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紅の蒸気機関車が、キングスクロス駅の九と四分の三番線に滑り込む。色鮮やかな紅に、思わず胸が高鳴った。
「早くっ、父さん、母さんっ!」
「秋、慌ただしいなぁ」
父が呆れた声を漏らす。ぼくはにっこりと笑った。
「だって、待ち遠しいんだもん!」
待ち焦がれたホグワーツ。今日からぼく、幣原秋は、ホグワーツ魔法魔術学校に入学するのだ。未知の世界に飛び込む興奮に、気が逸って仕方がない。
「気持ちは分かるけどね。あまり直たちを急かすんじゃないよ」
と、その時頭に手が乗せられた。慌てて頭を押さえ、顔を上げる。
「リドルさん!」
ぼくの目線に合わせるように、リドルさんは身を屈めて薄っすらと微笑んだ。弾みでサラリとした黒髪が揺れる。あぁ、この人は初めて見た時から変わりなくカッコイイなぁ。
ぼくを見る紅い瞳が、柔らかく細められた。
「トム、秋を頼む。この通り落ち着きがない息子だけど」
「この年代じゃこんなものだろう。それに秋は直、お前よりも頭のいい子だ。これからが楽しみだよ」
コンパートメントにぼくの荷物を置くと、リドルさんは先頭車両に向かった。闇の魔術に対する防衛術の教師であるリドルさんは、教授陣の集まりがあるらしい。
また後でね、とリドルさんは微笑むと、思い至ったようにぼくを見た。
「秋、君はどの寮に入りたい?」
そう言われて、はたと考え込む。どの寮に、か。正直ピンと来ない。
「……どの寮に、って言われてもなぁ。そうだ、リドルさんは、ぼくが何寮っぽいって思う?」
そうだねぇ、とリドルさんは目を細めた。何かを懐かしむような、遠くを見つめる眼差しだった。
「……レイブンクローに、きっと君は入る」
それは予想というよりは、未来の断定だった。
思わず目を瞬かせたぼくの頭を、リドルさんは笑って撫でると背を向け姿を消した。
ホグワーツ特急が、ゆったりと滑り出す。両親の姿が見えなくなるまで手を振ると、ストンと座席に腰掛けた。
ふと、寂しさに襲われる。これから、両親と離れて暮らすのだ。リドルさんに英語は叩き込まれたけれど、それでも日常会話には不安が残っている。
その時、コンパートメントの扉が開かれた。姿を現したのは、小柄な一人の少年だ。長めの肩ほどまでの黒髪で、不機嫌そうに顔を顰めている。
少年はふとぼくを見ると、ぽかん、と目を瞬かせた。
その表情の変化を、妙だと思うべきなのだろう。だけれどぼくも、多分今、彼と全く同じ表情を浮かべていた。
どこかで、彼と出会ったことがあるような、そんな不思議な気分。知らないことを知っているかのような、知っているべきことを知らないような、そんな少しふわふわとした心持ち。
先に立ち直ったのは、彼の方だった。
「隣、空いているか」
投げられた英語に一瞬戸惑うも、慌てて頷く。彼は小さく「ありがとう」と呟くと、すぐさま大きなコートを脱ぎ、学校指定のローブに袖を通した。
「あともう一人、連れて来ても構わないか」
「大丈夫だよ」
そうか、と言った彼の眼差しは、暖かだった。
やがて彼が連れてきた女の子も、なんだかぼくには初めて会った気がしなかった。綺麗な赤毛で、深い緑の瞳が印象的な女の子。
「初めまして」
女の子が、ぼくににっこりと微笑みかける。柔らかに目を細め、口を開いた。
「私はリリー。リリー・エバンズよ。あなたのお名前、聞いてもいいかしら?」
◇ ◆ ◇
「アキ!」
名前を呼ばれ、ぼくは振り返った。ぼくの手を握っていたハリーも、共に顔を向ける。
キングスクロス駅で、パタパタとこちらに駆けて来たのは父さんだ。瞳に困惑を滲ませている。
ぼくと瓜二つの父さんは、三十過ぎているというのに見た目も中身も子供っぽい。父さんと同じ歳になったら、ぼくも多分こんな感じになるのだろう。願わくばもう少し大人っぽくありたいものだ。
「あぁ、やっと会えた……この人混みじゃ、無理かと」
「秋さん、仕事はいいの?」
ハリーの声に、抜けて来た、と、父さんは頬を書きながら悪気もなく笑う。
その笑みに肩を落とした。
「別に、来なくっても良かったのに。ハリーたちと一緒に行くから大丈夫だって言ったじゃない」
「でも、アキとしばらく会えなくなるんだよ。会いたいと思うのは当然だよ」
父さんは、大学にて呪文学の講師をしている。十年前ほどに新設された大学で、ホグワーツを中心とした英国魔法学校の進学先だ。この大学の設立により、魔法使いの人生は一気に多様化した。
設立者の一人である父さんは、しかしぼくから見たら全然凄い人には思えない。この前は洗濯機を壊したし、電子レンジも爆発させたし、パソコンは分解させちゃうしで、いっつも母さんに怒られている。その時の父さんは、凄く情けない顔をしていて、到底父親の威厳なんて見当たらない。
「ジェームズとリリーは?」
「今日はリリーお姉さん一人。ジェームズおじさんは用事があるんだって」
「何かまた妙なことしてるんだよ、うちの父さんは」
ハリーはうんざりした顔で言った。変わらないな、と父さんは苦笑する。
そこで、リリーおばさ……お姉さんの姿を見つけた。向こうもぼくらを見つけ、笑顔で駆け寄ってくる。
「どこに行ったかと思った、探したのよ。……あら、秋じゃない! お仕事は?」
「皆それを聞いてくるよね……三限が空いてるから、いいかなって。アキを送ったらすぐ戻るよ」
リリーお姉さんと話してるときの父さんも、少し情けない。
ハリーがリリーお姉さんに服の乱れを直されている。先に行くよと言って、ホグワーツ特急に飛び乗った。ぼくの背中に、父さんの声が掛かる。
「リドルさんとセブルスによろしくって言っておいて!」
分かったの言葉の代わりに、左手を振った。
空いているコンパートメントを探して、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩く。もうある程度座席は埋まっていて、生徒もひっきりなしに通路を行き来していた。
隣を通った小さな女の子の、風に靡いた銀髪に目を惹かれた。思わず目で追う。
「……え」
何かに導かれるように、立ち止まった。ぼくの声に、女の子は振り返る。大きな灰色の瞳と、目が合った。
凄く、可愛い女の子だった。静謐な硝子細工のような美しさに、息を呑む。
恋に落ちたと、頭のどこかで理解した。一目でこの子に惚れたのだと、どくどくと喧しく脈打つ鼓動が聞こえる中、ぼくは思った。
「……っ、な、名前を……聞いてもいいかな」
彼女は少し訝しむ瞳を向けたが、それでも口を開いた。
「……アクアマリン・ベルフェゴール」
「……やっと会えた」
「え?」
「あれ……何、今の」
思いも寄らず、言葉が零れた。ぼくもびっくりして、口元に手を当てる。
「……変な人」
楽しげに、彼女は微笑んだ。
-----アキエンド「ぼくがいらない世界」fin -----
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