──幣原、秋。
トム・リドルは、日刊預言者新聞に載っている名前を指先で撫でた。
ホグワーツ魔法魔術学校にて、三年に一度行われている競技──魔法魔術大会。時勢の変化により前回から完全決闘方式に変更されたこの大会の、上位四人のインタビュー記事をリドルは眺めていた。
まずは一人目──グリフィンドール寮七年生、ライ・シュレディンガー。
彼にもう用はない。
彼はもう何もできない。
殺す価値も意味もない。
どれほど上手く魔法が使えようとも、自分の前に立ちはだかる障壁とならないのであれば、彼が何をしようがかまわない。どうなろうが自分には関係ない。
しかし、魔法医学の方面に進むとは……納得でもあり、また予想外でもあった。三年前はもっと才気に溢れていて、この幼い少年が敵に回ったらとまで考えたものだ。
闇祓いにでもなるつもりだったなら、この際に潰しておこうと考えていたのだが……医学関連ならばわざわざ手を出す必要もない。
二人目──ハッフルパフ寮六年生、パスカル・スマイサー。
正直ハッフルパフ生がここまで上がってくるとは意外だった。そもそも、スリザリン寮が上位四人の中に入っていないとはどういうことだ。この代は、どうやら腑抜けた後輩ばかりのようだ。
クィディッチが得意で、現在はハッフルパフのシーカーを務め上げている。二年生の頃からスタメンで、今年晴れてキャプテンに任命されたと記事には書かれていた。
ハッフルパフ系列の家系としてはなかなか有名な家柄出身だった。将来は恐らく、どこかのプロチームからスカウトが来るだろう。自分の敵とはなり得ない存在だ。
三人目──グリフィンドール寮四年生、ジェームズ・ポッター。
グリフィンドール系列で有名な家柄だ。ポッター家は昔からどこか変わっている。この少年も恐らくそうなのだろう。
庶民的な家系だが、一応は数少ない純血だ。それに、彼の母親は確かブラック姓だった。もしかしたら闇の魔術にも優れた才を発揮するかもしれない。
そして──最後。レイブンクロー寮四年生、幣原秋。
日本人、それも『幣原』なんて苗字、英国でそうそう被ることもないだろう。十中八九間違いなく、かつての友人、幣原直の息子だ。
記事ではあっさりとしか書いていないが、魔術に天才的な才能を発揮しているらしい。もっと具体的に書けよ、とリドルは小さく舌打ちを零した。
──直の、息子。
「…………」
厄介だ、と呟く。
──やはり、直は初めからこちら側に引き込んでおくべきだった。
そう後悔するも、直はたとえ自分がどれだけ誘おうともこちら側には決して足を踏み入れはしなかっただろう──そんな確信がリドルにはあった。
幣原直に理詰めは効かない。「よく分からないけれど嫌なものは嫌」と拒絶してしまえる直感的な人間だと、リドルはよく知っていた。
──しかし、今度こそは。
息子を盾に取れば、もしかしたら────
さて、さて。魔法魔術大会も準決勝が終わった今、後は決勝を残すのみ。
ライ・シュレディンガーと、幣原秋。
どちらが優勝するだろうか?
順当に考えればライ・シュレディンガーの独壇場だ。彼に勝てる者など、魔法界広しと言えども片手の指ほどしかいないだろう。彼の才能は恐れるべきものだった。
だから潰した。
まさか、今年も出てくるとは思っていなかった……彼の心は完膚なきまでに叩き潰したつもりだったのに。
──後輩を守るために、出てきたか。
自分が優勝すれば、後輩を守れるとでも思ったか。
なら、再びその心を折ってやろう。
対する幣原秋。彼に対する評価を改めなければいけない。
舐めていた、見縊っていた、軽んじていた。
幣原直の一人息子、幣原秋。
「……っく、くく……」
幣原秋の名前を指で叩きながら、リドルは微笑んだ。
「さぁ、日本に行こうじゃないか。……久しぶりだなぁ? 直……」
◇ ◆ ◇
最後の試験は占い学だった。
水晶玉に映る、霧とも霞とも靄とも付かぬ白いモヤモヤを一生懸命何かの形にでっち上げ……いやいや当て嵌めた後は、ようやく待ちに待ったお休みだ。
試験終了の鐘の音に、同級生達は途端にわぁっと盛り上がる。そんな彼らを尻目にぼくの気分は晴れなかった。ハグリッドが控訴裁判に負けたのだ。
バックビークは日没後に処刑される予定らしい。ぼくとハリー、ロン、ハーマイオニーは、夕食の後『透明マント』を被るとハグリッドの小屋へと向かった。
ハグリッドは茫然自失としているようだった。泣きも喚きもしていなかったけれども、そのことが何よりも、ハグリッドがバックビークの処刑を悲しんでいるということが伝わってきた。
手が震えて掴んだものを何もかも割ってしまうハグリッドのために、ぼくとハーマイオニーは立ち上がって台所を捜索した。
ティーカップを人数分見つけ出したちょうどその時、ハーマイオニーは驚くべきものを見つけたらしい。突然の叫び声に、ぼくらは一斉にハーマイオニーを注視した。
「ロン! し、信じられないわ──スキャバーズよ!」
ミルク入れをテーブルに持ってきたハーマイオニーは、ロンの目の前でそれをひっくり返した。キーキー大騒ぎしているネズミが中から滑り落ちる。ロンは呆気に取られた顔をした。
「スキャバーズ! スキャバーズ、こんなところで一体何してるんだ? アイテッ……」
スキャバーズを捕まえようと、室内はにわかに騒がしくなった。ぼくはロンのネズミを驚かせてしまわぬよう、少し離れたところで立ち止まる。
「スキャバーズ! 大丈夫だってば、ここにはお前を傷つけるものは何にもないんだから!」
その時、窓の外を見たハグリッドは勢いよく立ち上がった。
「連中が来おった……お前さんら、行かねばなんねぇ。ここにいるとこを連中に見つかっちゃなんねぇ……行け、はよう……」
城の階段を何人かが連れ立って下りてくる。ダンブルドアとファッジに加え、後ろに二人。その二人は大きな大斧を持っていて、ぼくは小さく身を震わせた。
「裏口から出してやる」
ハグリッドに促され、ぼくらは裏庭へと出た。バックビークがかぼちゃ畑の中に繋がれているのを見、思わず眉が下がる。バックビークも不穏な雰囲気を感じ取っているのか、落ち着きなく頭を振っていた。
「大丈夫だ、ビーキー。大丈夫だぞ……お前ら、行け、もう行け」
しかしぼくらは動かなかった。
「ハグリッド、そんなこと出来ないよ……」
「僕達、本当は何があったのか、あの連中に話すよ……」
「クラスの奴ら全員連れてきたって構わない……」
「バックビークを殺すなんて、ダメよ……」
「行け!」
ハグリッドは断固として言った。
「お前さん達が面倒なことになったら、ますます困る。そんでなくても最悪なんだ!」
そう言われては仕方ない。ぼくらはマントを被りゆっくりと歩き出した。
「急ぐんだ。聞くんじゃねぇぞ……」
ハグリッドの声は掠れていた。ハーマイオニーは小さく啜り泣く。
「お願い、急いで。耐えられないわ。私、とっても……」
しかし、途中でロンが立ち止まった。皆で一枚のマントを被っているため、当然ぼくらも立ち止まる羽目になる。
「ロン、お願いよ」
「スキャバーズが──こいつ、どうしてもじっとしてないんだ……」
暴れるスキャバーズに、ロンは四苦八苦しているようだ。……もしかしてぼくが傍にいるからか?
「ロン、ごめん……」
かと言ってマントから出る訳にもいかないし……うぅん。ごめんねロン。
ぼくらの背後で扉が開く音がした。と同時に人の声も。ぼくらはゆっくりと歩き出したが、ロンはまたもやすぐに立ち止まってしまった。ハーマイオニーは今にも泣き出しそうな表情で口元を押さえている。
「こいつを押さえてられないんだ……スキャバーズ、こら、黙れ。皆に聞こえっちまうよ……」
スキャバーズはキーキーと喚き散らしていたものの、それでも背後の音を掻き消すことはできなかった。男達の怒声の後、ふと静かになり、そして──斧を振り下ろす風切り音。
ハーマイオニーはよろめいた。
「やってしまった! し、信じられない……あの人達、やってしまったんだわ!」
ぼくらはショックでしばらく呆然と立ち竦んでいた。遠くで荒々しく吼える声が聞こえる。きっとハグリッドだろう。
「本当にどうして……こんなことができるって言うの?」
ハーマイオニーが声を震わせた。ロンも身震いしている。
「……行こう」
ロンの声で、ぼくらは城へと向かった。日は見る間に落ち、先程まで夕焼け空だったのに、今はもうどこを見渡しても真っ暗だ。
ロンはまだスキャバーズと格闘しているようだった。本当に申し訳ないと思う。
全く、この体質はいただけない……。申し訳ないが失神呪文で大人しくなってもらおうじゃないか。
杖を出したぼくは、ロンに「スキャバーズをちょっと出して」と囁いた。しかしロンがスキャバーズを取り出した瞬間、どこからともなく現れたクルックシャンクスがスキャバーズ目掛け飛びかかり、思わずロンはスキャバーズを取り落とす。
逃げ出したスキャバーズを、クルックシャンクスが追いかけていく。ぼくらが止めるよりも早く、ロンは『透明マント』を脱ぐと物凄いスピードでスキャバーズを追って行った。
「ロン!」
ぼくらも慌ててロンの後を追いかける。透明マントなんて邪魔なだけだ。どうせこの夕闇の中じゃ、ぼくらの姿ははっきりとは見えまい。マントを脱ぎ捨て走ったぼくらは、やがてロンに追いついた。
「捕まえた! とっとと消えろ、嫌な猫め──」
ハーマイオニーが慌ててマントを広げる。しかしまだ呼吸も整わないうちに、何か巨大な動物の足音が聞こえた。暗闇から躍り出たのは真っ黒な大型犬だ。
杖を出す暇もなく、犬は大きくジャンプするとぼくとハリーを押し倒す。
──この犬はハリーを狙っているのだ。
直感的に悟り、ぼくは咄嗟にハリーを庇って前に出た。左手の人差し指を犬に向ける。犬はもう一度ぼくらに飛びかかろうとしたものの、ぼくのその動作に怯んだようだった。ハリーからロンに狙いを変更し、ロンに飛びかかる。
ロンは逃げようとしたが遅かった。ロンの腕に噛み付いたまま、犬は易々とロンを引っ張っていく。慌ててロンの後を追おうとした瞬間、ぼくはいきなり何かに吹っ飛ばされた。仰天したまま地面に這いつくばる。
「
ハリーの呪文で、太い木の幹が眩く照らし出された。『暴れ柳』だ。激しく暴れる木の根元に、ロンと、先程の犬がいた。根元に大きく空いた隙間にロンを引きずり込もうとしている。
ロンは抵抗したものの、バシッという音と共に足が折れ、そのまま姿が見えなくなった。
「ああ、誰か、助けて。誰か、お願い……」
ハーマイオニーが呟く。
その時クルックシャンクスがサッとぼくらの前に躍り出た。木の枝をするりと避けては両の前足を木の節に乗せる。瞬間『暴れ柳』はピタリと動きを止めた。
「クルックシャンクス! この子、どうして分かったのかしら──?」
「あの犬の友達なんだ。僕、二匹が連れ立っているところを見たことがある。行こう──君達も杖を出しておいて……」
そう言いながら、ハリーはぼくの手を強く掴んだ。驚くほどに冷えた指を、ぼくもぎゅっと握り返す。
クルックシャンクスに先導され、ぼくらは暴れ柳の根元にできたトンネルを下って行った。ぼくとハリーとハーマイオニーの三人とも、杖に光を灯したまま進む。
「このトンネル、どこに続いているのかしら?」
「分からない。『忍びの地図』には書いてあるんだけど、フレッドとジョージはこの道は誰も通ったことがないって言ってた。この道の先は地図の端からはみ出してる。でも、どうもホグズミードに続いてるみたいなんだ……」
先程まで下っていた道が急に上り坂に変わった。その先に一つの扉があった。
「……下がって」
ハリーの手を振り解き、ぼくは二人の前に出る。杖を構えたまま、ゆっくりと扉に近付き──勢いよく扉を開け放つと、中に一斉に押し入った。
「……誰もいない?」
ハリーが呟く。
ただの部屋だ。使われなくなって何年も経っているようで埃っぽい。全ての窓には板が打ち付けられ、家具は軒並み壊れている。
ハーマイオニーが目を見開いて囁いた。
「ハリー、アキ。ここは『叫びの屋敷』の中だわ」
その言葉にハッとする。そうか、ここはリーマスが連れて来られていた……。
突如、頭上で何かが軋む音がした。何かが上の階で動いたような音だ。
ぼくらは顔を見合わせると、そろそろと隣のホールへ行き階段を上った。床をよく見ると、何かを上階に引きずったような跡が見える。
杖の灯りを消し、ぼくらは扉に近付いた。扉の奥からは物音が聞こえてくる。呻き声と、何やらゴロゴロという声────。
目配せの後、一斉に飛び込んだ。
カーテンが掛かった天蓋付きのベッドにはクルックシャンクスが寝そべっている。その脇にはロンが座っていた。足が妙な方向に捻じ曲がっている。ぼくらは思わずロンに駆け寄った。
「ロン、大丈夫?」
「犬はどこ?」
「犬じゃない。ハリー、罠だ……」
ぼくは慌てて振り返る。
影の中、黒い姿がゆらりと動いた。汚れ切った髪に伸びた髭、学生時代の面影すらない落ち窪んだ眼窩は、爛々とハリーだけを見据えている。
ロンは声を震わせた。
「あいつが犬なんだ──あいつは『
杖を振り上げた瞬間、奴は──シリウス・ブラックはロンの杖をぼくらに向け「
「君なら友を助けに来ると思った。君の父親も私のためにそうしたに違いない。君は勇敢だ。先生の助けを求めなかった。ありがたい……その方がずっと事は楽だ……」
ハリーの前に、ぼくは杖を構えたまま立ち塞がった。ぼくよりずっと背の高いシリウス・ブラックを睨みつける。
「ハリーに一歩でも近付いてみろ──ただじゃおかない」
「……誰だ、君は?」
ブラックが、今度は不思議そうな声を上げた。驚いたように目を見開き「どうして……どうして君がここにいる? 俺は夢でも見ているのか?」と呟く。
「秋か……秋なのか?」
懐かしそうな顔で、ブラックは微笑んだ。その表情に思わず胸をつかれる。
「ハリーを殺したいのなら、僕達も殺すことになるぞ!」
声を荒げたロンに、ぼくとブラックは同時に我に返った。ブラックの視線がぼくから離れロンへと向かう。
「座っていろ。脚の怪我が余計酷くなるぞ」
「聞こえたのか? 僕達四人を殺さなきゃならないんだぞ!」
「今夜はただ一人を殺す」
ブラックは歪んだ笑みを浮かべた。先程浮かべた微笑みとは全く違う笑顔だった。
ハリーが憎々しい顔で吐き捨てる。
「何故なんだ? この前は、そんなことを気にしなかった筈だろう? ペティグリューを
「ハリー! 黙って!」
「こいつが僕らの父さんと母さんを殺したんだ!」
ハリーは叫ぶと、ぼくを突き飛ばしてブラックに飛びかかった。まさかハリーに突き飛ばされるとは思ってもおらず、ぼくは無様にぶっ倒れる。
ブラックに馬乗りになったハリーは、ブラックの顔面を思いっきり殴った。顔面だけでは飽き足らず、ありとあらゆる場所を手当たり次第に殴りつける。
「ハリー、やめろ!」
ブラックが反撃に出る前にと、ぼくは慌ててハリーをブラックから引き剥がした。二人とも肩で息をしながら、凄まじい目つきでお互いを睨み続けている。
いつの間に奪い取ったのか、ハリーは自分の杖をブラックの心臓に真っ直ぐ突きつけていた。
「ハリー、私を殺すのか?」
ブラックが呟く。
「お前は僕の、僕らの両親を殺した」
「僕ら?」
「僕とアキのことだ! 知ってるだろう、お前は、父さんと母さんが死ぬ直前まで友達の振りをしてたんだ! 僕らは双子だ、僕と血を分けた、父さんと母さんの──」
「何を言ってるんだ、ハリー?」
ブラックは、ハリーの言葉を遮り言った。
「リリーとジェームズの子供は、ハリー、君一人だ」
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