新月の夜。ぼくとピーターは、月明かりのない外を歩いていた。
季節はもう冬に入ろうとしていて、夜は随分と冷え込んで来る。
「寒いね……」
両手を擦り合わせ、襟元を掻き抱きながら、ピーターにそんな言葉を振った。途端、ピーターはビクリと大きく肩を震わせる。星の仄かな明かりしかないためよく分からないが、顔色が随分と悪い気がした。
「大丈夫、ピーター?」
「う、うん……」
大丈夫とは到底思えない震えた声で、ピーターは顔を伏せた。
不死鳥の騎士団の任務で、ぼくらは真夜中にゴドリックの谷に来ていた。ここに家を構えているオーティス家が、今夜襲撃されるという情報を掴んだためだ。
ぼくらはこれから、家人を連れ出し安全な場所──不死鳥の騎士団へと連れて行く。ぼくらの他にも、ジェームズやシリウス、エリス先輩やべンジー・フェンウィック氏など、不死鳥の騎士団六人が今回の任務に当たっている。それだけの人員を割くということは、かなり信憑性が高く、そして危険な任務なのだろう。
「……ねぇ、疑問には思わないの?」
ピーターが小さな声で呟いた。
「何が?」
ぼくの問いかけにピーターは、囁くような本当に小さな声で答える。
「……相手の情報をこうして僕らが得ているように──相手側に、こちらのスパイがいるように──こちら側にも、あっちのスパイが紛れているかもって」
思わず、息を呑んだ。
ピーターは自分が発した言葉に身震いをしたが、それでも言葉を続けた。
「ねぇ、秋──誰が味方で誰が敵か、なんて、どうやって見分けがつくの」
何と答えていいのか、ぼくは分からなかった。
それでも、予定された時間は刻一刻と迫ってきている。ピーターの言葉に答えるより、ぼくは任務を優先させた。ピーターもそれに対して、何も言わなかった。
家の扉を、あらかじめ決めておいたリズムで四度叩く。待ち構えていたように、扉がパッと開かれた。
玄関先には、分厚いショールを巻いた夫人と、夫人に手をしっかりと握られた、まだホグワーツにも通っていないだろう少年と少女の姿。ぼくは一礼をして、夫人に闇祓いの紋が入った懐中時計を見せた。
「不死鳥の騎士団団員、闇祓いの幣原です。あなた方を安全な場所へと案内致します」
闇祓いの名は、夫人を安心させるのに役立ったようだ。やつれて、目の下に黒々と隈を作った彼女は、僅かにぼくらに微笑んだ。
ピーターは少年と少女の目線になるよう屈み込むと、笑顔を見せる。
「お兄ちゃんたちについて来たら、大丈夫だからね」
ピーターの控え目だけれどしっかりした言葉に、子供たちも不安げな眼差しながら、コクリと頷く。
「今からこの家に守護呪文を掛けます。お手数ではありますが、もうしばらくお待ちください」
夫人は青ざめた表情ではあったが、「はい」としっかりした声を発した。
しかし、ぼくが杖を取り出した瞬間──ドーン! ──という物凄い音と共に、家が揺れる。
小さな悲鳴と共に、夫人は慌てて二人の子供を抱き寄せた。
「ピーター、三人連れて本部まで『姿くらまし』して!」
「秋、僕の『姿くらまし』のテストの点数知ってるでしょ!? 僕一人でもギリギリなのに他三人とか無理だから!!」
思わず舌打ちが零れる。と、次の瞬間に扉が、蝶番が壊れんばかりの勢いで開かれた。身構えるも、入ってきたのはシリウスだ。
「秋、ピーター、早く連れて逃げてくれ! 情報の時間より早い──死喰い人だ!」
シリウスが焦った声で叫びながら、「コンファンド!」と扉の外へ杖を振った。
「──、死ぬなよシリウス!」
「俺は殺されても死なないさ、安心しろ秋!」
「とっとと行け幣原!」
この声はエリス先輩だ。呪文を打ち合う音が段々近付いてきていることに、覚悟を決める。
「ぼくの手を取って!」
ピーターの手を掴むと、夫人に手を差し出した。自分含めて五人の『姿くらまし』はしたことがないが、ぼくなら出来るはずだ。いや、やらなくてはいけない。
失敗は絶対に許されない。同時に何人も運ぶタイプの『姿くらまし』は、術者よりも付き添いに──この場合は夫人と子供たちに失敗のとばっちりが飛ぶ。
絶対に成功させる。
夫人は意を決したようにぼくの手を取った。
右足を軸に、左足で地面を蹴った。脳裏にしっかりと目的地の座標を思い浮かべながら、『姿くらまし』する。周囲の風景が急速に回転し、やがて──止まった。
地面に足がつく。ふんばろうと思ったが、夫人がぼくの腕を強く握ったまま体勢を崩したため、無理だった。せめて夫人と子供たちを下敷きにしないよう、上手に倒れる。
不死鳥の騎士団から少し離れた小さな公園に、ぼくらは降り立った。
「大丈夫ですか!?」
ピーターが呻きながらも立ち上がる。
『ばらけ』たりはしていないだろうか。慌てて起き上がると、夫人と子供二人をそれぞれ検分する。どうやら失敗はしなかったようだ、そのことにホッと安堵した。
新月のため月の明かりはないが、公園の街灯がぼくらを照らしている。杖を振り街灯を消すと、念のために尾行されていないか、場所探知を解除する呪文を周囲に振り撒いた。そしてピーターを振り返る。
「ピーター、この人たちを無事に本部まで送り届けて。出来るよね?」
ピーターはこっくりと頷いた。ぼくは笑顔を浮かべる。
「え……秋、また向こうに行くの?」
ピーターは慌てたようにそう言った。
ぼくは目を瞬かせるも、その通りだったので首を縦に振る。
「奇襲を仕掛けるつもりが、逆にこちらが奇襲を仕掛けられる形になった。形勢は騎士団が不利だよ、加勢に行かないと」
「危ないよ!!」
ピーターの大声に、驚いた。声を発した本人であるピーターも、目を白黒させている。
「ど……どうしたの」
「……その、ごめん、大声出して」
シュン、とピーターは項垂れた。
「……危ないのは承知だよ。あっちにはまだ、ジェームズとシリウスもいるんだ。彼らも戦っているんだよ。……不死鳥の騎士団は、そもそも人数差で不利なんだ。動ける奴が行かなきゃだ」
「……どうして皆、そんなに強くいられるの?」
ピーターの肩は、震えていた。
一体ピーターにどんな言葉を掛ければ良いのか、思案して唇を舐めたが、しかし一刻も早く向かわなければ。
「強くなんてないよ──ぼくは」
よろしく、との気持ちを込めて、ピーターの背中を叩く。
ぼくとほとんど変わらない背丈のピーターは、しかし項垂れているから、ぼくよりも小さく見えた。
次の『姿くらまし』は、一人の分さっきよりも気が楽だ。その場で軽く飛ぶ。そのまま流れに身を任せた。
残されたピーターは、一人呟いた。
「……君が強くないというのなら、きっと」
僕は途方もなく、弱いのだ。
手の平に爪が食い込むほど、握り締めた。
『姿あらわし』したぼくは、その場の惨状にハッと息を呑んだ。
家が、燃えている。轟々と大きな音を立て、炎がちっぽけな家を呑み込んでいる。
夫人と二人の子供は、どんなに悲しむことだろう。夫人の細い手を、不安げな眼差しの二人の幼い少年少女を思い心が重たくなったが、今はそんな感慨に耽っている場合じゃない。
魔法式を組み立て上空に打ち上げると、数秒後に雨がパタパタと降ってきた。一秒ごとに雨は激しさを増していく。化学製品を混ぜ込んでいない、単なる純粋な炎だったようで、ただの水滴でも十分に炎はその威力を弱めていた。
『幣原か!?』
イヤリングの形をしたトランシーバーから、エリス先輩の声が聞こえてきた。慌てて右手でイヤリングを摘む。
「先輩! 皆は無事ですか!?」
『敵は引いた、戦闘は終了だ。だが、フェンウィックが殺された。ポッターも怪我をしている──』
ドキリと胸が騒めいた。奥歯を食いしばり、俯きそうになる顔を上げる。
「──今、どこに」
『家の二階だ。火の手が回って降りられない。もう少し、雨を強く出来ないか』
「了解しました」
答えながらも杖を振ると、途端に歩くのも辛いほどの雨が降ってきた。玄関から中に入り、雨じゃまだ掻き消せない室内の炎を、杖先から水を出して消していく。
階段を上がって、二階に。そこは、本当に室内かと思えるほど滅茶苦茶に荒らされていた。屋根は半分以上が壊され、外が見えている。廊下を挟んで二つ部屋があったのだろうが、壁は薙ぎ払われていて、広々とした一つの部屋だったようにも思われた。
「秋!」
シリウスに抱えられたジェームズは、意識がないようだった。頭から血を流している。
エリス先輩は周囲を探索していたが、チィッと舌打ちをした。エリス先輩らしくない、乱暴な仕草だった。
「一体、何があったんですか?」
「分からない。ただ、フェンウィックとポッターの側に、何かがあったんだ──詳しくはポッターに聞かないと」
エリス先輩は濡れた髪をガシガシと乱暴に掻いた。シリウスは、ジェームズに対して止血呪文を唱えていたが、どうやらそれも終わったようだった。
雨に打たれながら、ぼくは目を細めて頭上を見上げた。
「…………」
壊れた屋根の隙間からは、あの銀色の髑髏が浮かんでいた。
エリス先輩は、ダンブルドアに今回の任務での被害と戦果を報告すると、すぐさま『姿くらまし』で闇祓いの方に戻っていってしまった。訓練期間の三年を経て、前線へと組み込まれたら、闇祓いは本当に忙しい。その見本がすぐ側にいるというのは、果たして良いことなのか、悪いことなのか。
炎は、幸いにも全焼と行かないところで消し止められた。家主であるオーティス氏がぼくと一緒に同行して詳しく描写してくれたため、完全に元通り、とは行かないまでも、それなりに暮らせるレベルにまで、住居を復旧させることが出来た。
しかし、夫人はもうあの家には住みたくないと言う。守護呪文を掛けようというダンブルドアの言葉を蹴り、夫人のご両親の家に、子供二人を連れて帰ってしまった。
まぁ、それも無理もない──夫人の思いも、分からないではない。
今回の戦闘の犠牲者、ベンジー・フェンウィック氏。今回の任務最年長の彼の死体は、欠片でしか見つからなかった。
二人ペアで組んでいたこの任務。比較的玄関付近にいたエリス先輩とシリウスの組は、死喰い人四人に奇襲を受けたという。
家の裏手にいたジェームズとフェンウィック氏の身に、一体何が起きたのか。
知る唯一の術であるジェームズの意識は、まだ戻らない。
ジェームズの意識が戻ったと聞いたのは、その二日後だった。
ちょうど闇祓いの訓練が終わった夜の八時で、ぼくは慌てて騎士団の本部へ駆けつけた。ベッドの上で半身を起こし、ダンブルドアに経緯の説明をしていたジェームズだったが、ぼくの姿を見て笑顔を見せた。その笑顔に、力が抜けるほど安堵した。
「よかっ、た……」
「心配かけたね、ごめんね」
と、バーンと大きな音がして扉が開け放たれた。ぼくと同時に連絡を受けたであろうシリウスとリーマス、それにリリーが、部屋になだれ込んでくる。三人は笑うジェームズを見た後、ぼくと全く同じ表情を浮かべた。
「はっはっは、僕がいなくてそーんなに悲しかったのかい? やっぱり君達は僕がいないとダメダメなんだねぇ! まぁさしずめ僕は君達の真上に光り輝く太陽の如き存在だからね、無理もない! だが安心してくれたまえ、太陽は姿を隠すことはあれど、明けない夜はないのだから!」
……っ、全く、こいつはペラペラと……。変わらぬジェームズに、呆れて笑った。シリウスもリーマスも、ホッとした顔で苦笑を浮かべている。
しかし、リリーだけは違うようだった。顔を伏せたまま、ツカツカとジェームズに歩み寄る。ジェームズは朗らかに「やぁリリー! 僕がいなくて寂しかった? 僕の不在に、僕の存在がどれだけ重要だったのかが分かったのかな! ふふふモテる男はツライねぇ、彼女持ちはツライねぇ!」と口走っていたのだが、リリーの顔を見た瞬間、言葉が止まった。
「バカ……バカぁ……」
リリーはベッド脇で、膝をついた。カーディガンに包まれた細い肩が、震えている。泣いているのだ、と瞬時に気がついた。
「あ……っ、ご、ごめん、なさい……」
ジェームズがたどたどしく謝罪の言葉を紡ぐ。手を伸ばして、リリーの頭をぎこちなく撫でた。
「あ、あの……ごめん、ごめんってば、だから泣き止んで……」
珍しくもジェームズが狼狽えている。天然パーマの髪をいつものようにぐしゃぐしゃと掻こうとして、頭をぐるりと覆う包帯に気がついたようだ。助けを求める瞳でぼくらを見るが、ぼくらの中の誰が、適切な対処が出来ると思っているのか。
何より一番は、ジェームズがただそこで、リリーの手を握っていることだというのに。
ぼくら三人は、それがよく分かっていた。
だから、ぼくらが出来ることと言えば──。
「結婚式には呼ぶんだぞ!」
「ずっとお幸せにな!」
「子供は女の子がいいな!」
外野からそんな野次を飛ばすことくらいだった。
ジェームズは、珍しいことに真っ赤になってぼくらの野次に首を振っていたが、リリーの手を離そうとはしなかった。
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