「ねぇリリー、機嫌直してよ……」
そう懇願するも、リリーはむすっとした顔でそっぽを向くばかりだ。
半壊したコンパートメントは、知らせを受け慌てて飛んできた先生方が杖の一振りで直してしまった。ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックは、今頃膝詰めで説教を受けている頃だろう。先程までの騒ぎも収まり、ほっと息を吐いたのがついさっきのこと。
「ごめん、もうあんなことしないから……」
「秋、あなた、もしかしたら死んでいたかもしれないのよ? 何の魔法かも分からないような呪文に飛び込むなんて信じられない!」
赤く染まった頬を膨らませながら、リリーは眉を寄せてぼくを睨む。まいったなぁと眉尻を下げたところで、セブルスが助け舟を出してくれた。
「コラ、リリー。君は秋に助けられたんだぞ。礼を言いこそすれ、怒るのは筋違いじゃないのか? 秋が割り入ってなければ、怪我を負っていたのは君だろう?」
「だから嫌なのよ!」
リリーの大声に、思わずセブルスは黙り込む。大きく頭を振ったリリーは、涙が溜まった瞳でぼくを睨みつけた。
「私のせいで秋が、誰かが怪我をするのが嫌なの! それなら私が怪我した方が百倍マシよ!」
「リリー……」
「……っ、分かってる。秋、助けてくれてありがとう。……でも、それとこれとは話が別なの。自分の不甲斐なさが悔しくてならない……。学校に着く頃には治ってるはずだから、しばらく話しかけないで」
そう言って、リリーはローブを毛布のように頭からすっぽり被ると、座席の端っこで小さく身を丸めてしまった。ぼくとセブルスは顔を見合わせ、くすりと笑い合う。
「リリーは本当に可愛いねぇ」
「……そうだな」
柔らかい眼差しでリリーを見つめるセブルスに、なんだかぼくまで心が暖かくなってくる。
「で、どうするんだ?」
「ん? 何の話?」
「さっきの話だよ。あのグリフィンドールの眼鏡から、何か招待されていただろう?」
「あぁ……」
『僕ら、いい友達になれそうな気がするんだ! 良かったら来週の日曜日、東の賢者の石像前に集まってくれる? そうだ、エバンズとスネイプもどうかな?』
絶対来てね、秋! と、見たことないような蕩ける笑顔を浮かべられちゃあ断れない。しかもお相手は、かの有名なジェームズ・ポッターだし。
「……セブルスが行くなら、行く」
「……あのなぁ? 僕らはほぼ君のオマケ状態だったんだぞ。奴らが来てほしいのはあくまでも幣原秋であって、僕とリリーじゃない」
「でも……」
「でも、じゃない。君が決めるんだ、秋」
セブルスに諭され、ぼくは考える。
「……じゃあ、行くから、ついてきて」
「……仕方ないな」
そう言ったセブルスの顔はにやけていた。思わずぼくも含み笑いをする。
それから二人で、夏休み中の話や授業の話、宿題のどこそこが難しかっただの、どうでもいい話をしばらく喋り合った。セブルスが一番興味を持って聞いてくれたのは、意外にも勉強関連の話ではなく、ぼくの家族についての話だった。でもぼくがセブルスの家族について尋ねると、セブルスはすぐに口ごもり言葉を濁しては「それよりも!」とらしくなく強引に、違う話題へと引っ張るのだった。
陽が傾いて、コンパートメントもだんだんとオレンジ色に染まっていく。時刻を確認したぼくとセブルスは、無言で頷き合うとリリーに向き直った。
「リリー、機嫌はどうだい?」
「……まぁまぁ、よ」
リリーが頭から被っていたローブの裾をそうっと持ち上げ、ぼくらはリリーに笑いかける。口をへの字に曲げながら、リリーはローブの中から顔を覗かせた。
「今、どこ?」
「分からないけど、あと二時間くらいで着くと思うよ」
「そう」
リリーは座席に浅く腰掛け、所在なさげに足を投げ出した。
「リリーも、ジェームズが言ってた集まりに来てくれる? その、ジェームズが嫌いなら無理にとは言わないけど」
「……秋もセブも行くんでしょ? なら、行くわよ」
仲間外れは嫌だもの、とリリーは頬をぷくっと膨らませる。その仕草が殊更に可愛らしい。
「でもセブルス、グリフィンドールばかりの中に入っても大丈夫?」
「……生徒間の交流だ、別段問題はないだろう」
セブルスが渋い顔でリリーの問いかけに答えた。一体何のことだろう?
「何の話?」
「あぁそっか、秋はレイブンクローだし、今までずっと日本にいたから知らないわよね。……あのね、グリフィンドールとスリザリンって、代々ずっと仲が悪いの。創設者の頃からだと言うのだから筋金入りよ。とにかく因縁の仲! グリフィンドールの中でスリザリンは、まるで親の仇のように憎まれているわ。スリザリンでもそうなの?」
リリーの問いかけに、セブルスは顔を顰めて頷いた。
「……一番分かりやすいのはクィディッチかもな。今度注意して見てみるといい。グリフィンドールをスリザリンが応援することは有り得ないし、その逆もまた然り。スリザリンVSグリフィンドールの試合などはもう、半ば反則対決、野次対決のようなもので、正直見ていられないほどだ」
「そうなんだ……」
実は数回しかクィディッチの試合を観に行ったことがないぼくなのだった。……いや、友達いないと案外気付かないもんだよ、学校行事ってのはさぁ。ルールくらいは覚えたものの、選手の名前なんかはちんぷんかんぷんだ。まぁ、普段の生活に支障はないから構わないんだけど。
「……え、ジェームズ・ポッターはグリフィンドール生だよね? ……大丈夫なの、セブルス」
「問題ないさ」
セブルスは自信ありげにさらりと言うと、安心させるようにリリーの頭をぽんぽんと叩いた。リリーは目を丸くすると、恥ずかしそうに唇を尖らせそっぽを向く。そんなリリーの表情の変化に気付かないまま、セブルスはぼくをまっすぐに見つめた。
「リリーだってグリフィンドール生だ。でも見ろ、僕らが対立しているように見えるか? ……そういうことだろ。寮なんて関係ないんだよ。大切なのは……」
「友達、ってことだけか。……そうだね」
ぼくとリリーは顔を見合わせ、ふふっと笑う。腕を上げ、セブルスと拳をぶつけ合った。
「友達、な」
「うん、友達だ」
『友達』なんて響きが、あの頃は無性に輝いて見えたんだ。
この友情は一生涯続くものだと、何の根拠もなしに思っていた。
あの頃が、今となっては、ただただ懐かしい。
◇ ◆ ◇
九月一日、いよいよ待ち侘びたこの日がやって来た。
……いや、待ち侘びたというほどに指折り数えてはいなかったんだけど。特に今年はウィーズリー家にお邪魔させていただいていたわけで、むしろずっとここで過ごしていたいくらい居心地がいい。ご飯はお腹いっぱい食べられるし、家族全員凄くいい人達だし(ジニーに追い回されるのだけが玉に瑕だ。ハリーの前ではあんなにシャイなのに、どうしてぼく相手じゃこうも違うのだろう)、双子と悪戯商品を考えるのも楽しかった。心の底からロンが羨ましくなる。
しかし今日、いよいよ出発する時に限って、何だかんだで遅れに遅れてしまうのは常のこと。気が付けば時間がギリギリになったぼくらは、カートを押しながら駅のホームをダッシュしている次第である。
「ハリー、ロン、遅いよ!」
「アキが速いんだよ! 走ってカートに飛び乗るとか、身体小さくないとできないだろ!」
「そんなことないやい! ロンもやってみなよ!」
「アキ、先に行ってていいから!」
少し遠いハリーとロンの姿を見つつ、九番線と十番線の間にある壁に何気なく身を預ける。倒れ込むようにホグワーツ特急のプラットフォームに入ると、汽車の中に駆け込んだ。
「おっ、アキ、間に合ったな」
「正直乗り逃すんじゃないかと思ったぜ」
ぼくを迎えた双子は口々にそう言いながら、ぼくの荷物をコンパートメントに積み込んでくれた。時間を見れば、汽車の出発まであと一分もない。ハリー達はまだだろうか。
嫌な胸騒ぎがした。慌てて汽車から飛び降りると、生徒の家族で溢れるホームに降り立つ。汽笛が鳴るのを背後で聴きながらも、ぼくは九と四分の三番線ゲートに走った。……いや、走ろうとした。
「おい馬鹿! 何やってんだお前は!!」
パーカーのフードを引っ掴まれ、ぐぇっと首が絞まる。声を出す暇すら与えられず、手首を引っ張られ乱暴に汽車の中へと引き摺り込まれた。
目の前で、扉が閉まる。ガタンとエンジンが掛かる音が低く響いた。シューッと蒸気を吐き出し、汽車はゆっくりと進み出す。プラットフォームにいた見送りの人々の姿が右から左へ流れていき──やがて、目の前から駅が消えた。
「何してんだ、これ逃したら次はねぇんだぞ。わかってんのか?」
ため息混じりに吐かれた言葉に、ぼくは流れる景色を見ながら呟いた。
「……汽車、出ちゃったね」
「あぁ? ……あぁ、そうだな。てか、さっきは一体どうしたんだ? 忘れ物でもあったのか?」
「……まぁ、ね。アリス」
振り返る。アリス・フィスナーの顔を見上げ、へらりと笑った。
「ハリーとロン……置いてきちゃったみたい」
忘れ物、二つ。
どうやって取りに帰ろうか。
ハリーとロンが、ホグワーツ特急(ちなみにこの一本しか出ない、らしい)に乗り遅れた。
……どーすんだ、これ。
僅かな可能性に期待して、ハーマイオニーとアリスと三人で列車の中を探し回ったけれども行方は知れず。ホグワーツ城に着いた後、新入生歓迎会の間もそわそわとしていたら、アリスに腕を小突かれた。
「少しは落ち着け、馬鹿。先生には連絡したんだろ? なら、どうにか大丈夫だって」
「そう言われても不安なもんは不安なんだよ……」
腹の底から湧き上がるそわそわとした不安は、理性で抑えられるものではない。アリスもそんなぼくの気持ちは分かっているのか、ただ苦笑するだけに留めた。
組み分けの儀の後、先生から二言三言の連絡があり、ようやっと式が終了した。時計を見ると、式自体は三十分ほどしか掛かっていない。体感では二時間は軽く過ぎているものだと思ったのだけど。
寮のテーブルに豪華な料理が並ぶのを尻目に、立ち上がって教員席まで走る。ちょうどフリットウィック先生がダンブルドアに何やら耳打ちしているところで、ハリーとロンのことだろうかと胸が騒いだ。
「ダンブルドア先生!」
「アキ、来たかの」
息を弾ませ、ダンブルドアに駆け寄る。ダンブルドアは何もかもお見通しだと言うように飄々とぼくに笑いかけると、すっと立ち上がり、ぼくを手招きして教職員の出口の方向へ歩き出した。一瞬躊躇したものの、その後ろに続く。
「先生、ハリーが……」
「分かっておる。今は、スネイプ先生の研究室におるそうじゃ。しかし、アキがわしを頼ってくれるようになったのは嬉しい限りじゃのう」
昨年末のことだろうか。ぼくは曖昧に笑って首を傾げた。
「それは良かった……でも、ハリー達は一体どうやって学校まで来たんですか?」
ぼくの言葉に、ダンブルドアはくすくすと笑いながら「当てられるかの?」と悪戯っぽくウィンクする。唐突な振りに戸惑いながらも、まぁスネイプ教授の研究室に到着するまでの暇潰しにいいだろうと、腕を組んで考える。
「……ふくろう便で助けを求めた、とか?」
「そうであったら良かったがのぉ……残念じゃ」
なんだ、違うらしい。それじゃ何だ?
「箒……は流石に手に入らないだろうし……姿くらましはまだできないし……近くにいた人とか……アーサーおじさんに送ってもらうとか……そう、車を使って……」
「うむ。近いの、アキ。そうじゃ、車じゃ。アーサーはおらんかったがの」
ダンブルドアが穏やかに微笑み口を挟む。……車だけどアーサーおじさんはいない? そのヒントに首を傾げ──
「……え、まさか────」
たった一つ、思い至った。
青褪めたぼくに追い討ちをかけるように、ダンブルドアは「そう、そのまさかじゃ」と優しく頷き、そっと夕刊預言者新聞を差し出してくる。『空飛ぶフォード・アングリア、いぶかるマグル』との見出しに、思わず気が遠のくかと思った。慌てて新聞を広げ、目を通す。
「馬鹿だ……」
それだけをやっと喉から絞り出した。ダンブルドアは「本当に、愚かで短慮なことじゃろう」と何処か楽しげだ。
「退学になってもおかしくないですよ、これ……」
「その通りじゃのう。でも、こんなことをやらかすからこそ、ジェームズ・ポッターとリリー・エバンズの息子だとは思わんか?」
思わず黙り込んだぼくに構わず、ダンブルドアは変わらぬペースで歩いていく。小走りでその後ろを追った。
「まぁ、わし個人の意見はさておき……校長という身分からして、わしは彼らを叱らねばなるまい」
「た、退学にはなりませんよね?」
「大丈夫、処罰程度で済むことじゃろう」
ダンブルドアの言葉にホッと胸を撫で下ろす。
螺旋階段を降り切った地下に、スネイプ教授の研究室はある。何だかんだで足を踏み入れるのはこれで三回目だ。ダンブルドアは扉を開けると『お先にお入り』と言いたげに片目を閉じてぼくを促した。お礼を言い、部屋の中に駆け込む。
「ハリー!」
叫ぶと、驚いたように三人分の目玉が一斉にぼくを向いた。ハリーとロンとスネイプ教授だ。走るスピードを緩めず、そのままハリー目掛けてダッシュする。
「アキっ!」
ハリーが『僕の胸に飛び込んでおいで☆』みたいな笑顔を浮かべて両手を広げた。ぼくも負けじと満面の笑みで──
「このクソ馬鹿兄貴がぁっ!!」
全体重と速度を掛けた力を両足に乗せ、我が愚兄に愛の飛び蹴りをお見舞いする。もっとも、ぼく程度の力ではせいぜい数歩後ろによろめかせるくらいしかできないけれど。
そのまま両足で着地し、胸を張った。
「な、何すんだよアキ!」
「何すんだはこっちの台詞だ、馬鹿兄貴! 滅茶苦茶心配したんだぞ!?」
ビシッと指を突きつける。ハリーは怯んだように身体を反らせた。
「ホグワーツ特急には間に合わない、挙げ句の果てには『空飛ぶフォード・アングリア』!? どんだけアーサーおじさんに迷惑かけたら気が済むのさ、恩を仇で返すってこういうことだよ!?」
捲し立てると、ハリーは「……本当に馬鹿なことをしたと思う……」とバツの悪い顔をして目線を逸らした。その反応に、熱くなっていた頭が少し落ち着く。ダンブルドアは小さな笑い声を上げた。
「ハリー、後でアキに一言詫びておくのがよいじゃろう。あとミス・グレンジャーと、それからミスター・フィスナーにもな。……さて、二人とも。どうしてこんなことをしたのか説明してくれるかの?」
ぽつりぽつりと、申し訳なさそうな口調でハリーとロンが喋り出す。ぼくが近くにいたら喋りにくいだろうと思って(だってほら、ぼくはハリーの弟ですし。弟に先生から怒られてる場面なんて見られたくないでしょ?)ドアを静かに押し開くと、小さく開いたスペースに身体を滑り込ませた。そのままドアをそうっと閉めようとした時、ドアを押さえる一本の腕が。
慌ててドアから離れると、出て来たのはスネイプ教授だった。なんか……久しぶりに見ると、相変わらず精気を失った顔しているというか、病気しているみたいな顔だよなぁ。生命力残り僅か、赤ゲージ範囲みたいな。
「休暇はどうだったかね? アキ・ポッター」
そんな変なことを考えていたせいか、教授の言葉に対する反応が少し遅れた。慌てて口を開くも、教授はすたすたと足早に歩き出している。慌ててその後を追った。教授の二、三歩後ろで歩みを合わせ、先程の問いかけに答える。
「別段、変わったことはありませんでしたよ。ただちょっと屋敷しもべ妖精が実家で大騒ぎしたり、一週間の断食に挑戦してみたり、そんな極々普通のバケーションを過ごしていました」
「それは普通なのか……?」
「断食程度なら」
「そうか……」
納得されてしまった。納得される家庭環境に泣けちゃうね。
「……あ。そうだ、教授」
「なんだ?」
「誕生日プレゼント、ありがとうございました」
「…………別に」
頬を細長い指で掻きながら、教授は視線を宙に漂わせる。気まずそうにそわそわと指を神経質に動かしては「……まぁ、べっ、別に……不要ならば捨つっ、捨ててもらっても構わん」と、何故か所々噛みながら呟いた。
「それに、その、き、貴様だけ特別というわけではなく……教師と生徒という関係だけに留まらない者にはきちんと、あ、いや別に私と貴様はただの教師と生徒というだけの間柄なのだが、その……そう! 幣原秋だ、あいつと貴様があまりにも似ているものだから、思わず情が湧いてだな……」
…………。
なんだこの人、可愛すぎる。
「とにかくその、なんだ! 黙って受け取りたまえ」
……別にぼく、ただプレゼントへのお礼を言っただけなんだけどな。
でも、そんな野暮なことは口にせず、ぼくはただ笑顔で「はい」と頷いたのだった。
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