毎日みっちり行われる授業と、毎回出される大量のレポートで疲れ果て、それでも今日の授業が終わった開放感に包まれながらレイブンクロー寮に帰り着いたぼくが見たものは、自分の私物のほとんど全て──教科書や筆記具、制服などが全て──破り、切り裂かれている光景だった。
カーテンを開けた体勢のまま顔色を変えたぼくを不審に思ってか、リィフが「どうしたの?」と尋ねつつカーテンの中を見、息を呑む。
「誰が……っ」
「リィフ、落ち着いて。ぼくは別に気にしてないから」
リィフを宥めると、杖を振った。制服や教科書、筆記用具などは極々普通の呪文で壊されていたため、簡単に元通りになる。
しかし、一部の私物は元通りにはならないものがあった。その最もたるものが──百合の花だ。
せっかく、生けてたのになぁ。ずっと綺麗な姿でいて欲しかったのになぁ。
「……秋。大丈夫か?」
「ぼくは大丈夫。ただ、ちょっとばかし怒ってるけど」
今まで何度も、こんなことはあった。日付を開けて、繰り返し繰り返し。
一年の頃だけじゃない、二年の頃も、三年の頃も、四年の頃も。そのたびに、まぁ直せるし、と思って放置してきた。……いや、放置じゃない。ぼくは、関わるのが怖かったから。自分の罪に向き合うのが嫌だったから。……わざと、気付かないフリをしてきたんだ。
しかしこれは、もう見過ごせない。
「リィフ。誰にも言わないでね」
「いや、でも……」
「お願いだよ」
にっこり笑うと、リィフは黙り込んだ。
「……秋は、それでいいの?」
問いかけに、答える。
「……いいんだよ、それで」
跪く。枯れてしまった百合を、ぼくは胸に抱いた。
◇ ◆ ◇
深夜は、ぼくにとってあまり馴染みがない時間帯だ。十二時を回ったら、抗えないほどの眠気に襲われる。
その代わり、と言ってはなんだが、ぼくは無茶苦茶朝には強い。だから、皆が夜やる宿題も勉強も読書も、ぼくにとっては早朝の営みだった。
「おい、アキ。起きろ」
そんな訳で、アリスに眠い中起こされた深夜二時は、ぼくにとってはもう夢の中、気持ちのよい熟睡タイムだったというのに……。
起こしたアリスを半眼で睨むも、アリスには全く効果がないようだった。
アリスは見覚えのある白フクロウを肩に置いていた。それがヘドウィグであることに気付くまでに、寝惚けた頭は少しの時間を要した。
「ヘドウィグ! どうしてここに?」
「手紙を括り付けてた。ほら、これだ」
アリスが手紙を差し出すのを、ひったくるようにして受け取った。ヘドウィグは、最後にシリウスに手紙を届けさせていたことを思い出したからだ。
「いてっ、おい、落ち着けよ。なんか気が立ってんな……」
アリスがヘドウィグに突かれ、文句を口にした。そちらに一切目を向けず、ぼくは慌てて手紙を開く。
手紙は、急いで走り書きしたような文字で書かれていた。ぼくはそれに目を通す。
『アキ
今すぐ北に向けて飛び立つ。ハリーをしっかり見ていろよ。いらないお世話だろうが、用心しろ。再三言うが、ハリーの側から離れるな。
パッドフット』
「あンのバカ犬が……」
何が用心しろ、だ。君こそ用心しやがれ。まだお尋ね者だというのに──北へ行く、だと? こっちに帰ってくるというのか?
ハリーとの会話用の羊皮紙を見ると、こちらもハリーからの伝言が入っていた。ハリーの元にも同じような手紙が届いたようだ。酷く慌てて、傷跡が痛んだことを告げたことを後悔していた。
ひとまず、ハリーのせいじゃない、悪いのはあのバカ犬のせいだ、君が気に病むことは何もない、と返しておく。
「犬? 犬が手紙を出してきたのか?」
「あぁ。それも飛びっきりのバカ犬さ。躾がなってないんだ……リーマスに躾け直してもらわなくっちゃ」
そう言うが早いか、ぼくはパジャマの上から一枚カーディガンを羽織った。裸足にスリッパを突っ掛けると、駆け出す。
「おーい、どこ行くんだー?」
「校長のとこ!」
それだけ返して、部屋を飛び出した。
「犬の躾に校長が必要なのか……?」
背後で、アリスが首を捻っている声が最後に聞こえた。
校長室に行くと、ダンブルドア校長はナイトガウンにナイトキャップ姿で目を擦りながら出てきた。なんというか、予想どおりというべきか、掛けるべき言葉のチョイスに迷いながらも、シリウス・ブラックがこちらに来るということ、そのお目付役をリーマスに頼みたいことを告げると、快く了承し、暖炉をリーマスの住処に繋げてくれた。
深夜だと言うにも関わらず、リーマスはまだ起きていて、突然現れたぼくに驚いた様子だった。
「秋!? ……いや、今はアキか。どうしてここに?」
「シリウスがこっちに来ると言い出したんだ。リーマス、頼まれてはくれないかな?」
そう言うと、リーマスはさすが飲み込みが早かった。
昔と変わらぬ底の知れない笑顔を浮かべると「分かった、奴に首輪をつければいいんだね?」と爽やかに言う。ぼくは思わず身震いをした。
「そう言えば、君は元気でやってるの?」
そう尋ねると、リーマスは「ぼちぼちね」と肩を竦めてみせた。
ぼくが目を眇めると、慌てた様子で目の前で両手を振り「いやホントだって!」と言い訳めいた言葉を口にした。
「ダンブルドアが資金援助をしてくれているんだ。おかげ様でね、ちゃんと食べているから、安心してくれ」
「ふぅん……」
眉を寄せつつも頷く。と、今度はリーマスが問いかけてきた。
「君がこんな時間に起きているなんて珍しいね。早寝早起きが信条の君が、さ」
「信条って訳じゃないよ、身体がついていかないってだけ……今も眠くて眠くて倒れそう」
大きく欠伸をすると、リーマスはふふっと笑った。そして、名案を思いついた表情を浮かべる。
「じゃあ、アキ、今日はここに泊まっていくかい?」
「え?」
目を瞬かせた。リーマスは楽しげに笑う。
「誰も訪ねてきてくれないからね、とっても暇だったんだ。折角なんだし、泊まっていってよ。授業の前には帰すからさ」
「うーん、でも……」
渋るぼくだったが、窓ガラスをコンコンと叩く音に振り返った。
リーマスが窓を開けると、真紅と金色の美しい鳥、フォークスが、何やら一抱えの包みを持って飛んできた。ぼくの上にその包みを落とすと、リーマスの肩に飛び乗り、リーマスの顔にそっと頭を擦り付けた後、さっと飛び去って行く。
「ほぉら、ダンブルドアも泊まっていけってさ」
包みの中身は、思った通り、ぼくの制服一揃えだった。これじゃあ、「朝にパジャマ姿で学校をうろつきたくない」なんて主張も認められない。
「はぁ……分かったよ」
諦めると、リーマスは表情を輝かせた。いそいそと自分も寝る準備を始めるリーマスに、まぁいいか、と思いつつも、ソファーに深く腰掛ける。
「そう言えば、幣原秋と話していかないで大丈夫? 代わろうか?」
そう言うと、リーマスは動きを止めた。しかしそれも一瞬のことだった。
「いいや、構わないよ。今の僕は、むしろ君と一緒にいたいかな」
ふぅん、とぼくは頷いた。
リーマスと共にベッドに潜り込むと、ぶわっと抗いきれぬほどの眠気が押し寄せてきた。堪えずに目を閉じる。
ふと、頭を撫でられているのを感じた。
薄く目を開けると、どこか懐かしむ表情で、リーマスはぼくの髪を優しく触れていた。その手の感触が気持ちよくて、ぼくはゆったりと夢の世界へと落ちて行く。
「……生きていてくれて、ありがとう。秋」
耳に届いたその言葉は、夢か現実のものか、よく分からなかった。
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