「本を読むだけじゃなくて、実際に魔法を使ってみたいと思うんだけど。ぼくも魔法使いなんでしょ? そうしたら、父さんと同じようにぼくだって魔法が使えるんだよね?」
ぼくの言葉に、父は驚いたようだった。眉を寄せ考え込んだ父に、慌てて言う。
「ダメならいいんだよ。ただ、ちょっとやってみたいなって思っただけだし」
「いや、ダメ……という訳じゃない。だが……いや、いつかは来る筈のことだ。本当はもっと早いところを、僕らが因果を捻じ曲げたから……アキナ、来てくれ」
父は机の上から、小さな正方形の板を取り上げると、それに向かって声を発する。すぐさまその中から、母の明るい声が返ってきた。
やがてスリッパを鳴らしながら入ってきた母は、軽く首を傾げ「どうしたのー?」と父に尋ねる。
「秋が魔法を使ってみたいって言ってるんだ。もう面倒だし、解除してもいいんじゃないかな?」
「……全部解除しちゃうのは不安だよ。一部だけ、じゃダメ?」
「ねぇ、何の話?」
父のシャツの裾を引っ張り尋ねると、父は腰を屈めてぼくの頭を優しく撫でた。
「大体、魔法使いはひとりひとり魔力を持っているんだ。そして、その魔力が大きければ大きいほど、その魔法使いはより大きな力を手にすることが出来る。でも、子供の場合、魔力を自分で制御することは難しい。大きい魔力ほど、そうだ。ここまでは分かるかな?」
「……それじゃあ、子供はまだ魔力をコントロールすることが出来ないから、暴走させてしまうということ? そして、持つ魔力が大きければ大きいほど、周りに与える影響は増える……」
「その通り」
その言葉に、ぼくはがっかりした。だってぼくは、今まで魔法や不思議というものに全く関わりのない、平和で平凡極まりない生活を送ってきたのだ。魔力の欠片すら見たことがない。
「じゃあ、ぼく、魔力なんてないんだね。だからコントロールするも何も、そもそも魔力がないから暴走のしようがない」
「いや、魔力はある。父さん達が、秋の魔力を抑えていただけだ」
「……どうして? 皆、魔力を親が抑えているの?」
「いいや、多分違う」
禅問答のような問いかけに、首を傾げる角度が深くなって行く。
「じゃあ、どういうこと?」
「実際に試してみたらいいんじゃない?」
母の提案に、父はしばらく考えてから「まぁいっか」と呟くと、懐から杖を取り出した。母もそれに倣う。わぁ、こうして杖を手にしている姿を見ると、母も本当は魔法使いなんだなぁとなんだか感慨深くなってしまう。
二人はしかし、その杖をぼくに向けるのではなくぼくの頭上に、互いの杖の先端を交差させて掲げた。
「さぁさ、見せてごらんなさい……」
母の口から言葉が呟かれる。
……いいや、言葉じゃない。
旋律を持った、優しい歌──
さぁさ、見せてごらんなさい
あなたの元の姿を彼に
我らが愛しいひとり息子に
とうとうその時はやってきた
さぁさ、思い出して
あなたの真の持ち主を
その歌が止んだ途端、二人の杖の先から赤と黄色の鮮やかな火花が、柔らかなリボンのように降り注いだ。ぼくは目を見開いて手を伸ばす。赤と黄色のリボンはぼくの手に触れると、静かに姿を消した。
「これは……」
顔を上げる。瞬間。
ガシャンガシャンガシャンガシャンッと耳をつんざく音に、身を強張らせた。目を向けた先にあった窓が、全て粉々に砕け散ったのだ。降り注いでくるガラスはしかし、ぼくを避けていく。しかしそんなことに気付けるほど、悠長に佇んではいられなかった。
「なっ、」
一歩下がり、周囲を見渡す。すると次は、ぼくの視線が通った場所の本が全て本棚から飛び出すと、次から次へと我先に床へと落ちて行った。その落ちた本を目で追えば、今度はその本がふわりと空中に浮かび上がり、隊列を成してはぼくの周りで円を描き出す。
「落ち着けよ、秋! 集中するんだ、なんでもいい!」
「なんでもいいって何を!?」
その間にも、部屋の中の小物は次々と壊れ、その破片が宙を漂っている。両親は大丈夫なのだろうかと辺りを見渡したが、不思議なことに両親の姿は見当たらなかった。
「まず、息を大きく吸って吐くんだよー。そして、魔力に誰がご主人様か思い出させるの」
母さんの、普段通りののんびりとした声が、パニックに陥り掛けていたぼくを少しだけ落ち着かせた。ひとまず言われた通りに、大きく深呼吸する。目を瞑ると、なんだか少し落ち着いた。
魔力に誰がこ主人様か思い出させる、ということは、この部屋の惨状を引き起こしているのはぼくの魔力だということか。
「……君たちが好き勝手暴れまわることは、許さない」
静かに呟く。辺りの騒がしかった『気』が、少しだけ収まった気がした。
「今まで放っておいてごめんね。今日からはぼくが、君たちの主人だ」
強く、はっきりと、しっかりと念じる。
「だから、ぼくが君たちを責任持って操るから。……ぼくに、力をください」
旋風が、やがて少しずつ弱まっていく。完全に収まったと思ってから、ぼくはそろそろと目を開けた。
「……うわぉ」
部屋の中は、まるで台風か嵐が過ぎ去ったかのようにめちゃくちゃだった。両親の姿を探すぼくの肩に、ぽん、と手が置かれる。
「おめでとう、秋。これで秋も、魔法使いだよ」
「母さん」
にっこりと笑う母の隣には、父の姿も。父は目を細めながら「しっかし、よくやったもんだ」と周囲を見回している。
「ごめんなさい……」
「何、気に病むことはない」
父はぽんぽんとぼくの頭を軽く叩くと、右手に持っていた杖で辺りをなぞった。すると、どこからともなく一陣の風が吹き、全てのものが元通りとなり、今まであったようにするすると配置に戻ってゆく。最後の本がカタカタッと音を立て本棚へと収まると、書斎は再び静かになった。
「しかし、秋の魔力がとんでもないことは知っていたが、まさかこれ程とはね……単純な魔力なら『あいつ』も超えるかもしれ……あ痛痛い痛い、アキナ痛い」
「秋に物騒な話はしないで。ここは日本だよ、イギリスならともかく……」
「アキナ判ったから、ごめんって、二の腕の肉を器用に摘むのは止めてくれないか、地味に痛いんだ」
あらごめんなさい、と母は笑顔で父から手を離した。父は腕を摩りながら、はぁとため息を吐く。
「『あいつ』って誰のこと?」
ぼくがそう問い掛けると、母は『それ見たことか』と父に非難の目を向けた。その視線から逃れながらも、父は口ごもりながら言葉少なに言う。
「……ホグワーツ始まって以来と言われた程の秀才だ。……そして、誰よりも深く悪の道に落ちた──と言われている」
「……ふうん?」
歯切れが悪い父は、珍しい。気にはなったけど、あまり触れたくない話題のようだし、下手に突っつくのも気が引ける。ぼくには別段関係のない話だろうし、まぁ構わないだろう。
「そうだ。秋が初めて魔力を現したのは、たった三つの時だったんだ。あの時は酷かったな……」
「家が半壊したよね」
「半かっ……!?」
思わず口をあんぐりと開けた。そんな平然と言うことかな、それ!? 両親は二人、懐かしそうに笑い合っている。
「あの後始末は大変だった、うん」
「だから、お母さんたちは秋の魔力を封じたんだよー。危なっかしすぎるからね。あ、秋も魔法はこの家の中でしか使っちゃダメだからね。お友達に怪我させちゃうかもしれないから、くれぐれも慎重に扱うんだよ」
「う、うん……」
それは、確かに。少し脱力したぼくに、両親は微笑むとぼくの頭に手を伸ばした。
その指先が触れたところで、
◇ ◆ ◇
「…………ぁ、」
ぼくは目が覚めた。
ぱっと勢いよく上半身を起こすと、辺りを見回した。そこが見慣れた物置部屋で、隣ではハリーが静かな寝息を立てている。物置部屋には窓がないため、外が明るいのかは判らないが、時計はまだ四時を指し示していた。それらを確かめ、嘆息する。
「……ゆ、めか……そうだよな」
震える指で前髪を乱暴に掻き上げると、大きく深呼吸をした。
「…………」
頭の中が、夢と現実でごっちゃになっている。その感覚が、少し気持ち悪い。
「お腹、空いたなぁ……」
ハリーが動物園で、ヘビのガラスケースを消してしまうという事件から、ちょうど今日で一週間。それはつまり、ぼくらが物置に閉じ込められて一週間が経ったことを意味する。空腹でキリキリと痛む腹を抑え、息を吐いた。一週間で一度空腹というか、色んなもののピークが訪れる。それが去れば、後は空虚にぼんやりとして、気がつけば部屋の扉が開かれているものだ。精神の限界を毎度毎度試されている、そんな気分にさえなる。
「……さぁさ、見せてごらんなさい……」
ぼくは、知らず知らずのうちに口ずさんでいた。
あなたの元の姿を彼に
我らが愛しい愛息子に
とうとうその時はやってきた
さぁさ、思い出して
あなたの真の持ち主を
「……あほらし」
夢は、夢だ。こんなことしたって、ぼくに魔力なんてあるはずがないのだから。
現実を見ろよ、アキ・ポッター。
お前は『幣原秋』じゃないんだぜ。
それでも一抹の期待を胸に、ぼくは息を止めて辺りを見渡した。しかし当然のように、なにも変化はない。幣原秋のように、小物が砕け散ったり宙に浮いたりなんてしない、いたって静かで変わらぬ世界がそこにあった。
「……いや、別にものを壊したいわけじゃないんだけど」
でも、少し落胆したのは否めない。
期待。そう、期待していたんだ。ぼくも『幣原秋』のように不思議な力があるんじゃないかって。
「……寝よ」
ぽすっと枕に顔を埋め、目を閉じて毛布を被る。そして、もう一度ぼくは眠りについた。
パチリと赤い火花が弾ける。
その火花は次々と数を増やして、眠る少年の上で、小さな円を描き出した。
自身の小さなご主人に、もう一度仕えるために──
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