「リーマス。聞いて欲しいことがある」
夜中に、リーマスの部屋を訪れた。
寝る準備をしていたリーマスは、それでも話を聞こうとダイニングに場所を移すことを提案する。ぼくはその提案を呑んだ。
季節は夏が過ぎようとしていた。暑かった日差しは徐々に弱まり、時折涼しい風が吹いている。
買い出しの時や資料を探しに行く以外は、ぼくはずっと家に閉じこもる生活をしていた。
ダイニングのテーブルに、羊皮紙を広げる。計画の概要を書いたものだ。
「完成したのかい?」
「理屈の上ではね。……計画を聞いて欲しい」
指を滑らせ、ぼくは言った。
「『幣原秋』を、殺す計画だ」
幣原秋を殺す。対外的に、死んだように見せかける。幣原秋と一切が同じ人形を作成し、それをビルの屋上から突き落とすことで、幣原秋の死を偽造する。
「恐らくぼくの身体は司法解剖に回される。死んだのは『黒衣の天才』だ、事件性がないかを徹底的に調べられるだろう。一つたりともミスは許されない。身長も体重も、血液の成分構成も、細胞も、遺伝子も、全てを『黒衣の天才』と同じ存在を作り出す」
リーマスはそれを聞いて、渋い顔をした。
「それは、闇の魔術ではないのかい?」
「違う。それはただの物質だ、魂は宿らない。命を作り出す術ではない──心臓を数度鼓動させ、血液を数周循環させる、その程度だ。ただの工作さ、物凄い緻密な模型作りだよ」
リーマスはしばらく黙って目を閉じると、静かな声で続きを尋ねた。
「その後は? その肉塊をつき落とした後の話を聞かせてもらおうか」
「その後は、幣原秋としてぼくが大っぴらに動くことは出来なくなるから、リーマスの協力が不可欠だ。退行呪文の臨床実験を繰り返して、大丈夫だと確信出来たら実行する。あんまりもたもたしてられないよ……ハリーの双子の弟として生活させるんだ、ハリーに完全に自我が出来、自分は一人っ子なのだと理解してからじゃあ遅い。ハリーの頭の中は、弄りたくないからね」
指を羊皮紙に滑らせながら説明する。リーマスは険しい表情で、腕を組んでぼくの言葉を聞いていた。
「そして、ハリー・ポッターの弟『アキ・ポッター』というまっさらな人格を作り出す。『アキ・ポッター』に使命やらを埋め込めば、晴れて一丁上がり、って訳だ。新たな人格に、ぼくの記憶を徐々に徐々に流し込む。人間は、記憶によって自我を保っている。ぼくと同じ記憶を持ち、ぼくと同じ肉体を持ち、ぼくと同じ魔力を持つ存在は、もうそれは『ぼく』だ」
「……人格を作り出す方法は?」
「存在する。心配せずとも、そこは大丈夫」
少し、焦った。しかしきっと突っ込まれるところだと思っていたから、想定通りに演技する。
人格を作り出す方法は、存在する。多分、おそらくではあるが、きっとこれで大丈夫なはずだ。
ホークラックス──分霊箱、と呼ばれる、闇の魔術。自分の魂を分断し異なる器に封じ込める、その理論を応用する。
人殺しをすることで魂が引き裂かれるというのなら、ぼくの魂は既に裂く部分が見当たらない程粉微塵だろう。その欠片を人格として押し出すことは、雑作もない。
「……じゃあ、まずは、肉塊を工作することから始めないといけないのかな」
リーマスはゆっくりとそう言った。そう、とぼくは頷く。
「夜中にごめんね。でも、すぐに聞いて欲しかった」
「いや、嬉しいよ。秋がこうして相談してくれたってことがね。君は今まで、他人を頼らなさ過ぎた。……君が、本当に死んでいたらと思うと。自殺に成功していたらと思うと、それだけで震えが止まらなくなる」
静かに微笑むリーマスに、何も返せず黙り込む。
「……『
「え?」
「どうだろう。このプロジェクト名。今、思いついたんだけど。……君が作った新しい人格に、君の記憶を流し込むと言うのなら。悪くないネーミングセンスだと思うんだけど」
「……
ならば、悪戯っぽく朗々と。
ぼくの全てを捧げるプロジェクトを、開始しよう。
「プロジェクトNo.0『空の記憶』──」
さぁ、全てを。
変えようか。
「──始動」
◇ ◆ ◇
「──アキ」
声を掛けられ、ぼくは振り返った。
大広間へと続く、大ホールの階段でのことだった。ぼくを呼び止めたのは、ダンブルドアだった。
ダンブルドアの背後には、大きな窓から夕焼けの強い日差しが差し込んでいる。眩しくて、思わず目を細めた。
「ダンブルドア先生。どうされました?」
「今からわしは、ハリーを連れて『分霊箱』を破壊しに行こうと思う」
厳かな声だった。
「……分霊箱」
「聞き返されるかと思っておったが」
「あいつが、幣原が……かつて自力で調べ出したことを、思い出しただけですよ」
少しつっけんどんな口調になってしまったことは否めなかった。
逆光で、ダンブルドアの表情は伺えない。そのことは、少しぼくを不安にさせた。
「あなたの右腕も、分霊箱の仕業ですか」
「左様。マールヴォロの指輪じゃよ」
「ハリーを連れていく意味は? ハリーを危ない目に遭わせるのではないと、誓ってくれますか」
詰問口調のぼくに対し、ダンブルドアは始終穏やかだった。
「誓おうぞ。ハリー・ポッターを損なうことは決してない。老いぼれの命で良ければ、賭けても良い」
「……あなたの命が欲しい訳では、ありません。そこまで言うのならば、安心しました」
ガランとしたホールに、ぼくらだけがただ立っている。
この学校には千人以上の人間がいるというのに、この空間だけが切り取られたように、とても静かだった。
「着いて来たいとは、乞わんのかね?」
「逆に聞きます。ぼくに着いて来いとは、言わないんですか?」
ダンブルドアはしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと頷いた。
「それならば、ぼくはここにいます。あなたは……あなたは、時折非情で不義理で不親切ですが。数多にある選択肢の中から、最適解を選び取る人間であると、考えています」
「……幣原秋の記憶については、もう手に入れたのだろうね」
「……えぇ」
静かに、ぼくは目を閉じた。
「確かに、ぼくは幣原秋から全てを受け取りました。幼少期から、彼が
頭を振って、ぼくは問い掛ける。
「やっぱりぼくは、幣原にとって失敗作なんだ。幣原は言っていました。『ぼくと同じ記憶を持ち、ぼくと同じ肉体を持ち、ぼくと同じ魔力を持つ存在は、もうそれは『
拳を、ぎゅっと握った。
「人は代わりにはならない。例え同じ身体を使っていても、違う人格の代わりになんてなれない。ぼくではリーマスの孤独を癒せない。リーマスの孤独は、幣原秋にしか癒せない。初めから……初めから、そうであったなら良かった。こんな真実、知りたくなかった。幣原秋は愚か者だ。未来に後始末をぶん投げた卑怯者だ。過去のぼくが、そんな愚かな選択をしたことが……アキ・ポッターを作り出した思考が、ぼくは理解出来ない」
「……そうじゃろう。君はきっと、そうなのじゃろう」
一歩、ダンブルドアはこちらに降りてきた。
「自らの手で、幼い自分に教育を施すならまだしも。いくら自分だとは言え、期待し過ぎだ」
「でも、君は今ここにいる。かつての幣原秋が望んだ通り。そうじゃろう?」
「だから──そこが理解出来ないんだよ!」
感情のままに、声を荒げた。
「ぼくは幣原秋じゃない、ぼくは幣原秋じゃない、ぼくは幣原秋じゃない!!
全てをぶん投げて、そんな使命知らない興味ないのだと叫んで、ハリーのことも、ヴォルデモートのことも、何もかも今の自分には関係ないと──ただ、ぼくはぼくとして生きたいと、このたった一つの生を満喫したいのだと、逃げ出したとしたらあいつは一体どう責任を取るつもりなんだよ! ぼくが生きたいと、ぼくがやりたいようにやると、そう願ったら一体どうするつもりだったんだよ! 人形に自我を与えて、人形が糸を振り切って意図せぬ方向へ駆け出してったら、あいつは一体どう始末をつけると言うんだよ!!
ぼくは……っ、どう生きればいいんだよ。幣原秋として生きればいいのか、アキ・ポッターとして生きればいいのか。
ねぇダンブルドア先生、教えてくださいよ。シジフォスの罪がどうかなんて、聞かないで……シジフォスの罪は、死を偽ったことだ。それを、それを! あなたが言うのか、あなたがぼくに突きつけるのか!
葬式はもう上げてしまった、幣原秋として、ぼくはヘルメスが冥界に連れ帰るまで待てと、そう仰るのですか?」
歯を食い縛り過ぎて、どこかを切ってしまったのか。僅かに血の味がした。
「……アキよ」
ぼくの激情を刺激しまいとする、抑えた声音だった。それさえも今は腹立たしい。
「おぬしの行動を、わしは否定せんよ。おぬしがこの先全てを放って逃げ出したところで、わしは責めない。恐らく、誰も責めんじゃろう」
「……そんなこと」
「あるんじゃよ。アキ、考えてみるが良い。わしが君に、アキ・ポッターに、幣原秋になれと命じたことが一度でもあったかね?」
のろのろと、ぼくは答えた。
「──いいえ」
「君は君自身の意志で動いておる。幣原秋が取らないであろう行動を、アキ・ポッターは選び取る。そうじゃろう? ……アキ・ポッターはアキ・ポッターでいいんじゃよ。おぬしはおぬしのやりたいことをやればいい。やりたいように、生きればいい」
人生は一度きりなのじゃから。
「今年度の最初に、君に出した課題を覚えておるか?」
課題。『全校生徒千二百五十九人の願いを叶えろ』という、アレか。現在の進捗は半分弱と言ったところだろう、そう率直に告げると「ふむ」とダンブルドアは頷いた。
「君自身の願いのために、それをこなしてくれ。後──ここの生徒をよろしく頼むぞ」
「……え?」
なんだ、その。
『言い遺して行く』雰囲気は。
遺言めいた言葉の意味が知りたくて、ぼくは階段に足を掛けた。一歩を踏み出す。
しかしぼくが手を伸ばすより、ダンブルドアがその場から姿を消す方が早かった。一陣の風と共に、掻き消える。
「…………」
伸ばした手を、ゆっくりと引き戻した。胸に抱え、消えた先をじっと見る。
何故だか、妙な胸騒ぎがした。
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