「それにしても、よくやったよなぁ……」
ホグワーツの十一月、それも後半は、もう冬の気配が目前に迫っている。特に深夜ともなれば、気温はぐっと冷え込み、吐く息も白い。
大型犬に姿を変えているシリウスが、ガウガウとぼくに返事をするかのように吠えた。ぼくは笑って「何言ってるか分かんないっての」と言うと、シリウスの首に顔を埋める。
ふかふかで艶やかな毛並みを持つ動物をこうやってもふもふするのは、ぼくにとっては初めてのことで(だって普通の動物はぼくが近付くことすら嫌がるんだから)、この感触はいつまでもこうしていたくなる。もふもふ……。
今、ぼくと悪戯仕掛人の四人は、本来は立ち入り禁止の場所である『禁じられた森』を歩いている。
リーマスは狼姿で、悪戯仕掛人たちは『アニメーガス』を使って、そしてぼくは、ジェームズの家に代々伝わる代物である『透明マント』を被って、だ。
『透明マント』なんて、魔法界のお伽噺での架空のアイテムだとてっきり思っていたから、実在していると知ったときは仰天したものだ。ポッター家、凄い。
同時に、これを使って今まで様々な規則破りや悪戯を行ってきたんだな、ということも分かった。やることなすこと人間離れしてると思ったんだ……透明マントがあったところで、同じことが果たして出来るか、と問われちゃあ、言葉に詰まるけど。
それはさておき、リーマスに人間の気配を悟られないよう、風や香り、音など、ぼくを取り巻くあらゆる環境を緻密に制御するのは、恐ろしく面倒臭い。
そう言って断るぼくを、しかしジェームズは乗せるのが上手かった。口説き落としに本当に強いな、ジェームズは。本気になればリリーも口説けるんじゃないだろうか。……リリーにその気がないから無理か。
自分の力を過剰に見積もる気は更々ないけれど、しかしこの術は高度で、誰も彼もが簡単に出来るようなものではないだろうとは思う。
そうだなぁ……ライ先輩なら、やってのけるだろうか。
リーマスは、心なしか落ち着いているようだ。いや、むしろ普段の悪友らに囲まれて、楽しそうでもある。
人狼を間近で見たのは今日が初めてだから、リーマスの感情を正確に読み取れている自信はないが……なんとなく、そう感じる。
しかし、一体いくつの規則破りをしたのだろう……数えるだけでも恐ろしい。
ジェームズなんかは「規則破りと悪戯は青春の華だ」なんて言って笑っていたっけ。まぁ確かに、その言葉には一理あるか。
ふと、先頭を歩くジェームズが道を外れ、横道へと入り込んだ。
牡鹿の姿に変身したジェームズは、動物の姿になったとしても普段通り気ままで、動きを見れば一発でジェームズと分かるほどだ。プロングズ、というあだ名の由来がようやく分かった。
牡鹿の角の先には、一匹のネズミが器用に掴まっている。ワームテールことピーターだ。ネズミらしくなく、後ろ足二本で立ち上がっている。そんなワームテールが、気ままに道を外れたプロングズに驚いたか「どうしよう?」と言わんばかりにこちらを振り向いた。
パッドフットは息を吐くと、リーマスを突つき、プロングズの後を追う。ぼくは振り落とされないように慌ててしがみついた。
ジェームズは、一体どこに向かっているのだろう。いや、特に目的地は存在しないのかもしれない。
当てもなくふらつくことも、よくジェームズがやることの一つだ。
木の根っこや石で入り組み、人間であれば確実に足を取られるであろう道を、しかし動物である全員は軽々と進んでいく。
見たこともない色をした植物や一角獣、とても大きな翼を持つ鳥など、森の中は初めて見るものばかりで、ぼくをいつまでも飽きさせることはなかった。
それは、きっと全員が同じなのだろう。初めて見る植物に足を止めることもしばしばだ。
パッドフットが、これはなんだろうと鼻を近付けたものが大石くらいのヒキガエルで、それに気付いて「キャインッ!」と一鳴きし飛び跳ねたときは、さすがに吹っ飛ばされるかと肝っ玉が冷えたけど。
うろうろしていたら、森の外れに来ていた。
頭上を遮っていた木々もまばらになり、リーマスはちょうど頭の上にある満月に牙を剥くと、ぐるると唸る。
しかし、今日は冷える。パッドフットにくっついていなかったら、きっと凍えていただろう。
犬ってこんなにあったかいんだ、知らなかったな。
パッドフットの前足が、シャリと音を立てて地面を踏みつけた。
先ほどと音が変わったのに気付き、ぼくは顔を上げた。そして目を瞠る。
この場所だけ、雪が積もっている。そして雪の間から、小さな芽が覗いていた。
その芽は一つ一つが様々な色に発光しており、真っ白な雪に反射して、幻想的な光景を醸し出している。
悪戯仕掛人たちが足を止めたのに、ぼくはひらりとシリウスから降りると、マントをしっかり手繰り寄せ、その芽に駆け寄った。
シリウスが「どこに行くんだ」と言わんばかりにワンと鳴く。しかしぼくは、今まで見たこともない新しく幻想的な植物に目を奪われていた。
そっと手を伸ばし、一つを摘み上げようとするも、案外しっかりと雪に根を張っている。
触った感触は、想像していたものよりも冷たくはなかった。触れた指先を見てみるが、鱗粉のように指に粉がつくことはないようだ。すると、内部から発光しているのか。
「来月になれば……花がついているかもしれないね」
そう呟くと、プロングズは「そうだね」と言わんばかりに頭を縦に振った。
ぼくらは気が済むまで、ずっと目の前の光景を見つめていた。
◇ ◆ ◇
毎日の授業はどんどん難しくなっていった。なんでも、来年受ける「ふくろう試験」を見据えてのことらしい。ため息しか出ない。
中でも、闇の魔術に対する防衛術は、そのもっとも極まるものだった。
「服従の呪文を破る練習をする。各自、杖を取って立ち上がれ。呪文に屈するな、撥ね退けるのだ。油断大敵!」
ムーディ先生はある日、唐突にそう言った。
「一人一人にかけて呪文の力を示し、その力に抵抗できるかどうかを試す」
ムーディ先生の言葉に、教室中はざわめいた。
意を決して言ったのはハーマイオニーだった。
「でも、先生。それは違法だとおっしゃいました。同類であるヒトにこれを使用することは──」
「ダンブルドアが、これがどういうものかを体験的にお前たちに教えて欲しいというのだ」
ムーディ先生はハーマイオニーの言葉をむべもなく突っぱねた。
「もっと厳しいやり方で学びたいというのであれば──いつか誰かがお前にこの呪文をかけ、お前を完全に支配する、その時に学ぶというのであれば──わしは一向に構わん。授業を免除する。出ていくがよい」
教室中が静まり返った。
ハーマイオニーは結局教室を出ていくことはなかった。
ムーディ先生は生徒を一人一人呼び出すと、「服従の呪文」を掛けていく。
ネビルは見事な体操演技を立て続けにやってのけたし、アリスは情感込もった見事な声音で『ロミオとジュリエット』のワンシーンを熱演してみせた(腹がよじれそうだった)。
誰も呪いを破れた者はおらず、ムーディ先生が呪いを解いてようやく皆、我に返った表情できょろきょろ辺りを見回していた。
「ハリー・ポッター」
ムーディ先生の言葉に、ハリーが前に進み出た。その指先が微かに震えているのを見つける。
ムーディ先生が杖を上げた。途端に、ぞわぞわっと嫌な気がぼくの身体中を這い回る。
「……何の真似だ」
ムーディ先生は杖を下ろした。
気がつくとぼくは、ハリーを庇うように先生の前に立ち塞がっていた。いつの間にか、左手には杖を握りしめている。
これにはぼくの方こそ驚いた。いつハリーの前に躍り出たのか、全くもって記憶がない。
急いで退こうと思ったが、しかし身体は足に根が生えたかのようにピクリとも動かなかった。
(もしかして、お前なのか? 幣原)
心の中で呟いた。
「アキ・ポッター、授業の邪魔をするなら出て行くのだ。それとも、お前から掛けてやろうか? ……インペリオ!」
閃光が飛んでくる。ぼくは思わず身構えたが、しかしぼくの身体はそんな気持ちとは裏腹に、軽く杖を一文字に横薙いだ。
それだけで、呪文は目の前で四散する。
「ふむ……なるほど。確かに、呪文は掛けられるよりも先に防ぐべきだ。アキ・ポッター、お前の考えは正しい。……しかしだ、アキ・ポッター。そうお前がこうして守っているだけでは、お前の兄君の力は伸びんぞ」
「…………!」
後ろを振り返ると、ハリーが心配そうな目で立っていた。
「僕、大丈夫だよ。やれるよ。ありがとね、アキ」
優しく微笑んで、ハリーは言う。ぼくは頷いて、後ろに下がった。
(大丈夫だ、幣原。ハリーはきっと大丈夫。だってぼくの自慢の兄貴なんだから)
先ほど動かなかった身体は、今回はちゃんとぼくの思い通りに動いてくれた。
ハリーが「服従の呪文」を破る様子を、ぼくは黙って見つめていた。
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