 そっと彼の名を囁き、彼の前髪を掻き上げた。少年の額に浮かんだ汗が手に触れる。
 よく見ると、尋常じゃない汗を掻いているようだ。汗の粒が首筋に浮かんでいる。
 小さく息を呑んだリーマスは、固く握り締められた右手に触れるとそっと指を解いた。

 きっと苦痛だったのだろう。時間制限があると言っていた。リーマスの前では余裕げに振る舞っていたものの、実際はどれほどの苦痛がこの小さな身体を苛んでいたのだろうか。

 静かに眠る少年の手を取ると、両手で包み込む。
 リーマスはしばらく、そのままでいた。





 目を覚ました瞬間、ぼくは慌てて起き上がった。辺りを見回す。
 ここがリーマスの研究室であること、自分がソファで眠り込んでいたことに気付き、さぁっと血の気が引いた。
 ……もしかしてぼく、眠っちゃってたの?

 慌てて時計を見ると、あろうことか入室した時間からたっぷり三時間は過ぎているようだ。外はもう宵闇に染まり、大広間では生徒達が揃って夕食を取っている最中の時間。

 ……嘘だろ、おい。確かに最近疲れてたけどさ……こりゃあんまりだよ。
 自分の身体には毛布まで掛けられている。うっひゃあ。

「おや、目が覚めたのかい?」
「あっ、先生! すみません、ぼく、いつの間にか眠っていたらしくって……」

 らしくって、じゃねえよ、実際寝てたんだよ。
 リーマスは笑うと「疲れが溜まっていたんだろう。それに『守護霊の呪文』の練習で追い詰めてしまったようだね。糸が切れたように眠り込んでしまったよ」とぼくに言う。

「……え、と、じゃあ、守護霊の練習はしたんですか?」
「おや、覚えてないのかい?」

 全然、全く、さっぱりと。
 首を振ると「まぁ眠る直前のことは覚えてないことも多いからね、気にすることはない」と頷かれた。うぅ、リーマスが優しい。

「……えと、ぼく、ちゃんとできてましたか?」
「そうだな……じゃあ、もう一度見せてくれるかい?」

 リーマスの言葉に頷き、ぼくは杖を取り出した。

Expecto Patronum守護霊よ来たれ

 呪文を唱えると、杖先から明るい煙が飛び出した。それはやがて見慣れた形──ふくろうの姿になると、ゆったりとリーマスの研究室を一周し、やがて空気に溶けるように消えていった。

「……え? ふくろう……」
「え?」

 リーマスの驚きまじりの呟き声に、ぼくは思わず目を瞬かせる。
 ……さっきまでぼくはここで、守護霊の呪文の練習をしていたんじゃないのか? ぼくは覚えていなかったけど……。
 なら、リーマスは一体何に驚いているのだろう?

「……あ……何でもないよ、ごめんね」

 リーマスはパッと手を振り笑顔を見せた。何かを誤魔化す時のリーマスの癖だ。
 ……リーマスは今、何を誤魔化した?

(ぼくは今、何を誤魔化された?)

 しかしリーマスが続けた言葉に、ぼくの考えは邪魔されてしまった。

「とにかく、今の時点では文句なしの出来栄えだ。でも君にはまだ不満があるみたいだね?」
「あ……そうなんです。熟練した魔法使いなら吸魂鬼ディメンターの前だとしてもきちんとした実体のある守護霊を作り出せると聞いていて……幸せな記憶を全力で想ってるんですけど、なかなか上手くいかないんです」

 一体どうしてだろうなぁ? 幸せ度が弱いのだろうか。アクアの微笑みじゃまだ足りないとでも言うのか、全く。天使の微笑みだぞ?

 リーマスはじっとぼくを見つめていたが、あろうことか「へぇ。なら、君が今思っている『幸せな記憶』について私にも教えてくれないかな?」と言うではないか。

 えっ? と咄嗟に顔が赤くなる。慌てて顔を伏せたものの、リーマスには気付かれてしまったようだ。「えー? 何々、どういうことかなー? どうして赤くなってるのかなー?」と、今度はこれまでとは違った笑顔でぼくに詰め寄ってくる。先生やめてください。

「ま、そう焦ることはないさ。例え霞のままでも、近くの距離の吸魂鬼ディメンターであれば追い払うことは可能だからね。それに、私やダンブルドアもいる。もっと周りの大人を頼ってくれよ」

 そう言われて反省する。確かにぼくは人を頼るのが苦手だ。何でだろう、いざという時に『大人に頼る』という選択肢が見えなくなってしまう。
「はい」と小さな声で頷いたぼくの肩を、リーマスは軽く叩いた。

「それに、お腹が空いただろう? 時間を取らせてしまったからね、食べなさい」

 リーマスは言いながら、テーブルの上に次々と料理を運んできた。ミートパイにサンドイッチ、かぼちゃジュースにマッシュポテトにケーキ。わぁっとぼくは目を輝かせた。同時にお腹がぐぅと鳴る。

「それじゃあ遠慮なく、いただきます!」

 どれもこれもぼくが好きなものばかりだ。ありがとうございますと礼を言うと、リーマスは頭を掻いた。

「……好みは、あいつと変わらないんだな……」
「ん? 何か言いました?」
「何でもないよ。さぁ、どんどん食べなさい。……ところでさっきの『幸せな記憶』の続きだけれど」

 ごふっ、とかぼちゃジュースを飲んでいたぼくの喉が妙な音を立てた。リーマスは相変わらずの笑みを浮かべてぼくを見ている。

 ……くっそぉ、この頑固そうな笑顔。絶対口を割らせる気だな。
 ぼくは諦めてため息をついた。

「……内緒ですよ?」

 夜は、静かに更けていく。



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