小部屋に行くと、予想外にもそこでは、悪戯仕掛人のリーマスを除く三人が雁首揃えて一心不乱に考え込んでいた。
テーブルには大量の書物が積み上げられ、羊皮紙は乱雑に散らばり、一部は床に落ちていた。
「何やってんの? 四人とも」
ぼくが声を掛けると、初めて四人はぼくの存在に気付いたようだ。
髪を掻き毟りつつ、ジェームズが代表して答えた。
「前に話したろ? アニメーガスについてだよ。どうも上手くいかなくってさ……」
「あぁ、あれか……」
頷くと同時に、シリウスが「もう無理だ、諦めようぜ」と言って本を放り投げた。
しかし本は図書館の本だったらしく、司書のマダム・ピンスの呪いによって、シリウスはたいそう酷く本に頭をぶっ叩かれ、辺りは一瞬騒然とする。
「僕とシリウスは何とか形にはなったんだが、ピーターがどうにも上手く出来なくって」
騒ぎがようやく静まったところで、ジェームズが肩を竦めた。大きな本に顔を埋めていたピーターだったが、申し訳なさそうに「ごめん、僕が飲み込みが悪いばっかりに、迷惑を掛けて……」と縮こまる。
「ノンノン! 何を言ってるんだい、ピーター。友達を手助けするのに理由なんているもんか。ピーターは一生懸命やっている、そうだろう? 一生懸命やっている奴を手伝うのに、誰が迷惑に感じるものか!」
そう言ってジェームズは笑い飛ばした。
そんなジェームズの様子に、ピーターはわずかに表情を晴らす。
「次の満月まで、あと二週間を切っている。今度こそ成功させてぇんだ……ピーター、こればっかりは本を読んでもどうにもなんねぇと思うぜ。実践あるのみ、練習あるのみだ」
本で思いっきりぶっ叩かれた頭を擦りながら、シリウスはそう言うとピーターの手から乱暴に本を奪い取る。
「あぁっ、シリウス!」
「うるせぇ、本の中身なんざ飽きるほど読んだだろ。……魔法式は間違ってねぇんだ。後は死ぬ気でやれば、なんとかなるだろ」
「うわ、すっごい根性論……」
シリウスはピーターを無理矢理立ち上がらせると、杖を持たせた。
ピーターはしばらく傍若無人なシリウスに対してブツブツ文句を言っていたが、諦めたのか杖を取ると、緊張した面持ちになる。
「次に失敗したら、ピーター、君はしばらく椅子になるからな、って、秋が」
「言ってないよ!?」
「うぅっ、椅子はヤだよ……絶対シリウスその上に飛び乗るに決まってる……っ」
ピーターは青い顔で呟くと、大きく深呼吸をし、ピッと杖を振り上げた。
「おおっ!!」
途端、ピーターの姿がみるみるうちに縮んでいくのに、ぼくは感嘆の声を上げた。
ぼくと同じくらいの背丈だったピーターが、最終的には拳大ほどの大きさになり──やがて、ネズミが一匹姿を現した。
「凄いじゃないか、ピーター!」
ジェームズやシリウスと違い、ピーターは極々普通の少年だ。気も決して強いとは言えず、何をするにも怖がりだ。
そんなピーターがここまで出来るようになるとは……感動で涙が出そうだ。
「本当に、死ぬ気でやったら出来た……っ」
やがて、ポン、という軽い音と共に元の姿に戻ったピーターは、疲労困憊の体だったものの、笑顔を浮かべていた。
「やったな、ワームテール!」
「よく頑張った!」
シリウスやジェームズも、ぼくと同じ気持ちなのだろう。心からの拍手をピーターに送っている。
「……ねぇ、ワームテールって何? ピーターのあだ名?」
「あぁそうさ。リーマスが名付けたんだ。リーマスはこういうセンスのある名付けが得意だからね。ピッタリだろう? ちなみに、僕はプロングス、シリウスはパッドフットさ。秋には何と名付けるかなぁ、リーマス。リーマスにも、何か名付けてあげなくちゃね」
なるほど、
ということは、あだ名から推察するに、シリウスのアニメーガスは犬なのか。ジェームズは何なんだろう?
それを尋ねると、ジェームズは得意げに「それは見てのお楽しみかな!」と胸を張った。
「君もおいでよ。二週間後だ。楽しい深夜徘徊と洒落込もうじゃないか」
◇ ◆ ◇
クィディッチワールドカップが終わって隠れ穴に戻ってきても、僕の弟、アキ・ポッターは、ずっと沈み込んだままだった。
あの夜──クィディッチワールドカップの夜、空に『闇の印』が打ち上げられた日──クラウチさんが屋敷しもべのウィンキーを解雇した後、姿がずっと見当たらないアキを探す僕の前に、セドリック・ディゴリーと、彼に手を引かれるアキが現れた。
どうしていなくなったんだ、と詳しい事情を聞くよりも先に、アキは僕の元へとふらふらと歩み寄り、泣きそうな表情で僕を抱きしめた。その小さな身体は震えていて、その日僕らは久しぶりに一緒のベッドで眠った。
アキの様子がおかしいことは、ウィーズリー家の誰もが気付いていた。あのパーシーですら、ちょくちょくアキの様子を見に来るほどだったのだ。
僕やロン、ハーマイオニーは勿論のこと、ジニーもフレッド、ジョージも、どうしたものかと思っていた。
あの、元気が取り柄のようなアキが、ずっと目を伏せてぼんやりしているのだ。
話しかけられると返事はする。ちゃんとお礼も言うし、笑顔も作る。でもその笑顔は、なんというか、とても痛々しくて、作り笑顔だというのが一目で見抜けるくらいにボロボロで、アキも自分がおかしいと自覚しているのか、事あるごとに「ごめんなさい」と口にするのだが、それが本当に悲痛で、見ていられないほどだった。
アキがこうなった理由について、いろんな人から質問を受けた。僕はいつも曖昧な笑顔で、その質問をかわすようにしていた。
理由なんて、僕の方こそ教えて欲しい。僕の弟は、どうすれば普段の明るさを取り戻してくれるのか。思い悩み憂う、愛しい弟の姿を見るのは、僕にとって苦痛だった。
理由があるとすれば、あの夜に見た『闇の印』だろう。それ以外に原因は思い当たらない──ひょっとすると、僕が知らないあの晩、アキの身に何かが起きたのかもしれないけれども、おそらく『闇の印』関連だろうと、僕の勘が告げていた。
そして、幣原秋関連だとも、分かっていた。
幣原秋。アキであってアキじゃない人物。
彼のことを僕は、アキの前世のような存在だと思うようにしている。
かつて、僕の両親と同じ時代に生を受け、そして闇祓いとなり、闇の陣営と戦った人物。彼が一体どんな人物だったのかは、よく分からない。人によって、幣原秋の印象は大きく異なるようだった。
世間では、彼は非常に冷酷で冷徹で、自らの使命──闇祓いとしての使命に忠実だったと言われている。
『黒衣の天才』と二つ名まで付くほど、彼はあの時代、素晴らしい成果を挙げたのだろう。その冷酷さは、先日ピーター・ペティグリューが姿を現した時、片鱗を見せた。
「助けてあげる」
そう言ってペティグリューに杖を向けた彼を、僕は咄嗟に突き飛ばしたのだった。
しかし──しかし、だ。そんな冷酷な面を持っているにも関わらず、シリウスやルーピン先生は揃って、「秋はとても優しい子だ」と言う。
とても優しくて、優しすぎて──だからこそ、こうなってしまったのだと。
「アキを助けて、支えてあげて欲しいんだ。信じてあげて欲しい、アキを。幣原秋とアキ・ポッター、二人を引っくるめて認めてくれた君だからこそ」
ルーピン先生は、ホグワーツを去る時、僕にそう告げた。君にしか出来ないことだから、と。
アキは、普段はあんなにもお喋りな癖に、こういうこと──幣原秋関連のこと──は全く語らない。昔は楽しそうに幣原秋のことについて語ってくれたのだが、最近ではこちらが尋ねても口を濁すようになった。そして、口を濁した後、アキは決まって唇を噛み締め、昏い目をするのだ。
アキにそんな表情をさせるくらいなら、と、僕は幣原秋についてアキに尋ねることを止めた。
ちなみに、だが──僕は幣原秋は、アキとそう変わらない子なんじゃないかと思っている。
頭が良くて、ユーモアを解し、笑顔が素敵な、等身大の少年だと想像している。
だって、アキはアキなんだ。
「ねぇハリー、お願いだよ、アキに元気を戻してあげて」
そう困った顔でロンやハーマイオニーに言われ、僕は少し考えて、こう口にした。
「分かったよ」
それから僕が取った手段は、なんてことはない。
僕はアキのために、何もしなかった。ただ一緒にいただけだ。黙って何かをずっと考え続けるアキのそばに、ずっと。
励ましの言葉なんてかけない。わざと明るく振舞ったりしないし、楽しげに接したりなんかしない。
アキ自身が、落ち込んでいる人にそう振舞う傾向があるためか、いざ自分がそういうことを人からされると、人に気を遣わせている申し訳なさから、アキは更に落ち込むだろうことが分かっていた。
何年一緒にいると思っているんだ。ここ数年は寮が離れるという誤差もあったりしたが、それでもお互いの人生で一番近くにいた人間なのだ、それくらいはわかる。
アキだって立ち止まる。アキだって思い悩むことだってある。
アキはとても聡くて、とても頼りになって、いつも皆を引っ張ってくれるけど、僕だけは、立ち止まるアキを急かさずに、じっと待ってあげたかった。
アキの強さを信じてあげたかった。
アキの闇を、僕は知らない。アキの全てを知らなくても別にいいと、思っている。
アキの全てを知らなくても、アキの一番の理解者にはなれる。そう──思っている。
「ハリー、ありがとう」
数日後、すっかり元通りの笑顔で、アキは僕にそう言った。
憑き物が取れたような、悩みが解決したような、とりあえずは自分の中で自己解決出来たのだろうと思えるような、そんな笑顔だった。
僕はアキに微笑んだ。
「僕は何もしてないよ、アキ」
そう、何も。
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