破綻論理。

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空の記憶

第25話 自覚First posted : 2014.08.14
Last update : 2023.03.31

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 準決勝、第一試合。
 グリフィンドール七年生代表ライ・シュレディンガー対グリフィンドール四年生代表ジェームズ・ポッター。
 前試合でのぼくとレインウォーター先輩のように、奇しくも同寮の先輩後輩対決となってしまったこの試合は、わずか十五秒で幕を閉じることとなる。

 勝者──グリフィンドール寮七年生、ライ・シュレディンガー。
 敗者──グリフィンドール寮四年生、ジェームズ・ポッター。

 まさしく一瞬、これぞ瞬殺。
 後輩だからとか同寮だからとか、そんな情けや容赦を微塵たりとも見せることなく、シュレディンガー先輩はジェームズを完膚なきまでに叩き潰した。





 負けたジェームズに、ぼくは何と声を掛けたらいいか分からなかった。
 その気持ちはシリウスやリーマス、ピーターも同じらしい。観客席で一緒に応援した後、ジェームズを迎えに舞台裏で待つ間も、口を開く者は誰もいなかった。

「……ジェームズが、まさか負けるなんてな」

 最初に沈黙を破ったのはシリウスだった。

「考えたことなかったよ。あいつが負けるところなんて」
「……でも、負けた。あれが実力の差であり、そして……学年の差、なんじゃないかな」

 そう発言したのはリーマスだ。

「ジ、ジェームズはまだ四年生なんだし……そんな気を落とすことはないというか……むしろ、ここまで勝ち上がったことを称えるべきだと……僕は思うな……」

 おずおずとピーターも呟く。
 ぼくはそんな彼らの会話に入らずに、ただじっと、先程の試合の十五秒間を思い返していた。

 シュレディンガー先輩が杖を振ったあの瞬間に、全てが決まっていた。ジェームズが油断していた訳じゃない。むしろ思いっきり警戒していただろう。ジェームズは、真剣である時ほど笑って臨む人だから。
 そんなジェームズが、呪文の一つもまともに通せず、あっさりと負けた。

「…………」

 魔法使いの決闘は、お互いの手の読み合いから始まる。特に本戦では、誰もが無言呪文を使ってくるから、次にどんな系統の魔法が来るかを見極めることはとっても重要だ。反対呪文で打ち消すか、防御呪文を展開させるか、はたまた力ずくで押し通すか、選択肢は多い。
 打ち消された後、直後にどれだけの威力の魔法式を組めるかも大切だ。状況を見極めるクレバーさと、何事にも動じないニュートラルで柔軟な思考回路。この二つが不可欠となる。
 ライ・シュレディンガーは、そのどちらともを手にしている。

「……………………」

 レインウォーター先輩に使ったような目くらましは、あの人には絶対に通用しない。じゃあ、一体どうすればいい? どんな手段で、あの人に立ち向かっていけばいい?

 ──勝利のビジョンが、全く見えない。
 ……勝てっこない。
 ジェームズがあんなにもあっさり負けた相手だぞ。勝てる訳がない。

「……? !」

 名前を呼ばれて、ぼくはハッと我に返った。見ればピーターが心配そうな表情でぼくを見ている。

「……大丈夫? 思い詰めてるような顔をしてたけど」
「……あぁ、うん。大丈夫だよ」

 無理矢理笑ってみせた。ピーターから目を逸らす。

 ──勝ちたい。でも、無理だ。
 ジェームズを倒した相手に、ぼくなんかが勝てる筈ないじゃないか。
 ここまで来られたのも、ただ運が良かったからだ。最後の四人に残れたんだぞ? それだけでも凄いことだよ。

 その時、こちらに近付いてくる足音が聞こえた。ジェームズかと、ぼくらは近付いてくる相手を待ち構えたものの──違った。

「…………っ」

 シリウスが、リーマスが、ピーターが、それぞれ息を呑む。
 ライ・シュレディンガー先輩だ。ただただ無表情で、足元を見つめたまま歩いてくる。全く顔を上げようともしないため、てっきりぼくらの存在に気付いてない──のかと思っていたが、実際はちゃんと認識していたらしい。

 ぼくらの前を通り過ぎた後、足を止めたシュレディンガー先輩はぼくらを──ぼくを振り返った。

「……
「……シュレディンガー先輩」
「ライでいい。……長いだろ」

 そう言われ、ぼくは思わず驚いてしまう。
 まさかシュレディンガー先輩の側からファーストネーム呼びを推奨されるとは。でも思い返せばこの人、ぼくのことを最初から名前で呼んでいた訳だし、前試合でぼくと戦ったレインウォーター先輩のことも、確か『エリス』と名前呼びしていたっけ。案外気さくな人なのかもしれない。……見えないけど。

「……ライ、先輩」
「怖いのか?」

 直球で尋ねられ、心臓が強く脈打った。

「……怖いです」

 迷った末、率直にぼくは伝えた。

「そうか」
「……って、ちょっと!?」

 いきなりライ先輩に腕を掴まれた。そのままライ先輩は、シリウス達に口を挟む暇すら与えることなくスタスタと歩いて大広間を抜ける。
 しばらく廊下を歩いた後、ぼくらは小さな空き教室に辿り着いた。

 学校の備品がごちゃごちゃと雑多に積み上げられている部屋だ。しばらく誰も使っていないようで埃っぽい。眉を寄せたライ先輩が軽く杖を振った途端、部屋中全ての窓がパッと開き、教室内に篭っていた空気がさぁっと流れて行った。

 ライ先輩が近くの机に腰掛けたのを見て、ぼくもおずおずと手近にあった椅子に座る。そのまましばらく無言の時が流れた。
 ……き、気まずい……。

「……ジェームズは、お前の友達だと……聞いたんだが」
「え? あ……はい」

 またまた無言。……しまった、今のはぼくがもう少し話題を広げるべきだった。肯定するだけじゃ会話なんて成り立たないだろぼくは馬鹿か!

「……あ、あの! ライ先輩はどうしてこの前、ぼくを見たんですか?」

 この間をなんとかしなくちゃという一心で、とりあえず口を開いたはいいものの、ライ先輩は目を瞬かせるばかりだ。確かにこの質問じゃ、何のことを言ってんのかさっぱり分からない。

「えっと、新聞社の取材の時……いきなり、振り返りましたよね……? そして、ぼくの気のせいかもしれないんですけど、ぼくを見たように感じた……んです」
「……あぁ」

 ライ先輩は得心いったように頷いた。

「あれは、別に……ジェームズは寮の後輩で知ってる奴だし、パスカルは前話しかけられた。あの中で知らない人間は、お前一人……だったから」
「あ……そうですか」

 聞いてみれば、案外なんでもないあっさりとした答えだった。思わず拍子抜けする。

「それに、お前だけ心の内が、全く読めなかった……から」
「……え? 心の……何ですか?」
「……心の内」

 ライ先輩の濃い茶色の瞳が、ぼくを真っ直ぐに射抜く。

「前……俺とお前が同じだからって、言っただろ?」

 小さく頷く。ライ先輩は軽く逡巡した後、口を開いた。

、お前は杖を使わずとも魔法が使えると聞く。お前ほど派手じゃないが、俺も、他人が使えない力を持っている」
「そ、それは……?」
「……他人の考えていることが、分かるんだ」

 ザアッと、外で一際強い風が吹いた。教室内に冷たい風が吹き込み、ぼくは思わず身震いする。

「……凄い」
「……どうして、そう思う?」

 素直に漏れた言葉を、ライ先輩は静かに追及してきた。ぼくは戸惑いながらも口を開く。

「だって……人が考えてることが分かるんだったら、いろいろ便利だし……だって……」

 あれ? と、言いながらぼくは首を傾げた。
 便利? 確かに便利には違いない。でも、人の言葉によって装飾されていないむき出しの感情は、時に相手を酷く傷つけてしまうこともある。自分が『これは言っちゃいけない』と、たとえ思っても言葉に出すのを自重するようなあれやそれや……そういうものも全て受け取ってしまうことになるんじゃないか?

「……人の心というのは、とにかく煩い」

 ライ先輩はそっと口を開いた。ぼくから視線を外すと、窓の外に目を向ける。

「騒がしくて、煩わしい。……。お前も、同じような経験がないか?」
「……同じような、経験」
「こんな力、消えてしまえばいいのにって、思ったり」
「…………」

 言葉に詰まった。唇を噛んだ後、ゆっくりと首肯する。

「大きすぎる力は、人を傷つける。絶対に。他人を、そして自分を、どうしようもなく滅茶苦茶にしてしまう」

 他人の考えていることが全て分かったら、一体どんな気持ちだろう。
 ぼくは目を伏せ、想像を巡らせた。
 知りたくなかった友人の気持ちが、人の原始的な感情が、自分の心まで押し寄せてきたとしたら?
 耳を塞いでも聞こえてくる喧噪に、耐えられなくなったとしたら?

『ライ先輩は確かに凄い人だよ、あぁ。いっつも研究室に篭りっぱなしでさ』

 先日ジェームズから聞いた言葉が蘇る。
 そりゃあ、篭りたくもなるだろう。たった一人でいることこそが、ライ先輩にとっての安息なのだから。

「でも、お前の心の内は、読めないから……安心する」
「どうして……ですか? なんでぼくだけ……」

 ライ先輩は、そっと微笑んだ。……ように見えた。表情の変化が希薄なので、いまいち分かりづらいものの……。

「お前が、日本人だからだ。……俺には日本語が分からないから。ヒッポグリフ語やふくろう語が分からないのと同じ理屈だな」

 ひ、ヒッポグリフやふくろうと同列に語られてしまった……。
 気を取り直す。
 しかし、なるほど、日本語か……盲点だった。

 確かにぼくは、思考自体は日本語だ。口から出す言葉を直前で英語に翻訳して喋っている。
 それはもう慣れたもので、今では唐突に後ろから飛びつかれたとしても、咄嗟に英語が出てくる自信はある。
 でも、心の内で自分の考えを整理したりする時や、独り言なんかは日本語だ。ライ先輩が言っているのは、そこか。

「だから、お前は有利なんだ」
「え?」
「……決勝。お前と戦うだろ」

 話が見えず、ぼくは首を傾げた。シュレディンガー先輩は話し疲れたとばかりに大きくため息をついたものの、何とかちゃんと喋ってくれた。

「お前の心の内は読めない。だから、俺が先手を取ることはできない。対等……いや、むしろ、お前はいつも通りなのに対し、俺は読めないお前と戦う訳だから、お前が有利なのは間違いないんだ、
「あっ……」

 丁寧に説明され、やっと理解できた。
 ぼくが、ライ先輩に、勝てる……

 …………かも、しれない。
 いや、でもその前に、スマイサー先輩との準決勝が残っているんだけど……。

「……パスカルのことを考えているのか? そうか、準決勝で当たるからな」

 ……考えを見透かされたのかと思ったものの、ぼくが単純なだけかもしれない。

「だが……エリスをじ伏せたお前のことだ、きっと大丈夫だろう」
「エリス……レインウォーター先輩のこと、ですか」
「……今、闇祓いに入るということが、一体どういう意味を持つか、分かるか?」

 唐突に尋ねられ、ぼくは目を瞬かせた。
 ライ先輩はぼくの答えを期待してはいないようで、勝手に喋り始める。

「殺す覚悟と、殺される覚悟……そんな戦場に身を投じる覚悟があるエリスを、俺は尊敬してた。俺にはないものだから……そんな覚悟は、俺にはできないから……」

 ライ先輩の瞳にくらいものが一瞬よぎった、気がした。……気のせいかもしれない。

「覚悟した人間は、強いんだ。自分はどのように生きるのかを決めて、それだけを目指して進んでいける……そんな人間に勝ったお前は、もっと自分のことを、誇っていい」
「…………」
「……時間を取って、すまなかったな」

 そう言って、ライ先輩はゆっくりと机から腰を上げた。慌ててぼくも立ち上がる。そのままライ先輩は、ぼくに背を向け教室から出て行こうとした。

「ライ先輩」

 その背中に声を掛ける。

「先輩は……どうして、魔法医学の世界に入ったんですか?」

 ライ先輩は、ぴたりと足を止めた。

「……俺には、エリスみたいな覚悟がなかったから、かな」

 ライ先輩はそれだけを言い、今度こそ教室から出て行った。
 教室から遠ざかっていく足音を、ぼくはただ聞いていた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 フリットウィック先生にあそこまでお膳立てされちゃ、仕方ない……。

 ぼくはハリーから借りた『忍びの地図』を手に、廊下を歩いていた。将来の幣原は──いやぼくにとっては過去の話だけれども──こんな素晴らしい地図を作ったのかと考えると、何と言うか、すっごいよなぁ。
 この地図は、ぼくの心に喜びと、そして悲しみをも引き起こす存在だった。あの頃の努力がこうして実ったことを喜ぶ気持ちと……それを思い起こす時に、同時に思い出させる、シリウス・ブラックの存在に沈む気持ちと。

 ……と、今はそれどころじゃない。フリットウィック先生から頂いたケーキ、これをアクアに渡さなければ。
 ……生徒間の恋愛事情って、案外先生に筒抜けなんだよなぁ……。

「…………」

 アクアは一人でスリザリン寮の談話室にいるらしい。寮の合言葉なんて分からないし、入れないよなぁと思った瞬間、忍びの地図はなんとも優秀なことに、合言葉らしき言葉を吹き出しと共に浮かび上がらせやがった。なんて無駄に高性能。
 ついでに目を凝らし、ドラコの名前が地図のどこにも見当たらないことも確かめておいた。ドラコは毎年クリスマス休暇は家族と過ごしているから、いないと分かってはいるものの、念の為に。

 スリザリン寮に近付くにつれ、徐々に足が重くなる。なんてことはない、ぼくは、アクアと会うことに躊躇っているのだ。

「……っ!」

 頭を強く振って気を取り直す。アクアは友達だ。向こうも友達だと思ってくれている。
 友達に会いに行くのに、何も遠慮することなんてない。
 友達、友達、友達なんだ。

 スリザリン寮の前まで来た。この間に誰とも会わなかったとは、ホグワーツも随分と人が減ったものだ。
 ……そう言えば、アクアの弟であるユークはこのクリスマスに実家に帰っていた筈だけど、アクアは帰らなかったんだな……どうしてだろう?

 スリザリン寮の前で合言葉を唱えると、入口がスルスルと開いた。中に入るのは流石に躊躇われたので、大きな声で「アクア!」と呼ぶ。姿は見えないけれど、地図を見る限り声が届く距離にはいる筈だ。
 アクアが来る前に、杖で地図を叩いて「いたずら完了!」と呟く。ただの羊皮紙に戻った地図をローブのポケットの中に畳んで突っ込んだ。

「……あなたにとって寮の壁というのは、そんなに薄いものなのかしら」
「いや、そんなことはないんだけど……ごめん」

 アクアは咎めるような視線でぼくを見た後、小さく肩を竦めた。

「……どうしたの?」
「えっと……フリットウィック先生からケーキを頂いてさ。一緒に食べない? アクア、甘いもの好きだったよね」

 この前好きな食べ物を尋ねた時、返ってきた答えはレモンタルトとアップルパイだった。ならばショートケーキとチョコレートケーキも好きな気がする。
 そんな予想通り、アクアの表情がぱぁっと明るくなった。可愛い。

「……どこに行くの?」
「アクアがこの前言ってたテラスに行ってみたいな」

 アクアは嬉しそうに微笑むと「……こっちよ」と言って歩き出した。ぼくはアクアの半歩後ろをついていく。
 アクアがいざなった先のテラスは、日当たりが良くて光がさんさんと降り注ぐ場所だった。
 大きな窓ガラス越しに、真っ白な雪に覆われた中庭が見える。また雪がちらつき出したようだ。舞い落ちる雪は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 ぼくとアクアは外に一番近い位置のテーブルに腰を下ろした。杖を振り、ケーキの入った箱と、厨房で失敬してきたバタービールを『出現』させる。アクアは感心したように声を零した。

「……相変わらずね。出現魔法なんて、確かOWLふくろうレベルじゃなかったかしら?」
「褒めても何も出ないよ? ぼくが誇れるものなんて、これしかないしね」

 ショートケーキとチョコレートケーキのどちらがいいかアクアに訊くと、アクアはショートケーキを指し示した。それならばとぼくは自分の方にチョコレートケーキを引き寄せ、バタービールのグラスで乾杯をする。

「まさか、アクアがクリスマスにホグワーツに残ってるだなんて思いもしなかったよ。ユークは家に帰ったみたいなのに、一体どうしたの? 何かあった?」
「そうね……特に理由はないのだけれど。強いて言えば……ちっちゃな反抗、かしら」
「ん? 何に対しての?」
「家に、対しての」

 物憂げにアクアは目を細めた。そんなアクアを黙って見つめた後、ぼくは口を開く。

「あの……さ。嫌じゃなかったら教えて欲しいんだ……君が、ずっと悩んでいることについて」
「……悩み」
「わだかまり、と言ってもいいかもしれない。君はもしかして、何か家族に対して思っていることがあるんじゃないかな?」
「…………」

 アクアはフォークを皿に置くと、目を伏せた。

「……何から話していいか、分からないけれど」
「うん」
「……聴いてくれる?」
「もちろん」
「……っ、わたし──私は」

 私は、闇の帝王が嫌い。
 そんな言葉で、アクアの話は始まった。

 純血主義の家系も。
 死喰い人の両親の思想も。
 選民意識を持つスリザリンのクラスメイトも。
 みんなみんな、大嫌い。

 ──でも、それよりも何よりも。
 自分の思想を貫き通すこともできず、スリザリンは縛られて窮屈だけれども、安全と平穏が保証された生活を安穏と送り続け。
 両親の迷惑だと分かってはいるけれども、自分の意志を曲げられない。
 そんな中途半端な自分のことが一番嫌いなのだと、アクアはそう告白した。

「……私にも、選べた筈だった。それを選ばずに、ただ流されて、ただ守られてる……選ぼうと思ったら、私だって選べた筈だったの……チャンスが与えられていたのを、私は見過ごしてしまった。
 ユークは、それを選び取った……自らの意志で、スリザリンじゃなくレイブンクローに行った。……その行動が一体どれだけの混乱を引き起こすのか、あの子には自覚がなかったのかもしれないけれど……でも」

 もっと強く願えばよかった。
 もっと強く望めばよかった。
 現状から逃れたいと思っている癖に、目の前にいざチャンスが現れると怖気づき、現状に引きこもってしまう。
 そんな自分が情けなくて、吐き気がするほど嫌いなのだと。

 話はドラコのことにも触れた。
 ドラコが自分を守ってくれようとしていること、それに何一つ応えてやれていないこと。
 兄のような立ち位置のドラコに余計な心配は掛けたくないけれど、純血思想にどうしても反発してしまうこと。ドラコの優しさを知っているのに、思想が嫌になってぶつかってしまうこと。

「……私は、ずっとずっと、勇気が欲しかった」

 ぽつりと、アクアは呟いた。

「……勇気ある人に、私はなりたかった。自分の意志で進む道を決めることができる、勇敢な人に、私はなりたかった」

 ──私には何もない。

 グリフィンドールに入りたかった。勇敢さが欲しかった。
 ハッフルパフに入りたかった。善良さが羨ましかった。
 レイブンクローに入りたかった。賢明さを持ちたかった。

「真実の意味で、勇敢で、目的のために最高の手段を選べるスリザリン生になりたかった!」

 大きな瞳に涙を浮かべて、アクアはそう言った。

「あ……アクア」
「……泣き言を語ってしまって、ごめんなさい、アキ。ケーキ、とっても美味しかったわ……フリットウィック先生によろしくね」

 そう言って、その場から逃げるようにアクアは椅子から立ち上がった。出て行こうとするアクアの腕を咄嗟に掴んで引き止める。

「……何。何よ」
「アクア、ぼくを見て」
「……それ、は」
「今にも泣き出しそうな女の子を、放っておく訳にはいかないよ」

 アクアの肩が震えた。ぼくに背を向けたまま、アクアは「……別に、泣き出しそうなんかじゃないわ」と若干鼻声で言う。この子は案外意地っ張りだな。

「アクア……ねぇアクア。勇気ってさ、何だと思う?」
「……勇、気?」
「そう。勇気。ぼくはね」

 そっと微笑んだ。

「勇気なんてものは、ちょっとした思い切りと同じだと思うんだ」
「……え?」
「ほら、階段をさ、せーのっで飛び降りるじゃない? あんな感じ。あぁ、女の子はあんまりそういうことしないかな。じゃああれだ、二年生の時にさ、マンドレイクの植え替えをしたでしょ? あのマンドレイクを引っこ抜く感じ。ちょっとだけ気合を入れて、それってやんの」
「……それが、どういう」
「つまりさ、勇気なんてものは誰にでもあるものなんだ。君だってマンドレイク、引っこ抜けたでしょ?」
「それとこれとは話がっ……」
「全然違わないさ」

 アクアが振り返った。泣くのを堪えるように、奥歯を噛み締めている。
 そんなアクアに、ぼくは優しく笑い掛けた。

「自分に勇気がないなんて、本当に勇気がない奴には絶対言えない台詞だよ。少なくとも、周囲の人達の誰もが正しいと思っていることを、君一人が、一人きりでずっと、それは違うなんて言い続けたこと自体、勇気があるとぼくは思うね」

 白を黒と教え込ませる世界で、白は白だと信じ続けること。
 それも、一つの勇気じゃないか。
 それは一体、どれだけ孤独だったことだろう。挫け掛けた心を、それでも保ち続けた。

 ……それに……勇気が欲しいのは、ぼくの方だ……。
 ドラコから言われたことで、ウジウジずっと引きずって、悩んで、答えが出てこない問題をいくら悩んだって、羽根ペンが勝手に答えを出してくれることもないというのに、ぼくは……。

「……本当?」

 アクアの顔がくしゃりと歪む。綺麗な灰色の瞳から、涙の雫がほろりと解けて。やがて堪え切れなくなった涙が、彼女の白い頬をそっと伝った。
 その涙を見た瞬間、何故だか頭の中が真っ白になった。

 咄嗟にアクアを引き寄せ、何も考えられないまま、無我夢中でアクアを抱き締める。細い肩を、小さな頭を、衝動のままに。
 華奢で、繊細な硝子細工のような彼女の身体は、それでもぼくが強く抱き締めても、壊れなどしなかった。

 今更──今更。
 よく諦めるなんて思えたものだ。よく身を引こうなんて思えたものだ。
 どう足掻いたって消せやしない。誰に何と言われようと、自分なりに諦めようと頑張ろうと、この気持ちを掻き消すことなんて出来やしない。

 全く、全く──どうして、こんなに好きになってしまったんだ。
 アクアのことが、ぼくは好きで好きで仕方がない。
 アクアを誰よりも大事にしたい。誰かがアクアを守ってくれるのならばそれでいいなんて、ぼくには決して思えない。
 ぼくが、ぼくこそが、アクアをずっと守りたい。
 君には守れないなんて、言わせたくない。

 この子を誰にも、渡したくない────。

 ぼくの腕の中で、声を殺して、ぼくの制服を掴んで涙を零すこの少女のことを──
 誰よりも何よりも、愛おしく思った。



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