幣原秋は──アキ・ポッターは、実際のところ自身が退院した聖マンゴで未だ入院生活を送っていた。
そのことを誰も教えてくれなかったことについて、誰かの悪意が働いているように感じるのは、セブルスの気のせいであろうか、否、断じて気のせいではない。
舌打ちしながら聖マンゴに舞い戻り、病室を訪問すれば、そこに探し人の姿はなく、ハリー・ポッターがパイプ椅子に座って本を読んでいた。
ハリー・ポッターが苦笑いしながら言った言葉によると、アキは現在聖マンゴすら抜け出して学校復興に手を貸しに行っているらしい。心の底から忌々しい。
ともあれ、言われた通りにホグワーツを訪問する。
そこには、ホグワーツ最終決戦の爪痕はもうほとんど見当たらない綺麗な城が、変わりなく建っていた。あと二月で、新しい一年生が入学してくる。その準備を整え終えたようにも見えた。
ホグワーツですら入れ違いになってはたまるものか。きっと校長室にいるだろう、と予想を立てる。やっとそこで、当たりを引いた。
夕焼け空に染まる校長室で、アルバス・ダンブルドアの肖像画と歓談している一人の少年。長い黒髪を一つに括っていて、左腕を吊っている。
少年の左腕が使い物にならなくなった原因は、セブルスを救おうとしたからだということは聞いていた。杖と片腕一本を犠牲にして、この少年はセブルスを死の淵から引っ張り出した。
「おや、教授。久しぶりです」
扉の開閉音に、少年、アキ・ポッターは振り返ると、無邪気に微笑んだ。
◇ ◆ ◇
「お元気そうで、何より」
勝手知ったると言うようにセブルスの前に紅茶を出すと、アキも正面の肘掛け椅子に腰掛け、紅茶を啜った。少し不器用に見えるのは、利き腕が使えないせいだろう。ティースプーンを使う手が覚束なく見えた。
「……その、腕。大丈夫なのか?」
あぁ、とアキはちらりと左腕に目を落とすと、軽く肩を竦めた。
「もう動かないって言われちゃった。あぁ、気に病まないでよ。ぼくが……ってより、幣原か。あいつが勝手にやったことだ。こうなるとは予想してはいなかったけど、それでも使えなくなるかなくらいは思ってたよ。杖が砕けた時点で、嫌な予感はしてたんだ。君の命を、たったの片腕一本で助けられたんだ。ぼくは後悔してないよ。だから君も、悔やまないで。悔やむくらいなら、ぼくがあげた命だ、必死に生きてくれ」
そう言って、柔らかく微笑む。
セブルスは「そうか……感謝する」と息を吐くと、カップをソーサーの上に戻した。
「消えるというのは、本当なのか」
セブルスの言葉に、アキは鋭い光を瞳に宿す。
あぁ、と、微笑みまでも浮かべて頷いた。
「ずっと借りていた身体だからね。いい加減に返す時が来た」
「本当に……そう、思っているのか」
「それは一体どういう意味かな?」
「貴様がこの平和に貢献したんだ。享受したいとは願わないのか?」
「その平和は幣原が受け取る。それでいい」
漆黒の瞳は揺らがない。
思わず、言葉を漏らした。
「……理解出来ない」
「して欲しいと思ってない」
「本心を言え、アキ・ポッター」
「どうして本心だと思ってくれない」
はっきりとアキは不機嫌を顔に出した。
信じられないからだ、とセブルスは言う。
「貴様が消えて、幣原秋が残る。世界は平和になった、さぁだから幣原秋よこれから好きに生きろ──秋はそんな戯言には頷くまい。……幣原秋を出せ、アキ・ポッター」
「……後悔しますよ、きっと」
そんな言葉を残すと、アキは目を閉じた。
切り替わりは、本当に一瞬だった。
目を開くその仕草で、セブルスには目の前の少年が幣原秋であると理解した。
「──やぁ、セブルス」
元気そうでなにより、と、幣原秋はアキと全く同じ言葉を述べた。
顔形は一切同じ。視線も、表情も、そっくりだ。それでもこの二人は『違う』のだと、一心に感じさせる佇まいだった。
「アキに無茶を言ったようじゃない。心の底から残念だと述べよう。ぼくが保証してあげようか、アキの言葉は本心だ。本心からあいつは、ぼくに生きて欲しいと願っている」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。アキはあの瞬間から
言葉を失うセブルスを、秋は横目で見つめた。
「……じゃあどうして、あそこまでこの先の世の中を献身的に整備した。どうして、私の命も、シリウス・ブラックの命だって、学校中の人間の命だって守り抜いた。どうして──」
「むしろどうして分からないのか、ぼくには不思議でならないよ」
冷えた声音だった。
冷め切った眼差しでアキはセブルスを見据える。
「そんなの決まっているだろう。『目の前で人が死ぬのを見たくない』『大切な人には死んで欲しくない』、ただそれだけだ。自分の未来なんて二の次三の次、いや考えもしていない。法整備も改革も、全て自分がそれに苛ついたからさ。未来のためなんてこれっぽっちも考えちゃいないよ。『間違っていると思ったから、手を入れた』んだ。そこに崇高な理由も、輝かしい未来への夢想も、何一つ入っちゃいないよ」
思わず、絶句した。構わず秋は言葉を続ける。
「アキは自分の運命を知っていたよ。正直なところを言うと、ぼくは永遠アキの中で眠っていたいよ。もしくは消えたいよ。アキに人生譲り渡した方がいいって、思っていない訳がないだろう。ぼくがこの先人生返してもらったところで、死んだように生きるだけだ。それならさ、アキに投げ渡した方が、ずっといい未来を歩める……そう、思っているのに」
そこで秋は舌打ちをした。珍しいほど粗雑な振る舞いだった。
「リーマスやシリウスやピーターと、そしてセブルス、君と生きていけと、あいつは言うんだ。もう君の人生は食い潰せないとね、言うんだよ。初めはさ……こんなことになるなんて思ってもいなかった。アキは幣原秋の記憶を持っている。ぼくの身体で、ぼくの記憶を持っていたらさぁ、それってもう
でも違ったんだ。確かにアキは、ぼくの身体とぼくの記憶を持っている。それでもアキはぼくじゃないんだよ、だってアキは、ぼくが持たないアキ・ポッターの記憶を持っているんだ。杜撰だった迂闊だったよ、ぼくのミスだ。人格を統合することも考えたけど、アキはそれでも嫌がった。統合したところでアキ・ポッターが強く出て、今と大して変わりがないというのがあいつの言だ。認めざるを得なかった……その通りだと思った。
アキは幣原秋が幣原秋のままに生きて欲しいと望んでいるんだ。アキを作り出す以前の、ぼくのままに。自分の足で立って自分の目で見て自分の考えで喋って欲しいんだ。そこまで言われちゃあもうどうしようもないよね、中庸は選べない。かと言って……あぁ!」
そこで、秋は何か思いついたようだ。
と思うと、いきなり虚ろに笑い出した。空虚な笑い声に、思わず首の毛が逆立つ。
「あぁ、あぁ、そういうことか、アキ……心の底から、意地が悪いな、あいつも……ぼうっとしていたよ、すぐさま君の意図に気付けなくってごめんね、アキ。そうだね、いい考えだ……っふふ、あはは……そう。セブルスに、教授に、決めてもらおう」
クスクスと笑いながら、秋はじっとセブルスを見据えた。
右手でセブルスを指さすと、愉悦を漆黒の双眸にたゆたわせ、狂気が滲む声で宣言する。
「幣原秋が生きるか、アキ・ポッターが生きるか。そう色々と言うのなら、折角だから君が選んでよ。ねぇ、それが一番の上策じゃない? ……期待してるよ、セブルス・スネイプ」
楽しげな口調だった。
こちらも狂気に呑み込んでしまいそうな笑い声を聴きながら、セブルスは思う。
あぁ、僕は秋に、赦されてはいなかったのだ、と。
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