魔法魔術大会の準々決勝も終わり、あんなにたくさんいた参加者が、気付けばぼくも含めてあと四人に減っていた。ジェームズとぼく、それに六年生の女子生徒と七年生の男子生徒とのことだ。
過去を振り返ってみても、準決勝に四年生が二人とも勝ち残っていることはほぼないらしい。そんな意味でも、ぼくやジェームズは芸能人のような注目のされ方をしていた。
注目しているのはホグワーツ校内だけではないようだ。
放課後、指定された小部屋へと急ぐと、そこではジェームズと女子生徒が談笑していた。恐らく彼女が六年生の代表者──ハッフルパフのパスカル・スマイサーだろう。
しかし初対面の異性の先輩とも物怖じせずに談笑できるなんて、流石ジェームズだ。ぼくには一生掛かっても真似できそうにない。生まれ変わった自分に期待だなぁ。
「やぁ、秋じゃないか!」
ぼくが来たことに気付き、ジェームズが満面の笑みで手を振ってきた。ぼくは苦笑いして小さく左手を上げる。彼女──スマイサー先輩は、ぼくの反応を見てクスクスと楽しそうに笑うとぼくに微笑みかけた。
「こんにちは。あなたが、幣原秋くん?」
「あ……はい」
ぺこりと頭を下げる。上品に笑ったスマイサー先輩は「次の試合、よろしくね」と小首を傾げた。
そう言えば、次の試合はこの人とだっけ。おっとりと優しげな雰囲気があるが、しかしここまで勝ち上がってきた人だ、気は抜けない。
「やぁ、皆集まったかね?」
そんな声と共に、数人の大人が小部屋へと入ってきた。何人かは大きなカメラを持っている。新聞記者の人だろう。最初に入ってきた人はぼくらににっこりと笑みを振り撒いたものの、ふと眉を顰めた。
「おや? 一人足りないようだね。えっと、誰かな……おっと!」
そこで彼は大袈裟に手を叩くと「彼がいないじゃないか!」と叫んだ。
──彼?
「……ライ・シュレディンガー」
スマイサー先輩は静かな声で呟いた。その名前を聞き、ジェームズは楽しげに口の端を吊り上げる。
「前回の大会の、優勝者さ」
ジェームズの言葉に、ぼくはやっと勘付いた。
三年に一度の大会。四年生から出場可能だということ。そして、前年度の優勝者は四年生。
と言うことは、前回の優勝者は今は七年生──在校生だ。今年の大会に出ていてもおかしくない。
「申し訳ございません、遅くなりました。ミスター・シュレディンガー、早くお入りなさい」
その時扉が開いて、マクゴナガル先生と一人の男子生徒が姿を現した。
グリフィンドールの制服を細身の身体に纏っている。柔らかそうな濃い茶色の髪に、その髪色と同じ色の瞳は、眠たげに半分ほど閉じられていた。
「ライ! 遅いじゃないか、集合時間をもう十分も過ぎているぞ!」
「……すみません。研究してたら、忘れてました」
「全く……相変わらずだね、君は」
そう受け答えする彼を、スマイサー先輩とジェームズはじっと見つめていた。スマイサー先輩は真面目な顔で、ジェームズは楽しそうな笑みを浮かべて。二人につられて、ぼくも記者の人と話している彼を見る。
────と。
唐突に、何の前兆もなく、ライ・シュレディンガー先輩は振り返ると、真っ直ぐにぼくを見つめた。思わず硬直するぼくに構わず、二、三度瞬きをしたシュレディンガー先輩は、ぼくから視線を外しては、何事もなかったように再び記者の方に向き直った。
緊張で、心臓が激しく脈打っている。左手を胸に当てて息を吐いた。
今のは……今のは、なんだ?
スマイサー先輩やジェームズにはちらりとも目を向けなかったのに、ぼくを──ぼくだけを見据えたことに、一体何の意図が、意味が存在する?
……その時のぼくには、いくら考えても分からなかった。
取材は十分そこらで終了した。主に問いかけられていたのはシュレディンガー先輩で、彼はボソボソと小さい声で受け答えしていた。あまり喋るのに慣れていないような話しぶりで、ぼくの周囲の人に誰が一番似ているかと言われたら……うぅん、悩んだ挙句のピーターだろうか。
しかしその十分そこらのインタビューでも、シュレディンガー先輩について少しは知ることができたと思う。
前回の魔法魔術大会にて四年生ながら優勝。その後、弱冠五年生で『魔法医学への誘い』に論文が載り、魔法医学学会に最年少で入会。様々な革新的な医学体系を発表し続けており、研究が滞っていた医学界に新しい風をもたらす新星。卒業後は既に、国内最大手の研究機関に進むことが決定しているという。
「ライ先輩は確かに凄い人だよ、あぁ。いっつも研究室に篭りっぱなしでさ。冴えない見た目はしてるけどね。気を遣えばかなり良くなるのに、興味のないものには無関心なんだ。……だが、研究に見た目は関係ない。……ひゅーっ、カッコいいよねぇ。クラスメイトの誰も手の届かない高みに、一人悠然と座っているんだぜ?」
ジェームズは朗らかに笑った。ぼくは首を傾げて言葉を返す。
「君だって、誰も手の届かない高みに悠然と座ってると思うけど? ジェームズよりも頭が良い奴なんて、同学年の中には誰もいないよ」
ジェームズはぼくの言葉に「……そりゃどうも」と返した後、小さく息をついた。
「自覚がないから、ライバル視すら敵わないんだよな……」
「どうしたの? ジェームズ」
「なに、秋は相変わらず可愛いなと思っただけさ」
「いつまでそんな頭がおかしいこと言ってんのさ」
そんな他愛もないことを数言交わした後、ジェームズと別れ寮へと帰る道すがらのことだ。
誰かが走り寄る足音に振り返ったぼくは、駆け寄ってきたのがシュレディンガー先輩だったことに目を瞠った。思いも寄らぬ人物にぽかんとしている間にも、ぼくの前で足を止めた先輩は、走って乱れた息を整えている。
「幣原……秋」
「は……はい?」
じっと瞳の奥を見据えられ、目を逸らす訳にもいかずにぼくはただ狼狽えた。ぼくの心を見透かさんばかりに、茶色の瞳は真っ直ぐにぼくを射抜いている。
「……気をつけろ」
「え?」
そこで、シュレディンガー先輩は少し咳き込んだ。よく見ればまだ呼吸が荒い。運動は苦手なのかもしれない。確かにインドア的な雰囲気は醸し出している。
「お前は、俺と同じだから」
そこでやっと先輩はぼくから目を逸らした。空中をしばらく睨んでは、目線を落として続ける。
「……俺が、何を言っても意味はないんだろうけど」
「な……何を」
「きっと……無駄なんだろうけど。……だけど、同じだから」
「同じだから」と、先輩はもう一度繰り返した。
何が、同じなんだ?
先輩と、ぼくは。
「…………いや、やっぱりいい」
しかし、シュレディンガー先輩はそこで静かに首を振った。
「引き止めて、悪かった」
淡々と言い、踵を返す。
「……俺が、勝てばいいだけの話だ」
先輩がそう呟くのが、確かに聞こえた。
「……あのっ!」
先輩のその言葉に、決して苛ついた訳じゃない。
ぼくは四年生で、シュレディンガー先輩は七年生。実力差はあり過ぎて、ぼくがこの先輩に勝てるなんて到底思えない。
しかも、ぼくとシュレディンガー先輩が当たるのは決勝での話だ。次の準決勝で、ぼくがスマイサー先輩に負ける可能性だって大いにある。
だから──ここで言い返したのは、ぼくのちっぽけな意地、プライドだったのかもしれない。
「ぼく、頑張りますからっ……! 負け、負けません、から……!」
ぼくにだって意地がある。プライドがある。
ここまで勝ち残ってきた誇りがある。
ぼくの言葉に、シュレディンガー先輩は足を止めた。ゆっくりと、振り返る。
「……俺に、勝つ?」
先輩の瞳が、ぼくを映した。
「面白い」
瞳に、攻撃的な光が灯る。
にやりと、先輩は笑った。
「……流石、エリスに勝っただけのことはあるな……『呪文学の天才児』、楽しみにしてる。……パスカルに負けるんじゃないぞ、秋」
ぞくり、と、肌が粟立つ。
絶対的王者の貫禄、というか。
ずっと頂上に座っていた人物にしか出せないオーラというものを、確かに感じた。
「……それがお前の選択なら。俺は、それに従おう」
先輩の言葉の意味が分かったのは、それからずっと後のことだった。
◇ ◆ ◇
気付けばホグワーツにもクリスマスがやって来ていた。
今年のクリスマス休暇もホグワーツに残っている生徒はほとんどいないものの、それでも校内はクリスマスのデコレーションで華やかだ。そんな中、ぼくは今年もまたフリットウィック先生と一緒に廊下の飾り付けを行っていた。
「ふんふふんふふーん♪」
楽しそうに鼻歌を歌いながら、フリットウィック先生は杖を振りつつちょこまかと歩いて行く。先生が歩いた後の廊下には、
先生の後をついて歩くぼくは、鎧や肖像画に装飾を施していく。一年の時にフリットウィック先生直々に頼まれたこのお手伝いも、もう今年で三回目だ。もはや恒例と言っていいだろう。
「どうです、勉強の方は進んでいますか?」
「まぁ……なんとか」
フリットウィック先生の言葉に、ぼくは思わず苦笑した。
宿題、予習復習の量、どちらもクラスメイトの誰より多いものの、何とかこなすことはできている。分からないところも、先輩に訊けば快く教えてくれるしね。教え合う環境が既に出来上がっているレイブンクローに来られて良かった。
「それよりも、体感時間の方が慣れるまでに苦労しましたけど」
「それもそうですな。どうです、一日が三十時間もある生活は?」
「滅茶苦茶ですよ。時差ボケなんて目じゃないくらい。変な時間に眠たくなるし、変な時間に目が覚めるし、お腹空いてない時にご飯は出るし、かと言ってお腹が空いても何も食べられないし」
おかげで、厨房に大分お世話になる羽目になったことは秘密だ。
フリットウィック先生は穏やかに笑った。
「今年の時間割は少しゴタゴタありましてねぇ、時間がなくて急いで作って、後から見返して「しまった!」なんて……安心してください、来年からはそうはならないように気をつけましょう」
「ま、全教科履修することについて不満はないんですが」
レイブンクロー生にとって、知識が増えるというのはこの上ない喜びでもある。ぼくも根っからのレイブンクロー生だということかもしれない。
広い学校内をぐるりと一周した時には、外はもう夕闇に染まっていた。
「アキくん、今日はありがとうございました」
「いえ……あの」
少しだけ口籠った後、ぼくは意を決して口を開いた。
「先生。幣原秋は闇祓いに入るべきではなかったと、そう思いますか?」
フリットウィック先生は目を瞠ると、黙ってぼくを見上げる。
「そうは思いません。時代が時代でした……ですが、私個人の、彼を見守ってきた教師として──彼の友人として言わせてもらうならば」
闇祓いには入って欲しくなかった。
先生はそう言った。
「……ありがとうございました」
「あぁ、アキくん。これ、手伝ってくれたお礼です」
そう言ってフリットウィック先生が『出現』させたのは、両手で抱えるほどのサイズの四角い箱だ。受け取って中を覗いたところ、ケーキが二切れ入っていた。ショートケーキとチョコレートケーキだ。
「わぁっ、ありがとうございます。……でも、二切れ?」
「生徒の恋路を見守るのも、教師の務めですからね」
「え……」
思わず絶句したぼくに構わず、フリットウィック先生はこれ見よがしに呟いてみせた。
「今年も大勢の生徒がクリスマスに実家に帰ってしまったみたいですが……そう言えば珍しくも、スリザリンのアクアマリンさんはホグワーツに残っているようですね。そうそう、私、この間の呪文学の授業で殊更素晴らしく炎を『凍結』させたアクアマリンさんに点数を与え忘れていたのを思い出しました。アキくん、申し訳ないのですが、アクアマリンさんにこちらの一切れを差し上げてくれませんか?」
「……全く、もう」
ぼくは苦笑すると、少し目を伏せ頷いたのだった。
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