破綻論理。

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空の記憶

「ぼくがいらない世界」After ep「おはよう、君のいる世界」First posted : 2016.04.25
Last update : 2022.11.06

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 目を覚まして、ハッと飛び起きた。自分が今居る場所と、時間、それに日付を確認する。
 ここはスリザリン寮の一室、自身、トム・リドルの寝室で、時計は朝の六時十分を指していて、サイドテーブルに置かれたカレンダーは、1942年12月の面をこちらに向けていた。それら全てを確認して、ホゥ、と息を吐く。

 今日もまた、平和で平凡で退屈極まりない、酷く失い難い、愛しい日常がやってきた。


 ◇ ◆ ◇


 トム・リドルは、二つの記憶を持っている。

『それ』は天啓のように、ある日突然降ってきた。
 自分の未来。生まれてから、ひとり孤立し孤独に血塗られた呪われし道を歩み、逆らう者はみな殺し、一度ハリー・ポッターに倒され滅び、それでもいじましく生に縋りつき、そして忘れもしない1998年5月2日、再びハリー・ポッターと戦い、馬鹿みたいな一騎打ちで絶命した、哀れな男のどうしようもなく愚かな末路。

 それが、自らの未来が選んだものだとは俄かには信じられなかった。悪い夢かと、悪夢かと。それでも信じざるを得なかった。胸の中に色濃く渦を巻く感情──『後悔』。それは、かつての自分の中には存在しなかったものだ。

『記憶』と共に降り注ぎ、気付けば自らの中に根付いていたもの。その感情は、あの友人を──幣原直と相対する際、もっとも深く、もっとも苛烈にざわめくのだった。

 幣原直。ホグワーツ魔法魔術学校ハッフルパフ寮に在籍する、トム・リドルと同級の、日本魔法魔術学校『魔法処』からの留学生。

 平凡な男だと、そう思った。自らと並び立つような存在ではないと。それでも何故か、この男を隣に置いておかねばならないと思った。決して、手放してはならないのだと。

 ──もう二度と、間違えてはならないのだと。

『記憶』の自らは、幣原直の持つ『予見者』という能力に触れ、彼に興味を持ったということだった。ならば、その能力を垣間見たわけでもないというのに、彼に惹かれてやまないこの感情は、一体誰のものだろう。

「トム」

 平凡極まりない、自らの名前。父親と同じ名前のそれを、憎みさえもした。それでも何故か、彼に呼ばれるその響きは、酷く懐かしい感傷をも呼び起こす。

「直」

 微笑みさえも浮かべて身を起こす。直は、トム・リドルを信じ切った表情で、自然に隣へと並んだ。軽い口調で語りかける。言葉は英語だ。昔は、日本語しか喋れなかった。英語を授業さえも苦にならなくなるまで叩き上げたのは、リドルだった。

「楽しみだなぁ、今日のクリスマスパーティ」
「そう思っているのは君くらいだろうね。その反応から察するに、やっとこさエンディーネ嬢を誘えたということか」

 憂鬱だ、そう思って息を吐く。一体なんだって、こんな行事があるのだ。
 スラグホーン教授のお気に入りメンバーを集めた『スラグ・クラブ』、今日はその、年に一度のクリスマスパーティだった。

「そう、いやぁ勇気を出してみるものだね。そしてトム、君は本当に変わらずだなぁ。女の子が選り取り見取りな君の状況は、男としては羨ましい限りだというのに」
「僕にだって選ぶ権利というものがあるだろう。僕の隣に並ぶことを許す女性が今のところ見当たらない、そういうことさ」
「それで壁の花決め込むのも、なかなかいないぞ。……本当、僕にはどうしてトムが、僕なんかとつるんでくれているのか、たまによく判らなくなるんだよ……」

 笑い混じりに漏らされたその言葉を、聞き咎める。気を悪くしたならすまない、と直は軽く謝罪した。

「……まぁ、僕だって『どうして君のような凡庸な男と』という気持ちは、時折抱くがね」
「……抱くのかよ……」

 捨てちまえそんな気持ち、と、苦虫を噛み潰したように直は言う。気を取り直したように「ま」と声を上げた。

「凡庸と、平凡と、そう言われる日が来ようとは思いもしていなかったからね。僕はこの平和で普通な日常が好きだよ。失いがたい、宝物だ」

 ──そうだろうな。

 声に出さず、呟いた。

 ──だからこそ、取り戻した・・・・・んだ。

 黒の瞳が、こちらを向く。邪気のない目が、敵意の欠片もない光を湛え、柔らかに弧を描く。

「今年もトムは、クリスマスに帰らないのだろう? 良かった、今年も、寂しくはない」
「……直、知っているか? この前同寮の女子に尋ねられたんだ、『トムって幣原くんと付き合っているの?』と」

 ゲヒュン、と直は妙な音を立てて咳き込んだ。ハ、とこちらを見上げる顔は、僅かに赤かったり、青かったり。その様子が可笑しくて、思わず鼻で笑った。

「は、あ、あ……!? 付き合、付き合ってるって、え、つまりは……」
「理解が及んでいない君に、微力ながら教えてあげるとするならば、彼女の意図する言葉は『恋仲かどうか』ということだろうね」
「…………」

 今度こそ直は青ざめて固まった。やがて大きく息を吐くと同時に、全身の緊張を解く。

「一体どういう論理の飛躍だ……僕と、トムが付き合っている? 眼科に行った方がいいんじゃないのか?」
「まぁ僕は『イエス』と答えたんだが」
「何してくれてんの何考えてんのっ!?」
「冗談だよ。君は人の言葉を信じすぎるのがいけないな。僕の言葉に何度バカを見れば気が済むのだい?」

 君の冗談は性質が悪すぎる、とぶつくさ言いながら、直はムッとリドルを睨んだ。ハハ、と軽やかに笑うと「遅刻してしまうよ」と微笑んでみせる。リドルのその笑みに呆気に取られ、やがて渋い表情で、直は歩き出した。

 直。
 本当は、この世界はね。
 一度壊れ、そして再構築されたものなんだよ。

 君の。僕の。そして。

 ──自らの幸せよりも世界を選んだ、正真正銘の大馬鹿野郎の手によって。

「……そうそう、直。君はひとつ誤解をしているようだね。このダンスパーティ、僕にパートナーがいない訳ではないんだよ」
「……え、そうなの? 一体それは誰?」

 勿体振る必要もあるまい。極々普通のトーンで、言葉を放った。

「マートル・ウォーレン」
「…………は?」

 そうそう。彼女に声を掛けたときも、今の直と同じ表情を浮かべていた。それを思い出し、ほくそ笑む。

「……え、は、なんで? ウォーレンって、レイブンクローの子だよな? 君、あぁいうのが好みなのか?」
「まさか」
「じゃあ、なんで」

 訝しげに、直が追及してくる。躱してもいいが、と少し悩んだ。まぁ構うまい。

「……ちょっとした罪滅ぼしさ」

 やがて大きく嘆息した直は「性格悪いな、君は」と呟いた。


 ◇ ◆ ◇


 結局のところ、在学中は一度も『秘密の部屋』を開くことはなかった。秘密の部屋で後継者を永遠待ち続ける大蛇バジリスクは少し気の毒にも思えたが、しかしそれならば孤独にバジリスクを取り残したサラザール・スリザリンと、女子トイレなんかに秘密の部屋を繋げた後継者にこそ、文句と異議を申し立てるべきであろう。
 トム・リドルはただの、百年に一人の逸材とも呼ばれた俊英の優等生に過ぎないのだから。

 卒業後の進路を尋ねられ、躊躇しながらも闇の魔術に対する防衛術の教師を願い出た。それを聞いたアルバス・ダンブルドアは、こちらに探るような瞳を向けた。淡いブルーの瞳に身を強張らせる。
 大丈夫、不安に思うことは何一つない。自分は闇の魔術に浸っても、憧れてもいないただの学生だ。友人に『ヴォルデモート卿』と呼ばせたことだって、ただの一度もない。

「きっと君はいい教師になることじゃろう、トム」

 かけられた言葉に、ホッと胸を撫で下ろした。

『記憶』と変わり、直はホグワーツを自主退学することなく、極々普通に卒業して、アキナ・エンディーネとささやかな式を挙げていた。数年英国で新居を構え、両親が亡くなったという知らせを受け、日本へと移り住むことにしたようだ。

 年に一度、夏休みに、直はいつもリドルを家へと招いた。ホグワーツ以外に帰る家のないリドルに気を遣っていることは明らかだったが、その透けて見える思惑も込みで、リドルは直の案に乗ることにした。

 直とアキナの一人息子、幣原。抱き上げたその子供は酷く小さく、弱く、しかし漏れ出す魔力は常人と桁が二つは違うもので。予測はしていたけれど、これには少し驚いた。これは確かに、未来の自分に膝をつかせただけのことはある。

 の魔力を、苦労して封じた。しかし封じるだけでは、この純粋な魔力はあまりにも無邪気に凶悪だ。だからこそ直に「の家庭教師をさせてほしい」と申し出た。直は戸惑っていたようだったが、やがて「……君の仕事の邪魔にならない程度ならば」と言い、了承してくれた。賃金はいらないと突っぱねた。夏休みの間日本に滞在する諸費用を直が負担する、ということで、話し合いは落ち着いた。

 日本の夏は、英国の夏とはまた違う。湿気と日差しに辟易しながらも、段々と、日本の未知なる生活に慣れてきた。また、子供の扱いにも。



 名前を呼べば、パァッと表情を明るくさせて駆け寄ってくる。少女とも見紛う顔立ちに、真っ黒の大きな瞳。自分の腰ほどしかない背丈。目線を合わせるように、その場にしゃがみこんだ。

「リドルさん! いらしてたんですね!」
「あぁ。久しぶりだね、。元気そうで何よりだ」

 そう微笑みかけると、はにかんだ笑顔をは浮かべた。曇りも翳りもない、純粋な笑顔。こんな笑顔を、記憶の中の自分はついぞ向けられたことがなかった。かつて自身と曲がりなりにも数年を生きたあの少年はよく笑う人間ではあったが、ここまでの笑顔は浮かべられなかった。
 目の前の小さな子どもと同じ名前の彼は、親の仇である自身に、こんなにも無邪気に笑いかけることはなかったことだし──ただただ望まれ生まれ、愛され慈しまれながら育てられた子どもは、ここまで純真な輝きを放つものなのかと、そう考えると目眩がした。

 には、自分が教えられる限りの物事を教え込んだ。この子どもの理解力の高さは、知っている。魔力の制御の方法から、読み書き計算、魔法界・非魔法界問わずのあらゆる学問。語学だって、何だって。
 するすると何でも吸収する脳みそは、元々のポテンシャルの高さをも感じさせ、気付けばそこらの魔法界に住む子どもなど目ではないほどの英才教育を施していた。貪欲に、新たな知識に瞳を輝かせる少年。あぁ、やはり、この少年がいるべき場所は、決して戦場などではなかった。

は驚くほどトムに懐いた」

 よくそう直は零していた。「嫉妬かい?」と軽やかに尋ねると、分かりやすく眉が寄る。

「まるで実の親である僕よりも、のことを理解しているようじゃないか」
「考え過ぎさ。まさか君、本当はがアキナと僕の間の子だとか考えているんじゃないだろうな」
「そんなことあるわけないだろう……あってたまるか、は日本人顔だからな……女の子じゃなくって良かったよ、『リドルさんのお嫁さんになる!』とか言われた暁にゃ、僕は君をぶちのめさないと気が済まない」
「そういうものなのかね」

 親から子に向ける想いというものは、よくわからない。そもそもが、自身は受け取ったことのないものだ。そういうものさ、と肩を竦める直も、記憶が正しければ両親には恵まれなかった。

「君も親になれば、気持ちの一端もわかりそうなものなんだけどな」
「生憎と」

 マグルの父親から受け継いだリドル姓は、きっとここで絶えるだろう。そう言えば父親を殺しに行くこともなかった。碌な男でなかったことは確かだ。狂ったゴーント家の血も、きっと自分で途絶える。惜しいな、と思わない訳ではないが、それ以上の気持ちが勝った。「自身は親には向いていない」という思いだ。

 自分はきっと、直ほど一心に子どもは愛せまい。元々バカなガキは嫌いだった。は別格だ。

「そうかなぁ」
「そうだよ」

 そういう、ものなのだ。


 ◇ ◆ ◇


 初めて紅のホグワーツ特急を見たは、その黒く大きな瞳をキラキラと輝かせていた。すごい、とその唇が、声にならない言葉を漏らす。その様子を、微笑ましくも見つめた。

「また後でね」

 これから飽きるほど、ホグワーツで会うことになる。コンパートメントにの荷物を置くのを手伝い、教授陣が集まる先頭車両にそのまま向かおうとしたが、ふと気が変わった。足を戻す。

、君はどの寮に入りたい?」

 そう尋ねられたは、そんなことを考えるのは初めてだと言わんばかりに考え込んだ。まぁ、きっとそうだろう。直はハッフルパフ、アキナはグリフィンドール、そしてリドルはスリザリンと、ものの見事にバラバラなのだ。明確に『この寮』という憧れは持ってはいないのか。

「……どの寮に、って言われてもなぁ。そうだ、リドルさんは、ぼくが何寮っぽいって思う?」
「……そうだねぇ」

 思わず、目を細めていた。眼前のを透かし、彼を、彼らを、思い浮かべる。

 もはや誰も覚えていない、彼らを。
 目の前の少年とは違う、彼らのことを。

「……レイブンクローに、きっと君は入る」

 はキョトンと目を瞬かせた。その頭を優しく撫でて、今度こそ踵を返した。


 ◇ ◆ ◇


 グリフィンドールの四人組──彼らは『悪戯仕掛人』などと名乗っていた──には、本当に手を焼かされた。ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックを筆頭とする彼ら全員には、覚えがあった。複雑な感情を抱かない訳ではなかったが、しかし悪戯小僧に日々対抗していると、それらが思考の彼方へと飛んで行ってしまう。
 成績優秀なクソガキをやり込めるのは並大抵のことではないが、出来ないということはプライドが許さなかった。

「リドルさんって、そういうところ子どもっぽいよねぇ」

 教務室でリドルが淹れた紅茶を啜りながら、のんびりとは呟いた。一月に一度ほどの割合で、は「父さんたちから送られてきた」という手土産の菓子と共に、リドルの居室に訪れる。その才能ゆえに『呪文学の天才児』と呼ばれてもいるらしいが、かねてよりのほほんとしたは、あまり気にしていないらしい。その首元には、レイブンクローのネクタイが結ばれていた。

「子どもっぽいってどういう意味だい」
「文字通りの意味さ。最近じゃジェームズ達、リドルさんに構ってもらうために趣向を凝らした悪戯を考えていたりする訳だし」
「なんという才能の無駄遣いか」
「まったくだよねぇ」

 そう言うも、の頬は緩んでいた。友人たちが誇らしいのだろう。の口から、楽しげに知った名前が零れる。そう言えばリドルさん、セブルスに新しい創作呪文のアドバイスをしたんだって? とか、リリーがリドルさんから珍しい薬草を譲ってもらったと嬉しそうだった、とか。喋っても喋っても話題の尽きないを、穏やかな気持ちで見つめていた。

「……ねぇ、リドルさん」

 夕暮れの日差しが差し込む。そろそろ夕食の時間だからお帰り、とを促した。は素直に立ち上がり扉に手を掛けたが、そこでふと、リドルを振り返った。

「……ぼく、何かを忘れている気がするんだ」

 橙色の柔らかな光に照らされたは、少し苦しげな笑顔を浮かべていた。困ったような、どうしていいのかわからないような、そんな無防備な瞳で、リドルを見る。

「とっても、大切なことを……忘れてはいけないことを、忘れてしまっているような……そんな気分になるんだ。セブルスと、リリーと、ジェームズやシリウスやリーマスやピーターと、リィフと話す時……『あれ?』とね、たまに思う、ことがある。一回、どこかでぼくらはこれと同じ話をしたことがあるような……そんな奇妙な既視感を、覚えるんだ……」

 に歩み寄った。その頭にそっと手を触れさせ、髪の中に指を入れる。後頭部を支えると、軽くこちらに倒した。は、されるがままでいた。

 小指が、の細い首に触れる。延髄に近しいところに触れられても、は無防備だった。かつての彼ならば、リドルに触れられることすら良しとしなかっただろう。警戒心を剥き出しにした瞳で、首になど触ろうものなら吹き飛ばされていた。

「気のせいだよ、

 穏やかな声で、言葉を紡ぐ。

「いきなりの環境の変化で、きっと疲れているのだろう。暑さ寒さも、ここは日本とは違うのだしね。時差だってあった、体調を崩しても無理はない」

 そう言って、手を離した。はそっと、リドルから一歩離れる。リドルに触れられた辺りをそっと撫でると、静かに目を伏せた。

「そう……そうだよね。ぼくの気のせい、なんだよね」

 呟いて、顔を上げる。微笑みを灯した。

「変なこと言って、ごめんなさい。またいつか、来てもいい?」
「あぁ……いつでも来るといいよ」

 お邪魔しました、と言って、は部屋を出て行った。
 リドルはしばらく、がいた辺りを見つめていた。


 ◇ ◆ ◇


 死喰い人自体が存在しないため『不死鳥の騎士団』は発足どころか草案すらも持ち上がらなかった。闇祓いに『許されざる呪文』の行使が許可されることもまた、ない。吸魂鬼や闇の生物にヴォルデモートが声を掛けることもなかったため、アズカバンは侵されることなく、ただただ其処に在った。

 これからの魔法界の未来には、高等教育機関が必要だと考えた。ホグワーツを卒業して、より高度な教育を学生に施す場所。「面白い考えだね」と笑って乗ったと共に、ホラス・スラグホーンの人脈も駆使してやってのけた。英国だけでない、世界にまで手を広げ、講師を招いた。

「リドルさんが大学で教鞭を取る訳ではないのに、どうしてリドルさんがそんなに頑張っているの?」

 の疑問を、誤魔化した。

 は知るまい。自分がのために大学という制度を整えたことを、が知る必要はない。彼の才能は、教育・研究という立ち位置こそ一番の冴えを見せる。この少年を、一体何年間教えてきたと思っている。

 英国魔法界は、立ち止まらせない。かつて、彼がやったように。自身が政治家になり全てを執り行えば早かったのかもしれないが、かつての経験上、出来る限り自分は権力を握りたくはなかった。だからこその、大学。自身ではない、より世界を良くしようと考える人物が現れることを、期待して。

「驚くほどに、リドルさんって無私だよね」

 ──そんなことは、ない。

 自分の行動は全て、私利私欲に塗れている。


 ◇ ◆ ◇


 が結婚して、子供も儲けたと聞いて、月日が経つのは早いものだと驚いた。ついこの前まで、自らの背丈の半分ほどしかなかったのに。身長は、かつてと変わらずあまり伸びなかったようだ。本人は少し悔しげだった。

「リドルさんの背丈が目標だったのに……」
「それはね、無茶というものだ」

 思えば直も、そう大きい方ではない。

 そうか。あの少年は、平和な世の中ならばごくごく普通の幸せを手に入れることが出来たのか。

 初孫に、直とアキナは大盛り上がりだった。祖父母バカを存分に発揮している。思わず苦笑いを浮かべたが、それでもかつての彼らは孫を抱くどころか、息子の卒業すらも見ることが出来なかった。そう思うと、窘めるのも無粋に思う。

 がホグワーツを卒業し、就職してからはめっきり彼とも疎遠になった。元々互いに筆まめな方ではない。どころかは、研究に没頭すると、クリスマスもハロウィーンも誕生日すらも忘れてしまう困った性質の持ち主でもあった。
 こちらが贈ったカードに数日遅れで『忘れてた……』と遠慮がちに返ってくることもしばしばだ。初めは呆れていたが、やがて慣れた。全ての物事は、慣れるのだ。そんなのでは上手くやっていけているのだろうか、などと余計な心配までもしてしまう。

「…………」

 目が覚めて。真っ先に行うことは現状把握だ。今、自分はどこにいるのか。今は何時何分で、今日は何月何日なのか。十二歳の頃からの習慣は、今も抜けずにいる。ここはホグワーツ、闇の魔術に対する防衛術教授の居室であり、今は夜で、もうすぐ夕食となるだろう。
 授業が終わり、少し休憩しようと目を閉じたら、そのまま眠ってしまったらしい。ソファ横のサイドテーブルに置かれたカレンダーを確認して、朝と同じように、思わず息を止めた。静かに、吐き出す。

 今日は、1981年10月31日だ。

 あぁ、そうか──と、一眠りする原因となった鈍い頭痛の正体に思い至る。
 身体が重い。それが、精神の不調から来るものだということは明らかだった。

 長く息を吐いて、ソファに沈み込む。額に右手を当てた。今日はハロウィーンのご馳走が出るが、しかし今の体調では、大広間に行かず自分の部屋でゆっくりとしていた方が良いだろう。薬で無理矢理にも眠ってしまいたい欲求はあるが、しかしレポートの採点がまだ残っている。

 ソファから身を起こすのと同時に、扉が軽くノックされた。誰だ、と耳をそばだてる。

『リドルさん、お久しぶりです』
「……?」

 しばらく聞いていない声に、少し唖然とした。扉に歩み寄り、開ける。純粋な笑顔を浮かべる幣原が、そこに立っていた。その隣にはシリウス・ブラックの姿も。数年前に卒業したはずの二人が、どうして? 

「こんにちは。待ちくたびれて、迎えに来ちゃいました」

 照れたようには言う。意味が判らず「……待ちくたびれた、とは」と聞き返した。

「あれ、行っていませんか? ハロウィーンパーティの招待状」
「ハロウィーンカードは後で読もうと纏めていて……」

 そう言えばまだ目を通していなかった。その旨を伝えると、はやっぱり、という顔をして微笑んだ。
 と、シリウスがリドルの腕を引く。かつての後輩、オリオン・ブラックの息子。しかし破天荒な性格は、母親であるヴァルブルガに似ていると常々感じていた。

「リドルさんを是非とも呼びたいって、ジェームズとが聞かないんです。良かったら付き合っちゃくれませんか」

 そう言って、シリウスは相好を崩す。「、リドルさんが好きだから」との揶揄いの言葉に、は顔を赤らめ「違うから! ヘンな意味じゃないからね!」とムキになっては叫んでいた。その黒い双眸が、リドルを向く。穏やかな光が、リドルを射抜いた。

「でも、今日は……リドルさんに来て欲しいと思ったんだ」

 ──何故。どうして。
 よりにもよって、どうして今日なんだ。

「……パーティの場所は」

 上がる心拍の中吐き出した言葉に、は何のてらいもなく口を開いた。

「ゴドリックの谷の、ポッター家であるんだよ」


 ◇ ◆ ◇


 忌まわしき記憶が、蘇る。
 日記のリドルでも、今のリドルでもない、それはかつての、本体の記憶。

 暗い道を、たったひとりで歩いていた。『忠誠の呪文』は、破れていた。決して身構えていなかった訳ではないが、それでも敵にはなり得まいと慢心していた。

 闇祓いであった幣原は、ハロウィーンパーティには訪れないと聞いていた。そうだろう、そんな時間の余裕があるような部署ではない。邪魔は、決して入らない。

 生垣のこちら側で、息を潜めて家の様子を伺った。カーテンは、開いていた。メガネを掛けた黒髪の男が、杖先から色とりどりの煙の輪を出して、パジャマ姿の小さな男の子をあやしている。小さな男の子、『選ばれし男の子』ハリー・ポッターを、ヴォルデモートを破滅にもたらす存在を──

「リドルさん?」

 涼やかな声に、我に返った。がこちらを覗き込んでいる。漆黒の双眸は、宵闇にも負けることはない。

「……大丈夫? 顔色、良くないみたい。無理に連れてきちゃってごめんなさい、体調、悪かった?」
「……いや、心配ない。気にするな」

 意識して息を吸い込み、吐いた。ローブの裾をギュッと握りしめる。

 自分はヴォルデモートではない。
 自分は直とアキナを殺してはいない。
 自分は幣原の敵ではない。

 ──逃げては、いけない。

「本当に大丈夫ですか?」

 シリウスも心配げな表情を浮かべている。

「大丈夫だと言っているよ。少し空腹を思い出しただけさ」

 嘘だった。しかし演技はお手の物だ。普段通りの微笑みを向けると、二人は安心したように微笑んだ。

「リドルさん、そんなにお腹空いていたんだ。クッキーか何か持ってくれば良かったかな。リリーが作ってくれたクッキー、凄く美味しかった」
「リリーが? 彼女は魔法薬は上手だけれど、料理は壊滅的だと以前聞いたことがあるんだがね……」
「いや、確かに学生時代はよく暗黒物質を作り出していましたけどね」
「すっごく上達したんだよ、結婚してから」

 苦々しい顔のシリウスの言葉を、が引き継ぐ。その瞳は純粋に、自らの親友に対する誇らしさを湛えていた。

 玄関に辿り着くと、シリウスは手の甲で軽くノックをした。すぐさま、奥から足音が響く。かつての闇の時代にはあり得ないほどの気軽さで、玄関の錠が外された。
 家の中から顔を見せたのは、ジェームズ・ポッターだ。ドキリ、心臓が一際強い鼓動を打つ。無意識に杖を指先で探し掛け、慌てて手を離した。

 違う。

「リドル先生! 来てくださりありがとうございます、さ、どうぞ上がってください」

 眼鏡の奥の瞳が、弧を描いた。かつての恩師であるリドルを信用し切った瞳で、入室を促す。

 知らないのだ、彼は。
 誰も知らないのだ。
 自分がかつて、何をやったか。
 この日、この家で、何が起きたのか。

「リドルさん、ほら早く」

 に軽く背を押された。一歩、足を踏み入れる。リドルと目が合うと、はきょとんとしながらも微笑んだ。

 止めてくれ。
 そんな笑顔を向けられる価値は、自分にはない。
 そんな純粋な笑顔を浮かべるのは、止めてくれ。

 とジェームズに手を引かれるようにして、廊下を歩いた。明るく暖かい一軒家。この家をかつて、滅茶苦茶にしたのは──。

 明るい光の元に出た。

 かつての教え子、リリーが、ひとりの小さな男の子を抱き上げた格好のまま振り返った。
 赤く長い髪が、ふわりと揺れる。リリーはリドルの姿を見て、パタパタとこちらに駆け寄ってきた。

「あぁ、リドル先生! お忙しいのにお呼び立てしてすみません、でもどうしてだか、今日、会いたかったんです。先生に」

 そう言って、リリーはにっこりと微笑んだ。
 小さな男の子が、こちらを向く。癖っ毛の黒髪は、ジェームズにそっくりだ。しかし瞳は、リリーと同じ深い緑。その額に、稲妻型の傷はない。

「……ハリー」

 思わず、息を吐いていた。

 君は、英雄ではない。幣原も、ハリー・ポッターも。
 英雄になんて、してやるものか。

「あぁ、リーマスごめんね、任せちゃって」
「全然。遊び疲れたら寝ちゃって、楽なもんだったけどちょっと寂しかったよ……と、お父さんの気配を察知したら起きるのか。はい、
「どうもありがとう」

 が、ひとりの子供を抱き上げる。目を覚ましたばかりのようで、少しまだ目が虚ろだ。

 幼い頃のと、瓜二つだった。驚くほどにそっくりな、その小さな男の子は。

アキと、言うんです。響きは、ぼくの名前と全く同じなんだけど」

 目を細めて、は笑った。

「リドルさんにも、抱いて欲しくって。ぼくの子どもなんだよ……まだ、見せてなかったから」

 がそっと、腕の中の温もりを手渡した。取り落とさぬよう、そっと抱く。
 アキの瞳が、リドルを向いた。にこりと無邪気に微笑むと、リドルに短い手を伸ばす。

「……アキ
「そう、アキ。……はは、どうして同じ名前なのって話だよね……名付けたぼくも、たまに混乱するんだ……でも」

 そうしなきゃいけないと思ったのだと、は言った。

「今日、リドルさんをこの家に呼ぶことも。そうしなきゃいけないと、思ったからなんだ」

 掛け時計が、時間を知らせる鐘を鳴らした。「日付が変わった」と漏らした声は、一体誰のものだったか。

 ──あぁ、今日が、終わったのだ。
 今日だけではなく、何もかもが、終わったのだ。

 が、息を呑んだ。恐る恐る尋ねる。

「……リドルさん? どうして泣いてるの?」

 答えず、幼子を抱えたまま、の前に跪いた。頬を伝う涙を拭わぬまま、頭を垂れる。
 贖罪の日々が、きっとこの瞬間、全て報われたのだ。

「リドルさん……?」

 耳朶を震わす声に、微笑みを浮かべた。

 ──あぁ、アキ
 声に出さず、呟いた。

 僕は、間違えなかったよ。

 君が望んで、選んだ、君のいないこの世界で。
 君が愛し、君を愛した人たちが、君のことを忘れてしまったこの世界で。
 僕はこの、平和で平凡で退屈極まりない、酷く失い難い、愛しい日常を送っている。

 これまでも、そして、これからも。
 世界が君を忘れても、僕だけはずっと、君のことを覚えていよう。

「──さようなら、君がいた世界」

 これが、幸せな未来だ。



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