破綻論理。

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空の記憶

第40話 未来へ繋ぐFirst posted : 2016.03.20
Last update : 2022.10.21

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「……ねぇ、一つ聞いていい?」
「ん?」

 計画は、もう最終段階に入っていた。
 部屋の余計なもの全てを退け、ぼくが両手を伸ばしてもなお余りある大きな一枚の紙に魔法式を書いていたぼくは、リーマスの声に顔を上げた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 見上げた空には、ちょうど天文学塔の真上に『闇の印』が浮かんでいる。
 窓から見える、月ほどに光り輝く銀の印を睨み据え、ぼくは足を踏み出した。眼前の戦いを一望し、壇上へと乗り上げる。

「……さぁ、ぼくが幣原だ」

 来いよ、ぼくが殺し損ねた者共よ。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

「どうして、君自身が『アキ・ポッター』にならなきゃいけないの? ……どうして、『幣原』が消えなきゃいけないんだい?」

 リーマスの表情は、固く強張っていた。学生時代に見た、彼が泣くのを必死で堪えていた時の表情と、実によく似ていた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 杖を振る。杖を振る。ただひたすらに、杖を振った。許されざる三つの呪文、それ以外を使い切るほどに、延々杖を振り続けた。

アキ!」

 名前を呼ばれ、振り返る。ハリーの姿がそこにあった。
 慌てて駆け寄る。擦り傷まみれで、服は一度水に濡れたように色が変わっていたが、それでも大きな怪我はなさそうだった。

「大丈夫、ハリー……」

 言葉を紡ぎ終えぬうちに、ぐいと手首を掴まれた。ハリーはそのまま駆け出して行く。
 焦りながらも足を踏み出した。

アキ、聞いて。──ダンブルドアが死んだ」
「……え?」

 言われた言葉が理解できずに、聞き返す。
 ハリーは顔を大きく顰めながらも、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「……何故」
「マルフォイだ。あいつがヴォルデモートからダンブルドアを殺すよう命を受けていた。マルフォイが失敗し、代わりにスネイプが──スネイプが、ダンブルドアを殺した」

 吐き捨てる声音だった。眼前を見る瞳は、怒りと憎しみに歪んでいた。
 戦いの名残に目を向けず、ぼくらはただ走った。

 ──セブルス・スネイプを追って。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

 あぁ、そうか、と、その時やっと──やっと、理解する。

 幣原ぼくアキ・ポッターになったら、リーマスは、一人残されなければならないんだ。

 リリーにジェームズ、ピーターは死んでしまった、シリウスはピーターを殺して、アズカバンに送られた──ぼくが、送った。

 残ったのは、ぼくとリーマス。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 血染めの足跡を見付け、ぼくらは言葉を交わさずとも理解し合った。
 人気のない廊下を疾走し、正面玄関に向かう。

 ハリーに向いた呪文を、指を鳴らして弾いた。
 視界の片隅に、二人の死喰い人。失神呪文は狙い違わず二人に当たった。

 かつて『忍びの地図』を作ったぼく。現在の『忍びの地図』所持者のハリー。
 ぼくら以上にこの城を熟知している人間は、いまやホグワーツには存在しないだろう。

 吹き飛ばされた正面扉を抜け、粉々になった寮の砂時計を横目に、玄関ホールを横切った。

 雷鳴が轟き、その瞬間に二人の影を浮かび上がらせた。教授とドラコの影。

 ハリーは息を切らせながら、瞳に爛々と殺意を滾らせ杖を振った。惜しくも外れた赤の閃光は、スネイプ教授の頭上を通り過ぎる。
 ドラコの背を押し、スネイプ教授は振り返った。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

「……前から思っていたんだ。確かにヴォルデモートが復活するのは分かるよ。その時にハリーが危険になるっていうことも分かる。ハリーを守らなくちゃいけないってことも、分かる。……でも、それは君がハリーの弟になるしか方法がないの? 君の……君の未来を消すしか、本当に方法はないのかい?」

 リーマスの声は、震えを押し殺しているように、どこか無理しているようにも聞こえた。

 

  ◇  ◆  ◇

 

 ハリーが崩折れる。一瞬躊躇して、教授を追った。
 ただ、ひたすらに、悲しかった。

「──セブルス!!」

 名前を叫んだ。
 ぼくの声に、スネイプ教授は──セブルスは、振り返った。

「どうして──どうして殺したっ、どうして!!」

 頭の中で、記憶が回る。

「答えろ──答えろ、セブルス・スネイプ!」

 手を伸ばした。その時、声が聞こえた。
 外部からじゃない。ぼくの、頭の中から。

『──もう、いいよ』

 ぼくであって、ぼくではない、声。
 ぼくと全く、同じ声で。

『もう、いいんだ』

 幣原は、囁いた。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

 ぼくは目を伏せ、そして顔を上げると、小さく笑った。

「リーマスには、本当のことを教えておくね」

 腹を括る。
 今まで、誰にも話したことのない本音を。誰にも話せなかった本音を。ずっと、胸の中で燻らせていた、本心を。

 誰にも言っちゃいけないよ。これは二人だけの秘密だよ。
 悪戯っぽく笑って、リーマスの顔を覗き込んだ。

 

  ◇  ◆  ◇

 

「いい訳あるかぁ!!」

 無我夢中で叫んだ。

「勝手に……っ、勝手に諦めてるんじゃねぇぞ、幣原!」

 ふざけるなよ。
 ふざけるなよ!

「やりたいことがあったんだろ! わざわざ自分を殺して、ぼくを生み出して、それでも成し遂げたいことがあったんだろ!!」

 大きく、息を吸い込んだ。

「教授と仲直りがしたかったんだろ!!」

 息を呑む音が、聞こえた気がした。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

「……ぼくはね。セブルスと仲直りがしたかったんだ」

 喧嘩別れ? ううん、そんなんじゃない。もっと酷い。
 あの瞬間、ぼくらを繋いでいた糸は、全て千切れ飛んだ。

 ぼくは闇祓いに、セブルスは死喰い人に。
 正反対の道を、ぼくらは歩み始めた。

「もう『ぼく』は、セブルスには会えない。セブルスは、ぼくを許さない。ぼくが、セブルスを許せないように。でも……生徒なら、教師なら……もしかしたら」

 絵空事、なのかもしれない。
 でも、いいだろう? 
 未来に想いを馳せることくらい、許されても、いいだろう? 

 

  ◇  ◆  ◇

 

 ──バカだ。子供かよ。
 二十過ぎて、言うに事欠いて『仲直り』なんて──黒衣の天才が、そんな子供みたいな単語吐くなよな。

 でも、でもさぁ。
 それが、君の願いだと言うならさぁ。

「何だって遅くないっ、今からだって遅くない!! っ、聞け、聞けよ!! ぼくはお前のために生きてやるっ、この人格、この命、全てをお前に捧げてやる!!」

 幣原、君は本当にバカだけど。
 こんなこと叫んでいる、ぼくだって、バカだ。

「だから言え、お前の本心聞かせろよ!! お前は結局、何がしたい、どうしたい、幣原、お前の言葉を聞きたいんだ!!」

 脳内の声に。
 耳を、澄ませた。

『……ぼくは』

 本当に、微かな声。
 世界に掻き消されてしまいそうなほどに、微かで小さな声だった。

 でもぼくだけは聞き漏らさない。
 だってそれは、間違いなく。

 ぼくが発した、言葉だったから。

『……アキ。ぼくは……セブルスと……ぼくは……っ、かつての親友と、仲直りがしたい……っ』

 震える声で、それでも、しっかりと。


『ぼくを助けて──アキ!』


「……言えるじゃん」

 にやりと笑った。

「ぼくに任せて、

 目の前の、セブルスの背中に手を伸ばす。
 短い、とても短い、ぼくの手は。
 それでも確かに、セブルスに届いたんだ。

「……っ」

 セブルスはぼくを見て、顔を歪めた。ぼくは、セブルスに微笑む。

「……やっと」


 君に、届いた。


「全てを聞かせて。ぼくも、全てを教えるから」

 セブルスは堪える表情でぼくを見ると、ぼくの手を取り、逆に抱き込んだ。
 瞬間、景色が回る。

 置いていかれないよう、セブルスのローブを、ぼくはぎゅっと掴んだ。

 
 
  ◇  ◆  ◇

 

「……、君の気持ちは、よく分かったよ」

 リーマスは、何だか泣きそうな表情で微笑んでいた。

アキ・ポッターを作り出すことを強行したのは、そういう……そういう、裏の目的があったんだ」
「……うん。ごめん、言ってなくって」
「いや、いいんだ。こちらこそ、話してくれてありがとう」

 リーマスは、ぼくの想いを否定しなかった。それが、ひたすらに嬉しく、そして有難い。

 リーマスは、ぼくの全てを理解してくれている。リーマスなら、ぼくを──ありのままに、受け止めてくれる。

 それが、凄く心地よかった。

「……ねぇ、

 リーマスは、穏やかな微笑みを浮かべていた。普段通りの笑顔だった。でも、何だか寒々しい。その理由が、ピクリとも笑っていない瞳に起因することに気付いたのは、次に放たれた言葉を受けたのと同時だった。

「全てが終わったら。ヴォルデモートの危機が去って、全てが終わったら──は、ここに帰ってきてくれるよね?」

 それは、質問の形を取っていたけれども、ほとんど断定の意味を持っていた。

「……どういう、意味?」

 息を呑んだぼくは、数拍置いてその真意を問い質す。

 いや──本当は、気付いていたんだ。
 見ない振りを、していただけで。
 リーマスの狂気に、気付かない振りをしていただけで。

「分からないの? 

 滑らかな口調だった。クスクスとリーマスは笑うも、その瞳はじっとぼくを見据えている。

「全てが終わったら、アキ・ポッターなんて仮初めの人格は捨てて、今まで通り『幣原』として生きてくれるんだよねと──そう、聞いているんだよ」

 は、僕を一人にしないよね? 

 ゾクリと、背筋に寒気が走った。
 リーマスが、微笑みを浮かべたままぼくに一歩ずつ近付いてくる。腰を地面に付けたまま、思わず後ずさった。

「偽物の人格は、いくら君にそっくりでも、それでも『幣原きみ』じゃない。、君は分かっているはずだ。ねぇ──。君は、確かに僕に言ったよね。『もう、絶対に君を置いていかないから』と。その言葉──違えないでよね?」

 約束だよ、
 勝手に死ぬなんて、許さない。
 僕だけを置いて逝くなんて、許さない。
 笑みは、狂気に塗れても尚、変わらず美しかった。

 ぼくは──ぼくは。

「や……約束、するよ。絶対に、君の元へ『幣原』として戻ってくる──全て、終わったら」

 リーマスはぼくの言葉に、陶然としたように微笑んだ。



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