もう見慣れてしまったホグワーツ特急。重たいカートを押しながら、九と四分の三をくぐり抜け、空いているコンパートメントがないかを探し通路を歩いて──程なくして、見つかった。
「隣、いいかな?」
そう言って微笑むぼくに、彼──セブルス・スネイプは、驚いた目を向けた。
「初めて見たとき、君の服に魔法を掛けてやりたいと思っていたんだ。だって可哀想なくらいにダボダボだったんだもの。今は、ピッタリのようだ。背が伸びたね」
「……いつまでもあの頃のままじゃ、いられないさ」
ガタンガタン、と、振動が座席から身体に伝わる。
紅の特急は、ホグワーツ目掛けて一目散に進んでいた。
「……何の本、読んでんだ?」
「あぁ……日本の、東洋のね、魔術の本だよ」
ほぅ、とセブルスは、僅かに興味を惹かれたように目を見張った。読んでいた分厚い魔法薬学の本を傍らに寄せると、ぼくの本を覗き込む。
「読んでみる?」
「いいのか?」
「いいよ」
そう言って、ぼくらは互いの本を交換した。
ぼくらの間に、言葉はあまり飛び交わない。リリーがいたときは、また違ったのだけれど──リリーは静かにしていることが苦手な子だから──ぼくらの間に飛び交うのは、少ない会話と、それに本と、少々のお菓子だった。
静かな時。穏やかな時間。
日本に帰っていたときも、一人静かな時間を過ごしていたが、誰かがいる『静かな時間』というのは、随分と久しぶりだ。
互いが本のページを捲る、ペラリ、ペラリという音。風が、窓を叩く音。線路を走る列車の振動音。それだけで満たされた空間。
「坊ちゃんたち、車内販売はいかがですか?」
そう扉を開けた、大きなカートを引く店員さんに、ぼくらは本から目を上げると、小銭を数えて立ち上がった。
そのちょうど後ろを、リリーが通る。リリーはちらりとぼくらを見て、ハッと表情を変えた。そして、幾分具合が悪くなった顔をして、足早にスタスタと通り去る。
「……リリー」
セブルスは苦しげに、その名前を口にした。自分で言ったその言葉に、身震いをしている。
「……蛙チョコを二つと、大鍋ケーキを二つください。かぼちゃジュースも」
空気を振り払うように、ぼくは笑みを浮かべて店員さんに声を掛けた。
店員さんが立ち去り、ぼくらは買ったものを手に再び腰掛けた。かぼちゃジュースの蓋を開けたぼくと対照的に、セブルスは一気に食欲がなくなった顔で、何も手をつけようとしなかった。
「…………」
口を開きかけ、言葉がまとまらず、口を閉じる。前髪を引っ張ると、小さく首を振った。
そして、考える。
ぼくとセブルスの、友情の残量を。
◇ ◆ ◇
「アズカバンの看守、吸魂鬼は、一体も持ち場を離れていないとのことだ。これまでも、そしてこれからも」
深みのある声。キングズリー・シャックルボルトの声が広間に朗々と響いた。
それにふむ、と声を発したのはムーディだ。
「だが、あやつらに聞いてみた訳じゃあなかろう? 魔法省の頭がいい奴らの中に、吸魂鬼と意思疎通しようと思うイカれた奴がいるようなら、是非ともうちに紹介してもらいたいもんだ」
「やーめてよ、闇祓いはもうそんな時代じゃないんだってば……十年以上前のことじゃない、マッドアイ」
トンクスが聞き飽きたとばかりに肩を竦めた。リーマスは腕を組んで発言する。
「だが、ハリーがプリベット通りで吸魂鬼と遭遇したのもまた事実だ。あの少年は、そんな嘘をつくような人間じゃない」
「その通り。私もリーマスを支持しようじゃないか、ハリーの名付け親として」
「やっぱり、魔法省の誰か……それもある程度高い地位の者が秘密裏に、吸魂鬼に命令を出したと考えるのが一番かね」
ヘスチア・ジョーンズはピンクの頬を引っかきながら呟いた。
「高い地位の者……コーネリウスか?」
「その可能性は低いんじゃないか? あの、脳みそお花畑閣下は、ハリーを排除するよりは目を瞑りたいタイプの御仁に見えるぞ」
「とにかく、そのあたりのことは引き続きあなたに任せますわ、キングズリー」
ミネルバ・マクゴナガルはハキハキとした口調で言った。
「今、あそこの警備は誰がしているんだ?」
「スタージスが、昨夜私と代わってくれた」
アーサー・ウィーズリーの質問に答えたのはリーマスだ。
「あと、ダンブルドアが──」
「しっ、静かに!」
リーマスの声を、モリー・ウィーズリーは遮った。ドアの外に目を遣る。
「階段を降りてくる音がするわ──きっと、うちの子の誰かだと思うけれど」
「興味津々なんだよ。気になって仕方がないんだ。まぁ、僕だってそうだっただろうけど──」
ビル・ウィーズリーは母親にニヤッと笑いかけた。
モリーは気遣わしげにチラチラと扉の外を見ていたが、放っておくわけにもいかないと考えたのだろう。「少し待っていてくださいね」と場に言い残し、扉の外へと姿を消した。
「ハリーも聞きたいだろうに……」
「パッドフット、何度言えば分かる? ハリーはこの会議に参加させないって」
「わーった、わーったよ、ムーニー……」
そこで再び扉が開かれた。
てっきりモリーかと思っていたが、しかし顔を覗かせた人物は違った。
真っ黒の艶やかな髪。小柄な体躯。大きな黒い瞳。
口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「ちょっと、アキ……」
「待て、リーマス」
立ち上がりかけたリーマスを、シリウスは慌てて抑えた。
周囲に漂うこの風は、自然にたなびくものではない。
シリウスは、現れた少年をじっと見つめて口を開いた。
「……秋、だな?」
モリーは、何とも言えない瞳で少年を見ている。
背後のそんな視線をもろともせずに、少年は口を開いた。
「お久しぶりの方も、そうでない方も。……元闇祓い、元不死鳥の騎士団団員、幣原秋です。……どうぞ、お見知り置きを」
深々と頭を下げ、少年はにっこりと微笑んだ。
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