「もしかしたらいるかな?」という軽い気持ちで屋上に上ったラビは、先日出会ったばかりの彼女――エル・シェフィールドの姿を見つけ、むしろ逆に驚いた。
「昼間もいるんか」
ラビの声に、エルは振り返る。彼女の手元には少し大仰な、機械というか箱というか、よく分からないものが鎮座していた。見た目はメタリックで、腰ほどの大きさだ。筒状で、逆側は空を向いている。
「ラビ様。お久しぶりです」
「よっす。いるかなー、と思って来てはみたけど、まさか本当にいるとはな。ちょっとオレ、びっくりしちゃったさ。毎日いるん?」
「毎日じゃないですよ。お仕事の時間が空いている、少しだけ」
エルははにかんだように笑顔を見せた。ふぅん、と頷いて、ふと指を差す。
「んで、何なん、ソレ」
「あぁ、これですか。存じ上げませんか? 望遠鏡と呼ばれるものです」
「これも望遠鏡? オレが知ってんのは、もっと筒の部分が丸くって細くって、三脚の上に乗っかっているやつさ」
「そうですね、一番よく見るタイプのものかと。あれは『屈折望遠鏡』と呼ばれるタイプの望遠鏡で、中にレンズが入っているんです。対物レンズと接眼レンズの共に凸レンズを使ったものが、よく見られるケプラー式の天体屈折望遠鏡ですね。接眼レンズに凹レンズを使うと、ガリレイ式望遠鏡と言って、人類が発明したのは、本当はこちらの方が先なんですよ」
エルは屈み込むと、愛しげに望遠鏡の鏡筒を撫でた。
「今ここにあるのは、反射望遠鏡と言って、反射鏡を用いて集光する光学系の望遠鏡です。主鏡と副鏡、二枚の鏡を配置して、焦点を合わせて星を観測するんです。……これも、ほら。土台の下のところに主鏡、筒の上の部分に副鏡がある、ちゃんとした反射望遠鏡なんですよ。科学班の倉庫にあったものを、引っ張り出してきたんです」
「へえ、凄いんだな。見えんの?」
ラビの言葉に、困ったようにエルは眉尻を下げた。
「……焦点距離との間隔がいまいち合ってくれなくって。そこさえ合えばいいんですけど、なかなか……」
その時、ぐりゅりゅるとお腹の音が鳴った。エルは顔を赤らめてお腹を抑える。
「お、お腹空いた……」
「昼食べてないんさ?」
「あっ、お昼……昨日から『あぁ、どうやって焦点距離を合わせよう』ってずっと考えていて、空いた時間はすぐさまここに来て調整作業をしていたから……」
「つまり?」
「……食べてないです」
はぁ、とラビはため息を吐いた。自分も何かに熱中しているときは寝食を忘れるタイプなので、彼女のことを一概には責められない。それでも――
「んじゃ、メシ行くか」
「ええっ、もう少し調整を……!」
「倒れたら元も子もねーだろ。ほら、きりーつ」
うう、と名残惜しげではありつつも、ラビに言われた通りエルは立ち上がった。その肩を押し、屋上と建物を繋ぐ階段へと足を向ける。
室内に入ると、ざわめきに包まれた。というか、屋上が静かすぎたのだ。どこよりも高く、鳥の高度よりも高い位置に聳える黒の教団は、屋上に出ると風の音しか聞こえない。黒の教団は、昼間ではこんなものだ。食堂は、昼を少し過ぎたためかピーク時よりも人は少ないが、それでも席はまだまだ埋まっている。
「ラビ様はよろしいので?」
サンドイッチとフルーツの盛り合わせ、アイスレモンティーをトレイに載せたエルは、手ぶらのラビを見て首を傾げる。
「オレはいいんさ。さっき食ったから」
「わ、私に付き合わせてしまって本当に申し訳なく……」
身を縮める彼女に慌てて「いやいやいや! 暇だったし、そんな深刻になんねェでいいから!」と両手を振る。どうも、彼女はエクソシストである自分に対して反応が過剰だ。いや、むしろ普段関わるリーバーやジョニーが特例なのであって、普通はこんな感じなのだろうか?
「……あのさ。今更かもしんねェけど、敬語も『様』付けもいらないからな」
エルの正面に腰掛け、ラビは言う。ラビの言葉にエルは「そんな!」と持っていたサンドイッチを落とした。思わず慌てるも、着地した先が皿の上であったことに、ホッと胸を撫で下ろす。
「そんな……不敬な……!」
「不敬って、なんさ、それ」
呆れて呟いた。しかしエルはふるふると頭を振っている。
「だってエクソシスト様なのですよ? 神様に選ばれた、神の寵児なんですよ? 私などが、そんな、軽率に……」
「むしろ、そう壁を作られる方が悲しいさぁ」
う、とエルは困った顔をして黙り込んだ。そこに畳み掛ける。
「みんながそういう態度だから、友達出来なくって寂しいんさ。アンタも、ここに来たばっかだろ? 科学班で十代の女の子なんて、そうそういねーだろ。確かにオレは、オレたちはエクソシストだよ。でも戦場じゃない場所ではさ、普通に『友達』として接してくんねぇか?」
うぐう、と妙な声を発しながら、エルは視線を落ち着きなく動かしている。悪くない手応えだ、そう思ってもう一押し行こうとした時、ふとエルの名前が叫ばれた。ピクリと肩を震わせ、声の方向を見る。
「エル、ここにいたのか。済まないが、至急科学班に戻ってくれないか? 通信班からの報告なんだが、どうにも話を聞く限りじゃ物理の知識があった方がいいだろうということでな。オレ、そっちは専門じゃないし」
科学班班長、リーバー・ウェンハムだった。すまなそうに眉尻を下げてそう言うと、正面に座るラビに気付いたのか目を瞬かせ「おっ、ラビもいたんだな」と快活に笑いかけた。ラビも軽く片手をひらひらとさせる。
「わ、わかりました。行きますねっ」
エルは慌てて立ち上がる。ラビとしては「上手く躱された」と思った次第だ。上手く、というか、タイミング悪く、というか。エルのトレイの中はまだ、サンドイッチもフルーツの盛り合わせも、アイスレモンティーだって残っている。立ち上がり際、サンドイッチを一切れ摘んだエルは、ふとラビを振り返って微笑んだ。
「……また、話しかけてくださいね、ラビさん」
そうしてくるりと背を向け、足早に廊下に出ると姿を消してしまった。ぽかん、と思わず目を瞬かせる。
今、初めて『様』付けでなく呼びかけられた。
「良かったなぁ、エルも。友達が出来て」
エルが消えた先を見ながら、リーバーが呟いた。
「若い女の子で、専門分野も理論系だから、なかなか同世代の子が周りにいなくてな。いつも飯ひとりぼっちで食べてたんだ。おっさんに気を遣われるのもアレだしなぁと思って様子を見ていたんだが、ラビと仲良くなってくれて、良かったよ」
そうなんか、と目を瞬かせた。まぁそうだよな、とすぐさま納得する。
「これからも仲良くしてやってくれな」
「なんかその言葉、エルの父さんみたいでジジくさいさー」
そうかぁ? とリーバーは首を捻る。その動作に笑いを漏らして、ラビは軽く「いいっすよ」と答えた。
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