『動物もどき』を、ジェームズ、シリウス、それにピーターが自在に操れるようになってからというもの、『忍びの地図』の作成スピードは格段に早まった。
今まで彼ら三人が、『動物もどき』完成に力を注いでいた時間が、単純にこちらに割り振られるようになった、という理由以外にも、もう一つ訳がある。ピーター・ペティグリューの『動物もどき』、すなわちネズミが、今までじゃ行けないようなルート(例えば、管理人のフィルチさんのいる管理人室の先、とか、マクゴナガル先生の私室、とか)もするりと潜り込み、地図完成に多大なる貢献をしてくれたからだ。『動物もどき』の思わぬ副産物である。
「秋、行くよ!」
リーマスが伸ばした手を、ぼくは取った。
水曜の三限は、今学期、ぼくと悪戯仕掛人の四人が、授業が入っていない奇跡の時間だ。授業中だから、廊下は閑散としているし、教師は授業で出払っている。一時間半もすれば人で溢れかえる廊下を、ぼくと悪戯仕掛人の四人は走った。
ぼくらの先頭を走るのは、ジェームズでもシリウスでもない、ピーターだ。誇らしさに表情を輝かせている。
ピーターが先頭を行くことは、とても珍しいことだった。だって、誰よりも目立ちたがり屋なジェームズとシリウスの陰に、普段はリーマスやピーターは隠れがちだったから。
リーマスは、自らが人狼であることに対する引け目から(ジェームズは「あんなふわふわでちっちゃい問題、気にするだけ無駄なのになぁ」と肩を竦めていたが)、そしてピーターは、臆病で引っ込み思案な性格から。
四階の廊下、魔女の石像の前まで辿り着くと、ピーターは杖を取り出した。
ピーターがこんなにも表情を輝かせて杖を振るのを、ぼくは初めて見た。恐らく、悪戯仕掛人の他三人も、そうだっただろう。
「ディセンディウム」
そう言って魔女のコブ部分に杖をコツンと当てると、石像はたちまち真っ二つに割れ、人が一人通れそうな隙間が出来る。
ぼくらは黙って頷き合い、ピーターを先頭に、隙間を潜っていった。
曲がりくねった曲がり道や登り道を、僕らは黙々と歩く。やがて、石造りの階段が現れた。それをも登っていくと、やがて頭上に観音開きの扉が現れる。身長が低いピーターに変わって、シリウスがその扉を慎重に押し開けた。漏れる光に、知らず知らず唾を飲み込む。そして──
シリウスが、猫かと見紛うばかりの俊敏な動きで光の中に身を躍らせた。そしてキラキラした目で、暗闇にいるぼくらに小声で「大丈夫だ、来い!」と頷き、ピーターに対して手を差し伸べる。その手に掴まり、ピーターが、そしてぼくとジェームズ、リーマスも、外へと這い出た。
そこは、倉庫のようだった。木箱がところ狭しと積み上げてある。
ジェームズは何の気なしにラベルを読み上げた。
「『ナメクジゼリー』か。親友共よ、どうやら僕たちはやり遂げたようだ」
「ハニーデュークスか」
リーマスが、まるで宝の山のど真ん中にいるかのように表情を輝かせている。
ぼくらは扉を元どおりにしっかりと閉めると、階段を上った。そこはハニーデュークスのカウンター裏のようだ。ぼくらは客に紛れ、やがて、ハニーデュークスの外に出た。
外は、珍しくも眩いばかりの晴天だ。
「まるで俺らの未来を暗示しているようじゃないか」
「あぁ、その通りさ相棒」
ジェームズとシリウスが、目を細めながらそう言い合う。そして二人は目を見合わせると──言葉を交わした様子はない、彼らの間には言葉なんて無粋なものは不必要だ──予告もなしにピーターを抱え上げた。
「わぁっ!?」
ピーターが度肝を抜かれた声を上げるのもお構いなしだ。まぁ、そんなものに構っている二人は、二人じゃないか。
それに──
「凄いじゃないかピーター!」
「さすがは悪戯仕掛人の一員だな!」
──こんな笑顔、誰にも止められっこないのだから。
驚きに満ちていたピーターの表情が、だんだんと変わっていく。
やがて、喜びと誇らしさを噛みしめるように、ピーターは何度も何度も頷いていた。
三本の箒は、いつでも人で混み合っていた。しかしカウンター席が空いていたので、シリウスは真っ先にカウンター席へと歩みを進む。
ぼくなんかは、カウンター席だとこう、店員さんと何を話していいのか分からなくって苦手なのだけど、その辺りは、さすがシリウスだ。
「あら? あらあらあら? この顔ぶれ、どこかで見たことある気がするわねぇ~」
『三本の箒』の店主、マダム・ロスメルタは、ぼくらをずらりと見渡して、悪戯めいた楽しそうな笑顔を浮かべた。シリウスは軽く肩を竦めると、にやりと笑ってぼくを見る。
「気のせいだろ。ま、こんな美人見たら、俺はなかなか忘れないけどな。な、秋」
「ふふっ、そうだね、シリウス」
全く、口が上手いんだから、とマダム・ロスメルタは微笑んだ。バタービールを五つ注文すると、ウィンクと共にざくざくと美味しそうなクッキーが、大皿で出てきた。
「はい、校則破りの悪い子ちゃんに」
ぼくらはそれに歓声を上げ、それぞればらばらにお礼を言うと手を伸ばす。育ち盛りの男の子は、いつも空腹なのだ。
「そういや、今年か、ふくろう試験」
「ジェームズ、それ本気で言ってる? 最近じゃ、どの授業の最初もふくろう試験のことから始まるってのにさ」
「我らが親愛なるスミス女史以外はな、あぁ」
「スミス女史なぁ。俺は好きだけど、美人だし」
「シリウスは、何かあれば美人か美人じゃないか、だ。顔がよければ誰だっていいんだろ、あーやだやだ、不潔だわ」
「レイブンクローのポーンピー、グリフィンドールのミーシャでしょ」
「はたまたその前は二つ上の……」
「俺の話はもうそのくらいにしてくれないか」
シリウスが苦虫を五十匹くらい噛み潰したような顔で手を振ってきたのに、ぼくらはそろって「えー?」と不満の声を漏らした。
普段、ぼくらの誰かが恋文をもらったとか手作りケーキもらったとか、ひとたび聞きつけばすんごい勢いで食いついてくるのは君じゃないか、シリウス。
その時、ぼくらの元にバタービールが運ばれてきた。おっ、と、そこで会話も一区切りつく。
バタービールが全員の手元に回ったのを確認すると、ジェームズが立ち上がった。コホン、と咳払いをする。
「えー、本日はお日柄もよく……」
「巻け、巻け、そんなとこ! 時間は有限だ、俺たちの輝かしい時間をそんな下らない口上で浪費してなるものか」
「なるほど、それも真理か。ならばダンブルドアのごとく──」
ジェームズは、澄んだ瞳で叫んだ。
無邪気に未来を待ち望む若者の瞳で。
『未来』が、そう遠くない先、あまりにも残酷な形で切り取られ蹂躙されることなんて、微塵も考えることなく。
「それっ、僕らの前途に!」
「「「「乾杯!!!!」」」」
まだぼくらは、幸せだった。
◇ ◆ ◇
十二月ともなると、寒さに弱いぼくはコートとマフラーが手放せない。今年はとりわけ、天気が悪いようだった。二日に一日は霙混じりの雨が降り、身体の芯から凍えそうになる。
それでも、ホグワーツ城はダームストラングの船よりはマシなのかもしれない。真っ黒で大きな船は、風に煽られ、近くまで行けば軋む音が聞こえた。
ハグリッドはマダム・マクシームの馬に、シングルモルト・ウィスキーをたっぷりと与えているようだ。それは別に構わないのだが、「魔法生物飼育学」の授業がその馬たちの放牧場のすぐ近くだから、お酒の匂いが授業中漂ってくるのには参った。目を回してスクリュートらに指を食いちぎられないように気を確かに持つのは、結構大変なことだ。
今回の授業内容は、スクリュートが冬眠するかどうかを試す、というものだった。結果を先に言うと、スクリュートは冬眠しないということが分かった。かぼちゃ畑で暴れ回るスクリュートに、生徒のほとんどがハグリッドの小屋に立てこもる事態。まさしく阿鼻叫喚。
残った何人かでハグリッドを助け、スクリュートを捕まえたが、全員が火傷や切り傷だらけになった。
「脅かすんじゃねえぞ、ええか!」
ハグリッドが叫ぶも、ちょうどロンとハリーは向かってくるスクリュートに火花を噴射したところだった。
しかしスクリュートはむしろ激昂したように二人に迫ってくる。ちいっ、と舌打ちして、ぼくは杖を抜いた。
「インカーセラス!」
杖からロープが飛び出て、スクリュートにぐるぐると巻きついた。杖が久々にこれだけの出力の魔力を放出したためか、ビリビリと杖を持つ手が痺れる。
魔力の制御が難しい。普段の出力で魔法を掛けても、外装が分厚くて弾かれてしまうのだ。かといって全力で相手をすると、スクリュートはきっと『見せられないよ!』状態になってしまうことは請け負いだし、この絶妙な調整が大変だ。
ハリーとロンが、その場でじたじたと暴れるスクリュートにトドメを刺す。その上からハグリッドがねじ伏せた瞬間、尻尾から火が噴出され、そこら一帯に生えていたかぼちゃの葉や茎が軒並み萎びてしまった。
こういう飛び道具、本当に困ったやつだよ、スクリュートってのは。
「おーや、おや……これはとっても面白そうざんすね」
そんな声に振り返ると、いつの間にかリータ・スキータがハグリッドの庭の柵に寄りかかってこちらを眺めていた。ハリーの偏った新聞記事を書いた人だ。
「あんた、誰だね?」
「リータ・スキーター。『日刊預言者新聞』の記者ざんすわ」
「ダンブルドアが、あんたはもう校内に入ってはならねえと言いなすったはずだが?」
ハグリッドは顔をしかめながら言う。そうだったのか。
しかしリータはハグリッドの言葉を無視した。
「この魅力的な生き物は何て言うざんすの?」
「『尻尾爆発スクリュート』だ」
「あらそう? こんなの見たことないざんすわ……どこから来たのかしら?」
そう言われてみると、一体どこから来たのだろう。違法な匂いがプンプン漂ってくるな。
同じことに思い当たったらしいハーマイオニーが急いで口を挟んだ。
「本当に面白い生き物よね? ね、ハリー、アキ?」
「あ、うん……痛っ……面白いね」
「う、うん、そうだねー」
ハリーがハーマイオニーに足を踏まれながら答える。ぼくも冷や汗を掻きながらハーマイオニーに応戦した。
瞬間、リータがハリーに凄まじい勢いで向き直る。
「まっ、ハリー、君、ここにいたの! それじゃ、『魔法生物飼育学』が好きなの? お気に入りの科目の一つかな?」
「はい」
今度のハリーの言葉は、嘘じゃなかった。ハグリッドもニッコリする。
「そちらの子、お名前を聞かせてもらってもいいざんすか?」
唐突に、リータの矛先がぼくに向いた。驚いてキョロキョロ辺りを見回すと、ハリーが気の毒そうな目でぼくを見ていた。
「あー、えっと、アキ・ポッターです」
「ポッター? ということは、噂のハリー・ポッターの双子の弟かしら?」
「あー、そんなもんです」
噂の、か。ぼくも有名になったもんだ。
「もしよろしければ、詳しい話を聞かせてもらってもよろしくて? 幼少期のハリー・ポッターとか、本人の口からよりも他者の口から語られる方が真実味が出るわ」
え、とハリーを横目で見ると、全力で頭をブンブン振っていた。だよなぁ、何言ったっていろんな脚色改変されるんだもんなぁ、と悩んだところで。
「……彼のことは新聞に載せないでくださいます?」
流れる銀髪。小柄な背丈。緑が入ったコート。
アクアが、ぼくを庇うようにリータの前に立ち塞がっていた。
「……色んな人に、混乱を巻き起こしてしまうので」
「……あら、ベルフェゴールのお嬢ちゃんじゃないざんすか」
「えぇ。お願いしますわ、是非とも」
そう言うが早いか、アクアはぼくの袖をぐいと掴んでスタスタと歩き去る。引っ張られ、慌てて足を踏み出した。
「すてきざんすわ。長く教えてるの?」
「まだ今年で二年目だ」
リータはハグリッドにターゲットを変えたらしい。大丈夫かな、と、それはそれで心配になるものの、まずはこっちが先だ。
「……えっと、アクア。……助けてくれて、ありがとう」
「……別に」
アクアがぼくのコートの袖を離した。
「……あなたのためじゃないわ。あなたの顔写真とかが出回ったら、幣原秋を知る人物に混乱をもたらしてしまう。それだけよ」
「それでも……ありがとう。本当に助かったよ。そして……こないだは、ごめん」
アクアはじっと黙っていたが、ふいと俯いてしまった。困ったな、と思うも、聞いてはいるのだろうから、言葉を続ける。
「指輪が誰からもらったのかは話せないけど……これはとある奴との魔法契約の証なんだ。ごめん、あの時、誤魔化そうとして」
それでね、と、ぼくは少しだけ笑って言った。
「もし君さえよければ、次のホグズミード休暇、一緒に過ごせないかなぁ」
アクアはしばらく黙っていたが、やがて小さく「……暇ならね」と答えた。
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