新学期。九と四分の三番線のプラットフォームは今でこそ人の数は少ないものの、これからどんどん増えていくだろう。時間には余裕があるから、コンパートメントにはまだ空きがある。
父に手伝ってもらってトランクを乗せると、ホッと一息ついた。車窓から身を乗り出し、セブルスとリリーが来るのを今か今かとわくわくしながら待つ。
「楽しそうだな、秋」
「うん!」
笑顔が零れる。父は「そうか」と軽く微笑みながらホグワーツ特急に凭れた。
「父さん達、帰らないの?」
「なんだ、帰ってほしそうな口ぶりだな」
心外そうに言われ、そうじゃなくてと慌てる。
「ちゃんと秋を見送るまでいるさ。しばらく会えなくなるんだ、ギリギリまで一緒にいたいと思うのは当然だろう?」
父の言葉に、ぼくはただ小さく頷いた。
「それもそうなんだけど、お母さんは秋の一番の友達だっていうリリーちゃんとセブルスくんに会いたくってねー。どんな子なんだろうってずっと楽しみにしてたんだよ」
「え、そうなの?」
「そうだよ、しっかり紹介してね?」
母が目を細めて笑う。
友達を紹介……か。何処か照れ臭くて、なんだかこそばゆくて、そして──何より嬉しい。
ひとりぼっちだった自分にも、そんな友達ができたことが。
自分にもそんな友達を作れたことが、嬉しくって仕方がない。
「……しょうがないなぁ、母さんは」
照れを隠して頬杖をつく。
そして、何気ない話をしながら、二人が来るのを待つのだった。
母の行動は迅速だった。
「こんにちは! セブルス・スネイプくんとリリー・エバンズちゃんだよね。幣原秋の母です、秋と仲良くしてくれてありがとう!」
二人がぼくらのいるコンパートメントに姿を現した瞬間のことだ。窓越しに腕を伸ばした母は、まだ荷物も下ろしていない二人の手を、それはもう満面の笑みで握ってぶんぶんと振ったのだ。
あまりの展開の早さに、二人は理解が追いつかない顔で呆然としている。なんだか居た堪れない。ごめん、こんな母親でごめん。
先に現状を把握したのはリリーの方だった。にこりと笑顔で母に挨拶したリリーは、荷物を置いて座席に腰を下ろすと、未だに固まっているセブルスの背中をバシンと叩く。それでようやっとセブルスの時間が動き出した。
「え、あ、あの……」
顔を真っ赤にさせながらセブルスは口ごもる。母はそんなセブルスを、目を細めてじっと見つめた。
「君が、セブルス・スネイプくん? 可愛い子だねぇ」
おっとりと母は笑う。痛みを覚えたように、セブルスはぎゅっと顔を歪めた。
「……可愛い、だなんて、言われたことない、です」
「あれ? じゃあお母さん、凄く照れ屋さんなのかもしれないね。なら私が代わりに言ってあげるよ」
母はセブルスの腕を引くと、優しく身体を引き寄せた。片腕を軽く背中に回す。
セブルスの頭を撫でながら、母は『お母さん』の顔で微笑んだ。
「君は、すっごく可愛くて、すっごくいい子だねぇ」
セブルスの肩に入っていた力が少し抜ける。
母は身体を離すと、もう一度愛おしむようにセブルスの頭を撫で、ぼくの方に身を乗り出してきた。
「秋は本当、可愛い子を見つけてくるのが上手だね。二人ともすっごく可愛い」
「母さん、リリーに『可愛い』って言うのは構わないだろうけど、セブルスは男の子だよ? あんまり可愛い可愛い連呼するのもどうなの?」
あ、それもそうかと母は初めて気付いたように呟いた。しかし「ま、いっか!」と勝手に自己完結すると、考え事終わりっとばかりに手を叩く。
その時、ホグワーツ特急の汽笛が鳴った。時計を見ればもう十一時、出発の時間だ。先程の母の暴走はなかなかに時間を食ったようだ。
汽車のエンジンがガコンと掛かり、コンパートメントがぐらりと揺れる。
「じゃあ秋、またクリスマスにね!」
「うん!」
ホグワーツ特急がゆっくりと動き出す。リリーもセブルスも、ぼくの両親に手を振り返してくれた。
「行ってらっしゃい!」
父が叫ぶ。ぼくも笑顔で叫び返した。
「行ってきます!」
ホグワーツ特急がスピードを上げる。駅のホームが見えなくなって、ぼくはやっと座席に腰を下ろした。
「お前の母さん、変わってるな」
「あはは……ごめん」
セブルスに言われ、ぼくは苦笑いを浮かべる。
「本当に。友達のお母さんがあんなフレンドリー、なんてそうないわよ?」
「フレンドリーを超えてるような気もするけどな。流石はお前の母親だ」
「それどういう意味かな!?」
思わずセブルスに突っ込みを入れる。セブルスは小さく笑うと、ふと外に視線を向けた。照れたような表情でそっと呟く。
「……でも、凄く……いい人だな」
◇ ◆ ◇
車のタイヤが地面を打つ。車が停止して、ぼくらは転がるように車から降りた。
今は朝の五時前くらいだろうか。まだまだ空は仄暗い。後少しで普段のぼくが起き出す時間になるだろう。こんな時間まで起きていたのは初めてだ。込み上げてくる欠伸を噛み殺して目を擦った。
「アキ、眠いのかい?」
ロンの問いにこくりと頷く。車の中で二時間ほど、うとうとしたり寝たりといった中途半端な時間を過ごしていたせいか……非常に寝足りない。でも、車内のテンションが高すぎたのがいけないんだ……寝たいという欲求より、起きて遊びたいという欲求が勝ってしまう。
「アキは寝る時間も起きる時間も規則正しいからねぇ……こんなイレギュラーには弱いんだよね」
ハリーはしみじみと呟きながら、ぼくの頭をそっと撫でた。そんなに優しく撫でないでほしい、眠ってしまいそうだ。
「えっ、ということはアキはオールナイトの経験がないと!?」
「人生半分は損してるぜ!」
双子が騒ぐも、だって眠いものは眠いんだもの。夜中の十二時を過ぎると抗えないくらいに眠くなるんだから、仕方ないじゃないか。
「お子ちゃまだなー」
「お子ちゃまじゃない……うぅ……」
うりうりと頭を撫でてくる双子。頭がぐらんぐらんして、今にも瞼が落ちてしまいそうだ。ぼくの頭を存分に撫で回した双子の片割れは、打って変わった真面目な顔つきで全員の顔を見回した。
「さあ、皆、そーっと静かに二階に行くんだ。お袋が朝食ですよーって呼ぶまで待つ。それからロン、お前が下に飛び跳ねながら降りて行って言うんだ。『ママ、夜の間に誰が来たと思う!』そうすりゃハリーとアキを見てお袋は大喜びで、俺達が車を飛ばしたなんてだーれも知らなくて済む」
「了解。じゃ、ハリーとアキ、おいでよ。僕の寝室は……」
と、ロンがそこで不自然に言葉を切る。どうしたんだと欠伸を噛み殺しながら、ぼくはロンの視線の先を辿った。
ウィーズリーおばさんが庭の向こうから、鶏を蹴散らし猛然とこちらに突き進んで来ている。普段は温和そうなその顔が、今は般若の形相だ。夫人の足元では鶏が泡を食っては走り逃げ、飛べないにもかかわらず羽根をばたつかせた。
「アチャ!」
「そりゃ、ダメだ」
双子が観念したように呟く。
ウィーズリーおばさんはぼくらの前で足を止めると、ぼくらを──正確にはぼくとハリー以外を──ずずいっと見渡した。
「それで?」
「おはよう、ママ」
双子が朗らかに挨拶する。しかし逆効果だったようで、ウィーズリーおばさんの怒りがドッカーン! と爆発した。
「母さんがどんなに心配したか、あなた達、わかってるの?」
低い静かな声。それなのに恐ろしさを感じるのは、きっと母親の威厳だろう。双子は即座に降参の構えを取った。
「ママ、ごめんなさい。でも、僕達どうしても──」
「ベッドは空っぽ! メモも置いてない! 車は消えてる……事故でも起こしたかもしれない……心配で気が狂いそうだった……分かってるの? こんなことは初めてだわ。お父さんがお帰りになったら覚悟なさい。ビルやチャーリーやパーシーは、こんな苦労は掛けなかったのに……」
「完璧・パーフェクト・パーシー」
「パーシーの爪の垢でも煎じて飲みなさい! あなた達死んだかもしれないのよ。姿を見られたかもしれないのよ。お父さんが仕事を失うことになったかもしれないのよ──」
……なんでだろう、ペチュニアおばさんの金切り声よりも、ウィーズリーおばさんの方がもっとずっと恐ろしく聞こえるぞ。
ウィーズリーおばさんは声が枯れるまで三人を怒鳴りつけると、今度はぼくとハリーに向き直った。思わずビクリと居住まいを正す。
「まぁ、ハリーにアキ、よく来てくださったわねぇ。家へ入って、朝食をどうぞ」
にこやかに言って、ウィーズリーおばさんは家へと歩き出した。怒られずに済んでホッとすると同時に、ぐわっと眠気が襲いかかってくる。ハリーに手を引かれつつ、抗い難い眠気に半分目を瞑ったまま家へと入った。
「ほら、アキ」
「ん……」
肩を揺すられても、眠気は全然消えてくれない。ぼくはうとうととハリーの肩に凭れかかった。
ハリーが申し訳なさそうに「すみません、どこかに寝かせられる場所ってないですか?」と尋ねる声が聞こえる。
「じゃ、アキは俺達の部屋に来いよ。ハリーはロンの部屋に泊まるだろ?」
「ロンの部屋に三人が寝起きするのは厳しいからな。俺達の部屋には余裕があるし」
言うが早いか、双子は「行くぞ」とぼくの両腕を抱えるようにホールドしては部屋へと向かって行った。まるで捕獲された宇宙人の気分だ。双子は背が高いから、油断するとぼくは地面から足が離れてしまう。
狭い廊下を抜け、ジグザグの階段を上る。その時一人の少女と出くわした。階段から身を乗り出しながら、台所を一生懸命覗き見ている。
「おいジニー、愛しのハリー様が気になるなら見に行けばいいだろ?」
「もう、フレッド!」
顔を赤らめて、少女──ジニーは、フレッドの胸を拳で叩いた。その時、ぼくがいるのに気付いたようで「あら?」と声を上げては目を丸くして近寄ってくる。
「どうだジニー、お前より可愛いだろう」
「彼こそ、あのハリー・ポッターがベタ惚れし溺愛していると噂の弟、アキ・ポッターだ!」
「アキ、この子は俺達の妹、今年ホグワーツ入学のジニーだ。よろしくな」
ベタ惚れって……そうかぁ?
というかジニー、ぼくより背が高い。今年入学ってことは、ぼくより一つ年下。……一つ下の女の子にまで身長を……切ない……。
「あ、あなたがアキ? 初めまして! あたしはジニー・ウィーズリー、よろしくね!」
ジニーはぼくの手を取ると、勢いよくぶんぶんと振った。ぼくも笑顔で「よろしく」と返す。と、ジニーはぼくの顔をまじまじと見つめた。
「……な、何?」
「……本当に男の子? 可愛いわね……どこに泊まる予定なの? ね、あたしの部屋に来ない? スペースなら空いてるわ。その可愛さの秘訣を教えてほしいの」
「い、いや……その、特に何も……それに、女の子と相部屋ってのは、ちょっと」
何もないと思うけど。アクアに誓って、何も間違いなんて起こしはしないけど。それ以前に恥ずかしいじゃないか、だって思春期だもの。
「そうだぞジニー、なんてったってアキは俺達の部屋に泊まるんだから」
「どうだ、羨ましいだろ」
双子が囃す。苦笑いのまま「それじゃ、バイバイ」とジニーに手を振った。階段を数段上ったところで、ジニーに声を掛けられ振り返る。
「……わかったわ。あたし……」
静かに彼女は呟いた。そして、ずびしっ! とぼくに指を突きつけ、凛然と告げる。
「あなたを正式に、ハリー・ポッターを巡ってのライバルだと認定するわ!」
「…………」
違う!
いいねを押すと一言あとがきが読めます