破綻論理。

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空の記憶

第23話 忍びの地図First posted : 2014.06.08
Last update : 2023.03.31

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「気に食わないな」

 ジェームズ・ポッターがぼそりと漏らした言葉に、ピーター・ペティグリューは人知れず身を強張らせた。

「……どうしたんだい?」

 これまた慎重に発言したのはリーマスだ。読書の片手間に返事したような顔をしつつも、視線は一点から動かない。ジェームズの機嫌を敏感に察知しているのだ。

「スネイプさ。そうは思わないかい? リーマス」
「……別に、僕はそうは思わないけど……」

 ジェームズの口から出てきた『気に食わない相手』が自分の名前ではなかったことに、ピーターは詰めていた息をこっそりと吐き出した。
 談話室の一番ふかふかなソファに寝そべっていたシリウスは、ジェームズの言葉にパッと起き上がると「賛成するぜ、相棒」と大きな声を上げる。

「やっぱり、シリウスならそう言ってくれると思っていたよ」
「当たり前だ。というか俺は、君がやっとその結論に達してくれたことが嬉しいよ。あの根暗スリザリン野郎、誰が好きになるかってんだ」

 こうなるともうジェームズとシリウスの独壇場だ。ピーターは黙って、目の前に広げた天文学の課題の星図に向かい合う。
 土星が獅子座の方向にある時、これは一体どういう意味だったっけ……。

「大体どうして、あいつなんかがエバンズのすぐ傍に番犬みたいな顔をして居座っているんだ? この前のダンスパーティーにしたってそうだ! エバンズにはもっといい人がいるだろうに、僕とか僕とか僕とかさ!」
「幼馴染、とか言ってなかったか? まぁこの場合、エバンズは男を見る目がないんだという結論でいいんじゃないか」
「エバンズを侮辱するなんて、シリウスでも許さないぞ!」
「面倒くせぇなおい!」

 ──あぁそうだ、土星が獅子座の方向にある時……ある時は確か、確か……。

「そんなにスネイプが邪魔なら、とっとと『排除』しちゃえばいいじゃないか」
「そうもいかないよ。だってスネイプはとも繋がりがあるんだもの」

 唐突に出てきた幣原の名前に、ピーターはピクンと頭を揺らした。しかしジェームズもシリウスも、今のピーターの挙動に気付く様子はない。

「そういや、もエバンズと仲がいいよな。はいいのかよ、おい?」
「愚問だねシリウス。そんなことすら分からないのかい? 君は本当に僕の相棒か?」
「悪いが、俺は女で悩んだことがないもんで」
「全く羨ましい限りだね。……を? が邪魔? 僕が、この僕がそんなことを思う訳がないじゃないか」
「……ま、そうだろうな」
幣原は僕が見つけ出した、このホグワーツ魔法魔術学校全校生徒一三五一人の中でも、おそらく唯一の、随一の天才だ。磨かずとも光っている宝石だ。彼こそが、彼のような人物がきっと『英雄』になるのだろうね。そんな幣原を、僕が手放す訳もない」

 熱っぽく語るジェームズの声が聞こえる。
 幣原

が魔法魔術大会にエントリーしてくれたのは嬉しい誤算だった。これで世間も幣原を正しく認めるだろう。才能を、その価値を知らぬ馬鹿な誰かに捻じ曲げられずに、正しく育ててくれることだろう。──幣原。『呪文学の天才児』なんて、『天才』なんてそんな単語、そうおいそれと与えられるものじゃない、認められるものじゃない。幣原はそれをやってのける。が魔力の片鱗を見せる瞬間、僕らはまざまざと突き付けられるんだよ。何よりも暴力的に『彼こそが天才だ』と認めさせる。それが天才というものだ。無理矢理認めさせられたからこそ、その事実すらも受け入れがたくて、世の中は天才を排斥する。その結果が一年の幣原さ」
「……君が何を言っているのか、俺にはたまに理解ができなくなるんだよ、ジェームズ」
「理解ができない? そんなに難しいことは言っていないと思うんだけどね。シリウス、僕は頭が良い。これはナルシズムでも自意識過剰でもない、客観的な事実だ。教科書なんてものは大体一度読めば全て頭に入るし、覚えたことは忘れない。学年首席というものに興味はないけれど、三年後に僕が首席のバッジを受け取るのはほぼ確定している。そんな僕だからこそ感じるんだよ。彼の特別さを、異常さを」
「俺には、ジェームズが言うように、がそんなにすっごい奴には見えないけどな。俺にとっちゃあは、可愛い弟分で、女みたいな可愛い顔してて、ちっこくて、人畜無害そうな少年だけど」
「……人畜無害、ね。ま、可愛い顔してるのはその通りだけどね。最初シリウス、男だって知らずに口説いてたし」
「そんな昔のこと覚えてんじゃねぇよ!」
「そんな昔じゃないだろう。二年前だよ、たった二年前」
「……まぁ、凄い奴には見えないが、それでも大した奴なのは認めるよ。まさか君と共に魔法魔術大会の本戦まで進むなんて」

 シリウスの言葉を聞いて、ジェームズはけらけらと笑った。

「シリウスはその辺りが見込み不足なんだよ。に同学年の奴らが敵うとでも? どれくらい彼が自分の力をセーブしていたか、気付いていなかった訳ではあるまい?『見せる試合』を演出してたんだよ、は。観客が見て面白く、対戦相手も戦い甲斐のある試合を。の『本気』こそが、一昨日見せたエリス・レインウォーターとの試合……いや、それすらまだ十全には出してないのかもしれないね」
「ジェームズ、俺だってと大会で戦って負けたんだぜ? その辺慮ってくれないか」
に負けて良かったねって、確か僕言ったと思うけど?」
「言われたことを今思い出したよ」

 シリウスははっきりと苦い顔をした。

「じゃあジェームズはどうなんだ? 君がと戦ったらどっちが勝つんだよ」
「おいおい、僕を買い被り過ぎないでくれよ。僕がに敵う訳がないじゃないか。……ただし」
「ただし?」
が、本気で僕を潰そうと思っていたのならね。が僕を倒したくないと、心のどこかで少しでも思っていたのなら、きっと僕は負けることはないだろう。勝てるかどうかはともかくとして、負けはしないさ」
「回りくどいな。つまり?」
「君は何でも直球だね、シリウス。つまり、が僕を好きな限り、僕はには決して負けないってことさ。その辺りがの優しさであり弱みであり、甘さであって、人並み外れた魔力を制御できている所以なんだろうけどね」

 ピーターは幣原を脳裏に思い浮かべた。
 平均に満たない自分よりも小さな体躯に、穏やかで柔らかで純粋な微笑みを浮かべるあの少年を。
 ジェームズがそこまで買っている相手、幣原
 彼だけは、敵に回してはいけない──味方のままでいなければ。

「それじゃあ、話は戻るけどさ。つまり、ジェームズにとって、エバンズとが一緒にいるのは何の問題もないってことか? ジェームズがを好きだということはよーく分かった、分かりすぎるほどによっく分かったよ」
「あぁ、その通りだね。たとえエバンズとが付き合うことになったとしても、僕はそれを笑顔で祝福できるさ」
「君、のこと好きすぎて気持ち悪いな。……まぁ、あの二人が付き合うなんて、もしもでも考えられないか」
「そうだね。だが……スネイプ、彼は別だ」

 静かな声に、ピーターは思わず背筋を震わせた。

「あいつはエバンズとの隣には相応しくない。純粋で清らかなあの二人の傍にいるべき人間じゃない。だから潰す」

 シリウスは小さく口笛を吹くと喝采の意を伝える。

「だが、きっとはスネイプを庇うだろう。友人思いの彼は、絶対にスネイプを庇って怒る筈だ。ついこの前も止められたしね。だから、が傍にいる時は何もしない。狙うのは──奴が一人の時だ」

 ピーターは小さく息を呑んだ。
 ジェームズ、それは……それは。
 それは、幣原を虐めていた相手と同じ発想だぞ──

「…………っ」

 しかし、ピーターは何も言えなかった。
 リーマスは本に没頭している振りをしていたし、ジェームズとシリウスを止められる人間など、この場には誰一人として存在していなかった。

 

  ◇  ◆  ◇

 

アキっ!!」

 クリスマス直前のホグズミード休暇の日。普段より閑散とした図書館で課題を広げていたぼくは、生き残った男の子であり超絶有名人の我が兄貴、ハリー・ポッターに襲撃された。
 ……襲撃という表現が間違っているって? だってそんなイメージで突っ込んできたんだ、仕方ない。

「ハリー……図書館ではお静かにって、ぼく、何度も言ったよね?」
「あはは、痛い痛い、眉間を中指でグリグリするのは止めて、地味に痛い」
「全く……」

 はぁ、とぼくはため息をついた。

アキ、暇かい?」
「暇だと思うかい? これだけ山ほど課題があって」
アキならできるって僕は信じているよ。それよりこれを見てくれ」
「そんなに簡単に信用しないで。ぼくにだってできないことはいっぱいあるんだ……っと、それは何?」

 ハリーの手に握られたものを尋ねる。ハリーはどこか悪戯っぽい笑みを浮かべたままそれを広げた。
 大きくて古びた羊皮紙だ。両面ともに、文字のようなものは何も書かれていない。正真正銘、ただの羊皮紙である。

「フレッドとジョージの双子がくれたんだ……『忍びの地図』だと双子は言っていた。ほら、見てごらん……」

 ハリーは小さく咳払いをして杖を取り出した。杖の先端を軽く羊皮紙に触れさせ、唱える。

「われ、ここに誓う。われ、よからぬものを企む者なり」

 途端、杖の先が触れたところから、細いインクの線がサァッと広がり始めた。浮かび上がったのは大きな地図だ。あまりの様子に、ぼくは息をするのも忘れて魅入っていた。

 羊皮紙の一番上には、渦巻形の大きな緑色の文字が浮かんでいる。

『ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングス、レイブン
 われら『魔法悪戯仕掛人』の御用達商人がお届けする自慢の品
 忍びの地図』

 ぼくは震える手で羊皮紙に触れた。精緻な地図に指を滑らせる。
 完成……したのか。

 完璧な地図。ホグワーツ城と学校の敷地全体の精密な見取り図。昔の幣原がどうすればいいか分からないと頭を抱えていた、地図上を動く人の点。どれも一つ一つ細かい字で名前が書いてある。……はは、よく校長室まで……。

 ムーニー、ワームテール、パッドフット、プロングス、レイブン──これらはきっと渾名あだなだろう。ぼくの記憶での幣原は、まだそんな名前で呼び合ってはいなかった……。恐らく、この先の未来で呼び合うことになるに違いない。
 ただ、幣原だろう名前はすぐに分かった。レイブン──カラスの英語名であり、レイブンクローの名の一部。これに違いない。

「それでね、アキ……アキ?」

 ハリーの声に意識が引き戻される。完全に、地図に見惚れていた。

「そんなに夢中になるなんて……まぁ、きっとアキは好きそうだと思ったんだけどね。……フレッドとジョージが、これも教えてくれたんだ。ほら、ここ、抜け道があるだろう? この道は──」

 ハリーが一本の道を指で辿る。その道は途切れることなくずっと伸びていて、地図の外にもまだ道があると言いたげだ。
 興奮を隠し切れない顔で、ハリーはぼくに言った。

「ホグズミードのハニーデュークスに続いているんだ!」





 その後、ぼくとハリーはマダム・ピンスに図書室を追い出さ……いやいや、普段通り優雅に図書室を出たぼくらは、その抜け道をずっと進んでハニーデュークスへと辿り着いた。ハリーは流石、抜け目なく透明マントを準備していたので、ぼくらは二人で透明マントの中に入ると、人や物に触れてしまわぬようゆっくりと歩く。

 クリスマス直前のホグズミードということで、通りを歩く生徒の数はかなり多い。ぼくらは人混みをすり抜けるようにして、何とかロンとハーマイオニーの二人と合流することができた。

「ハリー! それに、アキも!?」
「やっほう、今日は最高のホグズミード日和だぜ!」

 ロンはそう言ってくれたものの──しかし今日は生憎の吹雪、最高のホグズミード日和とはいかないようだ。
 目を輝かせたハリーが満足するまでホグズミードを彷徨いた後、ぼくらは『三本の箒』のバタービールでも飲もうかというところで意見が合った。

 相変わらず、三本の箒は人と騒がしさと煙で一杯のようだった。ぼくらは一番奥の席に陣取ると、透明マントを脱いで一息ついた。クリスマスツリーがすぐ前に立っていて、ぼくらをちょうど隠してくれる位置取りだ。ぼくらの姿はクリスマスツリーのすぐ傍でうんと背伸びをしなければ見えないだろう。

 ぼくらはロンがまとめて買ってきたバタービールで乾杯した。泡立っていて温かい。幣原の記憶としての味は知っているものの、こうして実際に味わってみるとこれまた、こんなに美味しいものは今まで飲んだことがない。

 とその時、ハリーがぼくの腕を引っ張った。同時にロンとハーマイオニーがぼくとハリーをテーブルの下に押し込める。危ない危ない、バタービールを引っ繰り返すところだったじゃないか。

「いきなり何……わぷっ」
アキ、黙って。魔法大臣のファッジが来た。あと、マクゴナガルとフリットウィックとハグリッドも」

 うわお、それは──見られたらおぞましいことになるだろうな、想像したくもない。どうしてこんな時にグリフィンドールとレイブンクローの寮監が揃うのだ。

Mobiliarbus 木よ動け!」

 ハーマイオニーが呪文を唱えると、傍にあったクリスマスツリーが浮き上がった。ふわふわと漂い、ぼくらのテーブルのすぐ脇に着地する。

 先生方と魔法大臣は、ぼくらのテーブルのすぐ傍に陣取ったようだ。やがて『三本の箒』の主人であるマダム・ロスメルタが飲み物を運んでくる。

「ギリーウォーターのシングルです──」
「私です」
「ホット蜂蜜酒、四ジョッキ分──」
「ほい、ロスメルタ」
「アイスさくらんぼシロップソーダ、唐傘飾りつき──」
「ムムム!」
「それじゃ、大臣は紅い実のラム酒ですね?」
「ありがとうよ、ロスメルタのママさん。君にまた会えて本当に嬉しいよ。君も一杯やってくれ……こっちに来て一緒に飲まないか?」
「まあ、大臣、光栄ですわ」

 ……さて、隠れたはいいものの、これからどうするかはさっぱり考えていない。先生方はいつまでここで飲むつもりなのだろう。抜け出す隙が見つかればいいんだけど。
 そうこうしているうちに雑談が始まってしまった。抜け出すタイミングを計っているのか、ハーマイオニーの足が神経質そうにリズムを刻んでいる。

「……でもねぇ、わたしにはまだ信じられないですわ。どんな人が闇の側に加担しようと、シリウス・ブラックだけはそうならないと、わたしは思っていました……」

 その時、マダム・ロスメルタが感慨深い声で呟いた。
 隣でハリーが小さく息を呑む。ぼくは唇を噛み締めた。

「あの人がまだホグワーツの学生だった時のことを憶えてますわ。もしあの頃に誰かがブラックがこんな風になるなんて言ってたら、わたしきっと『あなた蜂蜜酒の飲みすぎよ』って言ったと思いますわ」
「君は話の半分しか知らないんだよ、ロスメルタ。ブラックの最悪の仕業はあまり知られていない」
「最悪の? あんなにたくさんの可哀想な人を殺した、それより悪いことだっておっしゃるんですか?」
「まさにその通り」

 胸の奥がざわりと騒ぐ。吐きそうな気分で、ぼくは左手を強く握り締めた。

「信じられませんわ。あれより悪いことってなんでしょう?」
「ブラックのホグワーツ時代を憶えていると言いましたね、ロスメルタ。あの人の一番の親友が誰だったか、憶えていますか?」
「えぇえぇ、いつでも一緒、影と形のようだったでしょ? ここにはしょっちゅう来てましたわ──あぁ、あの二人にはよく笑わされました。まるで漫才だったわ、シリウス・ブラックとジェームズ・ポッター!」

 ハリーがバタービールの空のジョッキを取り落とした。床に触れる直前で、ぼくは慌ててキャッチする。

「その通りです。ブラックとポッターは悪戯っ子達の首謀者。勿論、二人とも非常に賢い子でした──全くずば抜けて賢かった──。しかしあんなに手を焼かされた二人組はなかったですね」
「そりゃ、分かんねぇですぞ。フレッドとジョージ・ウィーズリーにかかっちゃ、互角の勝負かもしれねえ」
「皆、ブラックとポッターは兄弟じゃないかと思っただろうね! 一心同体!」
「全くそうだった! ポッターは他の誰よりブラックを信用した。卒業しても変わらなかった。ブラックはジェームズがリリーと結婚した時新郎の付き添い役を務めたし、二人はブラックをハリーの後見人にまでした。ハリーは勿論全く知らないがね。こんなことを知ったら、ハリーがどんなに辛い思いをするか」

 ハリーは目を伏せたまま、眉をぎゅっと寄せて話に耳を傾けていた。ローブの裾を力一杯握り締めている。そんなハリーの左手に、ぼくはそっと右手を重ねた。ハリーはハッとした表情でぼくを見返した後、ぼくの手をきゅっと握り込む。

「ブラックの正体が『例のあの人』の一味だったからですの?」
「もっと悪いね……ポッター夫妻は、自分達が『例のあの人』につけ狙われていると知っていた。ダンブルドアは『例のあの人』と緩みなく戦っていたから、数多の役に立つスパイをはなっていたんだ。その内の一人から情報を聞き出したダンブルドアは、ジェームズとリリーにすぐに危機を知らせ、二人に身を隠すよう勧めた。だが、勿論『例のあの人』から身を隠すのは容易なことではない。ダンブルドアは『忠誠の術』が一番助かる可能性があると二人にそう言ったのだ」
「どんな術ですの?」
「恐ろしく複雑な術ですよ。一人の、生きた人の中に秘密を魔法で封じ込める。選ばれた者は『秘密の守人』として情報を自分の中に隠す。かくして情報を見つけることは不可能となる──『秘密の守人』が暴露しない限りはね。『秘密の守人』が口を割らない限り『例のあの人』がリリーとジェームズの隠れている村を何年探そうが、二人を見つけることはできない」
「それじゃ……ブラックがポッター夫妻の『秘密の守人』に?」
「当然です。ジェームズ・ポッターは、ブラックだったら二人の居場所を教えるぐらいなら死を選ぶだろう、それにブラックも身を隠すつもりだとダンブルドアにお伝えしたのです。……それでもダンブルドアはまだ心配していらっしゃった。自分がポッター夫妻の『秘密の守人』になろうと申し出られたことを憶えていますよ」
「ダンブルドアはブラックを疑っていらした?」
「ダンブルドアには、誰かポッター夫妻に近い者が、二人の動きを『例のあの人』に通報しているという確信がおありでした。ダンブルドアはその少し前から、味方の誰かが裏切って『例のあの人』に相当の情報を流していると疑っていらっしゃいましたし……前線に立って死喰い人と戦っていた闇祓いの中にも、何人ものスパイが紛れ込んで騒ぎになったこと、憶えてますでしょう?」
「えぇ……それでも、ジェームズ・ポッターはブラックを使うと主張したんですの?」
「そうだ、そして『忠誠の術』を掛けてから一週間も経たないうちに……」
「ブラックが、二人を裏切った?」

 徐々に冷えていくハリーの手が、ぼくは気になっていた。温もりを移そうと思うものの、ぼくの手もハリーに負けず冷たかった。

「まさにそうだ。ブラックは二重スパイの役目に疲れて『例のあの人』への支持をおおっぴらに宣言しようとしていた。ポッター夫妻の死に合わせて宣言する計画だったのだろう。ところが、知っての通り『例のあの人』は幼いハリーのために凋落ちょうらくした。力も失せ、酷く弱体化し逃げ去った。残されたブラックにしてみれば、全く嫌な立場に立たされてしまった訳だ。自分が裏切り者だと旗幟鮮明きしせんめいにした途端、自分の旗頭が倒れてしまったんだ。逃げる他なかった……」
「くそったれのあほんだらの裏切り者め! 俺はヤツに出会ったんだ。ヤツに最後に出会ったのは俺にちげぇねぇ。その後でヤツはあんなに皆を殺した! から、幣原から騎士団に連絡が入って、そん時皆は誰も手が空いとらんで、俺がポッター家に向かった……」
「彼は、ダンブルドアと共にポッター家に守護の呪文を掛けてましたからね。家が崩れたことも感知できたのでしょう」

 フリットウィック先生が沈鬱そうに呟く。ズビッとハグリッドは鼻をすすった。

「崩れた家の中で、リリーを抱き締めて呆然としとった……人間があんな表情をすんのを、俺は初めて見た……。ここにいつまでもおるのは危ねぇ、いつ家が崩れるか分からんぞって言ったら、ハリーを頼むと頷いてまた闇祓いの方に『姿くらまし』してったな……。
 可哀想なちっちゃなハリー。額におっきな傷を受けて、両親ふたおやは死んじまって……そんで、シリウス・ブラックが現れた。いつもの空飛ぶオートバイに乗って。あそこに何の用で来たんだか、俺には思いもつかんかった。ヤツがリリーとジェームズの『秘密の守人』だとは知らんかったからな。『例のあの人』の襲撃の知らせを聞きつけて、何かできることはねぇかと駆けつけてきたんだと思った。ヤツめ、真っ青になって震えとったわ。そんで、俺がなにしたと思うか? 俺は殺人者の裏切り者を慰めたんだ!」
「ハグリッド! お願いだから声を低くして!」
「ヤツがジェームズとリリーが死んで取り乱してたんではねえんだと、俺に分かる筈があっか? ヤツが気にしてたんは『例のあの人』だったんだ! 俺はあの後何度も後悔した、あん時を少しの間でも引き留めておけば、ヤツを見た瞬間はブラックを捕まえただろうさ! ジェームズの友人だったなら『秘密の守人』がブラックだったことくれぇ知ってただろう! あんな凄惨な事件が起こることもなかっただろうさ……。
 ほんでもってヤツが言うには『ハグリッド、ハリーを俺に渡してくれ。俺が後見人だ、俺が育てる──』ヘン! 俺にはダンブルドアからの言いつけがあったわ。そんで、ブラックに言ってやった。『ダメだ。ダンブルドアがハリーはおばさんとおじさんのところに行くんだって言いなさった』ブラックはゴチャゴチャ言うとったが、結局諦めた。ハリーを届けるのに自分のオートバイを使えって、俺にそう言った。『俺にはもう必要がないだろう』そう言ったな。
 もし、俺がハリーをヤツに渡してたらどうなってた? えっ? 海のど真ん中あたりまで飛んだところで、ハリーをバイクから放り出したにちげぇねぇ。無二の親友の息子をだ! 闇の陣営にくみした魔法使いにとっちゃ、誰だろうが、何だろうが、もう関係ねぇんだ……」

 その後は長い沈黙が続いた。ハリーは思い詰めた顔で、じっと床の一点を見据えている。
 ……でも今のぼくが、ハリーに何と声を掛ければいい? 何と声を掛けたらいい?

「でも、逃げおおせなかったわね? 魔法省が次の日に追い詰めたわ!」
「あぁ、魔法省だったら良かったのだが! 確かに捕らえたのは闇祓いに所属していた幣原だ。だが、ヤツを最初に見つけたのはチビのピーター・ペティグリューだった──ポッター夫妻の友人の一人だが。悲しみで頭がおかしくなったのだろう、多分な。だが、ブラックを見つけて瞬時に、あー、自分の息があるうちに、だが──幣原に連絡を入れたのは正解だった。幣原は即座に闇祓いと魔法警察を呼んだ……そうでなければ、きっとあの場はそれ以上の惨劇が繰り広げられたことだろう。
 私はあの時魔法惨事部の次官だったのだがね、ブラックがあれだけの人間を殺した後に現場に到着した第一陣の一人だった。私は、あの──あの光景が忘れられない。今でも時々夢に見る。
 道の真ん中に深くえぐれたクレーター。その底の方で下水管に亀裂が入っていた。死体が累々。マグル達は悲鳴を上げていた。そして、ブラックがそこに仁王立ちになり笑っていた。その前にペティグリューの残骸が……血だらけのローブと僅かの……僅かの肉片が……。
 誰もが呆然とする中、幣原が杖を掲げたまま、血まみれの道を歩いてブラックに近付いて行った……ブラックは、幣原の前では抵抗しなかったよ。きっと、勝てないと分かっていたのだろう。天才ばかりが揃う闇祓いの中でもとびっきりの逸材である、彼に……」
……幣原ね。覚えていますわ。ジェームズ達とたまに一緒に来ていたあの子……リリーととても仲が良くて、卒業した後も二人一緒にこの店に飲みに来てくれました。優しい眼差しの、穏やかで可愛らしい男の子でした。いつもちょっとした素敵な呪文を見せてくれて、年甲斐もなくときめいたものです。そんなあの子がいつしか闇祓いの英雄として、『黒衣の天才』として名を馳せた挙句……でも、あの子も死んでしまった……」
「……あの優しい子に、闇祓いは向いてなかったんですよ」

 フリットウィック先生は沈んだ声で呟いた。何だか悔いているような声音だった。

「あの子の進路相談に乗ったのは私です。あの子が闇祓いになると言った時、推薦状を書いたのは私です。でも、私は本当は、彼に呪文学の教師になってもらいたかった……私の助手になって、ゆくゆくはこの職を継いで欲しいと思っていました。彼の才能を生かせるのは、戦場などではなく、教育であり、研究であり、ここだと……でも、彼は闇祓いになることを強く望みました。本人がそこまで言うならばと、私は……彼があそこで、あの職場で一体何をさせられたのか、私には容易に想像が付きます……」
「……闇祓い。あの時代はとても危険な職だった……一年後に生きているのは半分だとも言われていた。更に、あの時の魔法法執行部部長──バーテミウス・クラウチが、闇祓いでの『許されざる呪文』の行使を認めさせてからというもの……」
「私はくんの寮監でした……レイブンクロー寮監として、ずっと彼のことを見守ってきた。あれほどの才能を見せてくれた生徒は他にいません。七年間ずっと、最高点を付け続けた。あれほど莫大な魔力を持った子は見たことがない。だからこそ、分かるんです。彼が闇祓いの中で、どんな扱い方をされてきたか……。『黒衣の天才』だなんて、そんな言葉で彼を祭り上げて! 心を病んで、この世を儚み自ら命を絶った者が、彼の他にどれだけ多かったことか」
「いやはや、まっこと残念。あれだけの才能の持ち主を失うこと自体が、魔法界の損失だと言わざるを得ないというのに」

 ……幣原。君は……一体。
 その時、今度はハリーが握っている手に力を込めた。冷たい手に、それでも少し励まされる。

「大臣、ブラックは狂ってるというのは本当ですの?」
「そう言いたいがね……『ご主人様』が敗北したことで、確かにしばらくは正気を失っていたと思うね。ペティグリューやあれだけのマグルを殺したというのは、追い詰められて自暴自棄になった男の仕業だ──残忍で何の意味もない。しかしだ、先日私がアズカバンの見回りに行った時ブラックに会ったんだが、なにしろあそこの囚人は大方みんな暗い中に座り込んで、ブツブツ独り言を言っているし、正気じゃない……ところが、ブラックがあまりに正常なので私はショックを受けた。私に対して全く筋の通った話し方をするんで、何だか意表をかれた気がした。ブラックは単に退屈しているだけなように見えたね──私に、新聞を読み終わったならくれないかと言った。洒落<しゃれ>てるじゃないか、クロスワードパズルが懐かしいからと言うんだよ。ああ、大いに驚きましたとも。吸魂鬼ディメンターがほとんどブラックに影響を与えていないことにね──しかもブラックはあそこでもっとも厳しく監視されている囚人の一人だったのでね。そう、吸魂鬼が昼も夜もブラックの独房のすぐ外にいたんだ」
「だけど、何のために脱獄したとお考えですの? まさか、大臣、ブラックは『例のあの人』とまた組むつもりでは?」
「それが、ブラックの──アー、最終的な企てだと言えるだろう。しかし、我々は程なくブラックを逮捕するだろう。『例のあの人』が孤立無援ならそれはそれで良し……しかし彼のもっとも忠実な家来が戻ったとなると、どんなにあっという間に彼が復活するか、考えただけでも身の毛がよだつ……」

 テーブルの上にグラスを置くような音が聞こえた。

「さぁ、コーネリウス。校長と食事なさるおつもりなら、城に戻ったほうがいいでしょう」

 マクゴナガル先生の言葉を皮切りに、一人、二人とテーブルから人が離れて行く。カランカランと『三本の箒』の扉が開く音と共に、先生方は立ち去ったようだ。

「……ハリー? アキ?」

 ロンとハーマイオニーがテーブルの下を覗き込んだ。二人はぼくらの様子を心配げに窺っている。
 しかしハリーは顔を上げると、ぼくを真っ直ぐに見つめた。その視線を数秒受け止めた後、ぼくはゆっくりと目を閉じた。



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