──シリウス・ブラックが目覚めた時、そこは真っ白の空間だった。
いや、白い空間ではない。
ここは病室だ。壁に嵌められた窓枠からは青空が、そして窓のすぐそばには花瓶に生けられたオレンジの花が、まっすぐ天にその身を伸ばしている。
「……ガーベラ、か」
声を出そうと思ったのだが、上手く声が出なかった。
声帯が上手く動いちゃくれないし、舌の動きも何となしに鈍い。咳き込みしばらく発声の練習をすると、少しはマシになった。
その時、ドタドタドタッと慌ただしい足音が廊下から響く。と思うと、勢いよくこの部屋の扉が開け放たれた。
目を驚愕に見開いて駆け込んで来た人物に、シリウスは「あ」と何の気無しに呟いた。
「……あれ、シュレディンガーさん?」
その筈だ。かつての自分の所属寮、グリフィンドールの三つ上の先輩、ライ・シュレディンガー。有名な人だったから、覚えている。
年齢は重ねてはいるが、纏う雰囲気は全然変わっていない。
「……っ、こんな、ことが……っ」
この人が目を見開いているのはなんとも珍しい、いつも眠たげな半眼でいるのに。
一体どうしたんだろう、と思っていると、ライ・シュレディンガーはガシガシと髪を掻き、必死な瞳で呟いた。
「……あいつに……」
「必要ない!」
しかし言葉を紡ぎ終えるよりも早く、もう一人が病室に飛び込んできた。
小柄な少年だった。レイブンクローのローブを羽織ったその少年を、シリウスはよくよく知っていた。
「アキ……?」
アキは、シリウスを見てその場に立ち竦んだ。こちらを今にも泣きそうな瞳で見つめ、身を震わせている。
やがて一歩、一歩と頼りない足取りで歩み寄ると、感極まったようにシリウスに抱きついた。
「生きていてくれて……ありがとう……っ、ありがとう、ありがとう、ありがとう……っ!!」
状況が把握出来ないまでも、シリウスは手を持ち上げアキの背中を叩こうとする。
しかし手は鉛のように重たくて、思ったように持ち上がってくれなかった。
「……アキ、病人だ、さっき目を覚ましたばかりなのだぞ」
ライがアキの肩を引っ張り、シリウスから引き剥がした。
と、アキはその場にぐしゃりと座り込んでしまう。アキはシリウスを見上げると「あ、はは……腰が抜けた」と、泣き笑いのような顔で呟いた。
「大丈夫か? アキ」
「大丈夫。本当だよ……今のぼくなら、なんだってやれそうな気がするくらいだ……」
アキは震える手で、顔を覆った。はぁあ、と肺の中の空気全てを押し出すかのようにため息をつく。
シリウスは身を起こそうとしたが、ライにすぐさま阻まれた。
「二年も眠っていたんだぞ。無理に身体を動かそうとするな」
「は……えっ、二年も!?」
そう言えば、一体どうして自分は病室に寝かされているんだ? 病気とは縁遠かったはずだ。
記憶を探るも、随分と霞みがかったように曖昧だった。古い記憶は鮮明なのだが、新しくなるに従ってぼやけている。
やがてすっくとアキは立ち上がった。瞳には真摯な色が滲んでいる。
「詳しいことは言えないけれど、シリウス……ぼくと出会ったこと、全てを黙っていて。ぼくは敵だ」
「……どういうことだ? アキ!」
「いつか絶対、答えるから」
それだけ言うと、アキは来た時と同じように唐突に姿を眩ませた。呆気に取られて消えた方を見つめる。
「なん、だったんだ……?」
「……あいつ」
ライは何か気付いたように目を細めていたが、頭を振るとシリウスの肩を軽く叩いた。
「……まず、お前はリハビリだ。身体を元通りに戻す、それだけを第一に考えろ」
いいねを押すと一言あとがきが読めます