──わたしもつい先日、ノックについては母に叱られた身なわけで。わたしだってたびたび忘れる分、人に文句は言えないのかもしれないけど。
けどさ、けどさぁ?
ノックをわざとしないのは、やっぱり咎められていいことだと思うんだよねぇ?
「おいソラ。お前が隠してること、今すぐここで全部吐け」
部屋の扉を蹴り開けた(無礼!)我が兄、ヒカル・ポッターは、とんでもなく腹立たしげな不機嫌ヅラのまま、呆然と座り込むわたしに遠慮なく詰め寄ってきた。
「えっ? いや、何、えっ?」
「オラ早く言えとっとと言え、いつまで黙ってる気だ?」
「何をっ!?」
なになになに、なんなのこの人? 何の話をしてらっしゃる? 今のわたしは誰かさんのせいで、ノックの重要性を考えることで忙しいんだけど?
わたしが混乱している最中、ヒカルはチィッと舌打ちをしては(似合わない)、わたしと目線を合わせるように屈み込んだ。
「何を隠してる。この数日ずっと妙な振る舞いをしてるだろ。ローズも、ソラのことを心配してた。いい加減に話せよ」
「…………」
話せと言われて、素直に話す人なんています?
──それに。
(……どうせ、言っても信じてくれないでしょう?)
張本人であるわたしですら、自分の身に何が起きているのか分からないのだ。両親ですら上手く引き止められなかったわたしが、ヒカルにちゃんと説明できる自信がない。
黙り込んだわたしに、ヒカルは大きなため息をついた。
「……ま、別にソラから聞く必要はないんだけど」
「え?」
「ねぇリドルさん。ソラとずっと一緒にいたんだよね? ソラに代わって、何が起きたか話してもらえる?」
「えぇっ、ここでリドルさんに聞くのはずるくない!?」
わたしは思わず憮然としてしまう。
ヒカルの呼びかけに応え粛々とその場に現れたリドルさんは、普段通りの綺麗な笑みで「やぁ、ヒカル。久しぶりだね」と微笑んだ。ちなみに、何故か今回もお人形のサイズだ。最近のリドルさんの中ではこのサイズが流行っているのだろうか。可愛いからいいんだけどね。
「リドルさん、なんでそんなサイズに?」
「気にしないで。それよりも、ここ数日ソラに起こった出来事について、だったか。ソラ、僕から話しても良いかな」
「……うぅぅ……もしわたしが『言わないで』って言ったら、リドルさんは黙っててくれる?」
「もちろんさ、ソラ」
……リドルさんの満面の笑みって胡散臭いから、なんだか逆に安心するんだよね……。
なんて、冗談はさておき。
ここまで来れば仕方ないと、わたしはこくりと頷いてみせた。わたしの肯定を確認し、リドルさんは口を開く。
「実は……」
リドルさんは流石、説明が上手い。同じ経験をしたはずのわたしですら「なるほど確かに」と思うほど巧みに、必要なだけの情報を掻い摘んでヒカルに伝えてくれる。
ヒカルもまさか、わたしがこんな経験をしてきたとまでは思ってもみなかったに違いない。これまでの三回分の時戻りの話を聞き切ったヒカルは「そんなことある……?」と頭を抱えてしまった。
分かるよ、その気持ち。わたしも「そんなことある……?」の連続だったからね。でもあるんだからしょうがないじゃない。話せと言ったのはヒカルの方だ(話したのはわたしじゃないけどね)。
「闇祓いを狙った襲撃事件……まずは母さん、次にニンファドーラおばさん、そしてハリーおじさんまでも……お前、そんな秘密をずっと抱えてたわけ? はー……」
「……信じてくれるの?」
恐る恐る尋ねた。リドルさんの〈説得〉技能が高かったのだとしても、ヒカルの物分かりが良過ぎる。
「そりゃ、」と言いかけたヒカルは、少し躊躇って「一旦は『そういうこと』だと呑み込まなけりゃ話が始まらないだろ」とため息をついた。
「お前の話が信じるに値するかはその後の話だ。それで……ソラは、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「また、時を戻すのか。それともこのまま明日を迎えるのか。どちらにせよ、決められるのはソラだけだ」
……それは、そうだ。
でも、どうしよう……決めきれない。
ハリーおじさんを助けたい。ううん、助けないといけない。わたしのせいで襲撃を受けたハリーおじさんを、わたしは見捨てることはできない。
……でも、もう打つ手がないのも確かなのだ。
どうにかするためには、闇祓いの襲撃事件を止めなければならない。そうでもしないと、ハリーおじさんを助けたところで続く他の闇祓いが犠牲にならないとも限らない。
母からニンファドーラおばさん、そしてハリーおじさんと、犠牲の螺旋が巡ったように。
──と、その時。
「時戻り、やろう、ソラ」
そう発言したのは、他でもないリドルさんだった。
「やるべきだと、僕は思う。でないとこれまでのソラの奮闘が無になってしまう。僕はソラの隣で、ソラの頑張りをずっと見てきた。だからこそ思うんだ。君は幸せになるべき人間だと。このまま君が不幸なままでいていいなんて、僕は決して思えない」
「……だってさ。ソラは、どう思う?」
……わたしは。
わたし、は────。
「わたし……もう、頑張れないと思って……わたしの言葉は、お父さんにもお母さんにも、うまく届かなくって……もう、つらくて、しんどくて……」
……でも。
「でも……その、一人じゃないなら……ヒカルが、いてくれるなら……わたし、もう一回くらいなら、頑張ってみようと思う……」
それだけを言うのに、尋常じゃないくらいドキドキした。
恐る恐るヒカルをチラッと見る。ヒカルは仏頂面のまま「そ。なら決まりだな」と腰を上げた。
「というか、時戻りってどうすんの? リドルさんも同行できてたし、ソラ以外の他人も行けるようなもの?」
「あ、うん……多分……」
……わたし、時戻りのタイミングはいつも眠っているからよく分からないんだけど……。
しかしリドルさんが「あぁ、行ける」ときっぱり言うので、ヒカルは納得したようだった。……なんだか今日のわたし、リドルさんに助けられてばっかだなぁ……。
「ソラが眠りに落ちて少し経つと、黒い扉が現れる。そこで────……」
と、リドルさんは言葉を切った。
リドルさんの視線の先を辿ると、わたしの部屋の自室に漆黒の扉が現れていることに気付く。いつの間に……。
その様子を見たリドルさんは肩を竦めた。
「……どうやら『睡眠』は必須の条件ではなかったらしい。ま、ご覧の通りだ。ここまで来れば論ずるより、やってみる方が簡単だろう。さぁ、ソラ」
……うぅ、促されると断れない。
立ち上がったわたしは、人形サイズのリドルさんを抱きかかえつつ、恐る恐る扉に近付いた。
漆黒の扉の表面は、まるでインク壺の中身のように波打つ艶があり、わたしの姿かたちを反射している。金色に輝くドアノブにおずおずと手を伸ばし、えいやと勢いをつけて押し開いた。
「……夢じゃ、なかったんだ……」
──眼前に開くは、夢の続き。
地平線を
扉の先は、夜の
「待て、ソラ。僕も行く」
そう言うと、ヒカルはわたしの手を掴んだまま、慎重に階段へと足を乗せた。そのままゆっくりと体重を掛け、大丈夫なのを確認しながら両足を置く。
その場で数歩足踏みをしたヒカルは、少し安心したようにわたしから手を離した。
リドルさんを抱っこしたまま、わたしは階段を降りていく。ヒカルは、そんなわたしの数段後ろからついてきた。
「一体何なんだ、ここ……ソラは、この場所を知ってるのか?」
「うん。夢で、だけど……」
とはいえ、わたしもこの空間が何なのかはさっぱり分かっていないので『知っている』かは微妙なところだ。
「ふぅん……夢で、ね。確かに夢のようなところだとは思うよ。綺麗だけど現実味がなくて、なんだか気味が悪い。……このまま、ずっと下っていくの?」
「う、うん。そう。大抵、いつもずっと下っていって……下り疲れた頃に、扉が……」
あれ? と、言いながらわたしは首を傾げた。
……なんだか、何かを忘れている気がする。
果てのない階段の最後に扉を見つけたのは、確か二度目と三度目の時戻りの時だったはず。
えぇと……一番最初の時戻りでは、確か……。
(……確か、わたしは、あの時誰かに腕を掴まれて、扉の中に放り込まれたのだ────)
その時。
とん、と誰かが、横から強く、わたしの身体を突き飛ばした。
この階段に手すりはない。突き飛ばされて後ろにたたらを踏んだ時、わたしの足元は既に奈落が広がっていた。
「……っ、ソラ!!」
ヒカルが慌ててわたしの手を掴む。しかし、引き上げるまでは敵わない。
ヒカルの身体も宙に浮いて、わたし達はそのまま落ちていく。
(……この空間でも、重力ってあるんだ……そりゃそうだ、普通に歩いていたもんね)
そんな場違いなことを考えつつ、わたしは首を回すと、わたしを突き飛ばした人物を見上げた。
艶のある短い黒髪に、紺青の和装。
わたしと目が合ったその男性は、ニコリと温和に微笑んだ。
────深く、深く。どこまでも深く。
落ち続ける最中、いつしか意識を失っていたわたしは、ヒカルに強く身体を揺さぶられて我に返った。
「おい、ソラ、起きろ!」
耳元でヒカルが鋭く叫ぶ。慌てて目を開いた瞬間、
ゾワリ ────と
全身の毛が 逆立った。
それは、腹の底から湧き上がる畏れ。
理屈じゃない、論理じゃない。生き物としての本能が先に弾き出す。
まさしく、痛いほどに。
心の奥深いところが降伏する。頭蓋にぶち込まれる感覚に目眩がする。
ぶわりと一際大きな風が吹いた。ヒカルがわたしを庇うように強く抱きしめた直後、わたし達は揃って魔力の渦に飲み込まれる。
窒息しそうな濃い魔力の中、わたしとヒカルの手首に嵌まるお守りが、耐え切れずに弾け飛ぶのが見えた。
……嘘でしょ!? 父の渾身の作が、こんなにあっさりと!?
「……あれ? 君達、何か妙なの付けてるね?」
その声は、何故か酷く聴き覚えがあった。
やがて、魔力の渦が鎮まってゆく。立ち昇った煙幕が薄まった先に、人の影がぼんやりと見えた。
母やニンファドーラおばさん、ハリーおじさんと同様の、足首まで隠す黒のインバネスコート。父ほどの体格に背丈。艶のある長い黒髪は一つに括られていて、魔力の奔流が収まった今も尚、彼が纏う魔力の風に煽られ宙を舞っている。
「父……さん……?」
わたしを強く抱きしめたまま、ヒカルは呆然と呟いた。
……いいや、違う。父ではない。
この人は──父とよく似た、この人は────
「『父さん』? ぼくに、子供なんていたかなぁ?」
穏やかで柔らかな声音。
歳の頃は分かりにくいものの、恐らく父と同年代ほど。
頑健とは言い難い、何処か線の細い体躯。
それでも、彼の周囲に渦巻く強大な魔力が、何よりも彼が何者であるかを証明している。
「ぼくは英国魔法省魔法法執行部闇祓い局第一班班長、幣原秋」
わたしの父によく似た彼は。
別の名前を淡々と名乗り、軽く首を傾げてみせた。
「さて。君達、一体何者なんだい?」
──第一章『久遠の旅路、夏の亡霊 』fin.
いいねを押すと一言あとがきが読めます