ぼくの世界は、とっても狭い。
小学校時代を一緒に過ごした日本の友人たち。そして、今ぼくと仲良くしてくれている、ホグワーツでの友人たち。悪戯仕掛人の四人。セブルスとリリー。そして、ぼくを育ててくれた両親。
十五才のぼくにとって、世界とは、ぼくの手の届く範囲までを意味していた。ぼくは、将来は起業したいとか、もっと学問を修めて見識を広めたいだとか、そんな高尚な意志なんて全く持ち合わせちゃいなかった。ただ、毎日学校の宿題に追われて、友人らと他愛もない話で盛り上がって、そして長期休みには両親や日本の友人たちと楽しく過ごす。至って普通の、十五才の子供だった。
それでもいいと思っていた──それがとても幸せなことだったのだと、ぼくは後に、知ることになる。
◇ ◆ ◇
幣原秋がどうして「黒衣の天才」と呼ばれ、戦争の英雄扱いされるようになり、彼の名を当時の魔法使いの殆どが知ることになったのか。その理由は、当時の日刊預言者新聞を少し漁ってみれば、すぐに分かる。
新聞の一面を華々しく飾る、闇祓いや「不死鳥の騎士団」と呼ばれていた集団、彼らの活躍。闇の魔法使いと戦った彼らの活躍は、おそらく士気を上げるためだろう、より英雄的に模範的に勇敢に、戦死したとしたらより悲劇的に、美麗な筆致で描かれていた。
幣原秋は、闇祓いに関する記事のほとんどに、その名が載っていた。
若かりし天才。
「例のあの人」に匹敵する魔力の持ち主。
闇祓いの訓練期間である三年間、その期間を異例の一年間のみで終了させ、十八の若さで前線に投入。その後も輝かしい戦績を修め続けた彼は、暗い世論に沈む世界の中で、光だったのかもしれない。
活躍が煌びやかに描写される一方、公に姿を出さず、写真すらも新聞に載らない彼ら闇祓いは、きっと、偶像化するのに丁度良かったのだろう。
幣原秋。
戦争の英雄であった彼の葬式は、国を挙げて大々的に執り行われたそうだ。
真っ黒な棺の上に、山になるほど積み上げられた白百合の花。
その写真が、唯一幣原秋関連で新聞に載った写真だった。
「ん……」
ふわり、と意識が覚醒する。じんわりと感覚が戻ってくる。
閉じた瞼の奥が明るい。もう朝か。
ゆっくりと瞼をこじ開ける。
目の前数センチの距離に、ハリー・ポッターの顔があった。
「…………」
ちょっと驚いた。がしかし、いつものことだと思い直す。
ハリーは、ぼくを抱き枕にするかのように、ぼくを抱き締めて眠っていた。ハリーの両腕が、ぼくの背中に回されている。呼吸の感覚は一定で、まだ起きる予兆はない。
しかし、さすがにこの歳になると、一つのベッドで一緒に眠るのは狭く感じるな。主にハリーのせいで。無駄にでっかくなりやがって。少しは身長と体重ちょうだいよってんだ。
首を回して時計を確認すると、針は五時半を示していた。おばさんが目が覚めてぼくらを起こしにくるまで、まだまだ時間がある。ハリーから抜け出そうとするが、思った以上にハリーのホールドは厳重で、ぼくは諦めて身を委ねることにした。
時間があるので、幣原秋のことについて考える。
幣原秋とは何者なのか──いや、この問いは突き詰めていけば「アキ・ポッターとは何者なのか」という問題に打ち当たることになる。何せ、幣原秋とアキ・ポッターは同一人物なのだから。
ぼくは一体、何者なのだろう。
幣原秋に作り出された人格ーー幣原秋が、自らの手足として扱うために作り上げたお人形。
けれども、一体何のために、幣原秋はぼくを作ったのだろう?
『可能性』ーーそう、リーマスは確かにそう言ったのだ。『幣原秋が選び取れなかった道を選んでくれる、可能性だ』と。詳しいことは全く何も教えてくれなかったーーただ意味深に笑顔を浮かべただけだ。
幣原秋が選ぶことが出来なかった道。もしくは、幣原秋が選ぶことを拒否した道。
そんな道がーーあるのだろうか。
そんな道を、ぼくならば、選ぶことが出来るのだろうか。
「…………」
口を開きかけ、閉じた。
ぼくの頭の中で眠る、幣原秋。ぼくのもう一つの人格、と言ったが分かりやすいだろうか。
彼は、一体今何を考えているのだろう。
ぼくの見たもの聞いたもの、それらが伝わっていると聞いた。ということは唯一自由なのは、ぼくの思考だけということになる。でも、ぼくのもう一つの人格ということは、身体を共有しているということだ。当然それは、脳みそも含まれる。いくら幣原秋本人から、思考の自由が保証されたからといって、簡単に信じることが出来るだろうか?
幣原秋とアキ・ポッターは、同一人物だ。だが、同時に異なる人間だ。根っこが同じーー身体が同じ、というだけで、育ちも境遇も性格も、友人関係だって違う。違う人間なのだ。
あの夜。ピーターを追いつめた日の幣原秋の様子は、ぼくが知っている幣原秋とは全く違っていた。
温厚で物腰柔らかく、穏やかな彼とは……。
ハリーのうめき声で、はっと意識が引き戻された。頭を抑え、苦しそうに息を荒げている。
ぼくは慌てて頭を上げると、小声で「ハリー!」と名前を呼び、ハリーを揺さぶった。
「……あ……アキ?」
「大丈夫? ハリー」
ハリーの目が、ぼくの顔で焦点を結んだ。ハリーはベッド脇のメガネに手を伸ばすと、額を抑えつつメガネを掛ける。
「具合が悪い? どこか痛むの?」
「いや……体調が悪いんじゃない。ただ、傷が……痛むんだ」
少し唇を噛んだ。そっとハリーに顔を近付けて、額の傷跡に触れるだけのキスをする。ハリーはぼくの頭を、心配ないよと言いたげに軽く撫でた。
「夢を見たんだ」
「夢?」
「あぁ……ヴォルデモートが出てくる夢……三人いた。ヴォルデモートとワームテール……そして老人が一人。その男が床に倒れて……っ」
「無理しないで」
上半身を起こしたハリーが、額を抑えてうなだれた。ハリーの手を取ると、今は真夏なのに、氷のように冷たかった。よく見ると、寝汗をびっしょりとかいている。
「待ってて、タオル持ってくるから……」
そう言ってベッドから降りようとしたが、ハリーはぼくの手を離さなかった。
「いや……聞いてくれ、アキ。僕が忘れてしまう前に……細かいことを覚えておくのは、僕より君の方が得意だから」
そう言ってハリーは、ぼくの目を見た。
「確か……ヴォルデモートとワームテールが、誰かを殺したと言っていた……誰だっけ、名前が思い出せない……でも、誰か……魔法省やクィディッチワールドカップについても話してた……そして、誰かを殺す計画を立ててた……僕を、殺す計画を」
何も言わずに、ハリーの指に指を絡める。
「記憶を消すとかも言ってた……それに、ワームテールにして欲しい重要な仕事があるって言っていた……褒美を授けるって……それが何なのかは言っていなかったけど……それにアキ……君の名と、幣原秋の名を口にした」
そうか……あの後、やっぱりピーターはヴォルデモートの元に戻ったのか……。
ヴォルデモートは一体何をやろうとしているんだ? 今度はどうやってハリーを殺そうと考えている?
ぼくだったら……ぼくだったら、ハリーを殺したいと思うなら、先にぼくを殺す。だってぼくは、ハリーの一番近くにいて、ハリーを殺そうと思ったときに真っ先に立ちはだかる、邪魔な存在だから。
だけど、クィディッチワールドカップでぼくやハリーを殺せるとは思えない。ぼくらは夏休みの間魔法を使っちゃダメだけど、ハリーの身に危険が及ぶとなっちゃぼくは杖を抜く。
それに、確かにたくさんの魔法使い達が来るけど、その分警備も厳重だ。たくさんの人目につく場所で、ヴォルデモートが直々に出張ってハリーを殺しにくることはまずないだろう。同じく、ピーターもだ。13年前死んだはずの人間が(しかも、去年シリウスが脱獄したことで、魔法使いにとっても覚えが新しいはずだ)のこのこと現れることは考えにくい。
「……ねぇ、アキ。僕は怖いよ。このような夢を見る自分が怖いんだ」
冷たい汗で湿ったハリーの手をしっかりと握り、ぼくは明るい表情で言った。
「シリウスに相談してみようよ」
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