年が明けて、ぼくは闇祓いに復帰した。
一年弱を開け、改めて見た闇祓い局は、顔ぶれ自体はあまり変わっていないようだった。
親しい人は、とうの昔に皆いなくなった。ぼくはかつての英雄、『黒衣の天才』として、今まで通り奇異と好奇と敬意と邪念の籠った視線を向けられる日常に舞い戻った。
「気付いたら、休職しているんだもん。驚いたよ。住んでた寮も引き払ってたし」
「はは……ごめん」
久しぶりにリィフと休日が合い、彼の家にお邪魔した。
リビングでは、リィフの一人息子、アリスが母親と遊んでいる。それを横目で見ながら、出された紅茶に口を付けた。
「ちょっとね。心機一転、というか。気分を変えようかなって」
「そう……まぁ、今まで君は頑張りすぎた。少しばかり休んだって、バチは当たらないさ」
昔と全く変わらない笑顔を浮かべる友人に、ぼくも微笑み返すと目を伏せた。
ごめん、リィフ。
胸の中で詫びる。
ずっと、ぼくと親しくしてくれた。そんな彼に、何も話せないという事実。
もう幣原秋は、君の友人である幣原秋は、あと一月もしないうちにこの世から消えてしまう。なんて残酷な仕打ちを、この善良な友人にしなければならないのだろう。
「……随分と、大きくなったね。子供の成長というのは早いものだ」
何も言えないまま、話題を逸らす。そうだね、とリィフは穏やかに笑った。
父親の顔だった。その顔を見て、やはりリィフは巻き込めない、と決心する。
「今年で三歳になるんだ。……と、おぉアリス、どうした?」
「……べつに」
先ほどまで母親と遊んでいたアリスが、とてとてとこちらに駆け寄ってきてそのままリィフの膝によじ登った。まるで自分の椅子かと主張するかのように唇を尖らせている。
「懐かれてるね、お父さん」
「ありがたいことだね。忙しくてあまり家に帰れないから、いつも長期出張の後とかは、アリスに忘れられてないかな? って心配になるんだけど」
「帰ってあげなよ、ちゃんと。忙しいのは分かるけどさ」
そうですよね、とリィフの奥さんに同意を求めると、彼女は微笑んで頷いた。リィフはまいったなぁ、と頭を掻く。
リィフの息子、アリスが今年で三つ、ということは、ハリーと同い年か。
ということは、ぼくの計画──『空の記憶』が成功すれば、『アキ・ポッター』とも同級生になる。
もしかしたら──もしかしたら。ぼくとリィフみたいに、アキとアリスも。
「……もう一回」
「ん? 何か言った?」
なんでもないよ、と、ぼくは笑った。
「そう言えば、聞いてる? セブルス・スネイプがホグワーツの教師になったって話」
「……え」
息を呑んだ。吐き出すことを、しばらく忘れていた。
リィフは頬杖をつき、少し複雑な表情をしていた。
「……ダンブルドアも、一体何を考えているのやら。僕には分からないよ」
ぼくには分かる。監視目的か。手元にずっと置いておくためだ。ヴォルデモートが再び蘇り力を取り戻したとき、また使える駒として。
「…………」
もし、『空の記憶』が成功したとして。そうしたら、アキとセブルスは──
考えかけた思考を、放り投げた。
全ての準備が整ったのは、その年の七月。ぼくが二十三の、夏だった。
真っ黒の夜空を見上げて、大きく息を吐いた。
深夜にこうして、ビルの屋上で風に吹かれるのも久し振りだ。全ての生きる希望を失って、死ねないかと何度もいろんなことを試したっけ。今となっては、随分と懐かしい。
「……本当にやるのかい?」
囁いたのはリーマスだ。そうだよ、と静かに頷く。
「君が来る必要は、なかったのに」
そう言うと、リーマスは泣きそうな顔で微笑んだ。
「君が飛び降りてしまわないかの見張りだよ」
「……随分と信用されてないなぁ」
それならば、色々と言うのも野暮だというものだろう。
指を鳴らすと、ぼくと一切合切変わらないそっくりの人形が空中に現れた。こうしてまじまじと見ると、なんだか変な感じだ。
鏡で見るのとは違う、自分と同じなのに、自分の意思では動かない存在。
あまりまじまじと見るのも少し気持ちが悪いので、空中に浮かせたまま、フェンスをよじ登って乗り越えた。足元からも風が吹き込んでくる。
左腕の先に、自分と全く同じ人形の姿。
魔法を解けば、この人形は真っ逆さまに地上へと落下する。
魔法を解けば、『幣原秋』は死ぬ。
魔法を解けば、二度と今まで通りの生活を歩むことは出来ない。
「それで、構わない」
安寧と生きていたくはない。
後悔と自己否定を繰り返すよりは、ぼくは未来を見据えたい。
ぼくが存在しない未来を、望みたい。
「さようなら、黒衣の天才よ」
未来のために、君は死ね。
◇ ◆ ◇
「……アクア」
ドラコの呼び声にアクアは振り返り、整ったその顔に、久しぶりに話しかけられた嬉しさと、そして戸惑いを浮かべた。ドラコは優しく微笑む。
「ど……どうしたの。もう……私と、口を利くのも嫌なのかと」
「そんなことはないさ……そんなことない。アキから何か、聞いてない?」
訝しげに眉を寄せ、アクアは首を振る。
そうか、アキは話してはいないのか。そのことは、ドラコに対するアキの誠意のようにも思えた。
「人目が多いから」という理由で、アクアを寮から連れ出す。空き教室に、アクアを先に促した。彼女の後ろに従って入る。
「……さ、一体どういうことなのか、教えて……」
「インペリオ」
無防備に背中を晒していた彼女に、杖を振った。
心が定まらないかと危惧していたが、上手く言ったようだ。ふらついたアクアを、慌てて支える。アクアは一瞬だけ虚ろな瞳であったが、すぐにいつも通りの瞳に戻った。なるほど道理で、端から見れば『服従の呪文』に掛けられているのか、それとも本心から従っているのか、区別はつかない。
「……アキを閉じ込めておいて。可能な限り長く」
ドラコの囁き声に、アクアはこくりと頷いた。
言葉を紡ぐのに、躊躇した。
偽善だ欺瞞だと、人は言うのかもしれない。しかし、今は自分とアクアしかいないのだ。
「……そして、死なないで。無事でいて。幸せでいて。……僕を、許さないで」
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