破綻論理。

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「ほらっ、セブ、急がないと遅れちゃうわよっ！」

「君が言うな」との言葉を、セブルス・スネイプはすんでのところで飲み込んだ。

　本日最後の授業は、グリフィンドールとスリザリン合同の魔法薬学だった。
　魔法薬学を担当するホラス・スラグホーン教授は、セブルスが在籍するスリザリン寮の寮監でもある。魔法薬学の知識も豊富な素晴らしい先生なのだが、そんな彼にも欠点が一つある。リリー・エバンズをお気に入りの生徒として可愛がりすぎるのだ。

　勿論、恋愛的な意味ではない。リリーが魔法薬学でとびきりの才能を見せているのは事実だし、加えてあの可愛らしい容姿にさっぱりとした性格だ、惚れない人間などいないだろう。男子女子問わず万人に人気があるのが、自らの幼馴染であるリリー・エバンズだ。
　しかし、それにしても授業終了後にリリーを相手にずっと語っているのはいただけない。しかも今日の放課後は、セブルスとリリー双方の親友である幣原秋が出場する魔法魔術大会の準決勝戦があるのだ。

　試合を見に行くことは、リリーとわざわざ打ち合わせずとも決まっていた。リリーを待つことを不自然に思われないように、殊更ゆっくり魔法薬の片付けをしていたというのに、まるでセブルスが遅いことを責めるかのようなその台詞はいただけない。

「本当、秋って凄いわ！　まさか上級生にも互角に戦えて、そして勝っちゃうなんて！」

　大広間へ行く道すがら、リリーが楽しげに話しかけてくる。それに相槌を打ちながら、セブルスは時計を見た。後二分。
　歩く速度を早めると、慌ててリリーが隣に並んだ。

「……今日も、勝てばいいね、秋」
「……あぁ」

　大きく頷いた。
　大広間に到着したのは、ちょうどフリットウィック教授が「尊い騎士道精神に基づき、正々堂々闘ってくださいね」と口上を述べている頃だった。観客はかなり多く、用意された座席以上に人がいて、立って観戦している人もちらほら見受けられる。

　リリーはセブルスの手を引いて、すいすいと人混みの中を抜けていった。人に躓（つまず）きそうになりながらもなんとかついていく。
　対戦相手──パスカル・スマイサーと距離を取り、向かい合って杖を構えている秋は、目を閉じ集中しているようだった。人の目を気にしがちな秋は、しかし集中すると観客など見えなくなるらしい。実に、自由にのびのびと魔法を使っているようだった。

「行きますよ──いち、に──さん！」

　フリットウィック教授の掛け声で、決闘が始まった。
　本戦の準決勝ということもあり、かなりレベルが高い。無言呪文などまずもって四年生ができるような代物ではないのだ。それを連発するなんて以ての外。それを、秋は平然とやってのける。
　──敵わないなと苦笑した。

　魔法の火花が飛び散るたびに、辺りからはどよめきが起きる。観客席は魔法で守られているものの、魔力が自分達の方に飛び散るたびに悲鳴が上がった。
　こうして観客席から見る限り、秋とパスカル・スマイサーはほぼ互角の戦いをしているようだった。お互い余裕のない表情でじりじりと呪文を打ち合っている。秋の魔法は通常の魔法使いの何倍も強いものだが、流石六年生の代表だけのことはある。スマイサーも上手に受け流し、秋の隙を狙って細かく呪文を放っていく。

　声が聞こえる。壇上で戦う二人を応援する、観客の声が。スマイサーの名前と秋の名前。どちらの声が大きいか、セブルスに区別は付けられなかった。
　秋を応援してくれる人がいる。そのことが、セブルスはどうしようもなく嬉しかった。

　最初は、自分が守ってやらねばという思いからだった。
　皆からの悪意に晒され、傷つき倒れそうな少年。自分が支えてあげなければ、彼はそのまま倒れ込んで、動かなくなってしまいそうだった。
　秋に手を差し伸べるような人間は、あの時はリリーの他に自分しかいなかった。だから手を差し伸べた。
　秋を見ていられなかったから。秋を助けられるのは、リリーと自分しかいないと思ったから。

　それが──歳月が経ち、あんなに儚げだった少年は、今こうして堂々と舞台に立っている。周囲から潰される原因となった魔力を良い方向に使えるようになり、誰からも評価されるようになった。そんな秋の成長が、何よりも嬉しかった。

　他人を見てこんなに暖かい気持ちになるのは、初めてだった。
　これからずっと、秋とリリーと自分、三人で生きていけたなら──
　らしくもなく、そんな夢物語を夢想するくらいには。

「……ねぇ、セブルス」

　しかし、そんな思いは、あまりにもあっけなく破壊される。

「ん、何だ？」

　隣にいたリリーは、小さく頭を振ると、ゆっくりとセブルスを見上げた。

「あのね」

　囁くような声が、セブルスの鼓膜を震わせる。僅かに潤んだ瞳を直視できずに視線を下げた。


「私ね──秋が好き」


　──辺りの喧噪が、一瞬にして消え去ったかのよう。
　頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなる。
　キインと、脳味噌の内側に響く耳鳴りを感じた。

「……え」

　ただセブルスは、間抜けな声を漏らすのが精一杯だった。
　リリーは照れたような笑いを浮かべ「……何、その顔は」と、セブルスの額を軽くつついた。反射的に額を押さえる。

「……す、好き、とは」
「もう、言わせないでよ、セブったら意地悪ね。……秋が好き」

　呼吸すら忘れていたことに、ようやく気付いた。
　吸う。吐き出す。吸う。吐き出す。
　落ち着け、落ち着け落ち着け落ち着け。
　動揺を悟られるな。絶対に気付かれるな。
　目の前の彼女だけには、知られるな。

「……そうか」
「……うん」

「応援するよ」という言葉は、確かに自分の口から零れた筈なのに、どうにも自分の声だとは思えなかった。

　僕は何も驚いちゃいない。
　僕は何も動揺しちゃいない。
　僕は何も感じちゃいない。
　僕は、何も────

「……秋はいい奴だからな。あんまり、あいつに迷惑かけるなよ」

　──僕は、何を恨めばいいのだろう。
　何を悔やめばいいのだろう。
　何を、憎めばいいのだろう。
　リリーも、秋も、二人とも自分にとって、確かに大事な友達で……。
　大事な、友達で……。

「あぁっ、秋っ！　……はー、良かった……」

　…………友達？
　友達って、何だっけ？
　寮も違う。思想も違う。それなのにどうして僕は二人と馴れ合っているんだ？
　お前の隣にいる少女は、マグル生まれの『穢れた血』だ。
　お前の視線の先にいる少年は、ほんの三年前に手に余る魔力を暴走させ、クラスメイト数人に重傷を負わせた奴だ。

　──それだけじゃない。
　秋は以前、セブルスの思想を完全に否定した。受け入れたくもないと頑として認めはしなかった。
　理解ができなかった。秋ならば合理的な方を選ぶと信じ切っていた。まさか「嫌なものは嫌」と感情論に走るとは。やはり分からない。分かり合えることはないのだ。

　……何故、自分はグリフィンドールの少女の隣にいるのだろう？
　入学してからずっと、寮ぐるみで対抗心を燃やしてきた。ライバル、など生温いものじゃない。グリフィンドールはスリザリンにとって『敵』なのだ。
　しかも彼女の両親はマグルだ。自分達が憎んで仕方のない『穢れた血』。
　穢れた血は魔法界には必要ない。むしろ邪魔なものでしかない。

「わぁっ、ねぇセブ、今の見た？　秋、すっごいわね！」

　その時、リリーがセブルスの制服を掴んだ。我に返りリリーに視線を向ける。リリーは同意を求めるかのように、目を細めてにっこりと微笑んだ。
　その笑顔にどうしようもなく心臓が跳ねる。言葉にならない複雑な感情が、胸中で嵐のように荒れ狂う。

「……あぁ……そうだな」

　そう、言葉を返すだけで精一杯だった。

　気付けば試合は終わっていた。
　魔法魔術大会本戦準決勝、第二試合。
　勝者──レイブンクロー寮四年生、幣原秋。
　敗者──ハッフルパフ寮六年生、パスカル・スマイサー。

　秋を見に来た筈なのに、ずっと見ていた筈なのに、セブルスは試合の内容を思い出すことができなかった。

　

　　◇　　◆　　◇

　

　……やらかした。
　それがぼくの忌憚ない正直な意見だった。もうアクアの顔をまともに見られない。魔法薬の大鍋に頭から突っ込みたい。教授の研究室を訪問した際は、突発的に大鍋に頭から飛び込もうと……血相を変えた教授に止められていなかったら、一体どうなっていたことか……あううう。

　そしてリーマス。クリスマスシーズンと満月が重なったのはなんだか不憫だった。教授に命じられ、ぼくはリーマスの元へとせっせと薬を届けたのだが……よくよく考えるとぼく、教授に良いように使われてるな？　ぼくを緩衝材にしないでくださーい。
　やつれたリーマスは、それでもぼくの訪れを歓迎しては、ハニーデュークスのお菓子詰め合わせセット（クリスマス仕様）をプレゼントしてくれた。

　残りのクリスマス休暇の期間は、ぼくは主にハーマイオニーと図書室でバックビークの裁判のための準備と勉強で時間を潰した。ハーマイオニーはぼくの態度からすぐさま何かを察したようだ。ぼくはハーマイオニーにアクアとのあれそれをあらかた白状させられてしまった。……閉心術でも学ぼうかとぼくは真剣に考えている。

　ハーマイオニーも徐々に疲れが見えるようになり、最近はピリピリとする時間が多くなった。先日はそれでハリーやロンとも喧嘩をしたらしい。
　ロンはともかくハリーは珍しいなと思っていると、後日ハリーから詳細を聞くことができた。なんでもハリー宛のクリスマスプレゼントに無記名でファイアボルトが送られてきたらしく、喜ぶハリーとロンを尻目に、ハーマイオニーはファイアボルトがシリウス・ブラックからの贈り物なのではとマクゴナガル先生に進言したのだと言う。マクゴナガル先生にファイアボルトを没収されたと、ハリーは大層嘆いていた。……うぅん。

　加えて、ハーマイオニーが飼っているクルックシャンクスが、ロンのペットのスキャバーズを食ってしまったのだとか……そんなあれそれもあり、グリフィンドール仲良し三人組は今ギスギスしているらしい。

　ハリーはハーマイオニーが最近怒りっぽいのを不思議に思っているようだ。それも、逆転時計（タイムターナー）の影響なのは間違いない。時をこうも頻繁に遡っていては、頭がおかしくなってしまう。
　人間は、時という何者にも勝る叡智の前では、ただただ流されるしかないのだろう。弄ったりなんてもっての外（ほか）だと身をもって学べただけでも……良くはない。成長期なのに睡眠時間が確保できずにぐっすりと眠れないのは弊害だ。関わってくるだろう、何とは言わないまでも。

　という訳で、クリスマスが明けた新学期。最近の占い学は、ぼくにとって絶好の睡眠時間だった。いくら目を凝らして水晶玉を見つめようとも、どうせ何も見えっこないのだ。ならば目を開けていようが閉じていようが一緒じゃないか……むにゃむにゃ。

「いい加減にしてよ！」

　ハーマイオニーの大声でぼくは目を覚ました。アリスも眠たそうな目を瞬かせて顔を上げる。

「また、あのバカバカしい死神犬（グリム）じゃないでしょうね！」

　トレローニー先生は無言でハーマイオニーを見、すっくと立ち上がった。驚いた、この先生がこんなに機敏な動きを見せることがあるなんて。

「まあ、あなた。こんなことを申し上げるのはなんですけど、あなたがこのお教室に最初に現れたときから、はっきり分かっていたことでございますわ。あなたには『占い学』という高貴な技術に必要なものが備わっておりませんの。全く、こんなに救いようのない『俗』な心を持った生徒に未だかつてお目にかかったことがありませんわ」

　トレローニー先生の言葉に、クラス中が沈黙に包まれた。

「結構よ！」

　ハーマイオニーは金切り声で叫ぶと、ガタンと乱暴に立ち上がった。ハーマイオニーが座っていた椅子が後ろ向きに勢い良く倒れ、床にぶち当たり大きな音を立てる。それを気にも留めずに、ハーマイオニーは教科書を勢いよくカバンに詰め込んだ。

「結構ですとも！　やめた！　私、出ていくわ！」

　そしてその一体教科書が何冊入ってんだと言わんばかりにパンッパンにはち切れそうなカバンをグイッと掴むと、ハーマイオニーは跳ね上げ戸を蹴飛ばし、はしごを下りて出て行った。

「……すっげぇな、あの才女様」

　アリスがクツクツと笑っている。ぼくも他の生徒達と同じく呆然としていたものの、今日の逆転時計（タイムターナー）はハーマイオニーが持っていたことをハッと思い出し、立ち上がってはパッと手を挙げた。

「先生！　急な腹痛と頭痛と歯痛に襲われたので、医務室に行ってきます！」

　先生の返事も待たずに、ぼくははしごを飛び降りた。荷物をカバンに詰める暇なんてなかったものだから、教科書も手に持ったままだ。

「ハーマイオニー！」

　ぼくの声に振り返ったハーマイオニーは、涙が零れる三秒前みたいな顔をしていた。流石に廊下で泣かれるのはまずいと、慌ててハーマイオニーの手を引き空き教室へと入る。教室の扉を閉めた瞬間、ハーマイオニーはぼくに縋って泣き出した。

「あーあーあー……うん。お疲れ、ハーマイオニー」

　落ち着かせるようにハーマイオニーの肩を撫でる。

「ちょっと抱え込み過ぎちゃったんだね。あーっと……まぁ、思いっきり泣いたらスッキリするよ。そしたら顔を洗って甘いものでも食べようか。次の時間は数占い学だっけ……ぼくらは皆勤だし、一回くらいサボっても何とかなるよ」

　こくり、とハーマイオニーは頷いた。

「頑張るのもいいけど、気を抜くのも大切だよね。大丈夫、君は一人じゃない。ぼくがついてるよ。ハリーとロンだってきっと、君の力になりたいと思ってるんだ」
「……ごめんなさい」
「ぼく、謝られるようなことしてないよ。どうせもらうのなら、謝罪の言葉よりは感謝の言葉の方がいいな」
「……ありがとう、アキ」

　どういたしまして、とぼくは微笑んだ。

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