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空の記憶

第24話 くるくると廻る恋心First posted : 2015.10.05
Last update : 2022.10.11

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 クリスマス休暇に入る前の日曜が、我らが魔法薬学教授、ホラス・スラグホーン先生の主催するダンスパーティの日取りだった。クリスマスは家族と過ごすもの、という、スラグホーン先生の配慮らしい。複雑な気分にならざるを得ないものの、スラグホーン先生はいい先生だ。ぼくを取り巻く環境が、変わっただけのこと。

 去年のような学校全体を巻き込んでのクリスマスパーティではなく、こじんまりとしたものだとしたって、パーティというのは心踊るものだ。きっちりとダンスローブを着込み、準備をすると、クリスマスパーティの会場へ向かう。

 レギュラスは、寮の前でぼくを待っていてくれていた。本当に気が利く奴だ。
 どうしてぼくなんかと一緒にダンスパーティに行ってくれるのだろう? ぼくが独占することを申し訳なく思うくらいだ。

「遅い。僕を待たせるなんて一体何を考えているんです」
「う、ごめん……」

 ……この冴え渡る毒舌さえなけりゃあなぁ。

 あたりにもチラホラとドレスローブ姿の生徒が見える。女の子は、誰もがレギュラスに一度は目を奪われるようだった。
 そりゃあそうだ、すっと通った鼻筋に、綺麗な二重の切れ長な目、すっと伸びた背筋に、華奢ではあるがクィディッチ選手らしいしっかりとした筋肉。少し憂いを含んだ眼差しに、見つめられたいと願う女子も多いのではないか。
 そしてそんな女の子たちにこう言いたい。レギュラスの近くにいたら、毒舌で心が折れるぞ。

 会場は、大きなテントのようなところだった。色とりどりのビロードで壁が覆われ、何人もの屋敷しもべ妖精がこっちでうろうろあっちでうろうろ、大きな銀の皿を持って動いている。

「やぁ、レギュラス、。来てくれて嬉しいよ」

 スラグホーン教授が、ニコニコと人のいい笑顔を浮かべながらグラスを掲げた。ワインらしい液体が、中で揺れる。レギュラスが礼儀正しく頭を下げるのに、ぼくも慌てて倣った。

!」

 そう声を上げて走ってくるのは、誰あろう、ぼくの親友、リリー・エバンズだ。よくもまぁ、あんなに高いヒールで走れるものだ……尊敬しちゃうよ、全くもう。
 真っ赤なドレスは、彼女の燃えるような綺麗な髪色にすごく合っている。しかし、ヒールを履かれちゃあ、スニーカーで現在リリーと同じくらいの身長のぼくは、軽々と抜かれちゃうんだよな……そこが少し悲しい。
 いや、これでも追いついた方なんだぜ。入学したての頃は、ぼくはおろか、セブルスよりも背が高かったし、リリー。

「……って、あれ? セブルスは?」

 セブルスの姿が見当たらない。そう思って尋ねると、リリーはふくれっ面をした。

「……知らないわよ。誘ってもくれなかったし、セブは」
「ええっ!?」

 それは初耳だ。というか、耳を疑うことだ。
 じゃあリリーは誰と一緒に来たの、と尋ねようとしたところで──

「やあやあ、御機嫌よう! 素晴らしい青空だね! 鳥が歌い、木々は囀り、日差しは囁く! あぁ、なんと麗らかな日だろうか!」
「……あー。うん、ジェームズ。もう日は落ちたよ」

 ジェームズが飛び跳ねながら近付いてきた。凄まじくテンションが高い。
 まさか、とリリーを見ると、リリーは渋い顔をした。

「……だって、行きたい行きたいってうるさかったんだもの……」
「……それでも、リリーが押し切られるって中々だね……」
「さすがの私も、行きたい行きたいですお願いします荷物持ちでも構いません本当僕のことはそこらの石ころだと思って頂いて全然構わないのでどうかお願いしますってプライドも何もなく談話室で土下座されちゃあねぇ……」

 そんなことしたのか、ジェームズ。そりゃあリリーも呆れ返るわけだ。

「セブルス先輩は確か、何かの集まりがあるって言ってましたよ? ルシウス先輩の誘いだそうです、ウキウキしたご様子で出ていかれました。僕も誘われましたが、先約があると断りをいれたんです」

 と、そう言うのはレギュラスだ。
 セブルスが『ウキウキした様子』というのは、これまた随分と珍しい。一体何があるというのだろう。それも、リリーとのクリスマスパーティを差し置いてまで。

「って、先約ってまさか……ぼく?」

 レギュラスに尋ねると、レギュラスはその品のいい顔に「はぁ?」と心底見下すような表情を浮かべた。
 顔がいいから、本当、そういう顔が無駄に似合う。ぼくの心も折れそうだ。

「当たり前に決まっているでしょう。分かりきったことを口にさせないでくれませんか」
「ごめんなさい……って、ぼくの誘い断ってそっち行っても全然ぼくは構わなかったのに……」

 今度は睨まれた。瞳の色はシリウスと同じ色合いをしている。
 元来そっくりなのだ、この兄弟は。性格以外は。

「今度卑屈なことを言うようでしたら、僕は貴方と二度と口を利きません」
「ごめ……っと」

 慌てて口を塞いだ。謝罪の言葉もダメなのか。
 レギュラスは難しい。その点、シリウスはかなりシンプルなんだけど。

「あら? どうして『穢れた血』なんかがここにいるのかしらね?」

 クスクス、と笑って、一人の女子生徒がすぐ側を通り抜けた。ふわりと長い銀髪が印象的な、深い緑色のドレスを着た女の人だ。おそらく、ぼくやリリーより年上だろう。びっくりするほど美人だ。
 その女子生徒は、ぼくの隣にいるレギュラスに目を留めて、心底おかしそうに笑った。

「レギュラス。お元気? 家名汚しのお兄様も達者かしらね?」
「……えぇ、Ms. クラリス。残念なことに元気が有り余っているようですよ」

 それは残念なこと、と、彼女は上品に微笑んだ。そしてぼくらをチラリと見回すと、レギュラスに対して「お友達は選んだ方がよろしいんじゃ?」と嘲けるような笑みを向ける。

「純血の面汚しに、『穢れた血』ですか。彼らと関わってるようじゃ、ブラック家も落ちぶれたと言われてしまうわよ」

『穢れた血』。マグル生まれの子を──リリーを、侮蔑する言葉だ。
 リリーの眉間にぎゅっと皺が寄る。しかし、何とも言葉を返せずに、リリーは静かに俯いてしまった。そんなリリーの表情に浮かぶのは、疲れた諦め。
 何度も何度も言われたことのあるその言葉に、もう言葉を返すこと、対抗することすら諦めてしまったのか。リリーにこんな表情を浮かべさせるまで、この言葉はリリーの心を深く傷つけたのか。

「二度とその言葉を口にするな」

 ぼくに代わって──リリーに代わって、低い声でそう言ったのは、ジェームズだった。
 彼は、酷く怒っていた。リリーを庇うように立ち塞がると、鋭い視線を女子生徒に送る。

「……あらあら。血を裏切るポッター少年? おおいぬ座の一等星くんとも仲がいいそうね。裏切り者同士、何かと気が合うのでしょう。何よりだわ」
「……僕のことは何と言ってくれても構わないが、大切な人を侮辱されて尚、黙っていられるほど、僕はお人好しじゃないんでね。エバンズ嬢のこと、そしてシリウスのこともだ、Ms.クラリス? ……謝罪しろとか、多くのことは言わない。僕が言いたいのは、ただ一つだ。『失せろ』」

 楽しげに女子生徒は笑うと「あらあら。それでは失礼しますわ」と言い、身を翻して去って行った。
 ジェームズは眉を寄せて、彼女の後ろ姿をじっと睨みつけていたが、ふと表情を変えると「エバンズ! 大丈夫かい?」と情けない声を上げた。

「君の気を悪くしなければよかったんだけど! くっそあの……あの……あの、美人さんめ!」
「えぇ、なんとか罵倒語を思いつこうとした形跡は認めてあげるけれど」

 リリーはため息をついて、なおも飛び跳ねるジェームズを「うるさいわ」と絶対零度の声音で黙らせる。
 そして、隣にいたぼくにしか聞こえない小さな声で呟いた。

「……ちょっとだけ……ちょっとだけよ? ……見直してあげてもいいかもね」

 その声音に、その言葉に、ちょっとだけ、胸の奥がざわついた。
 その理由はいまいちよく分からなくって、それでもぼくは「そう」とだけ、リリーに頷いた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 クリスマス・ダンスパーティの知らせは、風よりも箒よりも早く全校生徒に知れ渡った。
 誰もが(特に女の子が)楽しげにダンスパーティの話をしていたし、普段クリスマスにホグワーツに残る人は少数派なのに、今回は四年生以上は全員名前を書いたんじゃないだろうか。それくらい、ダンスパーティの知らせは校内を熱狂させた。

 ハリーら三大魔法学校対抗試合の選手四人は、ダンスパーティの最初に踊らなければならない、というのが規則のようだ。それを知ってからのハリーは、もう一度ホーンテールと戦う方がマシだと思いつめんばかりに項垂れている。その気持ちは分からんでもない。

 しかし我が兄ハリーは、ちょいと思いつめすぎじゃないだろうか。しかも代表選手でもあるのだし、女の子がまさしく選り取り見取りなのでは。
 そう言うと、ハリーは大きくため息をついた。

「彼女たちは僕が有名だから誘いたがってるだけさ。ハーマイオニーがクラムについて言った言葉が忘れられないよ。『みんな、あの人が有名だからチヤホヤしてるだけよ!』ってね。今まで申し込んでくれた女の子の何人が、僕が代表選手じゃなかったら一緒にパーティに行ってくれたと思う?」
「……あー」

 なるほどね、とぼくは小さく呟いた。

「ところで、金の卵はどうだったの?」

 確か、金の卵には、次の課題のヒントが隠されているはずだ。気になって尋ねてみると、ハリーは少し表情を曇らせ、代わりにロンが「ハーマイオニーみたいなこと言うなよな、アキ!」と、ハリーを庇うように言ってみせた。
 この二人はついに今まで通りに戻ったようだ。ホッとする。

「それより、アキ。君は一体どんな調子なのさ」
「え? 何が」
「何が、じゃない、ダンスパーティに決まってるだろ。アクア嬢は誘えたの?」
「……あー」

 その話か。
 もごもごと「誘えてない」と言えば、ハリーは仕方ないなと言うように笑ってぼくの頭を優しく撫でた。

「早く誘わないと、よく分かんない男に取られちゃうぜ? あの子可愛いもん」
「うぅ……知ってるよ」

 知っている。アクアが可愛いことくらい、重々承知している。男子が放っておく訳ないことくらい分かってる。

「でも、勇気が出ないんだ」

 僕と同じだね、とハリーは小さく呟いた。





 昼食が終わると、次は数占い学の授業だった。アリスと別れ階段を降り、人気のない廊下に辿り着く。生徒にあまり知られていないこの廊下は、数占い学の教室に直通する近道だった。どれもこれも、『忍びの地図』作成のときの知識の副産物だ。

 時間的にはまだ余裕があるが、早めに行って授業の予習をしておきたい。そう思い足を急がせるも、ふと人の声が耳に入ってきた。珍しい、この廊下を使う人がぼく以外にいるなんて。
 まぁ廊下というのは使われるためにあるものだ、なんて考えつつ素通りしようとして、その場の異様な雰囲気に、ぼくは思わず立ち止まると、慌てて隠れた。

 セドリックと、もう一人は──レイブンクローのチョウだ。
 チョウは、セドリックが勇気を振り絞って言う言葉を、じっと待っている。やがて、セドリックが口を開いた。

「あの、さ……僕と、ダンスパーティに行ってくれませんか?」

 ……うおお、なんだこの緊張感。ぼくは誘う側でも誘われる側でもないのに、滅茶苦茶ドキドキする。
 これを、ぼくが、アクアに? 無理だよこんなの、心臓が爆発しちゃう。

 チョウはしばらく黙っていたが、やがて頬を染めると、小さな声で「……はい」と頷いた。
 カチンコチンに固まっていたセドリックの背中が、安心したように力が抜ける。覗き見している立場であるぼくも、ホッとして胸を撫で下ろした。
 なんだよこの行事、心臓に悪い……。

「そ、そうか……ありがとう」

 そう言ったセドリックの声は、若干上ずっていた。

「じゃ、じゃあ……クリスマスに、また」
「あ、あぁ……また」
「あの、その……ふくろう便、送るから」
「あ、あぁ! そうだな、うん」

 セドリックがチョウの言葉に何度も頷く。
 チョウはまだ頬を染めたままだったが、「じゃあね、セド」と言うと、廊下を駆け出していった。ほんのり口元が緩んでいる。

 セドリックはまだぼぉっとした表情でその場に立ち竦んでいた。こっそり忍び寄って「よう色男!」と背中を思いっきり叩くと、「うわっ!?」と度肝を抜かれたような声を上げて振り返り「な、なんだ、アキか……」と肩を下ろす。

「というか、見てたの? 覗き見とか趣味が悪いなぁ」
「見えちゃったんだよ。覗き見したことは謝るよ、ごめんね。でも、おめでとう」

 ぼくの言葉にセドリックは、珍しくも年甲斐もなく表情を緩めて「……ありがとう」と漏らした。

「君でも女の子を誘うの、緊張するんだ」

 そう意地悪く言うと、セドリックは情けなく眉尻を下げる。
 その顔、チョウには絶対に見せられないな。

「当たり前だろ。僕がそう女の子に慣れているように見えるのかい?」
「まぁ、クィディッチの花形シーカー様ですしね。代表選手にも選ばれて、しばらく女の子のファンに付きまとわれてたろ?」
「知ってたのなら、どうして助けてくれないの」
「君が好んで連れ回してるのかなって」
「そんな訳ないだろ。全く……」

 肩を竦めた。

「第一の課題、おめでとう」
「あぁ、あれか……君の兄にもさ、ありがとうって言っておいてくれないかな」
「どうして?」
「ハリーが教えてくれたんだ、『第一の課題はドラゴンだ』って。それがなけりゃ絶対、僕は何の対策も立てられないままドラゴンの前に引きずり出されて負けてたよ。本当に助かった」

 そう言ってセドリックはにっこりと笑った。

「しかし、僕もクラムもクィディッチ選手なのに、箒を使うなんてちっとも頭に浮かばなかったからなぁ……ハリーの発想力には、本当に目を瞠るよ。それとももしかして、君の入れ知恵だったりするのかな?」
「それは違うよ。課題に対してぼくは何の手助けもしていない。正真正銘、ハリーだけの力さ」

 誇らしくて、ぼくは胸を張った。しかし次にセドリックから出た言葉に、ぼくはしゅんと唇を尖らせることになる。

「ところで君は、ダンスパーティのお相手は決まったの?」
「……話がいきなり飛ぶなぁ」
「なぁに、戻っただけさ。その様子じゃ、まだ決まってないみたいだね。君は人気があると思ってたんだけどなぁ、僕」
「言っておくけどね、セドリック! ぼくは男に誘われても全く行く気にはならないんだよ!!」

 誘われはしたぞ、確かに。しかし駄目だ、ありゃ駄目だ。
 なんせぼくに声を掛けてくる九割が男なのだ。最初の一人二人は「あー可哀想に」な表情をしていたアリスが、数が増えるごとに笑い転げるのだ。やってられない。本当に髪を刈り上げるべきだろうか、と真剣に検討するくらいだ。

「セドリックも笑うんじゃない!!」

 壁にもたれて笑うセドリックに地団駄を踏んだ。来世では間違っても『可愛い』とは言われない、アリスやシリウスやセドリックのようなイケメンに生まれてやるんだ。

 しかし、男に誘われてみて思ったが、よくレギュラスは幣原の誘いをオーケーしたもんだ……普通は断るだろうに。

「っくく、ごめんごめん……つい、アキらしいなって」
「らしいってなんだよ!」
「じゃあさ、アキは誘いたい女の子っているの?」

 う、と言葉に詰まった。お、とセドリックが悪戯っぽい光を目に宿す。

「いるんだ?」
「……ノーコメント」
「それはイエスととっても?」
「……好きにしなよ」
「楽しみにしてるね」
「……趣味悪い」
「覗き見してた君には言われたくないな」

 むぅっと膨れると、セドリックは優しく笑ってみせた。

「……頑張れ、アキ

 その言葉に、ぼくは息を吐いた。

「……頑張る」

 ──クリスマスダンスパーティまで、あと二週間。



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