ホグワーツ魔法魔術学校に入学して、なんとかかれこれ一週間が過ぎた。
あっという間だったような、それでいてとてつもなく長かったような……不思議な気分だ。目まぐるしい日々に翻弄されながらも、どうにかこうにか生き抜いている。
わたしが入ったハッフルパフ寮はどこかのんびりとした気風で、新入生をおおらかに受け止めてくれる雰囲気があり、人見知りのわたしでも少しずつ馴染むことができた。
ハッフルパフ寮の上級生達も、わたし含めた新入生のことをとても親身に気遣ってくれた。彼ら彼女らが新入生歓迎用に企画してくれたいくつかの催し物のおかげで、寮内に友達もできてきたし。
授業も本格的に始まった。座学は良いものの、杖を初めて握ったのはついこの前が初めてで慣れないことも多い。でも、それは同級生のみんなも同じだったから、浮かなくて良かったかもしれない。
ハッフルパフの寮生は、アキ教授について興味津々に聞いてくることはあれど「アキ教授の娘だから」と無闇に期待を込めて来ることはない。プレッシャーに弱いわたしにとってはなんともありがたいことだった。
友達もできたし、授業も楽しいし、それに図書館は神の作りたもうた楽園だし!
……で、多少の気にかかることはあるものの、概ね順調に、わたしの新学期は進みつつある。
そんなある日のこと。
飛行術の先生であるフーチ先生のご都合により、第一回目の飛行術の授業は四寮合同で行われることとなった。
中庭には、既にずらりと人数分の箒が用意されている。グリフィンドールの赤いローブを纏ったローズは、わたしを見つけ駆け寄ってきた。
「ソラ! 元気してる? ちゃんとご飯食べてるかしら? 私、あなたのことが心配で心配で……ひとりぼっちで寂しがってはいないかしらとか、あなたもグリフィンドールに入っていればとかいろんなこと考えちゃって、あぁもう……」
「むぎゅ、ローズ、わたしは元気だよぅ……にゃ……」
ぎゅうっとローズに抱き締められる。ちょっと苦しい。
ローズはひとしきりわたしの頭を撫でたりほっぺを引き伸ばしたり持ち上げたりくるくる回したりしていたが、気が済んだところで解放してくれた。ふぁぁと思わずへたり込む。
「わたしは大丈夫だよ。心配してくれてありがとね、ローズ」
にへらと笑ってローズを見上げると、ローズも笑みを返してくれた。手を貸してもらって立ち上がる。
ふとローズの表情が陰った。わたしにしか聞こえないほどの小さな声でローズは呟く。
「気にかかるのはアルバスだわ……スリザリンで、うまくやっていけるのかしら……」
その言葉に、わたしもそっとスリザリンの方を見遣った。
……そう、気にかかることの一つが、我がいとこのアルバスについてだ。
アルバスは、スリザリンの集団から少し離れたところで佇んでいた。その表情はこれまでに見たことがないほど暗い。
アルバスの隣にはスコーピウスがいて、アルバスがひとりぼっちじゃないことにはちょっと安心した。
そっと呟く。
「……少し前にアルバスとお話したときは『大丈夫だから気にしないで』って言われちゃったの」
「アルバスと話したの?」
わたしの言葉に、ローズが目を丸くする。そんな反応をされるとは思ってなくて、わたしはちょっと困ってしまった。
「う、うん。どうして?」
「だって……」
ローズは躊躇うように視線を落とした。小さな声で囁く。
「私も、アルバスとお話しようと思って……この前、魔法薬学の授業が始まる前に話しかけたんだけど『グリフィンドールのローズには関係ないだろ』なんて……そんなこと言われたら、もう何も聞けないでしょ?」
「……ぅ……」
何も言えず、ただ唇を噛み締める。
元々、アルバスは少し気が弱いというか、周りの雰囲気に流されてしまうところがあったのだけど、ホグワーツに入って余計にそれが顕著になった気がする。
でも、アルバスがスリザリンに入ってしまったってだけでいとこ同士の絆に亀裂が入るのは、なんだか……少し寂しい。
その時フーチ先生が中庭に姿を現した。笛を吹き授業の始まりを合図するので、わたしは慌ててローズに別れを告げ、自分の寮の集団に駆け戻る。
「ほら、ボヤボヤしていないで! みんな、箒のそばに立って。さぁさぁ、急いで!」
フーチ先生が生徒を急かす。わたし達は慌てて、言われた通り地面に並べられた箒のすぐそばに立った。
みんなが位置についたのを確認して、フーチ先生は次の指示を出す。
「箒の上に手を突き出して。そして『上がれ!』と命じなさい」
フーチ先生の言葉に、みんな一斉に「上がれ!」と叫んだ。わたしもおずおずと箒を見下ろし、小さな声で「上がれ……っ」と呟く。
箒がすぐさま上がって手の中に収まったことよりも、手のひらに硬い木がぶつかってきた痛みの方にびっくりした。思わず手のひらで箒を弾いてしまうも、そのまま地面に倒れ込むかと思った箒は、わたしの腰あたりにぴたりと浮かんだままだった。
フーチ先生は大股で生徒たちの間を歩きながら、一度で箒が手元に来た生徒の寮に得点をあげていく。箒を手に、ローズは誇らしげな顔を浮かべていた。
フーチ先生はローズにも得点をあげた後、わたしの側に控える箒を見て目を丸くした。握っていた方が良かったかと、わたしは慌てて箒の柄を握り締める。わたしの姿を目に入れたフーチ先生は、あぁと納得したように微笑みを浮かべた。
「えぇ、えぇ、ミス・ポッター。ハッフルパフに5点差し上げましょう……さぁ、みなさん。もう一度『上がれ』!」
「上がれ!」
二度目、三度目と繰り返すうちに、段々とみんな箒を浮かせられるようになってきた。フーチ先生は満足そうに頷きながら、ふとひとりの生徒に目を向ける。
箒はアルバスの足下に転がったまま、ぴくりとも動く気配を見せなかった。みんなに見られているせいか、アルバスの耳が真っ赤になっている。アルバスのすぐそばでは、スコーピウスがどうしていいかわからないような顔でちらちらとアルバスの様子を窺っていた。
周りから、密やかな忍び笑いが聞こえてくる。
「マーリンの髭、なんて恥さらし! 父親とはまるで違うじゃない?」
「アルバス・ポッター、スリザリンのスクイブだ」
「…………」
わたしはそっと目を伏せて、箒の柄を強く握った。
「驚いたなぁ、ソラが飛行術得意だなんて」
「と、得意じゃないよぅ……」
ハッフルパフ寮への帰り道、同室のニーナ・ディゴリーはそう言ってわたしに笑いかけた。
「謙遜しないで、ソラ。私、本当にすごいなぁって思ってるの。一度の『上がれ』で箒を手にできた人なんて、数えるほどしかいなかったでしょう?」
「まぐれだよ……空を飛ぶのは、ニーナの方が上手だったじゃない」
「私は、パパにちょっと教えてもらってたもの。ソラもそうなの?」
「ちょっとだけ、だけど」
わたしもヒカルも、そしてアルバスやジェームズも、箒で一通り遊んでいた。場所はブラック家の敷地だったり、ベルフェゴールのお庭だったり。
シリウスおじさんは呼んでもないのにこういう時はいつもウキウキしながらやってきて、子供達に教えてくれるのが常だった。
シリウスおじさんに教わると、誰でも箒に乗れるようになる。それほどまでにおじさんの教え方は上手かった。シリウスおじさん自身は、クィディッチの選手とかじゃなかったらしいけど。
一番手こずったのはもちろん、みんなの中で体力も運動神経もないわたしで、他の子はすいすいと空を飛んでいたものだ。……当然、アルバスも。
出来ない子じゃなかった。ましてやスクイブと呼ばれることも。
魔法の出来は、精神状態に大きく左右される。
アルバスの場合は、きっと……。
「でも、アキ教授って箒に乗るイメージないなぁ……あ、違うよ? その、乗れないわけじゃないとは思うんだけどね?」
ニーナは慌てて両手を振った。わたしは思わず笑ってしまう。
「お父さんも必要があれば箒に乗るけど、普段は魔法を使っちゃうんだ。箒で空を飛ぶのは、お母さんの方が上手だよ」
父は『姿くらまし』の方が性に合うと呟いていたものの、そんな魔法使いは少数派だろう。そもそも『姿くらまし』はとっても高度な技なのに、そんな技を気軽にバンバン使っちゃう方がおかしいのだ。
……お父さん。
はたと足を止めたわたしを、ニーナはきょとんとした顔で振り返る。
「どうしたの? ソラ」
「……ごめんなさい、ちょっと行きたい場所ができちゃって」
「行きたい場所……あ、図書室? なら、私も行こうかなぁ」
おっとりと笑うニーナに首を振った。わ、わたしも図書室には行きたいけど! 常に入り浸っていたいのだけど!
それでも、行くべき場所がある。
「ちょっと、その……お父さんの研究室に、行ってくる」
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