破綻論理。

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空の記憶

第9話 ぼくと彼の類似点First posted : 2011.02.06
Last update : 2022.09.12

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 ぼくは、レイブンクローの談話室へと続く扉の前で、ひとり途方に暮れていた。

 ホグワーツに入学して、早いものでもう一週間が経つ。未だ友達と呼べる人は作れていないけれど、それでもそんな状況に大分と慣れてきていた頃だった。

 一番困ったのは、当然ながら授業だ。まず、先生が何を言っているのか分からない。授業についていけないから教科書を見ようにも、その教科書だって読めない。英和辞書を常に持ち歩くも、ここは魔法界だということをお忘れじゃあありませんか、だ。こんな言葉載っていない、が山のようにあって、授業のたびに泣きそうになる。それでも泣いていても誰も助けてはくれないのだ。助けてもらったところでそれは一過性のもの。ぼくの英語力が上がらないことには、問題の根本的な解決にはならない。

 どの授業も散々ではあったけれど、その中でも一番悲惨だったのは何かと問われれば、ぼくは迷いながらも『魔法薬学』だと答えるだろう。まずもって、専門用語が多すぎる。材料の名前と、分量と、手順。全ての説明を一通り頭に叩き込んだ頃は、既に授業時間の半分以上が過ぎていて、残りの時間で急いで仕上げるという有様だった。当然、良いものが出来るはずもない。本当に、ため息しか出ない。

 ──そして、今も。

「どうしよう……!」

 レイブンクローの寮の前で、ぼくはひとり頭を抱えていた。

 レイブンクローの寮に入るためには、ドアノッカーが出すパズルを解かなければいけない。それだというのに、今ぼくの手元には辞書がない。言葉が通じないぼくに対し、同級生は辛辣だった。まぁなんというかその、この年頃にはよくあることだ。有り体に言えば、隠された。背丈も小さく、お世辞にも頑強とは言えない、意思表示が弱々しい外国人に対して、同級生にそんな高待遇は望めないだろう。九月一日にホグワーツ特急で出会った、リリーとセブルスが殊更に珍しかった、ただそれだけだ。こうなる覚悟は、既に出来ていた。

 いや、しかし、それはそうとして。寮から締め出されると、ちょっと困る。誰かが来るまで待つしかないか、そう思っていたら、寮の内側から扉が開かれた。良かった、とホッとする。

 寮から降りて来たのは、ひとりの男の子だった。さらさらの金髪に穏やかな緑の瞳の、日本人であるぼくが想像する『外国人の男の子』を具現化したような感じの子。あ、と思わず目を瞠る。ぼくにとっては凄く珍しく、見知った子だったからだ。

 名前は、確か──リィフ。リィフ・フィスナー。同室の男の子。英語の発音が、まるでお手本のように凄く綺麗で、覚えていた。

 普段温和な彼は、珍しく形の良い眉を寄せていた。その手には、ぼくの辞書。あ、と思わず声を上げる。彼はそのままぼくにつかつかと歩み寄ると、はい、と辞書を返してくれた。

「あ、あり……じゃなくて、Thank you」
「……It’s not your fault.」

 早口の英語で返され、一瞬戸惑う。リィフはぼくを、少し怒ったような、どうしていいのか分からないような、なんだか悲しそうな、そんな目で見つめていた。

「……No one is to be blamed.」

 迷って、そう返した。微笑むと、リィフは驚いたように目を瞠る。この表現で果たして合っているのかは分からないけど、意味は通じるはずだ。

 もう一度感謝の言葉を述べてから、寮に入る。あの優しい彼は、それ以上は何の言葉も掛けては来なかった。


  ◇  ◆  ◇


 今日は珍しいことに、ぼくよりもハリーの方が早起きだった。身体を揺さぶられ、瞼越しに目を灼く光で意識が覚醒する。身を起こして、現状と昨日の記憶と噛み合わせた。

 床にそのまま寝ていたため、背中が痛い。でもまぁこのくらいは、物置小屋のベッドも似たようなものだったから慣れている。嵐は、夜の間に過ぎたらしい。穏やかな波の音が聞こえている。大きな欠伸をひとつ漏らし、ぐっと背伸びをした。

アキ、見てよ。ふくろうだ」

 ハリーは、目を輝かせて窓の外を指差した。きっとこの世紀の大発見を、ぼくと分かち合いたかったのだろう。クチバシに新聞を咥えたフクロウは、足の爪で窓ガラスをカンカンと叩いている。ぼくらに用……というわけではないのだろう。きっとハグリッドだ。

 ハリーは立ち上がると、サッと窓を開け放った。フクロウは滑るように飛んで部屋の中に入ると、新聞をハグリッドの上にポトリと落とす。もう帰ってしまうのかな、と少し残念に思っていると(動物には嫌われるけれど、ぼくとしては大好きなんだ、ただ遠くから見ていることしか出来ないのだけれど)、フクロウは今度は、ハグリッドのコートを激しく突き始めた。困ったようにハリーが追い払おうとするも、フクロウはハリーに威嚇するような表情を見せ、ただひたすらにコートを襲い続ける。業を煮やしたハリーは、大声で叫んだ。

「ハグリッド、ふくろうが……」
「金を払ってやれ」
「えっ?」
「新聞配達料だよ。ポケットの中を見てくれ。……んで、五クヌートやってくれ。小さい銅貨だ……」

 ハグリッドは眠そうな口調でそれだけ言うと、ソファに顔を埋めた。ぼくらはハグリッドのコートに備わっている、大量のポケットを探る。中からありとあらゆるガラクタを発掘した後、ようやく銅貨が詰まった袋を発見した。確か、これがクヌート銅貨だ。幣原の記憶でも、同じものを支払っていた。

 フクロウは、小さい革の袋が括り付けられている足を、ぼくらに突き出す。その中に五枚の銅貨を入れると、ホウとひと鳴きしてすぐさまフクロウは窓から飛び立って行った。

 ハグリッドは、大あくびをひとつ零すと起き上がる。

「出かけようか、ハリー、アキ。今日は忙しいぞ。ロンドンまで行って、おまえさんらの入学用品を揃えんとな」

 ハリーはその言葉で、ハッと思い出したようだ。

「あのね……ハグリッド。僕ら、お金がないんだ。そりゃあ、全くという訳じゃないけど」

 ハリーはそこでちらりとぼくに意味ありげな眼差しを送る。なんだハリー、言いたいことがあるならはっきり言いたまえよ。

「それに、昨日バーノンおじさんから聞いたでしょ? 僕らが魔法の勉強をしに行くのにはお金は出さないって」
「そんなことは心配いらん。父さん母さんがお前さんになんにも残していかなかったと思うのか?」
「でも、家が壊されて……」
「まさか! 家の中に金なんぞ置いておくものか。さあ、まずは魔法使いの銀行、グリンゴッツへ行くぞ。ソーセージをお食べ。さめてもなかなかいける。……それに、おまえさんらのバースデーケーキを一口、なんてのも悪くないね」

 ぼくは笑ったが、ハリーは真面目に尋ねた。

「魔法使いの世界には銀行まであるの?」
「一つしかないがね。グリンゴッツだ。小鬼が経営しとる」
「こ・お・に?」「グリンゴッツ!?」

 ぼくとハリーは、同時に異なる言葉を発する。ハグリッドは一瞬目を白黒させたが、ハリーに向き直った。

「そうだ……だから、銀行強盗なんて狂気の沙汰だ、ほんに。小鬼と揉め事を起こすべからずだよ。何かを安全に仕舞っておくには、グリンゴッツが世界一安全な場所だ。多分ホグワーツ以外ではな。実は、他にもグリンゴッツに行かなきゃならん用事があってな。ダンブルドアに頼まれて、ホグワーツの仕事だ」

 ハグリッドは誇らしげに胸を張った。

「ダンブルドア先生は大切な用事をいつも俺に任せてくださる。おまえさんらを迎えに来たり、グリンゴッツから何か持ってきたり……俺を信用していなさる。な?」
「「あーうん、そうだね」」

 ぼくらは一斉に気のない声で返事をする。

「忘れ物はないかな。そんじゃ、出掛けるとするか」

 ハグリッドは笑顔でぼくらを急き立てる。結局殺人事件は起きなかったなぁと思いながら(当然か)、バーノンおじさんやペチュニアおばさん、それにダドリーWith尻尾(あれって結局どうなったんだろう?)を置いて、ぼくらはあの小屋を後にした。

 ぼくとハリーにとっては、初めての大都会ロンドンだったのだが、ハグリッドはマグル(魔法が使えない人のことらしい)の電車や道には不慣れらしい。結局、ハグリッドの世話に追われてゆっくり辺りを見回すことも出来なかった。少し残念だ。

「ここだ。『漏れ鍋』──有名なところだ」

 そう言って、ハグリッドは立ち止まる。後ろにいたぼくとハリーは、ハグリッドの身体と戸口の隙間からその建物を覗き見た。

 ここは覚えがある。幣原が、ロンドン滞在の際に泊まったところだ。これがデジャヴなのか、ぼくの記憶違いなのか、たまたまな偶然が連続で起こっただけなのか。もう妄想だろうが何でもいいや、どんと来い、な気分にさえもなるな。考えることを止めてしまっている。

 薄暗い店内では数人が談笑し合っていたが、ハグリッドが入って来たことでざわめきが止んだ。ここにいる誰もがハグリッドを知っているようで、笑いかけたり手を振ったりしている。

「大将、いつものやつかい?」
「トム、だめなんだ。ホグワーツの仕事中でね」

 ハグリッドはハリーとぼくの肩をバシンと叩いて言った。軽く叩いたつもりなのだろうが、膝がガクンとなるほどの衝撃に一瞬息が止まる。

「なんと。こちらが……いやこの方が……」

 バーテンはハリーを見て目を見開いた。いつの間にか店内は静まり返り、皆が皆ハリーを注視している。ぼくはさっとハグリッドの陰に隠れようとしたが、ハリーがぼくの袖を掴んで引き止める方が早かった。仲間がいた方が安心だということだろうか。

「やれ嬉しや! ハリー・ポッター……何たる光栄……」

 バーテンはカウンターから出てきてハリーに駆け寄ると、涙を浮かべてハリーの(ぼくの袖を掴んでない方の)手を握った。

「お帰りなさい。ポッターさん。本当にようこそお帰りで」

 ハリーのぼくの袖を掴む手の力が強くなる。なぜ自分がこうも皆から視線を一身に浴びているのか、さっぱり分からないのだろう。でも助けてやれないよ、なぜならぼくもさっぱり意味分かってないから。何だかんだ言って双子だ、片方が知らないことはもう片方も知らないのだ。

 ……まぁ、最近はちょっと例外も増えてきているけれど。

 やがて、店内にいた人全員がハリーに握手を求めてきた。ハリーは戸惑いながらも一人一人丁寧に応対する。ぼくはというと若干の居心地の悪さを覚えながらも身動きも取れない状態で、ハリーの横に突っ立っていた。「あんた誰?」みたいな視線が、そこかしこから無遠慮に突き刺さる。……み、見ないで! ぼくを見ないでー!

 相変わらずハリーはぼくを離してくれないし。確かに戸惑うのも分かるけどさ! ぼくだって立ち位置に困ってるんだよ! でも、兄には逆らえない。弟の悲しい宿命である。

 ハグリッドに肩を叩かれ(肩こりが一撃で治りそうな衝撃だった)ぼくは振り返った。ハグリッドが指差す方向を見ると、ターバンを頭にぐるぐる巻きにした男性が、強張った笑顔を浮かべて立っていた。

「ハリー、アキ、クィレル先生はホグワーツの先生だよ」
「ポ、ポ、ポッター君……と、き、君は誰かね?」

 彼──クィレル先生は、カクカクとロボットみたいな不自然な動きでぼくを見た。途端、信じられないものを見たというように目を見開く。

「あ、ぼく、アキ・ポッターと言って、ハリーの双子の弟です」

 先生のその反応に少々の訝しさを感じながらも、ぼくは答えた。この反応は、一体何なのだろう。まるで、何かに怯えているような……。

「……幣原に似過ぎてる……子供? いや、今彼は『ハリーの双子の弟』と言った……」
「先生?」

 顔を背けて何事かぶつぶつ呟いていたクィレル先生は、ぼくの声にビクッと反応して「す、す、すまないね……ちょっ、ちょっと考え事を……し、していたものだから……」ともごもご口にした。

「クィレル先生、どんな魔法を教えていらっしゃるんですか?」

 ハリーはキラキラ目つきでクィレル先生に質問する。新しい環境だ、興奮して当然だろう。しかし、クィレル先生はそんなことは考えたくないというように神経質そうに「や、や、闇の魔術に対するぼ、ぼ、防衛です」とどもりながら言うと、かすかに笑った。どこかを恐れているような表情だった。

「きみにそれがひ、必要だというわけではな、ないがね。え? ポ、ポ、ポッター君。学用品をそ、揃えにきたんだね? わ、私も、吸血鬼の新しいほ、本をか、買いにいく、ひ、必要がある」

 それだけ言うと、クィレル先生はさりげなさを装いつつもぼくをもう一度じっと眺め、マントを翻し立ち去って行った。

『漏れ鍋』から出て行き、クィレル先生の姿が見えなくなっても、ぼくは彼をじっと見つめ続けていた。

「もう行かんと……買い物がごまんとあるぞ。ハリー、アキ、おいで」

 ハグリッドはぼくとハリーの手を引っ張ると、パブの中庭まで連れ出した。

「ほら、言ったとおりだろ? お前さんは有名だって。クィレル先生まで、お前に会った時は震えてたじゃないか……最も、あの人はいっつも震えてるがな」

 ハグリッドはハリーに笑いかけた。

「あの人、いつもあんなに神経質なの?」
「ああ、そうだ。哀れなものよ。秀才なんだが。本を読んで研究しとった時はよかったんだが、一年間実地に経験を積むちゅうことで休暇を取ってな……どうやら黒い森で吸血鬼に出会ったらしい。その上鬼婆といやーなことがあったらしい……それ以来じゃ、人が変わってしもた。生徒を怖がるわ、自分の教えてる科目にもビクつくわ……さてと、俺の傘はどこかな?」

 クィレル先生に、ぼくは微かな違和感を覚えていた。あの、妙に不自然な態度(しかもそれを下手に隠そうとしているらしいところがいただけない)に、なんだか引っ掛かりを感じるのだ。ま、そんなことを深く考えても仕方ない。所詮はぼくの気のせいだろう。

「三つ上がって……横に二つ……よしと。ハリー、アキ、下がってろよ」

 言われた通りぼくらが離れると、ハグリッドは懐から花柄の傘を取り出した。いつ見てもなんとも言えないデザインだなぁ。言わないけど。お気に入りの一品だったりしたら悪いし。

 ハグリッドが傘の先で壁を三度叩くと、煉瓦が震えクネクネと動き出す。やっぱり何度見ても面白い。

 あっという間に目の前には魔法使いの町、ダイアゴン横丁が広がった。

「ダイアゴン横丁へようこそ」

 目の前の光景に呆然としているハリーに、ぼくとハグリッドは笑いかけた。

 グリンゴッツでお金を下ろした後(ぼくらの両親はお金持ちだったようだ)、ハグリッドの言う「ホグワーツの仕事」のために713番金庫へ行った。そこで、小さな包みをハグリッドは懐に仕舞い込む。何だろう? と思ったが、ハグリッドはぼくらの質問には答えず、ただただ片目を瞑ってみせるだけだった。内緒、ということだろうか。

 次に向かったのは、マダム・マルキンの洋装店。ここで、制服を仕立ててもらえるようだ。そう広くない店内には、先客が一人いた。ぼくらと同じ年頃の少年だ。薄い金髪で、どことなく育ちの良い雰囲気が滲んでいる。踏み台の上で、ローブの採寸をしてもらっていた。

 促され、ハリーがその少年のすぐ隣の台へと上がった。ハリーとその少年の会話を、一つ隣の台から耳を澄ませる。会話に割り込もうと身を乗り出すも、いきなり視界が黒に覆われた。遅れて、感触と洋装店ということから、これがローブだと認識する。

「やっぱり大きいわね。もっと小さいの……」

 そんな呟きと共に、被せられたローブはすぐさま取り払われた。めまぐるしく身体に布が当てられる様に、ハリーと少年に意識を向けることもできない。やっとの思いで制服の採寸が終わった頃には、少年はとっくの昔に帰った頃で、ハリーも待ちくたびれた顔をしていた。

「ごめん、待たせちゃったね」
「気にすんな」

 ハグリッドが、ぼくらにアイスクリームを買ってくれた。そんなものをぼくらは今まで食べたことがなかったから、人目を憚ることなく喜んでしまったわけだが……。そのアイスクリームを食べている最中、ハリーがやけに沈んでいることに気が付いた。ハグリッドが尋ねる。

「どうした?」
「なんでもないよ」

 嘘だな、と直感する。何年一緒に生きてきたと思っているのか。少しだけ身をハリーに寄せると、そっとその手を取った。ぼくより少し大きな、それでもまだまだ小さな子どもの手に、手を重ねる。長年こうして、ぼくらは触れ合ってきた。いつも、静かに。

 言いたくないことは聞かない。話してくれるのを、ひたすら待つ。ぼくら双子は、そういう関係だ。

 やがてハリーは、ぽつぽつと話し始めた。マダム・マルキンの店で出会った男の子のこと。魔法使いと魔女の子以外は、ホグワーツに入学させるべきでないと考えていること──

「お前はマグルの家の子じゃない。お前が何者なのかその子がわかっていたらなぁ……」

 ハグリッドの言葉に、ハリーは居心地悪そうに身じろぎをした。

 それからぼくらは、大鍋や望遠鏡、魔法薬学の材料、教科書を買いに、ダイアゴン横丁を何度も往復した。やがて買ったもので両手が一杯になった折、ハグリッドは言った。

「あとは杖だけだな……おお、そうだ、まだ誕生祝いを買ってやってなかったな」

 その言葉に、ハリーはパッと顔を赤らめた。ぼくは目を見開いて唖然とハグリッドを見つめる。誕生日祝い? そんなの貰えるだなんて、考えたこともなかった。後でこのツケが来たりしないだろうか。考えすぎ? いやいや、ぼくとハリーはきっと不幸に憑かれているのだ。身構えてしかるべきだろう。

「そんなことしなくていいのに……」
「しなくていいのはわかってるよ。そうだ。動物をやろう。ヒキガエルはだめだ。だいぶ前から流行遅れになっちょる。笑われっちまうからな……猫、俺は猫は好かん。くしゃみが出るんでな。ふくろうを買ってやろう。子供はみんなふくろうを欲しがるもんだ。なんちゅったって役に立つ。郵便とかを運んでくれるし。アキは動物が無理だから、他のがいいな。何がいい?」

 ぼくはにっこりと微笑んで、さっき書店で心惹かれた一冊の本をねだった。





 イーロップふくろう百貨店からハリーとハグリッドが出てきた後、ぼくらはオリバンダーの店に向かっていた。ぼくは、ふくろう百貨店に入ったはいいものの。ふくろうの羽音などで騒がしかった店内が一瞬で静まり返り動物達が怯え出し、あっという間にハリーとハグリッドによって店の外に放り出された。泣きそうだ。この『動物に問答無用で嫌われる』|性質《スキル》は、どうにかならないものなのだろうか。

 ハリーの持つ大きな鳥かごの中には、純白の綺麗なふくろうが一羽。あからさまにぼくを避けはしないまでも、それでも警戒しているような目つきでぼくを見返してくる。ぼくは白ふくろうに笑いかけると、ハリーに「名前はどうするの?」と尋ねた。

「まだ決めてないんだ。綺麗な名前がいいなっては考えているだけど」

 ハリーは上の空で答えた。きっと次に買う魔法の杖に思いを馳せているのだろう。

 幣原の時を思い出し、ぼくは心の中で苦笑した。さすがにあんなことは起こらないだろうけど、それでも覚悟はしておくことにしよう。……何の覚悟かって? そりゃあもちろん、建物半壊の覚悟かな。

『記憶』通りの小さな店のドアを開けると、遠くの方でチリンチリンとベルの音が聞こえた。天井まで積み上げられた杖の山に囲まれた空間は、おいそれと声を発するのも躊躇われる程の厳粛さを秘めている。……まぁ、幣原はそんな空間内でガッシャンガッシャンしやがった訳だけどもさ……。

「いらっしゃいませ」

 突然の声に、ぼくらは飛び上がった。なぜこの人は、気配を感じさせずに近寄るのが得意なのだろうか?

「こんにちは」

 ハリーがぎこちなく挨拶する。ぼくも慌ててハリーに倣った。

「おお、そうじゃ。そうじゃとも、そうじゃとも。まもなくお目にかかれると思ってましたよ、ハリー・ポッターさん、そして……アキ・ポッターさん」

 はぇ? と、思わず間抜けな声が漏れた。ハリーはヴォルデモート……例のあの人を倒したから有名なのは分かるとしても、ぼくの存在は知られていないはずだ。だって、ぼくはただの子どもなんだもの。きょとんと首を傾げると、同じく首を傾げていたハリーの頭とぶつかった。ゴンという鈍い音に、同時にごめんと呟いて頭をさすった。うぅ、痛い。

 オリバンダーさんは何とも言えないような目でぼくらをしばらく見つめていたが、言及しないことに決めたらしい。咳ばらいを一つしてハリーに焦点を合わせると、言葉を続けた。

「ハリー・ポッターさん……お母さんと同じ目をしていなさる。あの子がここに来て、最初の杖を買っていたのがほんの昨日のことのようじゃ。あの杖は二十六センチの長さ。柳の木でできていて、振りやすい、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃった。
 お父さんの方はマホガニーの杖が気に入られてな。二十八センチのよくしなる杖じゃった。どれより力があって変身術には最高じゃ。いや、父上が気に入ったと言うたが……実はもちろん、杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ。それで、これが例の……」

 オリバンダーさんは、ハリーの前髪をかき上げると額の稲妻型の傷痕に触れた。痛ましい目つきだった。

「悲しいことに、この傷をつけたのも、わしの店で売った杖じゃ。三十四センチもあってな。イチイの木でできた強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に……そう、もしあの杖が世の中に出て、何をするのかわしが知っておればのう……」

 そこでオリバンダーさんはハグリッドに気付いたようだ。沈鬱な表情を一変させた。

「ルビウス! ルビウス・ハグリッドじゃないか! また会えて嬉しいよ……四十一センチの樫の木。よく曲がる。そうじゃったな」

「ああ、じいさま。そのとおりです」
「いい杖じゃった。あれは。じゃが、おまえさんが退学になった時、真っ二つに折られてしもうたのじゃったな?」
「いや……あの、折られました。はい。……でも、まだ折れた杖を持ってます」
「じゃが、まさか使ってはおるまいの?」
「とんでもない」

 そう言いつつ、ハグリッドは例のセンスが悪……失礼、ピンクの花柄の傘を庇うように握り締めた。……ふぅむ、これはこれは。ほら、オリバンダーさんも微妙な目つきでハグリッドを見てる。隠し事が出来ないんだよなぁ、ハグリッド。

「さて、それでは……アキ・ポッターさん」
「はい?」

 突然名前を呼ばれ、少し驚いた。オリバンダーさんの方を振り返る。オリバンダーさんは、いつの間にか一つの杖の箱を眺めながらぼくを手招きしていた。ぼくの後を、気になったのだろうハリーも付いてくる。

「これをどうぞ。紅葉の木に不死鳥の尾羽根、二十五センチ。気まぐれだが忠誠心は強い。──間違いなくあなたの杖ですな?」

 へっ? とぼくはぽかんと口を開けた。きっと間抜け面になっているだろうことに思い至り、慌てて口を閉じる。

 ──紅葉の木に不死鳥の尾羽根、二十五センチ。気まぐれだが忠誠心は強い

 間違いない。幣原の持つ杖と、全く同じものだ。

「これが、ぼくの、ですって?」
「あなたの『過去』を知る者からの預かり物です。あなたに返すべきじゃろう。詳しくはわしの口から語ることではないのでな」

 言外に質問するなと言われて、ぼくはしぶしぶ喉元まで出かかっていた疑問を飲み込んだ。ハリーは『何が起こってるのかさっぱり分からない』とばかりに目を瞬かせている。

 ぼくはしばらくためらってから、恐る恐る杖を摘み上げた。じんわりと痺れるような感覚が、指先に広がる。ぎゅっと手の平に握り込めば、その痺れは一瞬で脳天まで行き渡り、そして消えた。代わりに暖かさが、杖腕である左手に感じられる。

 懐かしい、と、思った。

(……え?)

 そして、そんな自分自身に、呆然とした。

 アキ・ポッターという自己が揺らぐような、感覚。
 ぼくは頭を振り、それを忘れようと努めた。

 左腕を上げ、軽く振り下ろす。途端、シャボン玉のような空気の泡が、辺りにふわりと舞い上がった。ハリーが感嘆の声を漏らす。

「……ほぅ。これで一番の関門は通過した……また店を壊されるんじゃないかと戦々恐々しとったわい……」

 ぼくらに背を向け聞き取れないほどの声で呟くオリバンダーさんに、ぼくらは怪訝な目を向けた。しかしオリバンダーさんはすぐさまこちらを向くと、「次はハリー・ポッターさんの番じゃ」と言い、採寸へと入っていく。

 後には、よく分からないまま渡された、しかしやけにしっくり馴染む杖を手に、呆然と突っ立っているぼくだけが残された。



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