数あるホグワーツでの授業のうち、呪文学だけは得意科目だった。
英語が分からなくとも、先生のお手本を真似してやってみればいいのだ。父の書斎にあった本に載っていた呪文も多く、元々覚えていた、というのも有利に働いたのかもしれない。
そして、呪文学の授業を重ねるにつれ、父の『秋は魔力の量が多い』という言葉の意味も、感覚としてだが分かるようになってきた。ぼくのように言語で苦労していないクラスメイトが、額に汗を浮かべて必死になっている課題を、ぼくはいとも簡単にクリア出来てしまうのだ。それはもちろん、嬉しいし誇らしいことだ。それでも、同寮の子からのやっかみ混じりの視線を感じずにはいられなかった。
ただ、話し掛けられるのを待つだけなんてそんなことは言っていられない。人寂しいのなら、誰かと仲良くしたいのならば、自分からまずは動かなければ。引っ込み思案なぼくにとって、しかもここは言葉の通じない外国で。勇気を振り絞って、授業で隣の席になった子に話しかけてみるのだが、しかし皆苦笑いを浮かべると、ぼくからそそくさと距離を取ってしまうのだ。
ぼくを気遣うように接してくれるのは、同室であるリィフ・フィスナーただ一人だった。
そんな九月の第二週、事件は起こった。
昔から、本を読むことが好きだった。ぼくの家の周りは、まぁ言っちゃなんだけどドがつくレベルの田舎で、本がたくさん置いてある場所と言えば、小学校の図書室が真っ先に思いつくくらい。それも、父の書斎を見せてもらってからは二位に落ちた。
そんな訳で、ホグワーツの図書室を見たときには、本当に目を回したものだ。その場にへたり込むかと思った。それくらい興奮した。たとえ、本たちに書いてある文字が、ぼくが理解出来ないものだったとして──これを励みに頑張ろうと思うくらいには。
だから、時間があるとき、ぼくはよく図書館に通っていて──それは今日も、だったんだけれど。
気付けば物陰に引きずり込まれ、胸倉を掴まれていた。部屋は薄暗く、どことなく埃っぽい。そう広くはない部屋だ。物置のようで、掃除に使われる用具が雑多に置かれている。
「──―a―……t──」
ぼくを囲む、数人の影。何かを言っているようだが、早過ぎて聞き取れない。しかし、その表情とぼくの服を掴む指の力の入り具合から、どういう意図があるのかはさておき、なんとなくは置かれている状況を理解した。
「……フィアン・エンクローチェ……」
一番先頭にいるその人の名前を、ぼくは知っていた。良い意味では、勿論ない。正直、好きな相手ではない。ぼくへの嫌がらせを率先してやってくる人だ。嫌われるようなことを、無自覚にしてしまったのだろうか。きっとそうなのだろう。ぼくの存在自体が、気に食わなかったのかもしれない。ここにいる全員の首には、レイブンクローのネクタイが締められていた。
『……何の用、ですか』
身体を強張らせながらも、固い声を出す。ぼくを見下して、彼は嘲笑った。
『幣原ちゃんはー、自分がー、周りからー、どんな風にー、噂されてるのかー、知ってるのー、かなー?』
無駄に間延びした、小さい子にでも話しかけるような話し方。いや、小さい子にもこんな悪意のこもった話し方はしまい。思わずムッと目を眇めた。途端、首を押さえられる。喉元を一瞬強く圧迫して、彼は力を抜いた。しかし手は離れることなく、ぼくの首元に置かれたままだ。
『今ー、置かれている状況ー、分かってんのー?』
『……その喋り方、止めてください』
瞬間、ぼくの首を絞め付ける力が強まった。指が喉に食い込み、気管を圧迫する。抵抗しようとその腕を掴み引き剥がそうとするも、その力は緩む気配もない。
『……お前、自分がどんな状況だか分かってその態度なの? 本当腹立つ』
話し方を切り替えられた。苛立ち混じりの早口に、あっという間に付いていけなくなる。息苦しさに視界が白む。抵抗する腕に力が入らなくなって、瞼さえも開けるのが億劫になって──そこで初めて、恐怖心が沸き起こる。
『俺、生理的にムリだわ、コイツ。消え失せて欲しい、欲を言ったら死んで欲しい。なんでこんな言葉もロクに喋れない奴がいんの? しかも、よりにもよって! よりにもよってレイブンクローときた! 信じられるか? このガキのどこに叡智を理解するアタマがあるよ!』
投げ掛けられる怒声。嘲りを含む笑い声が、耳の奥で輪唱を起こす。違う、輪唱じゃない、数人の笑い声が重なって聞こえるだけだ。指先が冷える。末端から血が廻らなくなり、じんわりとした気怠さが、全身へと蔓延する。
地面に引き倒され、腹を蹴られた。爪先が鳩尾に入り、思わずえずく。必死に身を丸めて腹を庇えば、背中にも腕にも足にも複数人からの蹴り。息が出来なくて、碌に何も出来ずにただ喘いだ。
暴力というものを受けたのは、生まれて初めてだった。痛みというのがどれだけ怖く、恐ろしいものだということを、集団から向けられる悪意と敵意がこんなにも怖いものだということを、ぼくは生まれて初めて思い知った。
どうして。
どうしてぼくが、こんな目に遭わなきゃいけないんだ。
殺される、と思った。
痛い、痛い、痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛
耳の奥で。
何かが弾ける音を、聞いた気がした。
パチン、と近くで火花が爆ぜる。薄れる視界の端で火花を捉えた、瞬間だった。
『ぎゃあぁあああ!!』
『な、なんだこれ……っあぁぁあ!?』
叫び声と悲鳴が上がり、攻撃が止んだ。何かを考える余裕もなく、ぼくはその場にただ力なく蹲る。
我に返ったぼくが、顔を上げて見たものは、薄暗い部屋を煌々と照らす凄まじいまでの大量の火花と、火花から逃げ惑う、血まみれの同級生の姿だった。
「────っ」
魔力の暴発か、と引く血の気の中理解する。部屋中を埋め尽くさんばかりの火花は、ぼくには何も害を与えない。しかし他人には一切の容赦をしないらしく、火花に当たった一人が恐怖に満ちた悲鳴を上げた。当たった場所から、盛大に血飛沫が弾け飛ぶ。床に一人、また一人と人間が倒れ、部屋にあった掃除用具は、目を向けた瞬間原型を残さぬほどにバラバラとなった。破片は空中に浮遊すると、追い打ちを掛けるかのように彼らへと突き刺さる。
どうにかして魔力から主導権を取り戻そうとするが、全身の痛みに意識を奪われ、全然集中できない。
『ううう……あああっ!』
一人が、出口へと辿り着いた。恐怖のあまりか血で滑るのか、ドアノブが上手く回せないようだ。その間にも物は壊れ続け、彼らは傷を負い続ける。集中しようと目を瞑るも、叫び声は容赦なく耳に入り込んできた。むせ返るような濃い血の香り。空気中に微粒子として溶け込むそれが、呼吸と共に自分の身体に入るということが堪らなく嫌だ。
『何の騒ぎっ……!?』
扉が開く大きな音と共に、光が差し込んだ。誰かが、外から扉を開けたのだ。
『秋っ!?』
「……っ馬鹿来るなっ!!」
辺りの惨状を目の当たりにしながらも、真っ先にぼくに駆け寄って来ようとした彼、リィフ・フィスナーに対し叫んだ。無理矢理息を搾り出したため、内臓がきりきりと痛む。日本語だったがニュアンスは通じたのだろう、彼は怯んで足を止め、目の前に飛んできた火花を首を振って避けた。しかし完全には避け切れなかったのか、頬に一筋薄い赤い線が滲む。
『秋!?』
「来るなって言ってるでしょ!! 近寄らないで!!」
頭の中がぐちゃぐちゃなまま、ともすれば自分が何を口走っているのかも分からぬままに怒鳴った。フィスナーはぐ、と迷った目でぼくを見ると、ぱっと踵を返す。扉は再び閉められ、部屋は薄暗さを取り戻した。
歯を食い縛り、目を閉じる。耳も塞いで、身を縮めた。ぼくはただ、自分の持つ無駄に強力な魔力に怯え、身体を縮こまらせ、部屋の隅で震えている小さな子供でしかなかった。
耳を塞いでもまだ、彼らの呻き声が頭の中で反響する。目を閉じてもまだ、彼らが血まみれで倒れているあの惨状が脳裏に浮かび上がる。微かに香る血液の、沸き返るような鉄の臭い。
自身の身体の痛みよりも、何倍も強い、
恐怖。
再び扉が開かれ、思わずぼくは反射的に声を張り上げた。
「来ないでっ……!」
「落ち着くのじゃ、秋」
柔らかい声が、存外近くで聞こえた。抱き締められ、反射的にぼくは肩を強張らせる。しかし声の主は優しく力強く、ぼくを落ち着かせようとただひたすらに尽力し続ける。
パチパチと暴力的に爆ぜる火花は、徐々に姿を消して行った。最後には、シンとした静寂が辺りを包み込む。恐る恐る顔を上げた。
「……校長、先生?」
「さようじゃ、お主の両親も教えたこともある。あの二人は、いやはや……おっと、余談じゃったかの」
ふぉっふぉっふぉっと好々爺風に笑うダンブルドア校長先生を、ぼくはぽかんと見つめた。その時はっと思い出す。
「先生っ、彼らはっ……フィアン・エンクローチェ達は……っ!?」
「あの者達なら心配いらん。マダム・ポンフリーに適切な処置を受けておる」
ぼくは息を詰まらせ、辺りを見回した。床に伏しているクラスメイトは見当たらない。しかし床に広がる血だまりと、砕けた破片が床に散乱していることが、惨状をぼくに思い起こさせた。
ぶるりと思わず身震いしたぼくの目を、ダンブルドア先生が手で覆う。シワの多く冷たい、どことなく薬の香りがする手だった。ふ、と、急に眠気に襲われる。
「……ふむ。骨は折れとらんようじゃが……肋骨にヒビが入っとるの。内臓は、まぁ大丈夫なようじゃ」
と、ふわりと身体が浮く感覚がした。ダンブルドア先生がぼくを背負ったのだ。衝撃で身体に痛みが走り、歯を食いしばる。
「怖かったじゃろう」
不思議なことに、ダンブルドア先生はぼくに何があったのかを聞こうとはしなかった。
不自然なまでの眠気を感じる。抗えないほどの強烈な眠気。もしかして、ダンブルドア先生が何かをしたのだろうか。そう考えを広げるよりも早く、意識は奥へと飲み込まれ──
暗闇に、ぼくだけが残された。
◇ ◆ ◇
九月一日。まさしく『夢にまで見た』念願のホグワーツ初登校日であるというのに、寝起きのぼくの気分は、暗く沈んでいた。ベッドに寝転がったまま、左腕をぐっと空へと突き出す。拳をぎゅっと握り締め魔力を集中させると、ぱっと手を開いた。途端、どこからともなく火花が手の中から現れる。数秒間あたりをパチパチ飛んだかと思うと、まるで花火のように儚く消えてしまった。
「なにやってんの、アキ」
「別にー」
ぼくよりも早く起き出して(楽しみ過ぎてめっちゃ早く目が覚めちゃったと見るね)トランクの中を整理していたハリーは、ぼくのそんな姿を見て首を傾げた。なんでもないよ、とぼくは苦笑して身を起こす。
それから一時間半後、ぼくらのトランクは車の荷台に積まれ、ぼくとハリーは揃って、バーノンおじさんが運転する車の後部座席に座っていた。正直驚きだ、もっと説得には時間が掛かるかと思っていたのに、案外すんなりキングズクロス駅、九と四分の三番線へと連れて行ってくれるとは。思わず、何か裏でもあるのかと勘繰ってしまう。もう少し人の好意は素直に受け取りたいものだ──そんなことを考えていたのも、短い間だった。バーノンおじさんは、キングズクロス駅の九番線と十番線の間のプラットフォームで足を止めると、意地悪そうに笑った。
「そーれ、着いたぞ、小僧共。九番線と……ほれ、十番線だ。お前らのプラットフォームはその中間らしいが、まだできてないようだな、え?」
頰が引きつる。も、堪えた。偉いぞぼく。
「新学期をせいぜい楽しめよ」
バーノンおじさんはにんまり笑うと、ぼくらに背を向け歩き去ってしまう。後には、ぼくとハリー、二人分のトランク、それにヘドウィグ──ハリーの白フクロウの名前だ──が残された。
「「……っざけんなよ馬鹿野郎……」」
罵倒の台詞もタイミングも全く一緒。流石双子だ。しかし保護監督責任者、略して保護者の態度としてあれはどうなのだろうか。児童相談所にでも行ったら即刻保護されるレベルかもしれない。はぁ、とため息を一つつくと、行こう、とハリーの袖を引っ張った。
「え……でも、どうやって?」
「どうやってって……」
ぼくはそこで言葉を切る。夢で見たからと言って、果たしてハリーは信じてくれるだろうか。ハリーはぼくのことを信頼してくれているけれど、そんな夢見がちなことを言うぼくの言葉を頭から鵜呑みにするようなバカじゃない。口ごもったぼくを、ハリーは怪訝そうに見つめた。その時、ぼくらの耳にある言葉が飛び込んでくる。
「……マグルで混み合ってるわね。当然だけど……」
ぼくらは急いで後ろを振り返った。短い赤毛のおばさんが、きっと息子であろう赤毛の四人の男の子を連れて歩いている。彼らが持っている荷物の中にふくろうがあることに気付いて、ぼくらは目配せし合った。彼らの後へとさりげなく付いて行く。
「さて、何番駅だったかしら」
「九と四分の三よ。ママ、あたしも行きたい……」
「ジニー、あなたはまだ小さいからね。ちょっとおとなしくしてね。はい、パーシー、先に行ってね」
この中では一番年上らしい背の高い男の子が、すたすたとプラットフォームの『九』と『十』に向かって歩いて行った。どうやら夢の通りらしい、とぼくはほっと胸を撫で下ろす。実はただの壁でしたドンガラガッシャン! という展開は避けたいところだ。
「フレッド、次はあなたよ」
「俺、フレッドじゃないよ、ジョージだよ。まったく、この人ときたら、これでも俺たちの母親だってよく言えるな。俺がジョージだって分からないの?」
「あら、ごめんなさい、ジョージちゃん」
「冗談だよ。俺フレッドさ」
どうやら彼らは双子らしい。ぼくとハリーと同じだが、しかし向こうは外見も性格もそっくりだし、見たところ随分と悪戯っ子のようだ。隣のハリーが意を決したように、彼らの母親であろうおばさんに歩み寄る。当然のようにハリーはぼくの手首を掴んでいて、まるで引っ張られるような格好になった。
「すみません、ホグワーツ特急に乗るのはどうすればいいんですか?」
ハリーが尋ねる。おばさんは振り返ると、ハリーに優しい笑顔を向けた。
「あら、こんにちは。坊や、ホグワーツへは初めて? ロンもそうなのよ」
そう言って、隣の男の子を指差した。背の高い、ひょろっとした赤毛の男の子だ。目が合った瞬間に笑い掛けたが、彼は戸惑ったような曖昧な笑みをこちらに返した。
「よっし。……行くよ、アキ」
「あいあいさー」
おばさんの説明は、幣原の記憶と同一のものだった。ぼくとハリーは手を握り合うと、お互い空いた方の手でカートを掴む。二人で一つのカートに無理矢理二人分のトランクを詰め込んだからこそ出来る技だ。そのままお互いを見合って頷くと、一歩足を踏み出した。二歩、三歩、四歩……と進むにつれ段々と歩くペースが早くなり、小走りになって、最後には本気で走っていた。
ハリーがぼくの手を握る手に力を込める。理屈じゃわかっていても怖いんだろうなぁと思ったところで、スルリと分厚い煉瓦を通り抜けた。
「ようこそ、九と四分の三番線へ。……って感じ?」
呆然とした顔で突っ立っているハリーに笑い掛ける。そしてぼくらは空いたコンパートメントを探しに行った。しかし時間が時間なもので、なかなか見つからない。最後尾近くでやっと一カ所見つけた。ひとまずぼくがひらりと窓からコンパートメントの中に入る。そして中から、ハリーがトランクを持ち上げるのを手伝った。しかし、これがなかなか重たくて上手く持ち上がらない。やっとの思いで一つは中に入れることが出来たが、あともう一つあるのか、とげんなりしたその時、背後から「手伝おうか?」と声が掛けられた。声の方向を向けば、そこにはさっきの赤毛の双子の……どっちだろう……片割れ。
「「うん。お願い」」
ぼくとハリーは息を弾ませながら同時に言う。ありがたい、なんていい人なんだ。双子の片割れは片割れを呼び、双子揃ってぼくらのトランクを中に入れるのを助けてくれた。
「ありがとう」「ありがとうねー」
ハリーは汗びっしょりになった前髪を掻き上げた。と、双子の一人が露わになったハリーの額にある傷に気付いて、指差しながら尋ねる。
「それ、なんだい?」
尋ねたはいいものの、その答えはもう彼らの中にあるらしい。
「驚いたな。君は……?」
「彼だ。君、違うかい?」
「何が?」
ハリーは聞き返す。双子は同時に言った。
「「ハリー・ポッターさ」」
「ああ、そのこと。うん、そうだよ。僕はハリー・ポッターだ」
ハリーは困ったようにぼくをちらりと見る。だから、ぼくは助けてあげられないんだってば。
やがて、双子は母親に呼ばれ去って行った。そう言えば、彼らの名前を聞きそびれた。でもまぁ、きっといつか出会えるだろう。そんな予感がする。
ハリーは座席に座り、ぼんやりと外の様子を眺めていた。暇を感じたぼくは、トランクから本を取り出すと、座席に深く腰掛けた。膝の上の本に目を落とす。
汽笛が聞こえ、汽車が動き出した。車輪とレールが立てるカタンコトンという音と、蒸気機関車のエンジンが立てる音、そして時折ぼくがページをめくるパラリという音しか聞こえない空間は、一人の訪問者によって破られる。
「ここ空いてる? 他はどこもいっぱいなんだ」
そう尋ねた彼は、先程の赤毛の男の子──ロンだ。いいよ、とぼくは笑って本をパタンと閉じると、ハリーの隣に移動した。空いた正面の座席を指し示す。ロンはぼくに戸惑うような視線を向けた後、「ありがとう」と口の中でもごもごと言って席に腰掛け、さりげなさを装いつつ窓の外へと目を移した。色々隠せてないところがまた可愛らしい。
「おい、ロン」
再びガラリとコンパートメントの扉が開かれ、今度は双子が顔を出した。しかしそれにしても、こうして並んで見るとホントにそっくりだ。見分け方の秘訣を知りたい。
「なあ、俺たち、真ん中の車両あたりまで行くぜ……リー・ジョーダンがでっかいタランチュラを持ってるんだ」
「分かった」
いや分かったじゃないよなんでタランチュラ持ってんだよどうやって飼うんだよ! とぼくは口元を引き攣らせた。
「自己紹介したっけ? 俺たち、フレッドとジョージ・ウィーズリーだ。こいつは弟のロン。……んで、君は何てーの、可愛い少年くん?」
もしかしなくてもそれってぼくのことだろうか。ため息を付きながらも、口を開いた。
「ぼくはアキ・ポッター……ハリーの双子の弟だよ。同じ双子同士、よろしくね」
「「よろしくな、アキ」」
双子、フレッドとジョージは──双子でいいか、見分けが付くとも思えないし──双子はぼくとハリーに握手を求めると、来た時と同じ気軽さで「「じゃーなー」」て手を振りながらコンパートメントから出て行った。何と言うか、自由だ、自由人だ。あんたら弟にタランチュラ見に行ってくるからっつー伝言残しに来たんかい!
「君、ほんとにハリー・ポッターなの?」
ロンがハリーに尋ねる。ハリーはこっくりと頷いた。
「ふーん……そう。僕、フレッドとジョージがまたふざけてるんだと思った。じゃ、君、ほんとうにあるの……ほら……」
そう言ってロンは恐る恐るハリーの額を指差す。ハリーが前髪を掻き上げ傷跡を見せると、ロンはなんか感動したように見入っていた。
「それじゃ、これが『例のあの人』の……」
「うん。でもなんにも覚えてないんだ」
「なんにも?」
「そうだな……緑色の光がいっぱいだったのを覚えてるけど、それだけ」
「うわー」
ロンは憧れの人を見るような瞳でハリーを見つめ、それからはっと思い出したようにぼくに目の焦点を合わせた。ぼくはにっこりと笑って自己紹介をする。
「有名人なハリー・ポッターくんの双子の弟、アキ・ポッターです。『あの人』がぼくらの家を襲った時、ぼくは丁度父の友人の家に預けられてたらしいよ」
聞きたいのはそれでしょ、『生き残った男の子』はハリーだけなのになんでぼくも生き残ってんの、ってところでしょ。こんな説明を、これから何度もすることになるんだろうなぁ……。
「君の家族は、皆魔法使いなの?」
ハリーが興味津々といった様子でロンに聞いた。新たな環境に大興奮だ。しかしロンは自分の境遇について愚痴っている。大兄弟の貧乏で、いつもお下がりしか貰えないこと。兄達が凄くてプレッシャーを感じていることなど……。
そういえば、とふと思い出した。幣原も、家族全員魔法使いなんだよなぁ。……今日の夢を思い出し、気分が落ち込んだ。
あんなの、幣原にとってみればトラウマ以外の何物でもない。誰が悪い、とは一概に言い切れないだろう。幣原の対応にだって問題はあった。始めに手を出して来たのは、そりゃあ悪いけれど、結果として幣原よりも遥かに重度の傷を彼らは負っている。あれが魔力の暴走なのだ。ぼくも気を付けよう。
でもあれからでも続く、続いてしまうのが人生だ。
今まで日の当たる道しか歩いて来なかった幣原秋が、ほんのちょっとしたことで──英語が話せなかったり、魔力が人より強かったり──そんなことで足を引っ張られ転落してしまう。なんとかしてあげたいけど、夢の中でのことだからどうしようもない。
妙なジレンマに囚われ、生まれて初めて『夢を見たくない』と思った。
憧れの存在が、一人もがき苦しむ姿は、痛々しくて、やりきれない。
きっと彼の精神は、奈落の底まで沈むだろう。自分が人を傷つけてしまった、それだけの事実に、彼は怯え苦しむだろう。たとえそれが、不慮の事故だったとしても。自身に宿る才能を嫌悪し、忌引し、忌むべき存在だと認識してしまうだろう。
そんなことないのに。
幣原秋は闇の中で生きる人間じゃない。
「アキ」
深く沈みそうになっていたぼくを、柔らかなハリーの声が現世に引っ張り上げた。ぼくの顔を覗き込み、心配そうに伺っている。
「大丈夫かい? 顔色、悪そうだけど……」
ロンも気遣わしげに声を掛けてきた。大丈夫だよ、と言ってぼくは笑みを浮かべる。
「車内販売が来たんだ。何か食べようよ。僕たち、朝ごはんだってまだだ」
「あ、そういえば」
言われて初めて空腹感を思い出した。くぅ、と呼応するようにお腹が鳴る。ハリーがぷっと吹き出した。ぼくは照れて口を尖らせる。
ハリーはぼくの手を取って通路に出た。カートには、今までのマグルの中での生活では見たことのないものが沢山積まれていて、ダイアゴン横丁に行った時にも似たある種の感動を覚える。ぼくらは金にものを言わせて(ってなんか表現いやらしい!)全種類を少しずつ買った。カートを押すおばさんにお金を支払うと、両手いっぱいにお菓子を抱えてコンパートメントに戻る。ロンがその量に目を白黒させているのを尻目に、座席に無造作に置いた。
大鍋ケーキなるものを発見して、大鍋って書いてあるけどこれって普通のケーキだよね、とちょっと躊躇い、それでも食欲には勝てなかった。かぶりつく。……あ、おいしい。意外といける。ハリーはかぼちゃパイなるものを、とても美味しそうに食べていた。
「お腹空いてるの?」
「「ペコペコだよ」」
ロンの言葉に、ぼくとハリーは声を揃えて答える。食べているぼくらにつられたのか、ロンもカバンから包みを取り出して開いた。中には、手作りっぽいサンドイッチが四切れ入っている。ロンはその内の一切れを摘み上げると、パンを捲って渋い顔をすした。
「ママったら、僕がコンビーフは嫌いだって言っているのに、いっつも忘れちゃうんだ」
「僕のと変えようよ。これ、食べて……」
「ぼくのも! どうぞー」
ハリーに負けじと、ぼくは急いでロンの目前にさっきまで食べていた大鍋ケーキを突き出した。手作り、家庭の味…! と、そこに反応してしまう自分がいる。ちょっとだけ切ない。
「でも、これ、パサパサでおいしくない「「いいから!」」
自信なさげなロンに、ぼくとハリーはお互いケーキとパイをロンに突き付けた。ロンは若干怯えつつも(あれーそんなつもりじゃなかったんだけどなー)ケーキとパイを受け取り、サンドイッチを手渡してくれた。ぼくとハリーは顔を見合わせ、どちらともなく笑い合うとパクっと頬張る。なんだ普通に美味しいじゃない。とぼくは素直に品評する。あれだ、愛情のスパイスだ! ……なんでだろう、ロンが果てしなく羨ましい。
「これ、なんだい?」
ハリーが何かお菓子の包みを手に取った。ハリーの手元を覗いたぼくは、思わず眉を寄せる。
「……蛙チョコレート?」
「まさか、本物のカエルじゃないよね?」
ロンの言った「まさか」に、酷くほっとした。
「でも、カードを見てごらん。僕、アグリッパがないんだ」
「なんだって?」「カード?」
同時に言われた言葉に、ロンは一瞬目を白黒させた。
「そうか、君ら、知らないよね……チョコを買うと、中にカードが入ってるんだ。ほら、みんなが集めるやつさ──有名な魔法使いとか魔女とかの写真だよ。僕、五百枚ぐらい持ってるけど、アグリッパとプトレマイオスがまだないんだ」
ハリーは蛙チョコの包みを開け、カードを取り出す。そのカードには一人の人が描かれていた。
「アルバス・ダンブルドア……」
長い白髪に白髭、半月メガネ。ホグワーツの、校長先生。見入ると同時に、今日の夢を思い出した。即刻頭を振って追い出すが、隣のハリーは訝しむような視線をこちらに向けている。曖昧に笑顔を浮かべると、ハリーはため息をついて興味をカードに移した。
「この人がダンブルドアなんだ」
「君ら、ダンブルドアのことを知らなかったの! 僕にも蛙一つくれる? アグリッパが当たるかもしれない……ありがとう……」
ロンが呑気な声を上げた。ハリーはロンに蛙チョコを一つ投げ渡すと、カードを裏返す。そこでダンブルドアの顔が消えていたのに、驚きの声を漏らした。
「いなくなっちゃったよ!」
「そりゃ、一日中その中にいるはずないよ。また帰ってくるよ。あ、だめだ、また魔女モルガナだ……」
ぼくとハリーは、しげしげとカードを見つめた。この世界、魔法界では写真から人が消える光景というのは日常のようだ。
それから何種類かお菓子を摘んで(百味ビーンズとか絶対にぼくは食べません! そんな勇気は持ち合わせておりません!)腹も落ち着いた時、コンパートメントがノックされた。戸の一番近くにいたぼくが立ち上がって開けると、そこには小さな──といってもぼくより背は高いが──丸顔の男の子が半泣きで立っていた。一瞬ぼくが泣かせた!? とびっくりして慌てふためくが、どうも違うらしい。
「ごめんね。僕のヒキガエルを見かけなかった?」
ぼくは振り返ると、後ろのハリーとロンの表情を確認する。二人ともぶんぶんと頭を振っていて、やっぱり見ていないらしい。当然ぼくも知らない。と、そこで男の子の瞳から大粒の涙が零れた。ぼくはわたわたとして、とりあえずハンカチを差し出してみた。ごめんね、と男の子は受け取って涙を拭く。
「いなくなっちゃった。僕から逃げてばっかりいるんだ!」
「きっと出てくるよ」
ハリーが励ますように言う。男の子は、それでも気落ちした様子でコンパートメントから出て行った。
「どうしてそんなこと気にするのかなあ。僕がヒキガ「アキ、どうしたの?」……最後までしゃべらせてください……」
ハリーがロンの言葉をスルーして、突っ立ったままのぼくに声を掛ける。ぼくは拳を握り締めると、勢いよくハリー達に向き直った。
「探しに行こう!」
「……言うと思った」
目を輝かせるぼくとは対称的に、はぁとため息をつくハリー。なんだよノリ悪いな!
「いいよ諦めちゃえよアキ。僕がヒキガエルなんか持ってたら、なるべく早くなくしちゃいたいけどな。もっとも、僕だってスキャバーズを持ってきたんだから人のことは言えないけどね」
ロンがぼくに声を掛ける。むぅ、と頬を膨らましたぼくの手をハリーは引っ張ると座席に座らせた。ロンは膝の上で熟睡しているネズミ──スキャバーズをうんざりしたように見つめている。
「死んでたって、きっと見分けがつかないよ。昨日、少しは面白くしてやろうと思って、黄色に変えようとしたんだ。でも呪文が効かなかった。やって見せようか──見てて……」
ロンが杖を取り出し、咳ばらいをした。目の前で魔法を見るのが初めてなぼくとハリーは、わぁ、と目を見開いてロンの一挙一動に注目する。しかし、ロンがまさに杖を振り上げたところで、またもコンパートメントの扉が開いた。これで三度目だ。
「誰かヒキガエルを見なかった? ネビルのがいなくなったの」
今度は女の子だった。ふわふわの栗色の髪が可愛らしい、少し勝気な感じの女の子だ。その子の目もロンの杖に吸い寄せられた。
「見なかったって、さっきそう言ったよ」
「あら、魔法をかけるの? それじゃ、見せてもらうわ」
女の子はロンの言葉を綺麗に無視すると、座席に腰掛けた。ロンは僅かにたじろぐも、咳払いをひとつする。
「あー……いいよ……お日さま、雛菊、溶ろけたバター。デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ」
ロンは杖を振った。……が、何も起こらない。女の子はロンに冷めた目を送った。
「その呪文、間違ってないの?」
ロンの表情が、女の子に貶されたことに暗くなる。それに気付いたのか、彼女はロンをフォローするように慌てて言葉を付け足した。
「まあ、あんまりうまくいかなかったわね。私も練習のつもりで簡単な呪文を試してみたことがあるけど、みんなうまくいったわ。私の家族に魔法族は誰もいないの。だから、手紙をもらった時、驚いたわ。でももちろん嬉しかったわ。だって、最高の魔法学校だって聞いているもの……教科書はもちろん、全部暗記したわ。それだけで足りるといいんだけど……私、ハーマイオニー・グレンジャー。あなた方は?」
ぼくらはぽかんと口を開けて、これだけのことを一息に言ってのけた彼女──ハーマイオニーを見つめる。そして我に返った。
「あ、アキ・ポッターです」
「僕、ロン・ウィーズリー」
「ハリー・ポッター」
「本当に? 私、もちろんあなたのこと全部知ってるわ。──参考書を二、三冊読んだの。あなたのこと、『近代魔法史』『黒魔術の栄枯盛衰』『二十世紀の魔法大事件』なんかに出てるわ。……まぁ、弟がいるってことは知らなかったけど」
ハーマイオニーがぼくに目を遣った。にっこり微笑みを返す。
「……弟、よね?」
「いかにも、ハリーの双子の弟です。よろしくね、ハーマイオニー」
ぼくは左手を出しかけ、止めて逆の手を差し出した。左利きというのはこういう時不便だ。
ハーマイオニーは、まだ心を許し切ってはいないまでも、ぼくの手を取ってくれた。
「僕が、本に出てるの?」
ハリーが驚いたように聞き返す。ハリーは本当に、自分が有名人だという自覚がない。いや、今まで本当に悪い意味でしか注目を集めたことがないものだから、突然「あなたは有名なんだよ!」なんて言われても実感が湧かないのは当然だろうけど。しかも、物心付く以前にやったことなのだ。
「まあ、知らなかったの。私があなただったら、出来るだけ全部調べるけど。三人とも、どの寮に入るかわかってる? 私、色んな人に聞いて調べたけど、グリフィンドールに入りたいわ。絶対一番いいみたい。ダンブルドアもそこ出身だって聞いたわ。でもレイブンクローも悪くないかもね……とにかく、もう行くわ。ネビルのヒキガエルを探さなきゃ。三人とも着替えた方がいいわ。もうすぐ着くはずだから」
そう言い残し、ハーマイオニーはコンパートメントから出て行った。ロンは杖をトランクに投げ入れながら呟く。
「どの寮でもいいけど、あの子のいないとこがいいな。へぼ呪文め……ジョージから習ったんだ。ダメ呪文だってあいつは知ってたのに違いない」
「君の兄さんたちってどこの寮なの?」
「グリフィンドール」
ロンの表情が暗くなった。
「ママもパパもそうだった。もし僕がそうじゃなかったら、なんて言われるか。レイブンクローだったらそれほど悪くないかもしれないけど、スリザリンなんかに入れられたら、それこそ最悪だ」
「そこって、ヴォル……つまり、『例のあの人』がいたところ?」
「あぁ」
ぼくは黙って、ロンの話を聞いていた。別にどの寮に入ろうと、人の価値はそれでは決まらないのに。現に、夢ではセブルスはスリザリンに入ったけど、いい奴だってことをぼくは知っている。『例のあの人』がいた寮だから、って……。それに、レイブンクローに入ったとしても、フィアン・エンクローチェのような奴だっているのだ……。
ぞくり、と背筋に寒気が走り、ぼくは微かに身震いした。
「それで、大きい兄さんたちは卒業してから何してるの?」
ハリーがロンに尋ねる。
「チャーリーはルーマニアでドラゴンの研究。ビルはアフリカで何かグリンゴッツの仕事をしてる。……グリンゴッツのこと、聞いた? 『日刊予言者新聞』にベタベタ出てるよ。でもマグルの方には配達されないね……誰かが、特別警戒の金庫を荒らそうとしたらしいよ」
「本当? それで、どうなったの?」
「なーんも。だから大ニュースなのさ。捕まらなかったんだよ。グリンゴッツに忍び込むなんて、きっと強力な闇の魔法使いだろうって、パパが言うんだ。でも、なんにも盗っていかなかった。そこが変なんだよな。当然、こんなことが起きると、陰に『例のあの人』がいるんじゃないかって、みんな怖がるんだよ」
ハリーは黙り込んだ。頭の中でそのニュースを反芻しているようだ。ロンは沈んでしまった空気を変えようと新たな話題を出す。
「君ら、クィディッチはどこのチームのファン?」
「うーん、僕ら、どこのチームも知らない」
「ハリーに同じく」
「ひえー!」
ロンは目を丸くして驚いていた。彼にとってはそれほどショックなことらしい。クィディッチがどれ程面白いスポーツなのかについて熱弁を振るい始めたロンの言葉を右から左に聞き流していたぼくは、コンパートメントの戸が開く音に気付き目を遣り、驚いた。
「本当かい? このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車の中じゃその話でもちきりなんだけど。それじゃ、君なのか?」
入ってきた三人の男の子のうちの一人、金髪に青白い顔をした子に見覚えがあったからだ。確か、マダム・マルキン洋装店にいた子だ。
「そうだよ」
ハリーが答えるのを尻目にぼくは瞬時に立ち上がると、短い距離を助走に、彼に勢いよく飛び蹴りを食らわせた。余りにも咄嗟なことで、彼はぼくに反応出来ず、そのまま蹴り倒される。何が起こったのか飲み込めていない彼の目の前で、ぼくは胸を張った。
「これは、この前のハリーの分な。はじめまして、ぼくアキ・ポッター、ハリーの双子の弟です。君は?」
「あ、ドラコ・マルフォイだ……じゃなくて! おい、クラップ、ゴイル、僕を助けろ!」
両脇にいた二人のがっちりとした少年が、慌てて彼、ドラコ・マルフォイから僕を引きはがそうとする。ぼくはぴょんとドラコの上から飛びのくと、にっこり笑ってドラコに手を差し延べた。
「大丈夫かい? 災難だったね」
「元凶が何を言う!?」
ドラコが毒気を抜かれたような顔をしながらも、素直にぼくの手に捕まって立ち上がった。と、はっと我に返ったのか、すぐさま顔を赤らめてぼくの手を振り払う。何この子、案外可愛らしいな。
ロンがクスクス笑っている様子に、ドラコは見咎めるように目を吊り上げた。でも頬が赤い時点で巻き返しは無理だよ、ドラコ。
「僕の名前が変だとでも言うのかい? 君が誰だか聞く必要もないね。父上が言ってたよ。ウィーズリー家はみんな赤毛で、そばかすで、育てきれないほどたくさん子供がいるってね……ポッター君。そのうち家柄のいい魔法族とそうでないのとがわかってくるよ。間違ったのとは付き合わないことだね。そのへんは僕が教えてあげよう」
「間違ったのかどうかを見分けるのは自分でもできると思うよ。どうもご親切さま」
ドラコがハリーに握手を求めるが、ハリーはきっぱり断った。彼の白い頬に、更に赤みが差す。
「ポッター君。僕ならもう少し気をつけるがね。もう少し礼儀を心得ないと、君の両親と同じ道を辿ることになるぞ。君の両親も、何が自分の身のためになるかを知らなかったようだ。ウィーズリー家やハグリッドみたいな下等な連中と……」
ドラコの言葉はそこで途切れた。侮辱され立ち上がりかけていたハリーとロンは、突然言葉を切ったドラコにきょとんと目を向ける。
「……ドラコ。口が過ぎる」
「……ちっ、お前か……」
ドラコの後ろから顔を出したのは、小さな女の子だった。ドラコの袖を引っ張り、首を振る。思わず、その子に目が吸い寄せられた。
長いストレートな銀髪を、何もせず背中に流している。大きめの灰色の瞳は静かな冷たさを湛えており、小さな顔の中に見事に調和していた。まるで、丁寧に作られた人形のようだ。頭を振るたびに、綺麗な銀髪がさらさらと音を立て揺れる。何の感情も窺えない、無表情。
凄く、綺麗な子だった。幼いながらも、可愛いという表現よりも綺麗という言葉の方が似合うような。
その子はぼくらにペこりと頭を下げ、そしてドラコの袖を掴んだままコンパートメントから出て行った。引きずられるドラコと、慌てて後を追うようにクラップとゴイル。すぐさま、コンパートメントの中は静かになった。
「……ねぇ、ハリー」
「どうしたの、アキ」
ぼくは振り返って、へらりと笑う。
「あの子に、恋しちゃったみたい」
ハリーとロンの、呆気に取られた顔が印象的だった。
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