あの『事故』から三日間、ぼくは精神的なショックからずっと眠り続けていたようだ。目が覚めても一週間は医務室で薬漬けにされ、寮に帰してもらったのはそれからだった。十日間も離れていれば、ただでさえ遅れがちだった授業でさえ付いていけなくなるし──いや、それよりも。
十日もあれば、ぼくに関する噂が広まるのは道理であった。
フィアン・エンクローチェを筆頭とする彼らを返り討ち──という表現が妥当かは分からないが、少なくとも大怪我を負わせて──にしたのは事実なのだ。
結果、レイブンクロー生はぼくを『共通の敵』と見做したようだ。
悪意と軽蔑と恐怖と皮肉によって、気付けば仇名が付けられていた。『呪文学の天才児』というそれを、彼らはまるでぼくを殴る免罪符のように使い始めた。
辛くて陰惨な学校生活の、幕開けだった。
教えてください、神様。
ぼくは一体、どうすれば良かったんでしょう。
悪意に満ちた視線を向けられるのは、もう嫌なんです。
恐怖に満ちた態度を取られるのは、もう疲れたんです。
痛いことも怖いことも、苦手なんです。
その一心でぼくは、学校の勉強、英語の勉強、そして魔力の制御の練習を、ほぼ独学でするようになった。
◇ ◆ ◇
ホグワーツ特急を降りると、一年生はハグリッドに従って、湖を渡りホグワーツ城へと入った。マクゴナガル先生に引き渡された後、連れて行かれた先は、大広間の脇にある小さな空き部屋。窮屈な部屋の中で、マクゴナガル先生の厳粛な声は朗々と響いた。
「ホグワーツ入学おめでとう。新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に、皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。
寮の組分けはとても大切な儀式です。ホグワーツにいる間、寮生が学校での皆さんの家族のようなものです。教室でも寮生と一緒に勉強し、寝るのも寮、自由時間は寮の談話室で過ごすことになります。
寮は四つあります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンです。それぞれ輝かしい歴史があって、偉大な魔女や魔法使いが卒業しました。ホグワーツにいる間、皆さんの善い行いは自分の属する寮の得点になりますし、反対に規則に違反した時は寮の減点になります。学年末には、最高得点の寮に大変名誉ある寮杯が与えられます。どの寮に入るにしても、皆さん一人一人が寮にとって誇りとなるよう望みます。
学校側の準備が出来たら戻ってきますから、静かに待っていてください」
そう言い残し、マクゴナガル先生は部屋から立ち去っていった。途端、不安げなざわめきが沸き起こる。
「いったいどうやって寮を決めるんだろう」
「試験のようなものだと思う。すごく痛いってフレッドが言ってたけど、きっと冗談だ」
在学生の兄がいるロンのそんな言葉を聞いて、ハリーは一層怖がったような顔をした。あれ、組分けって確か、帽子を被るだけじゃなかったっけ? いや、夢を信じ過ぎるのはどうかと思う、うん。試験……試験、か。どういうのなんだろう。
とその時、ハリーが驚いたようにその場から飛び上がった。周りの皆も、息を呑んでいる。ぼくの背丈では人で遮られてしまい何も見えないのだが、何かあったのだろうか。首を傾げ身を乗り出し──納得した。
ゴーストだ。その数ざっと二十ほど、談笑しながら空中をふわふわ浮遊している。何人かは生徒たちに微笑みかけていたが、誰もが凍りついていた。カクカクと不自然に頷いている者もいる。そこでマクゴナガル先生が戻ってきた。ゴーストを見慣れたものだとばかりに意識の外へと外して(か、カッコいい)、ぼくら一年生に声を掛ける。
「組分け儀式がまもなく始まります。さあ、一列になって。ついてきてください」
ハリーの後に続いて、部屋を出た。気分が悪そうなハリーの手を、後ろからそっと握る。ハリーは肩をびくりと震わせると、ゆっくりと握る手に力を込めた。
大広間の扉が開かれる。広がる光景に、思わず感嘆の吐息が零れた。何千もの宙に浮かんだロウソクが、煌びやかな大広間をより幻想的に映し出している。何度見ても、目を瞠るほど圧巻だ。
マクゴナガル先生は、ぼくらを一列に並ばせた。上級生は、微笑ましそうにぼくらを見つめ、寮へと迎え入れるための拍手の準備をしていた。
「本当の空に見えるような魔法がかけられているのよ。『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ」
そう言うハーマイオニーに、へぇ、と改めて天井を見上げた。浮いているロウソクの奥に、夜空のヴェールが掛かって、瞬く星が見えた。魔法って、やっぱり凄いや。
マクゴナガル先生が、椅子の上にとんがり帽子を置く。組分け帽子だ。帽子のつばの破れ目が開いて、そこから歌が流れ出す。
私はきれいじゃないけれど
人は見かけによらぬもの
私をしのぐ賢い帽子
あるなら私は身を引こう
山高帽子は真っ黒だ
シルクハットはすらりと高い
私はホグワーツ組分け帽子
私は彼らの上をいく
君の頭に隠れたものを
組分け帽子はお見通し
かぶれば君に教えよう
君が行くべき寮の名を
グリフィンドールに行くならば
勇気ある者が住う寮
勇猛果敢な騎士道で
他とは違うグリフィンドール
ハッフルパフに行くならば
君は正しく忠実で
忍耐強く真実で
苦労を苦労と思わない
古き賢きレイブンクロー
君に意欲があるならば
機知と学びの友人を
ここで必ず得るだろう
スリザリンではもしかして
君はまことの友を得る
どんな手段を使っても
目的遂げる狡猾さ
かぶってごらん! 恐れずに!
興奮せずに、お任せを!
君を私の手にゆだね(私は手なんかないけれど)
だって私は考える帽子!
歌い終わる。大広間にいた人たちから拍手が湧き上がるのに、おずおずとぼくら新入生も手を叩いた。
「……機知と学びの友人を、ねぇ」
小さく呟いて、肩を竦めた。幣原にも、これからそんな友人が出来るのだろうか。
「アキ、絶対同じ寮に入ってくれるよね?」
ハリーに囁かれ、思わず身震いをした。そんな、狙ってこの寮に入るとかって出来るのだろうか。もし違う寮に入ってしまったら……うわぁ、それは怖い、な。目を伏せ頷くと「絶対だよ」なんて不穏な言葉を言い残された。思わず両手を握り合わせる。どうかお願いします神様イエス様、ぼくとハリーを同じ寮に入れてください……! なんだってしますから……!!
組分けの儀が始まった。マクゴナガル先生は長い羊皮紙の巻紙を手に一歩前に進み出ると、名前を読み上げる。
「グレンジャー・ハーマイオニー!」
聞き知った名前に、身を乗り出して前を覗いた。帽子はしばらく考え込むと、やがて「グリフィンドール!」と叫ぶ。次は、ヒキガエルを探していた男の子、ネビルだ。彼もまたグリフィンドールに選ばれた。
ドラコの頭に乗せられた帽子は、頭に触れるよりも早くに寮の名前を叫んでいた。「スリザリン!」と寮の名を、当然とばかりの顔で受け流している。
「ポッター・ハリー!」
ハリーの名前に、大広間中に囁きが満ちた。有名人だなぁ、ハリー。そんな兄を持ててぼくは幸せ者だよ……なーんてね。
ハリーの組分けには、随分と時間が掛かった。しかし、帽子が叫んだ寮は、勇気を重んじるグリフィンドール。ハリーらしい。
「ポッター・アキ!」
マクゴナガル先生が、ぼくの名前を読み上げた。グリフィンドールだ、グリフィンドールだと呟きながらも椅子に座り、帽子を被る。一瞬で視界は真っ暗になった。やっぱり大きいなぁ、この帽子。
「やれやれ、お主かの。同じ人物をまさか2回も組分けする羽目になろうとはのぅ……」
「二回?」
はて、とぼくは首を傾げた。どういうことだ? ぼく、アキ・ポッターは、そりゃあ夢では幣原秋なんて子の人生体験したりして、その一環で組分け帽子も被ったけども……。
「…………」
「おっと口が滑った的な感じで黙り込むの止めてもらえますか超気になる」
「さて、お主は確実にレイブンクローで決定しとるからな、レイッ!?」
「ちょっと待て帽子」
帽子の裾の部分をギリギリと引っ張る。今聞き捨てならないのが聞こえた気がする!
「今のは間違ったんだよね? 早まり過ぎじゃないの帽子、ぼくはグリフィンドールに入りたい……いや、入らなきゃまずいんだよ」
「いや、お主程レイブンクローに相応しい者はおらん。七年間見て確信した、じゃから……!」
「絶対グリフィンドール……!」
水面下での激しい戦いが繰り広げられているのを、唯一気付いているマクゴナガル先生は見て見ぬ振りだ。
「前はあんなに可愛らしい子じゃったのに、一体何でこんな子になってしもうたのじゃ……」
「いやいや帽子、ぼくも捻くれたくって捻くれてる訳じゃないんだよ……! 今回はどうしてもなの、ハリー様の命令なの! 兄貴には逆らえないって、弟の相場が決まってるんだ……!」
まるで祖父と孫のような台詞の応酬だけれど、一応ぼくと帽子は初対面だ。
「……な、言ってみ? グリフィンドールって。ほら、グ・リ・フィ・ン・ド・ー・ル、リピートアフターミー?」
「無理じゃっ、やっぱりレィ……」
「あーあーあー、聞ーこーえーなーいー。いやさぁ、グリフィンドールって言ってくれるだけでいいんだ! お願いってば、幣原の時はなんかもうほぼ『どれでも好きなの選んでいいよ』状態だったじゃない!」
「確かにあの時はそうじゃった、でもそれから七年お主を見ていて確信したのじゃ、レイブンクローの一心に真実を追い求める心からして、まさにお主じゃ、とな!」
「帽子はぼくの何を知ってるの!?」
ぼくがツッコミを入れた一瞬の空白を、帽子は見逃さなかった。大広間中に響き渡る「レイブンクロー!!」という声に、ぼくはがっくりと肩を落とす。生まれて初めて口喧嘩で負けた……ショックだ。
沸き上がる拍手。あぁ、懐かしのレイブンクロー。ハリーと目が合い、思わず目が泳いだ。ごめんハリー、無理だったよだからそんな怖そうな笑顔を向けないでお願いします!
レイブンクローのテーブルにつくと、途端に質問責めに遭った。やっぱりと言うか、『あの』有名なハリー・ポッターとの関係を聞かれるものが多かった。ぼくは人当たりのよい笑顔で、障りなく答えていく。途中『両親が殺されてどう思った?』『ハリー・ポッターみたいな有名人がすぐ近くにいるのってどう思うの?』『スリーサイズは?』などの不躾な質問は綺麗に聞こえなかった振りで誤魔化させてもらった。……ちょっと最後の質問出した奴誰だ。
ロンが当たり前にグリフィンドールに入り、まだ組分けされていない者は残り一人となった。その子は汽車で見た『あの子』とは違うため、ぼくが気付かないうちに組分けを済ませてしまったのだろう。でもこの人混みの中、一人の少女を見つけるのは至難の技か。それでも諦め切れずに彼女の姿を探してみる。
……見えた。スリザリンのテーブルでドラコの隣に座っている。愛の力って恐ろしい。
組分けが完全に終わり、組分け帽子が奥へと下げられると、ダンブルドアが立ち上がった。腕を大きく広げにっこり笑っている。ぼくは後ろ髪を引かれながらも、彼女から目を逸らすとダンブルドアを見た。
「おめでとう! ホグワーツの新入生、おめでとう! 歓迎会を始める前に、二言、三言、言わせていただきたい。では、いきますぞ。そーれ! わっしょい! こらしょい! どっこらしょい! 以上!」
唖然とした。最高か、この先生。歓声を上げる皆に負けじと、手を叩く。そしてテーブルに目を戻し──驚いた、皿が食べ物でいっぱいになっている。どれもダーズリー家では食べたことのない、どころか食卓にすらも並ばないような豪華なものばかりだ。デザートまでしっかり食べた頃には満腹になっていた。お腹いっぱいに食べれるってこんな幸せなことだったんだね、初めて知ったよ。
ふと視線を感じて、ぼくは振り返った。教職員のテーブルからだ。しかし視線の主が誰なのかは分からなかった。首を傾げつつも、気のせいだろうと一人結論づけ、目の前のデザートを食べるのに集中する。デザートが綺麗に消えた後、ダンブルドアがまた立ち上がった。
「エヘン──全員よく食べ、よく飲んだことじゃろうから、また二言、三言。新学期を迎えるにあたり、いくつかお知らせがある。一年生に──」
いくつか諸注意を聞き、最後に校歌を歌うと、解散となった。ここからそれぞれの寮へは、監督生が先導していく。離れてしまう前に、と、ぼくは人混みに紛れてレイブンクローの集団から抜け出すと、グリフィンドールの集団の中にいたハリーを見つけ出した。謝る分は早めに謝っておかないと──
「あっ、ハ「アキっ! 僕を置いて行くなんて酷いよお!」うぐっ……!?」
ハリーはぼくを視認すると、すぐさま抱き着き、そのままの勢いで腕をぼくの首に引っ掛けた。し、締まる……!
「アキはもう兄である僕なんてどうでもいいと思ったの!? アキと同じ寮になれたら最高だったのに!」
「ちが……話を……」
引きはがそうともがくも、腕に力が入らない。声も出ないから助けも呼べないし、こういったさりげないところで腹の黒さをチラ見せするのは良くないと思う……というか本当に、苦し……
がくり。
「ねぇ聞いてるのっ……って、ぎゃあ!? アキ、アキ────────!!」
ハリーの声を聞きながら、ぼくは意識を吹っ飛ばした。
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