段々と夏っぽさが消え、冬らしい風が吹き込んでくるようになった十一月。今日は、レイブンクロー対スリザリンのクィディッチの試合の日だ。
今年度最初の試合ということで、大勢の観客が見に来ていた。去年はクィディッチと魔法魔術大会が被ったりして、なかなか観戦しに行けなかったから、なんだかとても久しぶりな気分だ。
ちなみに、レイブンクロー対スリザリンの試合であり、ぼくはレイブンクローの寮生だけれど、何故かグリフィンドールの観客席にいるということについての説明は……もう不要だろう。
そう、お察しの通り、途中で悪戯仕掛人の四人衆に出会ってしまったが運の尽き……って訳。両脇をジェームズとシリウスに、後ろをリーマスとピーターに囲まれて最前列に陣取られちゃ、逃げ場はどこにもない。
……まぁ、逃げる気なんてもう起こしはしないけどさ。
「あら、秋じゃない! こんなところで出会えるなんて!」
……もう一人増えたぁ。
リリーがリーマスの隣に加わったことに、ぼくはため息をつくのだった。
逃げはしない、と言ったところで、包囲網が分厚くなるのは嫌なのだ。分かってくれるだろうか、このぼくの気持ちを。
選手が入って、フーチ先生の前に並ぶ。いよいよ試合が始まるのだ。
と、そこで隣のシリウスが舌打ちした。
「どうしたの?」
「いや……あいつがいねぇ」
「あいつって?」
「レギュラスだよ……」
シリウスが唸るように呟く。ぼくは身を乗り出して、クィディッチのピッチを見下ろした。
……本当だ、レギュラスがいない。確かレギュラスはスリザリンの正シーカーだった筈なのに。
「あー、君の弟くんかぁ。君にそっくりの子だろう? でも君の方がイケメンだけど」
ジェームズもそんな評価を口にしつつ、「体調でも崩したのかねぇ……」と、僅かに心配する声音を零した。
ジェームズもシーカーだから、敵チームとは言え同じポジションな訳だし、少しは気になるのか。
「あいつ、季節の変わり目とか、意外とすっぐ風邪引くんだよな……ったく、自己管理がなってねぇ」
「シリウス、心配してんの?」
「誰が心配なんてするか。俺は今までの経験から言ったまでだ」
「はいはい」
肩を竦めると、シリウスはむっとした表情でぼくを見た。
「本当だからな」とぼくに念押しする。
「いやーでも、君んちって本当に不仲だよねぇ。僕だったら息苦しくって逃げ出しちゃいそうだ」
ジェームズはどことなく楽しそうにそう呟いた。
シリウスは「それが出来たらどんなにいいだろうな」と苦い顔で言う。
「やれ純血だ、やれ『穢れた血』だ。何が『高貴なブラック家』だ。高貴なんかじゃねぇ、ただ昔っからちっぽけな信念曲げれずに、どうしようもない思想に縋り付いてるだけの家の癖に。黴びて錆びついて、もう見てらんない有様になってんのが、どうして分からないんだか」
「そんなこと言ってぇ、またブラックご婦人に怒られちゃうぜ? ただでさえ君は一族の異端児なんだから」
「この歳になって、『ママに怒られるから』で唯々諾々と従ってられっかよ。とっとと成人して、とっとと家を出る。それが最善手さ。ただ……」
そこでシリウスは言葉を切った。ぼくはそっと「……レギュラスが心配?」と尋ねる。
シリウスは驚いた表情でぼくを見ると「……心配、っつー訳じゃねぇけどさ」と眉を寄せた。
「とっとと目を覚ませ馬鹿野郎、っては、常々思ってる。でも、あいつはスリザリンだ。スリザリンの連中にロクな奴はいねぇ」
「見事に全否定したね、君の家族は全員スリザリンだろう?」
「だから分かるんだよ、あそこの風通しの悪さがな。黴臭くなるのも当然だ。……だからこそ、今のあいつにとっては、このままの方がいいんじゃねぇかなとも思う」
「……複雑だね」
ぼくは本心から、その言葉を口にした。
シリウスは灰色の瞳をクィディッチ競技場に向けたまま、ぐっと背筋を逸らす。
「あぁ、そうだな。……スリザリンにいる限り、あいつは今のままでいるのが一番安全なんだ。あいつが、親の思想をそのまんま自分の意志だと思い込んだまま、これから生きて行くのだとしたら……スリザリンや闇の帝王は、他の誰よりもあいつを歓迎して迎え入れてくれるだろう」
だがな、と、シリウスは静かに言った。
「それと俺の気持ちは別だ……いつかあいつと、どでかい喧嘩をしてやる。それでもあいつが分からなかったら、そりゃもうあいつはそういう奴だってことだ。見切って出ていくさ、いつまでもあいつの手を引いてはやれねぇんだ」
ジェームズは「君は案外お兄ちゃん気質だね」と、意味深な微笑みを浮かべてみせた。
◇ ◆ ◇
授業が全て終わり、それから夕食までは、忙しい生徒たちがホッと一息つける時間帯だ。
ぼくはアリスと別れ、一人レイブンクロー寮に来ていた。図書室で返却しておきたい図書があったのだ。
寝室に入ると、そこには既に先客がいた。
予想もしていなかった人物の姿に、ぼくはぱかんと口を開け──
「リドル!?」
叫ぶと、『彼』──トム・リドルは振り返った。ぼくの机に腰掛け、羽根ペンを持ち、何やら書き物をしている。
癖のない黒髪に、赤い瞳。ぞっとするほど整った顔立ち。きっちりと一番上まで留められたスリザリンのローブ。
最後に会った二年生の頃より目線が近く思うのは、ぼくの背が少しは伸びたからか。
ハリーが壊したトム・リドルの日記、それのぼくが破って持っていた分の数ページ。
確か机の中に仕舞い込んでいたはずだ。
「やぁ。久しぶりだね、アキ」
そう言ってリドルは薄く笑った。ぼくは恐る恐る近付くと、左手でリドルに触れた。
肩に、背中に、頭に、ちゃんと触れる感触がある。
「どうして……?」
問い掛けると、リドルは肩を竦めた。
「君の周囲に漂っている魔力は、中々濃くて純度も高い。ジニーの魔力を吸い取っていたときは、それでも実体化には一年弱を要したもんだけど、君の場合はそんな期間もいらないようだね」
「また、何かを仕出かすつもりなのか?」
秘密の部屋が開かれたあの時を思い出す。また、全校生徒を恐怖と不安に陥れるつもりなのか。
「そんなことはしないよ。信じてくれ」
しかし、リドルは首を振って両手を広げてみせた。
「せっかく君が生かしてくれた命なんだ。君のために使いたいって思う気持ち、信じられないかな?」
「そう簡単には信じられないね」
「まぁそうだろうね」
「一体どうしたっていうのさ」
目を細めて尋ねると、「そんなに怖い顔をしないでよ、悲しいなぁ」とリドルは笑った。
「退屈過ぎて死にそうだったんだ。刺激が欲しくってね、本でも借りていっていいかな?」
「うーん……それくらいなら……」
確かに、ひとりでずっと日記に閉じ込められる生活は苦痛だろう。ぼくなら一週間で発狂しそうだ。
せめて何かしらの刺激が、娯楽が欲しいという気持ちは共感出来る。
頷いたぼくに、リドルは晴れやかな表情を見せたあと、ぼくの所持する半数以上の本を所望してきた。こいつ、最初から見繕ってたな。
リドルが求める本をどさっと渡してあげると、リドルは「ありがとう」と微笑んだ。
その表情はとても綺麗で、思わずうろたえる。そんなぼくの様子に目敏く気付いたリドルは、声を出して笑った。
「う、うるさいよ……君みたいに綺麗な人、見たことないんだもの……」
「うん、よく言われてた。大丈夫、君のような反応をする人、今までも沢山いたからさ」
それはなんだろう、かなり複雑な気分になるな。顔がいいというのはつくづく羨ましいものだ。
思わずむくれたぼくに、リドルは笑顔でぼくの頭を軽く撫でる。
「こうしてぼくの前に出てきてくれたってことは、ぼくのことを赦してくれたの?」
そう尋ねると、リドルは小さく首を傾げた。
「むしろ逆じゃないのか? 僕が君に謝らないといけないことは多いけれど、君が僕に謝らないといけないことってあったかな? 君が自分を『幣原秋』と名乗ったくらい? まぁ、あながち間違いじゃなかったようだけど」
「いや、でもさ……ハリーが、君の本体の日記を壊したんだ。恨まれていても全然おかしくないと思って」
ぼくの言葉に、リドルは少しだけ機嫌悪そうに鼻を鳴らした。
「……僕がこうして出てきたのは、君を許したからじゃない……もっと許せない存在が出来たからさ」
「許せない存在?」
「あぁ。そいつに会って、事の真相を確かめたい」
リドルは眉を寄せ、凄絶な表情で笑った。正直、滅茶苦茶怖い。思わず身震いする。
「だからまぁ、君や他の生徒、教師、その他ホグワーツに暮らす生き物全てに対して僕は害を与えない、そう約束しようじゃないか」
そう言うとリドルはぼくの右手を取ると、小指に自分の右手の小指を絡めた。まるで、日本の「指切りげんまん」のようだ。
リドルはそのまま、左手の指をパキンと鳴らす。するとどこからともなく赤い細い糸が、ぼくらの小指を結びつけると、やがてお互いの小指に揃いの赤いリングを残して消えてしまった。
「はい、魔法契約終了。これで僕は君に対して嘘がつけなくなった」
ぼくは右手を広げ、小指に嵌ったリングを見つめる。
そしてリドルに視線を移すと「分かったよ。君を信頼しよう」と頷いた。
「そうしてもらえると助かるな」
リドルは底の知れない笑みを浮かべると、「じゃあね、アキ。本に飽きたらまた来るよ」と告げる。
「ぼくがひとりのときなら、いつでも構わないよ」
と、ぼくは返した。
「……あぁ、そうだ。言い忘れていた」
リドルはふと目線を頭上に向けると、独り言のように呟いた。
「僕はあいつの一部だから、微弱だけれど感じるんだ……あいつの力が、大分戻ってきている。アキ。あいつはね、良からぬことを考えてるよ。もっとも、あいつは子供の頃から、『良いこと』を考えたことなんて殆どないんだけどね」
「……良からぬこと」
「きっと、君のような良い子には、一生掛かっても考えやしない『良からぬこと』さ。精々気をつけるといい」
「……分かった。気をつけるよ」
「あとね、もう一つ」
リドルは真面目な口調を一転させ、悪戯小僧のように笑った。
「その教科書、大して役に立たないから、僕が書き直してあげたよ」
その言葉を置き土産に、今度こそリドルは姿を消した。
今更図書館に行く気にもなれず、ぼくはリドルの最後の言葉の真意が気になって、机の上に広げられていた教科書を手に取った。そして、思わず吹き出す。
「あぁ、リドルが何を書いているのかと思ったら……」
闇の魔術に対する防衛術の教科書(しかし授業で未だ一度も開かれたことがない)「闇の力──護身術入門」が、びっしりと赤いインクで修正されている様を見て、ぼくはふふっと笑った。
きっと許せなかったんだろうなぁ。生真面目そうな奴だし、学生時代もこんなことをしていたのだろう。
ベッドに倒れこみ、右手を天にかざした。
右の小指に嵌ったリングを、ぼんやりと眺める。
リドルのあの心境の変化が、一体どのような結果をもたらすのだろうか。
そう考えると、少しだけワクワクした。
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