『それ』が起きたのは、変身術の授業時間だった。左腕の『闇の印』が猛烈に痛み始めたのだ。
講義するマクゴナガル先生の声も遠くなるほどの、強烈な痛み。羽根ペンを取り落として左の上腕を掴むと、しばらく身を強張らせ耐えた。
しかし収まる気配もなく、むしろ痛みは増す一方だ。これはダメだ、と判断し「マクゴナガル先生」と立ち上がった。
「体調が悪いので、医務室へ行きたいのですが」
──マクゴナガル先生が即座にイエスを出すほど、顔色が悪かったのだろうか。
額に浮かぶ脂汗を、拭う間もない。教室を出るまではと、せめて取り繕い、教室の扉を閉めたその場にへたり込んだ。奥歯を強く噛み締める。
「──アキ・ポッターよ」
「……そうだろうなぁとは、思ったんだ」
普段の印の痛み方とは、違うから。
目の前に立つヴォルデモートを見上げ、薄く笑った。
手首を掴まれ連れて行かれた先は、マルフォイ家の屋敷だった。ぼくも何度か足を踏み入れたことがある。その時も、ヴォルデモートと並んでだった。
当時とは、ぼくらの関係も随分と変わった。いや……本当は何一つ変わっちゃいないのかもしれない。
ぼくらの関係は、何と呼べば良いのだろう。
敵対関係、とは、ほんの少しズレがある。ヴォルデモートはぼくを──幣原秋を殺す気がない。それは、ぼくが幣原直の息子だからか、それともそれ以外の意図があるのかは正直分からない。
ヴォルデモートは、ぼくに親切に「どうしてこの屋敷にぼくを連れてきたのか、ここで何があったのか」なんて教えちゃくれない。それでも聞く話の断片から、ここにハリーたちが捕まっていた(そして上手く逃げ果せた)ということくらいは理解した。
ホッと胸を撫で下ろしそうになるも、ヴォルデモートに睨まれ表情を押し殺す。
「アキよ、俺様は忙しい。少し用事で出る、その間に全てを済ませておけ」
「全て? 一体何の話だ。君の言葉が足りない癖に、相手の洞察力が足りないせいにするなよ」
ヴォルデモートを嘲笑ったぼくに、ヴォルデモートだけでなくここにいる全員が目を剥いた。
ヴォルデモートは一瞬視線を杖に走らせたが、やがて唇を捲り上げぼくを見る。
「それは済まなかった、幼児にも如何なる愚鈍にも分かりやすく説明してやろう──この者たちの」
ヴォルデモートの細く長い指が、ベラトリクス・レストレンジ、フェンリール・グレイバック、ルシウス・マルフォイ、ナルシッサ・マルフォイ、そしてドラコ・マルフォイ、彼らをなぞるように動く。
彼ら死喰い人も予測していなかったのだろう、驚愕に目を見開いて、その場で身体を硬直させた。
「記憶を暴き、俺様の前につまびらかに晒すのだ」
恐らく誰もが、青褪めたことだろう。
言葉を失ったぼくに対し、ヴォルデモートは嗤う。
「拷問、開心、薬に頼っても構わん──この屋敷で起こったこと全てを揃えて出せ。一部でも矛盾があれば──まぁ、分かっているだろうな?」
「……なん、だと」
「なぁに、得意分野だろう──闇祓いよ、『黒衣の天才』よ。それとも既に、腕は鈍ったか?」
黙ってぼくはヴォルデモートを睨んだ。余裕のある瞳で、ヴォルデモートはぼくを見下ろす。
自分の手を汚したくないから、ぼくの手を汚させる気だ。
内部粛清──というよりはガサ入れに近いか。何か出てくれば儲け物、何も出て来なかったとしても、痛くない腹を探られたということで、ぼくにヘイトを集める気だ。
立ち去るヴォルデモートの背を、殺意を籠め睨みつける。髪をぐしゃぐしゃと掻いて舌打ちをし、立ち竦んでいる五人を勢いよく振り返った。せめて陰鬱な笑みを、浮かべてみせる。
「──誰からがいい?」
醜悪な取り調べが一息つき「一人にさせてくれ」と言い放って、思索がてら屋敷をうろついた。
一度泊まりにいったアリスの家も広かったが、この家も相当だ。訪れたことはあると言ったものの、入る部屋自体は限られていた。
ここにも地下牢があるのか。ズキリと頭から背中に掛けてが痛む。嫌な記憶が蘇るも、顧みず足を踏み入れた。
「──秋?」
掛けられた声に、目を瞠った。
暗がりの小さな影が、やがて人の姿を取る。そこにいたのは、かつての友人ピーター・ペティグリューだった。
一瞬、声が出なかった。
「……ピーター」
ふわふわとした足取りで、彼に歩み寄る。
ピーターはぼくを見て僅かに表情を明るくしたが、ぼくが彼の両耳すぐ側の石壁を思いっきり殴ったことで、ヒッと瞬時に怯えた表情になった。
「……盗聴防止だ。このまま聞いて、ピーター」
ピーターの耳元で囁く。ピーターは恐る恐る顔を上げて、ぼくを横目で見た。
「シリウスは生きている。お前が本当に罪を償いたいと思うのなら、シリウスとリーマスのところに行け」
地下牢自体にいくつか魔法が掛けられている。盗聴防止呪文と相性が悪い類のものだ。
しかしこの屋敷の主人は、ぼくを盗聴するほどの度胸はないだろう──あれだけのことをされた直後ですぐさま反撃の手段を講じられるのだとしたら、随分と有望なのだけれど。
「洗いざらい話せ。土下座でもなんでもして謝罪しろ。許してもらえないかもしれない……でも、誠意を見せて、ピーター」
ピーターの瞳に、光が宿るのを見て取った。ぼくは静かに言葉を紡ぐ。
「あの友情は粉々に砕けたけれど、もう一度繋ぎ合わせることが出来るんだって、証明して」
ピーターは奥歯を食い縛ると、ぼくを見据えてしっかりと頷いた。微笑んで、ぼくは彼から離れる。
瞬時に目の前のピーターが縮んで、やがてネズミとなり、ぼくの足元を数度駆け回ると、ぼくの視界から消えた。
──これ以降は賭けだ。
砕けた幻想に、意味はあるのか。
繋ぎ合わせた絵は、どんな姿を取り、どのように再び煌めくのか。
それはきっと、ピーター・ペティグリューが証明してくれる。
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