「どうしたのリィフ、不良デビュー?」
ぼくの声に、リィフは驚いたように振り返った。口には火のついた煙草が咥えられていて、先から煙が細くたなびいている。
薬草学の授業終わり、温室から帰る途中で、ぼくは校舎裏で一人佇むリィフ・フィスナーの姿を目に留めたのだった。
「秋か……びっくりした」
「リィフって吸う人だったんだ」
「先生に告げ口はしないでよね、何でもするから」
「そこまで言うのなら、吸わなきゃいいのに」
リィフの隣に並ぶと、校舎を背にして座り込んだ。瞬間リィフの煙が飛んできて、思わずケホケホとむせる。
「バカだなぁ、秋。そっちは風下だぞ。来るなら逆、逆」
「なんでこんなの吸いたがるかなぁ、喫煙者の思考は理解出来ない」
「はは、君らしい」
「……それ、暗にお子様だって言ってる?」
目を眇めるも、リィフはニヤニヤと笑うだけだった。
煙をゆっくりと吸い込むと、静かに吐き出す。物憂げに瞼を伏せるその仕草は、リィフの整った顔立ちと相まって、なんだかとても格好良く見えた。
ぼくの視線に気付いたか、リィフは人差し指と中指の間に煙草を挟むと軽く振った。
「どうしたの、秋? もしかして興味ある?」
「……遠慮しておくよ、我らが監督生さん?」
「うっ……そこを突かれると痛いなぁ……」
笑って、リィフは空を見上げた。
校舎裏のここからだと、空は建物で四角く囲われて見える。
「……ちょいとね、ストレス発散というか、現実逃避、というか。僕もね、少しばかり悪ぶってみたいときもあるんだ」
「現実逃避……」
僅かに心惹かれた。ぼくの表情を見て、リィフは「何、気になる?」と肩を竦めた。
「あぁ、でも、煙草吸うと身長止まるって言うしなぁ」
「……止めておくよ」
「っく、それがいい」
伸ばしかけた手を引っ込めると、喉の奥でリィフは笑った。
……うるさいな、まだ伸びるんだい。
「『不死鳥の騎士団』に入ったんだって?」
「……うん。色々とね、思うことがあって。よく知ってるね」
「情報も一つの武器だからね。君もこれからのために、情報を上手く使う術を覚えた方がいいよ。……秋は、闇祓いを目指すの?」
静かに言われた言葉に、目を瞬かせた。首肯する。
「そうだね。受かるかは分かんないけど、ふくろうでは必要なだけの単位も取れたし。リィフは、家業を継ぐんだっけ?」
「あぁ……ま、そんなところかな。……そいつと、『中立不可侵』のフィスナーとで、ちょいと参っちゃっててさ。少しくらい心の安寧を求めさせてよ」
茶化したようにリィフは笑ったが、何だか疲れているようだった。
じっと緑の瞳を見つめると、リィフはふいっとぼくから目を逸らした。
「……卒業したら、さ」
ぼくの言葉に、リィフはちらりと視線を寄越した。
「今まで同級生として、ホグワーツ生として一緒にやってきた人たちの、どのくらいが……どのくらいを、『敵』に回すんだろうね。敵だと見なさなきゃ……ならないんだろうね」
「……闇祓いになるのなら、より一層、そうなんだろうね」
リィフはぼくの言葉に、小さく頷いた。
……ほんの少しだけ、否定して欲しい気持ちはあった。
そんなことないんだと、世の中はもっと平和で未来は明るいんだと、笑って欲しかった。
ありえないことだと、分かっていたけれど。
「きっと君は、分かっているんだろうけど」
そう前置いて、リィフは言った。
「セブルス・スネイプとは、距離を置いた方がいいと思うよ」
目を閉じる。
「分かってるよ」
分かっているんだ。
それが出来ないのは、ひとえにぼくの弱さと甘さのせいだということも、分かっていた。
◇ ◆ ◇
ついでに言うと、ハリーとぼくの罰則はもう一週間伸びた。
「あそこで、その発言は完全に逆鱗だろ、バカめ……」
「ハリー一人をガマガエル女史の巣に放り込むなんて出来ないよ。大好きな兄が頭からペロリと食べられる様、想像したくもないもの」
アリスの『優等生』は、三週間目に入っていた。
最初は誰もが笑っていたアリスの優等生姿だったが、だんだんと皆慣れてきて、案外やっていけてるようだった。元々、根は真面目な奴なのだ。少々見た目と口が悪いだけで……。
アンブリッジは、アリスを『あの名門フィスナー家の嫡男』と認識したらしく、アリスを見ると頬を緩め、声が甘ったるくなるようになった。それにアリスも──アリスもアリスだ! 初めて見た、アリスのあんな笑顔──素晴らしい、なんというか、すごく『紳士的』で丁寧な態度で応じているようだ。
アリスの素を知るぼくや、同室のウィルやレーンは、その攻撃に真顔で耐えなければならず、腹筋が随分と鍛えられる結果となった。
そんな折。
「『闇の魔術に対する防衛術』を自習したいと思うの、生徒だけで。その先生を、ハリーとあなたに頼みたいと思っているのよ」
何の役にも立たない『闇の魔術に対する防衛術』の授業が終わり、アンブリッジの目も耳も届かないところまで来たことを確認して、そんなことをハーマイオニーは口にしたのだった。
ハリーは複雑な表情ではいたが、教師役を引き受けることにひとまずは頷いたらしい。
「悪くない考えだと思うよ。そのうち誰かが、そんなこと言い始めるんじゃないかと思ってた」
そう言って肩を竦めると、ハーマイオニーはむっとした表情でぼくとの間の距離を詰めた。
ちょっと、近い近い。思わず仰け反る。
「私はね、
「……教えられるかは怪しいよ? ぼくは『出来る』人間だから、『出来ない』人間の気持ちが分からないかも」
意地悪く言う。
しかし、ハーマイオニーは落ち着き払っていた。
「あなたは教えるのに向いてるわ。三年生のとき、誰がいつも一緒にいたと思うの? 誰と、常日頃勉強していたと思うの? 私は一体誰に、何度も何度も呪文を教えてもらったと言うの?」
「…………」
「来週、十月最初の週末はホグズミード休暇だわ。関心のある人を少しばかり、あそこで集めてみようと思うの」
──少しばかり、という言葉の定義を、少々議論する必要があるようだ。
ざっと見ただけでも、グリフィンドールがネビル、ディーン、ラベンダー、パーバティ、アンジェリーナ、ケイティ、アリシア、ジニー、フレッドとジョージの双子に、リー、コリン、デニス。
レイブンクローがパドマ、チョウ、マリエッタ、ルーナ、アンソニー、マイケル、テリー、レーン。
ハッフルパフがアーニー、ジャスティン、ハンナ。名前が分からない人も数人いる。
「数人だって?」
ハリーも唖然としているようだ。そりゃあそうだ。
「えぇ、そうね、この考えはとっても受けたみたい」
バタービールを回して、乾杯した。キャップをクルクルと弄りながら、ハーマイオニーが概略を話しているのを聞き流す。
脳裏に浮かぶのは、ついさっき交わした、アリスとアクアとの会話だった。
『俺は、行かない』
はっきりとした声で、この会合に参加することを拒否したアリス。
その瞳には、しっかりと意志の光が灯っていて──あぁ、こいつは、何かを決意したんだな、と、一目で分かった。
『私は──スリザリンだから』
そう言ったアクアは、寂しげだった。
『応援は、しているわ。でも、スリザリンの私が行くことは出来ない。スリザリンと他寮の壁はね、あなたが思っている以上に分厚いのよ。──ハーマイオニーとも同じ話をしたわ。分かって、アキ』
何より信頼していた二人から、揃って拒絶の言葉を向けられると、やはり揺らぐ。
この会合は、本当に正しいものなのか?
「ヴォルデモートがどんなふうに人を殺すのかをはっきり聞きたいからここに来たのなら、生憎だったな。僕は、セドリック・ディゴリーのことを話したくない。分かった!? だから、もし皆がそのためにここに来たなら、すぐ出て行ったほうがいい」
ハリーの怒鳴り声に、顔を上げた。場が静まり返る。
「それじゃ……さっきも言ったように、皆が防衛術を習いたいのなら、やり方を決める必要があるわ。会合の頻度とか、場所とか」
ハーマイオニーは少し上ずった声で言った。
そこで、ハッフルパフのローブを纏った女子生徒が声を上げた。
「守護霊を創り出せるって、ほんと? 有体の守護霊を?」
「あ──君、マダム・ボーンズを知ってるのかい?」
「私のおばよ。私、スーザン・ボーンズ。おばがあなたの尋問のことを話してくれたわ。それで──本当に本当なの? 牡鹿の守護霊を創るって?」
「あぁ」
ここで否定するのも変だろうと、ハリーは少し口ごもりながら頷いた。
周囲がハリーへの賛辞でざわざわするのが嫌だったのか、ハリーは「でも、アキだって」とぼくの名前を出した。一気に皆がぼくを見て、思わずたじろぐ。
「アキが今まで使えなかった呪文はない。ひとつの例外残らず、だ。何より、いい先生になるだろう」
「あぁ、レイブンクロー切っての秀才だからね、アキは」
レーンがニヤリと笑ってぼくを見た。やめてくれ、とぼくは唇を尖らせる。
「じゃあ、ハリーとアキから習いたい、ということで、皆賛成ということでいいのね?」
ハーマイオニーの言葉を、否定するものはいなかった。
「羊皮紙に、何か呪いを掛けたいんだけど、いい案はないかしら、アキ」
集まった名前を書く羊皮紙を回しているとき、ハーマイオニーが小さな声でぼくに耳打ちした。
「呪い?」
「そう。誰かがアンブリッジに告げ口したり、そういう人が出たときに瞬時に分かるような……そして、そういう人を出さないための抑止力となるような何か」
「……あとで教えよう」
羊皮紙が回ってきた。羽根ペンをインク壺に突っ込みつつ、ふと思う。
──ジェームズたちなら、面白がっただろう。
セブルスは、たとえスリザリン生じゃなかったとしたところで、こんな集まりには参加しなかっただろう。リィフも、アリスと同様に、参加を表明することはないに違いない。
ならば、幣原は? あいつは、どうだろうか。
分からない。分からない。
その読めなさ加減が、妙に気に掛かった。
「…………」
左の甲、『ぼくは嘘をついてはいけない』と刻まれた文字に、無意識に唇を押し当てる。
そして、ぼくは一番下に署名を施したのだった。
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