「え? あぁ、断ったわよ、普通に」
平然とそう言い放ったリリーに、ぼくとセブルスは揃って胸を撫で下ろした。
ダンスパーティー──の、翌日の話だ。
リリーはぼくらが切り出すまで、ジェームズから告白されたことをすっかり忘れていたらしい。今までドキマギしていたぼくは一体何だったんだ。
……ん? 胸を撫で下ろした?
一体どうしてぼくが、リリーとジェームズが付き合わなかったと聞いて安心する必要があるんだ、リリーに片想いしているセブルスじゃあるまいし。きっと気のせいだろう。隣のセブルスに影響されたんだな。
「大体ねぇ、告白されたからってそうひょいひょい付き合うほど、私は軽い女じゃないのよ。あなた達二人が分かってくれてなかったなんて、ちょっとガッカリだわ。……大体ね。自慢じゃないけど私、告白くらいなら何度もあったわよ」
「えぇっ!?」
「……秋のその反応、たまにムカつくわね」
「ご、ごめん、別にリリーがモテなさそうとか、そういう意味じゃなくてだよ……」
腕を組んだリリーは口を尖らせる。
そりゃ、リリーは可愛い……友人の贔屓<ひいき>目かもしれないけれど、学年でも三本の指に入るんじゃないだろうか。いや、学年の女の子全員を見比べた訳じゃないから何とも言えないんだけど……それに性格もいいし、優しいし、いい意味でさっぱりとした女の子だし、ぼくとしては大変魅力的な女の子だと思うし……何考えてんだろ、ぼく。
……でも、今まで四年間一緒にいて、そういう雰囲気をあんまり感じたことがなかった──というかぼくとセブルス以外の男の影を感じたことがなかったから、なんとなくリリーと恋愛とを結びつけて考えようとはしなかったんだろうなぁ。
「いーい? 少なくとも私は、誰か他の男の子と付き合うよりも、あなた達二人と一緒にいる方が、ずっとずっと楽しいの。……そのくらい、分かりなさいよ」
リリーがちょっとつっけんどんな口調で言う。照れているのだ。可愛いなぁ。
「……なら、ぼくがリリーに告白したら、リリーは付き合ってくれる?」
ぼくは何の気なしにそう尋ねた。
ぼくの質問に、リリーは面食らったようだった。しばらく口を開けてぼくをポカンと見つめた後、頬を赤く染め「……えっ?」と声を漏らす。そんなリリーの反応で、ぼくも自分の失言をやっと自覚した。
「あっ、うわ、えっとその、たとえ話! たとえば、の話だから!」
うわっ、恥ずかしい! 何だ今の!
ぼくの慌てぶりを見て、リリーはくすりと笑った。
「たとえば……そうね……」
そして──普段の勝ち気な表情とはまた違った、何と言うか──凄く穏やかでふんわりとした微笑みを浮かべて、
「……秋なら、大歓迎かな」
……その表情に、何故だか胸の動悸が激しくなった。
リリーが真っ直ぐ、ぼくの目を見つめて告げたからかもしれない。
「……リ「エバンズ! エバンズじゃないか! 奇遇だね全く! いやいや運命かもしれないね!」
唐突に、ジェームズがぼくの言葉を遮って乱入してきた。先程まで漂っていた妙な雰囲気というか、居心地の悪い空気は霧消する。しかし胸の動悸は悪い意味で激しくなった。
「……ポッター、一体何の用?」
さっきの笑顔は夢か幻か、眉を寄せ不機嫌そうに顔を歪めるリリーに構わずジェームズは「いやいやいやいや!」と叫んでいる。
「運命の人に出会うのに、用事なんているものか! リリーに会うためならば、そこがたとえ火の中水の中魔法薬の中だとしても全力で飛び込み君の王子様になろうじゃないか! あぁ、さぁリリー! 僕の胸の中に飛び込んでおいで!」
「全力で遠慮させていただくわポッター、あと気安くファーストネームで呼ばないで」
「あぁ! 怒った顔も素敵だよリリー!」
「私、言語が通じない方と楽しくお喋りする暇はないの。消えてくれないかしら」
「僕の女神は手厳しいね! 分かってはいたけどね!」
リリーは眉間を押さえてため息をついている。
とそこでセブルスが、リリーを守るようにジェームズに一歩進み出た。
「ポッター、彼女が嫌がっていることすらも分からないのか? 大体君は昨日振られた筈だろう。とっとと傷心して自分の巣へと大人しく引っ込んでろ」
「ふん、一回振られたくらいで諦めるほど生温いような恋とは無縁だよ、僕は。自分の気持ちを相手に伝えることすら出来ない、骨付きチキンのスリザリン野郎とは違ってね」
ジェームズとセブルスは、しばし無言で睨み合った。
「……しつこ過ぎてリリーに平手を喰らった貴様は、流石言うことが違うな。更に嫌われる行為だと自覚していないところが甚だ不愉快だ。あぁ、僕はリリーのことをずっとファーストネームで呼んでいる訳だが、この辺りも低俗で鳥頭なグリフィンドール野郎とは格が違うと言うべきか?」
「出会ったのが少しぐらい早かったからって調子に乗るなよスネイプ。それだけ長い間すぐ近くにいて女の子の心一つ奪えないだなんて、君の方こそ格が違うと言っているんだよ童貞野郎」
「……礼儀がなっていないと見える。貴様の親は一体何を教えていたのだろうな、貴様みたいな奴が同じ学年にいるだなんて吐き気を催すレベルだ」
「なんだいその何日も風呂に入っていないような脂ぎった頭は? 君こそ親からまともな身だしなみを教えてもらっていないに違いない。そんな頭で人前に出られるなんて、僕としては考えられないな」
「……ポッター!」
「セブルス!」
杖を抜きかけたセブルスを、ぼくは声で制した。
「相手の挑発に乗る必要はない。……ジェームズ、何か用があるんだろ?」
ジェームズを見据える。ジェームズはにやりと笑ってぼくを見返した。
「さっすが、秋は鋭いねぇ。それでこそ僕が見込んだ男だよ。……魔法魔術大会本戦のトーナメントを発表するらしい。今から来てくれないか?」
「……分かった、行こう」
ジェームズは踵を返して歩き出す。ジェームズの後ろに従いつつ、ぼくはちらりとリリーとセブルスを振り返った。
◇ ◆ ◇
ぼくがその声を耳にしたのは、山積みの宿題と予習復習もなんとか終わり、僅かながらの余暇に息をついた頃だった。
レイブンクロー談話室の暖炉のすぐ傍のふっかふかな肘掛け椅子に埋もれてつつ、勉強とは何ら関係のないエンタメ本を開く。うぅん、これぞ至福の時間。
書痴とは言わないまでも、ぼくも他のレイブンクロー生の例に漏れず本好きだ。日々の勉強のしんどさに、現実逃避しようと何度本を手に取りかけたか分からない。本を読みたい欲求をぐぅっと抑え込んでやるべきことをやった後、ご褒美として自分に読書を許可する。こうすると、早く本を読みたい一心で勉強に集中し、短時間で終わらせることができるのだ。ふふん、ぼくってば策士。
「……ん?」
勉強机が並んでいる辺りが、何やらざわざわと騒がしい。あの辺りは確か、三年男子が固まって座っていた気がする。何か揉め事だろうか?
その時、ぼくが座っている肘掛け椅子まで、同部屋の友人レーン・スミックが駆け寄ってきた。
「アキ、いた! ねぇ、ちょっとあの二人を止めてくれよ! 僕じゃ無理だよ……」
「あの二人って?」
……うーん、なんだか嫌な予感がする。
そしてぼくの『嫌な予感』は大抵当たるのだ。
予想通りというか何と言うか、レーンは「アリスとウィル!」と言ってはお手上げとばかりに肩を竦めた。
「……仕方ないなぁ」
あーあ、ぼくの平穏な読書時間よ、グッバイ。
「おやおやうるさいなぁ、一体どうしたの?」
「アキ!」
どうやら向こうではちょっとしたケンカ──というか、議論になっているようだ。
オロオロとしていた数人が、近付いてきたぼくの姿に目を輝かせた。自然と人の波が割れ、ぼくの前に道ができる。
「年表見て確かめたのかよお前は! なら少しは気付いてもおかしくねぇんじゃねぇの?」
「これだけの情報でそう判断するのは危険だって言ってんだよ!」
「何揉めてんの、君達は」
腰に両手を当てて二人に声を掛ければ、二人は揃ってぼくを振り返った。と思うと「ちょうど良かった、アキ!」「お前もちょっと来い!」と腕を引かれ、一瞬で机の前に引っ張り込まれる。
「……一体何さ……」
ぼくは首を傾げつつ、机に広げてある教科書やノート、書きかけのレポートやその他様々な参考資料に目を走らせ──思わず黙り込んだ。
広げられているのはどれも、前回の授業でスネイプ教授が出したレポート──『人狼の見分け方と殺し方について』の資料だ。ご丁寧にも『白銀の球→月?』なんて走り書きまである。この几帳面な字はアリスか。
どうやら嫌な予感が当たってしまったらしい。教授も迂闊だ……全く。
「この四ヶ月、月の満ち欠けとルーピンが授業はおろか大広間にも姿を見せない時期が関係してる。これはやっぱり……」
「だからそれだけでそう疑うのは気が早いって言ってんだろ、アリス!」
うぅ、やっぱアリスの勘、鋭過ぎる……。
ぐるりと談話室内を見回せば、アリスの言葉に触発されたであろう数人が、自分でも天文学の年表を開いて確認していた。こうなってしまえばアリス一人に釘を刺しても無駄だろう。
ならば────
(ごめん、リーマス!)
心の中で思いっきりリーマスに謝っておく。レイブンクローの洞察力の前には、リーマスの秘密も形無しだ。
「……聞いてくれ、皆」
ぼくの言葉に談話室中が静まり返った。そこまで大きな声は出していない筈なのに、同級生はおろか、先輩や後輩までもがぼくに視線を向けている。うっわあ責任重大。
「これから話すことは、絶対に絶対に、この寮での秘密にして欲しい。『計り知れぬ英知こそ、我らが最大の宝なり』──ロウェナ・レイブンクローの名の元に誓ってくれないか。誓ってくれたならば、ぼくの知る全てを君達に話そう」
「お前は何を知ってるっていうんだ?」
「君よりかは遥か多くのことを知ってると思うけどね、アンソニー」
ニコリと微笑み名前を呼ぶと、アンソニー・ゴールドスタインは少し怯んだようだ。
さぁ、とぼくは言う。
「誓えないものは、ここから出て行ってくれ」
立ち去る者は誰もいなかった。周囲を見回し「じゃあ、この寮だけの秘密にしてくれるということだね」と頷く。
「あぁ、あらかじめ言っておくけど……もし寮外の人に話した場合──これは家族や親戚も含むよ──この情報を漏らした場合はどんな目に遭うか……ぼくのことを知っている人間であれば、簡単に想像がつくことだろう。二度と人前に出られない顔になりたくなければ、他言無用でお願いする」
ちゃんと脅しもつけておく。
「じゃあ……アキ。本当だと言うのか?」
アリスは、半ば睨みつけるような射抜く瞳でぼくを見ていた。全く、君は目付きが悪いんだから、そんな目でぼくを見ないでよね。ちょっと身が竦むじゃないか。
「あぁ、そうだ」
一人が気付けば、近くの人間にその考えを打ち明け「どう思う?」と尋ねる。そういう議論の土台が、既にレイブンクローには築かれている。
一人の知識は皆のもの。この文化は他寮には決してない、レイブンクロー特有のものだろう。
静かに、ぼくは告げた。
「お気付きの通り──リーマス・ルーピンは、狼人間だ」
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