「そう言えば休み中に、なんだっけ? 皆になんとか卿って言わせてる巷で話題のあの人物に会ったよ」
ジェームズの言葉に、ぼくは思わず鉛筆を取り落とした。
小部屋で、悪戯仕掛人とぼくで、忍びの地図の最終設計をしていたときのことだ。
ジェームズは何の気負いもなしに、そんなことを言ってのけたのだった。
「ヴォルデモート卿、な。もっとも、今じゃその名前を呼ぶのすら怖がって、日刊預言者新聞でも『名前を呼んではいけないあの人』やら『例のあの人』やら呼ばれているみたいだけど」
頬杖をついたシリウスが、ジェームズの言葉を補足する。
その言葉に、ピーターはヒェッと怯えた声を漏らして椅子から飛び跳ねたし、リーマスも僅かに眉を寄せた。
しかし、その二人の様子を見たジェームズは、なんとも楽しそうに笑った。
「おいおいおいおい、勇猛果敢なグリフィンドール生が、聞いて呆れるね? あんな奴怖がる価値もない、純血思想なんて思春期染みた妄想を患っている、ただのおっさんだ」
「でも、ジェームズ。その『ただのおっさん』は、闇祓いが束になって掛かっても倒せないんだよ? これまで奴と戦って、何人が死んだと……それにしても、よくぞ無事だったね」
リーマスが安堵のため息を漏らした。本当に、リーマスの言う通りだ。
「あぁ、あっちの陣営に俺とジェームズを引き込みに来ただけだったようだ。あの純血選民思想全開のあいつは、俺とジェームズを狙っていたらしい。一応はポッター家もブラック家も純血の家系だからな。もっとも、すぐさまジェームズが追い返しちまったがね」
「あんな十四歳の自意識拗らせたような奴の下に付く気なんて死んでも起きないよ、お世話様、ってところだ」
ジェームズが肩を竦める。そういうところが、本当にジェームズらしい。
「一体、いつ?」
「秋が日本に帰ってから、一週間も経たないうちだよ。惜しかったなぁ、秋。もうちょっとジェームズんちにいたら、出会えたのに」
シリウスの言葉に、ぼくは思わず黙り込んだ。
会いたい、のだろうか。
ぼくは、あいつに。
両親を殺した、あいつに。
是非とも両親の仇を取りたいと思う。
でも実際に奴を目の前にして、ぼくはそれでも、杖を向けることが出来るのだろうか。
「……僕は、秋がいなくてよかったと思ったけどね」
ジェームズの声は、静かだった。先ほどまでの得意げな笑みは、既に影を潜めている。
「……どういうこと?」
ジェームズに尋ねたのは、ピーターだった。
それに、ジェームズは答える。
「秋の両親は、あいつに殺されているから」
「ジェームズ!」
無意識に、テーブルを叩いて立ち上がっていた。
心臓が早鐘を打っている。息が、上手く出来なかった。
「秋。隠しても、どうしようもないことだ。それなら無配慮に誰かが君を傷つける言葉を吐くより先に、真実を言ってしまった方がいい」
「…………っ」
混乱する頭で、ジェームズに返す言葉は見つからなかった。
部屋の中は静まり返っていた。誰もがぼくとジェームズを交互に見つめている。
そんな目で、そんな気遣わしげな眼差しで、ぼくを見ないでくれ。
「ここには、誰も君を傷つける人はいないよ、秋」
ジェームズは、いっそのこと淡々とした口調で言った。
「ここにいる誰も、君を傷つけない。誰だって、君を助けたいんだ。君を、救いたいと思っているんだよ。──僕らを信じて、秋」
──そんなこと。
次に口を開いたのは、リーマスだった。瞳に光を宿して、ぼくに笑いかける。
「秋。君は僕のあの病気を、受け入れてくれたよね。あの瞬間から、君は僕の共犯者だ。……だから、僕らも君の共犯者にさせてくれないか?」
柔らかな笑顔だった。
ピーターが、揺れる瞳で呟く。
「……どうして、話してくれなかったの? 一体それ、いつの話?」
誤魔化すことも、もう出来ない。
観念して、ぼくは口を開いた。
「……二年前の、魔法魔術大会の終わり。……ライ先輩は『魔法魔術大会で優勝した人間に対して、枷を嵌めているんじゃないか』と言っていた。あの人も、以前あの大会で優勝した折、家族が襲われている」
「……そう、だったんだ」
呆然と、ピーターが呟いた。
「……俺とジェームズが、君に『大会に出ろ』なんてけしかけなかったら……」
「……それは違うよ、シリウス。君らが何もしなくても、元々あれは、フリットウィック先生に誘われていたし……それに、ぼくが出なかったところで、優勝した誰かの家族が犠牲になっていたんだと思う」
そう考えると、ライ先輩は信じられないほどに強い人だ。理不尽に自分の家族が襲われて、なお、続く被害者を出さないためにエントリーしたのだから。
疑問と、疑念を抱きながら。
「ライ先輩……あぁ、ライ・シュレディンガーか」
「そう。去年卒業した、グリフィンドールの先輩だ」
シリウスは、思い返すような表情をした。
ライ先輩だけじゃない。闇祓いになったエリス先輩も、不死鳥の騎士団で出会ったフランクさんも、アリスさんも、本当にすごい信念を持った人だ。
ぼくにも、なれるだろうか。あんな人たちのように。
……まだ、告げるのは早いだろうか。
でも、彼らは、むしろ「遅すぎるくらいだ」と愚痴るのかもしれない。
そう考えながら、ぼくは口を開いた。
「……不死鳥の騎士団という組織を、知っている?」
◇ ◆ ◇
ホグワーツ特急での旅は、決していいものとは言い難かった。
ドラコがハリーたちグリフィンドール生を挑発するのはいつものことだったが、『犬のように』はさすがに言い過ぎた。
──やっぱり、何がなんでも置いてくるべきだった。
しかし、あの大型犬は納得しないだろう。単純な行動力だけで言えば、シリウスは悪戯仕掛人随一、ジェームズをも上回っていたのだから。
「ねぇ、アキ。この馬、一体何?」
「え?」
馬車に乗り込むとき、ハリーが震える声でぼくに尋ねた。
ハリーが何を言っているのかよく分からず、ぼくは首を傾げる。
「今まで、こんな馬いたかい? ロンは見えないって言うんだ──」
「あんたはあたしと同じくらい正気だよ、そう言ってるじゃん」
ルーナが言うも、ハリーは心配げな表情でぼくを見ていた。
「……あぁ、セストラルのことか」
やっと合点が行った。頷く。
「セストラル?」
「この馬の名前。そうか……君にも見えるのか」
ハリーが首を傾げるのに、ぼくはちょっとだけ眉を寄せて笑った。
「『死』を視たことのある者にしか、セストラルは見えない──そういうことさ」
「あんたのお兄ちゃん、ちょっと変わってるね」
「そうかな? きっとハリーは、君の方こそ変わってると思っただろうさ」
ハリーたちグリフィンドール生と別れ、ルーナとそんなことを話しながら、レイブンクローのテーブルへと向かった。アリスの姿を見つけ、その正面に腰掛ける。
「やぁ、アリス。いい休暇だった?」
「いいとは言い難いが、悪くはない休暇だった。……お前は案外軽い男だな、新しいガールフレンドか?」
「止めてよ、アクアに殺されちゃう。一つ下のルーナ・ラブグッド。見覚えくらいはあるだろう?」
「アリス・フィスナーだ」
夢見心地のような瞳でルーナはアリスを見ると、ほわっと笑った。
アリスは少し毒気を抜かれたような顔をしていたが、小さく息を吐くと頭をぐしゃぐしゃと掻いた。
「ピアス増やした?」
「あぁ、まぁな」
左耳のピアスが、今までは雪印ピアスだけだったのに、もう一種類増えている。
それを指摘すると、アリスは思い出したように左耳のピアスに触れた。
「災難だったな、お前の兄貴。よかった、と伝えておいてくれ。こっちも胸を撫で下ろしたと」
「あぁ、リィフさんから聞いたのか。全くもう、な話だよ」
憤慨したところで、一年生が入ってきた。ぼくらは揃って口を閉じると、前を向く。
目を期待と不安に輝かせている一年生を見て、懐かしいな、と感慨に耽った。もう、あれから四年も経つのか。
ついでに、帽子と口喧嘩して負けたことも思い出し、思わずギリっと歯を食いしばった。くっそう。
マクゴナガル先生が、椅子の上に帽子を置いた。
帽子が歌い出す。今年の歌は、普段とは少し毛色が違っていて、ホグワーツの四人の創始者、ゴドリック・グリフィンドール、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフ、そして、サラザール・スリザリンにまつわるものだった。
「『外なる敵は恐ろしや』……か」
アリスは眉を寄せ、小さく呟いた。
「帽子が警告を伝えることって、今までにあったのかなぁ?」
『ありましたよ、ルーナ』
ルーナの呟きに答えたのは、レイブンクローの寮付きゴースト、『灰色のレディ』だった。
創始者、ロウェナ・レイブンクローの娘、ヘレナ・レイブンクローだ。
『帽子は学校に危機が迫っていると、警告を発する義務があると考えているのですよ』
それだけ言うと、『灰色のレディ』は姿を消してしまった。
「……団結しろ、ってことか」
今日のハリーとドラコの様子を思い出し、小さく頭を振った。
四寮の、それもグリフィンドールとスリザリンが手を取り合うことなんて、本当にあるのだろうか。
組み分けの儀が終わり、ダンブルドアの合図でテーブルに豪華な食事が現れた。
そして、誰もの腹が満たされた頃合いで、ダンブルドアが再び立ち上がった。今までと変わらぬ注意事項を述べて、言葉を続ける。
「今年は先生が二人変わった。グラブリー・プランク先生がお戻りになったのを、心から歓迎申し上げる。『魔法生物飼育学』の担当じゃ──」
ぼくは慌てて教職員テーブルを見渡した。あんなに目立つハグリッドの姿がない。
アリス、と声を掛けようとしたところで、シッとアリスは人差し指を口元に当て、鋭い瞳で前を見た。
「さらにご紹介するのが、アンブリッジ先生、『闇の魔術に対する防衛術』の新任教授じゃ」
アリスの眉がぎゅっと寄る。
アンブリッジ先生──思わずぼくは二度見したが──全身がピンク尽くしだ。ローブもピンク、カーディガンもピンク、ヘアバンドもピンク、持っている小さなハンドバックもピンク。ちょいと少女趣味すぎやしないか。
人の趣味をとやかく言うつもりは毛頭ないが、少しは実年齢を考えて欲しい……ちょいと、あれは、凶器だ。
ダンブルドアの言葉を咳払いで遮り(今までそんなことをする人は誰一人としていなかった──ほら見ろ、マクゴナガル先生がすごい表情をしている──)、アンブリッジ先生は立ち上がった。
「歓迎のお言葉恐れ入りますわ、校長先生」
見た目とこれまたギャップのある──いや、服装の趣味からは合っているのか──甲高い声に、少しだけ唖然とした。
「さて、ホグワーツに戻ってこられて、本当に嬉しいですわ! そして、みなさんの幸せそうな可愛い顔がわたくしを見上げているのは素敵ですわ! みなさんとお知り合いになれるのを、とても楽しみにしております。きっとよいお友達になれますわよ!」
──ここは本当にホグワーツだったか。
間違えて幼稚園の教室に来てしまったんじゃないか。そう思わせるレベルの衝撃だった。誰もが冷笑を隠さない。
アリスなんて、絶対興味をなくしているだろう──そう思ったが、しかしぼくの予想は外れていた。アンブリッジの言葉に気分が悪そうに眉を顰めながらも、アリスはじっとアンブリッジを見据えていた。
再び咳払いをした後、アンブリッジは口調を変えた。しっかりとした口調で、スラスラと述べてみせる。
「魔法省は、若い魔法使いや魔女の教育は非常に重要であると、常にそう考えてきました。みなさんが持って生まれた稀なる才能は、慎重に教え導き、養って磨かなければものになりません。魔法界独自の古来からの技を、後代に伝えていかなければ、永久に失われてしまいます。われらが祖先が集大成した魔法の知識の宝庫は、教育という気高い天職を持つものにより、守り、補い、磨かれていかねばなりません。
ホグワーツの歴代校長は、この歴史ある学校を治める重職を務めるにあたり、何らかの新規なものを導入してきました。そうあるべきです。進歩がなければ停滞と衰退あるのみ。しかしながら、進歩のための進歩は奨励されるべきではありません。なぜなら、試練を受け、照明された伝統は、手を加える必要がないからです──」
ぐるりと周囲を見渡すと、誰もアンブリッジの話を聞いていないようだ。雑談に興じていて、まともに聞いているのは数えるばかりだ。
ルーナは隣で「ザ・クィブラー」を読み始めたし、ちゃんと聞いているのは、ハーマイオニーと、ハッフルパフのアーニー・マクラミン、それに──
ちらりと正面を見た。
アリスは吐き気をこらえるような表情ではあるが、じっと話に耳を傾けている。
──と、あとは教授陣か。
演説から漂う、隠しきれない選民思想臭。
魔法使いは希少で稀で、魔法使いであることそのもの自体に価値があると思っている。
魔法省は、ホグワーツの進歩を許さない。
「……教育に、政府の圧力が掛かって、ロクな試しがないことくらい、周知の事実じゃないか」
小さな声で吐き捨てると、アリスはちらりとぼくを見た。その目は「あぁ全くだ」とぼくの言葉に同意している。
「保持すべきは保持し、正すべきは正し、近ずべきやり方と分かったものは何であれ切り捨て、いざ、前進しようではありませんか。開放的で効果的で、かつ責任ある新しい時代へ」
その言葉で口上を締め括ると、アンブリッジは座った。
パラパラと気の無い拍手が鳴り、すぐに止む。
「まさに啓発的じゃった」
ダンブルドアがそう言うのに、「本当に啓発的だ」と嘲るような声でアリスは呟いた。
「アキ、先に言っておくぜ。面倒なことになる前にな」
アリスはニヤリとぼくに笑いかけた。
「今年の俺は優等生だ、どっからどう見ても、なぁ? アキ」
よくその顔で、その服装で、そんなことが言えたものだ。
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