ホグワーツ特急から降りると、目眩がした。ホグワーツ全生徒の倍、三倍はある人、人、人の山。この中から両親を探し出さなきゃならないというのは、かなりの難題だ。
「それじゃ、私とセブはこっちだから。またね、秋! 新学期で!」
「うん! いい夏休みを!」
リリーは大きく、セブルスは小さく手を振ると、二人は並んで歩いて行った。人垣に紛れるまでその姿を追った後、ぼくは静かに手を下ろす。
さて、両親は一体どこにいるのだろう。辺りを見渡しながら、カートを押して人混みを掻き分ける。しかし、どこを見ても人だらけで、こんな場所で見つけられる訳がないという気もしてきた。
その時、ドンッと背中を押され思わずつんのめった。
「おっと、ごめん」
声に、振り返る。
「……あれ?」
『彼』──ジェームズ・ポッターは、目を瞬かせてぼくをじっと見つめた。……え、どうしてそんなにぼくを見ているの? そう思いながらも言葉が出せない。ドキドキしながら、黙ってぼくも榛色の瞳を見返した。
「君は……」
ジェームズ・ポッターが口を開きかけた瞬間。
「おーい、ジェームズー! 早く来いよ!!」
叫び声が、ぼくらに届く。
彼の注意が逸れた。音源の方に首を向け「今行くー!」と叫び返す。今だ、と瞬時に判断したぼくは、カートを引っ張り横っ飛びに移動すると、人混みを掻き分け雑踏へと紛れ込んだ。
「……はぁ」
思わず、ため息を吐いていた。心臓の鼓動が痛いくらいに喧しい。
彼のような、人を引き付けるような人は──怖い。
上手く言えないけれど……身体が竦んで、肩が強張って、上手く呼吸が出来なくなって。
酷く、恥ずかしい気分になる。
「…………」
俯いて、カートを押しながら歩いた。周りの人の視線を感じる。ここは英国だから、見た目が日本人のぼくは物珍しいのだろう。母が英国人のため一応ハーフなのだが、どうも目立つ部分──髪とか目とか──は全て日本人である父から受け継いだようだ。……いや、別に嫌じゃないけどさ。
「秋っ!!」
聞き覚えのある声に、振り返った。途端、暖かな温もりにぎゅっと抱きしめられる。慌てて、でも懐かしい香りに、恐る恐る呟いた。
「母……さん?」
肯定の代わりに、母は更にぎゅっとぼくの身体を抱きしめる。痛かったけど、その痛さが涙腺を掠めた。涙を散らせて、ぼくは笑顔で囁いた。
「母さん」
母の背中を軽く叩く。母の肩越しに、父と目が合った。にっと笑うと、父もホッとしたような笑顔を返してくる。
「アキナ、通行の邪魔になるから、続きはまた後で。ね?」
「……うん」
そろそろと母はぼくから離れると、薄手のブラウスの袖口で目元を拭う。そして、にっこりと微笑んだ。父も母の肩を抱くと、笑顔でぼくを見つめる。
「「お帰りなさい、秋」」
ぼくも、負けじと笑った。
「ただいまっ!!」
さぁ、日本に帰ろうか。
◇ ◆ ◇
「馬鹿か貴様は」
スネイプ教授の声に、思わず身を竦ませる。苦笑いをして、そっと見上げた。
「すみません」
「貴様は馬鹿だ」
「……すみません……」
言い返す言葉もございません。
夏休みに入る前日、テスト結果が発表されてわーきゃー言っているまさにその時、ぼくは一人スネイプ教授から説教を食らっていた。
理由は簡単。
「幣原はこんなミスはしなかったぞ」
「……はい……」
苛立ったように教授は、ぼくのテスト用紙を指先で叩く。その叩いたところが狙い澄ましたように点数の上で、思わず目を逸らして居住まいを正した。勝手に苦笑いが零れる。
「しかもだ。よりにもよって、よりにもよって! 魔法薬学! 貴様は我輩に恨みでもあるのかね? 大体その顔は何だ、何でそんなに幣原に似ているのだ。幣原はこんな阿呆ではない」
「おっしゃる通りで……」
まぁね、確かにぼくは幣原秋にそっくりですよ、グリソツですよ。そんなぼくがこんな、途中から解答欄一つずらすなんて馬鹿な真似をしたのが気に食わないってことくらい分かってますよ。
でもさ、でもさぁ!
「そ、それでも二位だったんだし……」
ほう、とスネイプ教授の目が細くなった。口元に薄気味悪い笑みを浮かべてこちらを見る。思わずすすっと顔を背けた。
「確か、一位はグレンジャーだったな。グリフィンドールなんかに一位を取られおって、全く」
「あれ? でも教授、|ジェームズ・ポッター《父さん》に負けてませんでしたっけ「黙れ」……すみません」
肩を竦める。教授は額に手を当てると、長々とため息を吐いた。神経質そうに人差し指を軽く動かす。
「我輩でもな、実力がなくてこの点数であれば文句は言わん。……いや、文句は言うが厭味は言わん」
日和ったな……。
「だがな、実際に能力があるにも関わらずそれを使おうとしない奴は、虫酸が走る」
「…………」
「グレンジャーに対しても、他の奴に対しても、失礼な行いであることに変わりない」
「……すみません」
分かったか、と、スネイプ教授は静かに告げる。その言い方が殊更に教師っぽくて、幣原秋の時代とのギャップを感じさせた。
年月の流れを、変わることなく進み続ける時の存在を。
それが──ぼくには、ちょっと切ない。
「アキ・ポッター」
「あ……はい」
思わず居住まいを正す。と、スネイプ教授は微かに笑った、ようだった。
「次は、期待しているぞ」
「……はい」
──あぁ、もう。
反則だろ、そんなの。
「もう用も済んだだろう。帰りたまえ」
「……はい。失礼しました」
一礼して、扉に手を掛ける。
扉が閉まる直前に、教授が掛けた言葉。
慌てて、振り返った。ドアノブを掴み回すも、既に鍵が掛けられているのかびくともしない。
「……畜生、意趣返しかよ」
『ありがとう』
素直な、一言の、想いが詰まった言葉。
小さく笑った。
「いい休暇を、教授」
マグル界へ帰る汽車の中は、つかの間の楽しみの時間だ。家族に久しぶりに会えるということで、誰もが浮足立っている。破裂音や爆発音が聞こえる中(フレッドとジョージなんだろうな、犯人)、ぼくは羊皮紙に羽根ペンを走らせていた。
「聞くけどさ、アキ、一体何やってんの? そろそろ着替えないと、駅に着いちゃうよ」
「待ってよ、もうちょっとだから」
肩を竦めるハリーを横目に、ぼくは羊皮紙を掲げた。スペルミスがないかを丁寧に確認すると、くるりと丸め旅行カバンの中に詰め込む。そして大急ぎでローブを脱いだ。
「ねぇ、そろそろ話してよ。何やってたの?」
「完成させたら見せるよ、一番初めにね!」
にっと笑顔を見せると、ハリーは呆れたように小さく笑った。そして窓の外に視線を移す。
マグルの服を引っ張り出し、そこでしばし悩んだ。正直……正直なところ、このダボダボな感じはやっぱりいただけない。ダドリーからのお下がりの服は、半袖の筈なのにぼくが着ると七分丈だ。見た目が悪いんだよな。これでぼくが少しでもたくましくなっていたならばまた話も違ってくるのだが、残念ながら入学当初と比べても微々たる数値しか変化していない。……どうしてだろう。既に同級生の女子の殆どよりも背が低いというのに、成長もしていないとは空しい。これでアクアにも抜かれてみろ、泣くぞぼくは。
もういいか、と諦めて、ぼくはダドリーのお下がりの服に袖を通した。袖のところを三回折り返して、上からチェックのジャケットを羽織る。そしてハリーの前で一回転した。
「どう? 変じゃない?」
「んー、大丈夫なんじゃないの?」
「かっこいい?」
「かっこいいかっこいい」
「イカしてる?」
「それは微妙」
ふふっと笑った。とそこでタイミングよく、ハーマイオニーとロンが戻って来る。コンパートメントの座席にどさっともたれ掛かって、ハーマイオニーが困った口調で言った。
「アキ、またアリスとマルフォイが喧嘩しているみたい。車掌さんや他の生徒の迷惑になるから、早く止めてあげて。彼らを止められるの、アキしかいないのよ」
またか、と思わず呆れた。この二人は本当に仲が悪い。アリスを放っておけばいいのに、ドラコはいちいち絡むし、アリスも他の奴に言われれば笑ってスルー出来ることでも、ドラコに言われると癇に障るらしい。困ったものだ。
「分かったよ。……でも、君がケンカの仲裁しないのは珍しいね」
「もちろん、しようとしたわ。でもロンが……」
恨みがましい目で、ハーマイオニーはロンを睨む。ロンは手を顔の前で大きく振った。
「いくらハーマイオニーでも無理だよ、あの二人に割って入ろうだなんて! 一体どんな巻き添え食うか!」
恐ろしいとでも言うように、ロンは身体を震わせた。やれやれ。
「分かったよ、行ってくる。全く、あの二人も飽きないね……」
立ち上がる。とそこで、コンパートメントの扉ががらりと音を立てて開いた。立っていたのは、小さな少女。思わず心臓が跳ねる。動揺を顔に出さないように注意しつつ、笑顔を浮かべた。
「……あ……アキ」
「うん、分かってる」
──ハリーしかいなかったぼくの世界は、この一年で格段に広がった。
アリス・フィスナー。ロンにハーマイオニー。ロンの兄のフレッドにジョージやパーシー。ドラコに、そして、一目惚れした彼女とも仲良くなれた。
そして──夢の中の住人だった、幣原秋のこと。スネイプ教授や、数え切れない程の沢山の人達。
沢山のことを知った。
そして──痛みも。
激しい怒りを向けられた。
本気の瞳に、殺されかかった。
憧れの人の、真実を知った。
まぁ、全部を引っくるめて──我ながら、いい一年だったんじゃないのかな。
ぼくは、少しは何か変われたのだろうか。
この一年、成長出来たのだろうか。
分からない、分からないけど。
「行こうか、アクア」
いつかこの子を守れるような、いいや、もっと沢山の大切なものを守れるような、そんな人になりたいと。
その日の空は、どこまでも青く澄み切っていて。
天国からもさぞかし眺めが良いことでしょう。
見ていて下さい、憧れの人。
あなたが捨てた世界は、こんなにまばゆいものなのですよ。
空に、呟いた。
──────fin.
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