「杖を貸して。そのままで眠ったら本当に命に関わるよ」
そう言われ、ローブのポケットを探ると素直に杖を渡した。
セドリックが杖を振ると、ふわりと身体が暖かい毛布に包まれたような心地になる。
「って、何この杖すごく癖があって使い辛いな、アキらしいと言っちゃあらしいけど……ひとまず体力回復に専念して。杖を借りておくよ、何時間かしたら、また来るから」
「あ……」
声を発するも、小さな掠れ声しか出なかった。
ぼんやりとした視界の中、影が動く。靴音がだんだんと遠ざかっていく中、抗い切れずにぼくは意識を落とした。
次に目覚めた時は、随分と身体がマシになっていた。少なくとも、視界はきちんとクリアに見える。頭の動きも、多分正常。
記憶を探ってみたけれど、幣原秋の記憶も含めてきちんと揃っているようだった。少なくとも、妙に開いた記憶の穴みたいなものは見受けられない。きっちりばっちり、ぼくの記憶だ。
「……ってぇ……」
軋む身体を起こした。折れたかと危惧した鼻だが、それはセドリックが気付かぬうちに治してくれたようだ。どこかしこも痛むが、幸いなことに骨は折れてはいないらしい。
ぐしゃぐしゃになっている髪を解くと、手櫛で整える。痛みに悶えながらもストレッチをすると、大分楽になった。再び髪を結び直すと、どうにかこうにか気分がしゃんとする。
地下牢だから、日の光は差し込まない。一体今はいつなのだろう。十二月二十四日、クリスマスイブの日まで後何日だ。ぼくがヴォルデモートにめたくそにやられたあの日は、十二月二十一日。丸一日眠っていたとして二十二日。となると、あと猶予は一日。
立ち止まっちゃダメだ。思考を止めちゃダメだ。ぼくはぼくとして、まだやらないといけないことがある。ヴォルデモートなんかに、ぼくの心は折らせない。
背中を壁につけ、身体を丸める。この体勢が一番楽に考えられる。横になったら眠ってしまいそうだった。体力回復を第一にしながらも、思考は止めたくない。
微かな足音を捉え、パッと顔を上げた。誰かが、こちらに近付いてきている。
身体が僅かに震え出す。思索の断片は千切れて掻き消された。縮こまって、足音をひたすらに聞く。一人じゃない、複数だ。足音が重なって聞こえるから。
松明の明かりで、影が長く伸びているのが見える。やがてその影は角を曲がり、こちらに姿を晒して──ぼくはやっと身体の力を抜いた。
「……セドリック」
喉が引き攣れて、軽く咳き込んだ。それでも嬉しさに、目を細める。
幻覚でも、幻聴でもなかったんだ。
「生きていてくれて……ありがとう」
「こちらこそ、生かしてくれてありがとう、アキ」
優しい笑顔も、口調も、何一つ変わっていない。以前より子供らしさが抜け、精悍な男性らしくなった。羨ましい、本当に──カッコいい。
「彼女たちが……アクアとユークがね、手引きしてくれたんだ」
セドリックが身体を退けると、二人の銀髪姉弟が顔を覗かせた。ぼくに手を振りながらも、眼差しはちょっぴり痛ましい。
「ありがとう……」
感謝の言葉を伝えると、アクアは優しく微笑んで鉄格子の前に膝をついた。
「……だって、あなたに頼まれたことだったから。セドリック・ディゴリーについて……そのくらいなら、私にだって力になれるから」
その笑みに、胸を突かれた。一瞬、言葉が出なくなる。
「私だって、なかなかやるでしょう? ……私のことは知られていないはず。好きに使って、アキ」
震える手をアクアに伸ばした。アクアはハッとした眼差しで、ぼくの手を握り止めると、両手で優しく包み込んだ。
「……ありが、とう……」
ぼくはいろんな人に、助けられている。
そのことが、どうしようもなく、嬉しかった。
「……ねぇ、アクアは……アクアはさ、どこまでぼくと一緒に生きてくれるの?」
そんな言葉が喉から零れ出る。アクアは僅かに、瞳を揺らせた。
「……どうして、そんなこと聞くの?」
「さぁ……どうしてだろ、不安なのかもね」
曖昧に笑ってみせた。
アクアは戸惑っていたが、それでもしっかりと意志を言葉に乗せる。
「あなたが望む限り、どこまででも」
「…………ありがとう」
ユークが睨んでいたので、手を離した。暖かい手の感触を、それでもぼくは覚えていよう。
頭を切り替える。表情を真面目なものに作り変えた。
「詳しい話を……と言いたいところだけど、それは後だ。今は何月何日?」
十二月二十三日、と言われた言葉に軽く意識が遠のきかける。
一日誤差があった。致命的な誤差が。修復出来るかは運を天に任せるしかない。
「ぼくの尻拭いをさせるようで申し訳ない……でも緊急なんだ。聞いてくれ」
セドリックを見据えて言う。彼はさすが、飲み込みが早かった。「何?」と声を潜め尋ねる。
「ハリー達が危険なんだ。十二月二十四日にゴドリックの谷へハリー達は向かう筈。でも、それは罠なんだ。なんとかして、彼らに伝えて。どんな手段でも構わないから、彼らを引き止めて欲しい」
「どうして……なんて理由を聞くのは後にしよう。分かった」
「それと、ぼくのことは一言も伝えないで。ハリーはぼくを信じすぎるところがある……ぼくを信じちゃいけないのだと分からせて。じゃないと、また同じ手に引っかかる」
たくさん疑問はあるだろうに、セドリックは一つたりともぼくに対する質問を口にしなかった。
こんなにも不親切なぼくを、彼は信じてくれている。ぼくもそれに対する信頼を返さなくてはいけない。
「分かった。君の杖を、借りていても?」
うん、と頷く。
セドリックの瞳に宿る、真摯で真っ直ぐな光。この光を失ってしまうところだった。失わなくって、本当によかった。
「あと、一つだけ……お願いが」
腰を浮かせかけたセドリックに、慌てて追い縋る。目を瞬かせたセドリックに、少し口ごもりながらも言った。
「……絶対に死なないで。危ないと思ったら、すぐに逃げて。自分の命と身の安全を、第一に考えて」
「君の言葉に従うかは、その場の僕が決めるよ。君の言葉より、僕はその場の直感を信じる」
はっきりとした口調で突っぱねられた。少し予想外だった。
目を瞠ったぼくに、セドリックは笑いかける。
「レイブンクロー生とハッフルパフ生ってさ、そういう根本的な考え方で、気性が合わないよね」
「……それもそうだね」
ぼくも笑った。
「……アキ」
囁き声が鼓膜を揺らす。アクアだった。ぼくを呼び寄せるようにちょいちょいと手招きをしている。
耳を貸せと、そう言いたいのか? 素直に、鉄格子に頭を嵌めるようにして──
頬に柔らかな感触が訪れた。
「……少し、早いけど。メリークリスマス、アキ」
そう囁いて、アクアは立ち上がった。
頬を抑え、呆然とアクアを見上げる。アクアは少し得意げにぼくを見下ろしていたが、それでも頬は赤みを帯びていた。
「……殺す」
ユークがどす黒いオーラを放ちながらぼくを睨む。ちょっと、怖い怖い。
セドリックはすっごい微笑ましいものを見るような視線でぼくらを見ているし、なんなんだよ全くもう。
「行ってくるね、アキ」
セドリックの言葉に、ぼくは深々と頭を下げたのだった。
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