飛行機から降り立つと、息をついた。
六年生が終わり、七年生となる。その間の夏休み、およそ一年振りに、生まれ育った地日本に帰り立った。
列車を乗り継ぎ、そこから歩いて家に辿り着いた。荷物を置き、時差ボケを直すために少し寝る。軽く家の掃除をしてから、バケツと雑巾を持って外に出た。
向かう場所は、決まっていた。
両親の墓だ。
途中の花屋で、花を買った。よく分からないので、適当に包んでもらう。
「……百合の花を入れてもらっても、いいですか?」
思いついたそれを、店員さんは快く実行してくれた。
山を降りると、墓地に出た。その頃にはもう既に汗でびっしょりだった。
日本の夏は暑い。空気が湿っている。イギリスの方が日差しは強いが過ごしやすいのは、日本は湿度が高いからだろう。
墓地には、ぼくと同じく墓参り目的だろう人がちらほら見受けられた。夏休みだからだろう。
それでも、子供が一人で墓地に来るのは珍しいらしく、ちらちらと見られているのが分かる。顔を伏せて、そそくさと足早に通り過ぎる。
「……え」
両親の墓の前に出たぼくは、思わず声を漏らした。
人がいる。墓の前、石畳に、人が倒れ伏している。
男の人のようだ。それも大人の。紺色の着流しを身に纏っている。
「あ、あの……」
恐々近付いて、声を掛けてみた。しかし、ピクリとも身じろぎしない。
「あのー……」
弱ったな、と思いながらも、その辺りにバケツと花を置いて、その人の肩を揺さぶった。
まさか、死んでたりしないよな。墓地で死んでるって、なんてホラーなのか。まだ日は高いというのに。
幸いなことに、その人は呻き声を上げつつも目を覚ました。良かった、と胸を撫で下ろす。
少し肝が冷えた。そうそう怪談話は得意ではないのだ。幽霊とかそういうのなら、ホグワーツで慣れているから大丈夫なのだが。
「大丈夫ですか?」
目を開けたもののどこかぼんやりとした様子のその人に、ぼくは声を掛けた。
その人は顔をこちらに向けると、ぼくの顔に焦点を合わせる。瞬間、一気に瞳に光が灯った。目を見開いたその人は、ガバッと起き上がるとぼくの両腕を掴む。
「君っ、もしかして秋くんか!」
「えっ?」
突然名前を呼ばれ、目を瞬かせた。
どうしてぼくの名前を知っているのか。どこかで会ったことあったっけ。
そう言えば、どことなく見覚えがある気もする。記憶を辿って辿って、もしかして、という人物に行き当たった。
「……あ、もしかして、梓さんですか……? 父の、弟の」
「そうだよ。よく覚えていたね、直兄の葬儀以来のはずなのに」
「記憶力にはそこそこ自信がありまして……それより、どうしてこんなとこで……」
倒れていたんですか、と口にしようとした瞬間、ぐぎゅるるる、と凄まじい音が鳴った。
パッとぼくの腕を離し、恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「あ、はは……ごめんね。何か食べるもの、持ってない?」
ぼくは目を瞬かせた。
「いや、本当に助かった。本当にありがとうね、感謝してるよ」
「い、いえ……」
『何か食べるもの』と言ったって、ぼくだって日本に帰ってきたばかりなのだ。
ひとまずあちらから持ってきた、小腹が空いたときに食べる用のパンを差し出すと、梓さんは涙を流さんばかりにぼくに何度もありがとうありがとうと言って食べていた。
「それより、一体どうしてあんなところに?」
杖を振り、いつもの癖で紅茶を差し出したところで、ここは日本だ、とハッとした。しかし梓さんは全く気にした様子もなく、一息に飲み干してしまう。
カップをソーサーに置いて息をついたところで、梓さんはへらりと笑った。
「なんとなく、君に会えるかなぁって思っていたんだよ」
「……あれ、梓さんって……」
「ううん、僕は『予知夢者』じゃないよ。直兄みたいな能力は持ってない。だから、これはただの勘。でもまぁ、こうして秋くんに出会えたんだから、僕の勘もそうそう捨てたもんじゃないね」
「でも、倒れるまであんなところにいなくてもいいじゃないですか。そう、うちに来たりとか……」
梓さんは「そんなこと出来ないよ」と首を振った。てっきりぼくは礼儀的な意味でそう言ったのかと思ったが、真意は違ったようだ。
「この家はね、幾重にも結界が巻かれていて、そこんじょそこらの人じゃ近付けないようになっているんだよ。地図通りに進もうと思っても進めない、まっすぐ山を登っているはずなのに、いつの間にか降りている……そういう結界が敷き詰められている。直兄は優秀な術者だったからね、僕程度じゃあ到底辿り着けやしないよ。森の中を永遠彷徨って、気付けば腹が減った野生動物の餌食さ」
へぇ、初めて知った。そうだったのか。
道理で、幼い頃から両親に「友達は家に連れてきちゃダメだよ」と口酸っぱく言われていたわけだ。
「どうしてぼくに会いたかったんですか?」
そう尋ねると、「甥っ子に会いたいって気持ちに、理由なんている?」と微笑まれた。
「……違いますよね。ぼくの両親は、あなた方とは断絶していた。親戚の交流なんて全くなかったし、ぼくはあなたに、父が死んで初めて会いました。ちょくちょく会って交流があったならともかく、いきなりそんなこと言われて『はいそうですか』とは、到底信じられませんよ」
久しぶりに、長々と日本語を喋っている気分だ。ぼくも随分とあちらに馴染んでしまっているらしい。
梓さんはちょいと目を瞠ると、心底楽しそうに笑った。
「警戒心が強いんだね、君は」
「父がどうしてあなたと、あなた方と連絡を取っていなかったのか、それが分からない限りは、気安くはなれませんよ」
「なるほど、なるほど」
飄々とした人だ。のらりくらりと掴ませない、掴みどころがない。
その辺りは、微妙に父と似ている、と思った。
「直兄がどうして僕らと断絶したのか、知りたい?」
「…………」
思わず口を噤んだ。しかし、こくりと頷く。
嘘を吹き込まれる可能性は否定出来なかったが、それを言うなら真実を伝えてくれる確証がある人は、今やもう誰一人としていないのだ。
「ちょいと長い話になるけどね」
梓さんは変わらず笑みを浮かべていたが、僅かに瞳を陰らせた。
「君のためなんだよ、秋くん」
◇ ◆ ◇
DAの集会の日付を全員に手早く知らせる仕組みとして、ハーマイオニーがガリオン金貨(に似せた金属)に『変幻自在術』を掛けることに思い至ったのは、比較的すぐだった。
受け取ったガリオン金貨に、へぇ、と感嘆する。この子は本当にすごいな。レイブンクロー生も嫉妬する秀才だ。学年一位は伊達じゃない、さすがはハーマイオニー。
しばらく、DAは順調だった。『武装解除呪文』は皆かなり上達したし、『妨害呪文』も半数が出来るようになった。
ハリーはとても満足げで、アンブリッジ対する闇の魔術に対する防衛術の授業でも、上手く癇癪を抑えられるようになってきた。
しかし、しかし、だ──万事順調だと思っていたときに、試練は降りかかるものだ。
とりわけ、ハリーには。
初めて、ロンがキーパーとして参戦したクィディッチの試合──グリフィンドール対スリザリンの試合。
そこで、ドラコをボコボコにぶちのめしたハリーと、フレッド、ジョージの双子は、あのガマガエル女史に、生涯クィディッチ禁止令を出されてしまったのだった。
「ホント、バカだな」
アリスは包帯グルグル巻きでベッドにいるドラコに、容赦なく言葉を浴びせた。
「よくもまぁ、飽きもせずにアキの兄貴を挑発するよ。それだけぶん殴られることをお前はしたんだ」
ドラコの傍らにはアクアもいて、呆れた、とも言わんばかりの絶対零度の視線を送っている。
アリスとアクア、幼なじみの二人から容赦ない言葉と視線を浴びせられ、ドラコは身体を小さくして黙り込んでいた。少し気の毒にもなる。
「ハリーの何が気に食わないの? ドラコ」
そう尋ねるも、ドラコはそっぽを向いてしまった。言いたくないってか。ため息をつく。
「……君らには分からない」
小さな声が聞こえた。ドラコのものだ。アリスは肩を竦めた。
「そりゃ分かんねぇよ。お前、何も言わねぇもん」
「…………」
「しかし、変な構図だな」
ポツリと、アリスはひとりごちた。
「グリフィンドール側、ハリー・ポッターの弟であるアキと、スリザリン側のお前とお嬢サマ、中立不可侵の、俺。お嬢サマは家の思想を否定しては地下牢にぶち込まれる問題児だし、お前は両親の期待に応えるいい子ちゃんだ。よくもまぁ、一緒にいられるもんだよ」
「……お前は、結局フィスナーを継いだと聞いた」
ドラコの言葉に、アリスは「あぁ」と静かに頷いた。
「結局な、あの家がなくなんのは、俺も困る。だったら早めに意志を表明して、先回りして準備しておいた方がいいんだ」
「……戦争が、始まるのね」
アクアは僅かに眉を寄せた。灰色の瞳が伏せられる。
「お前はさ、結局、どうしたいんだ?」
アリスの問いかけに、ドラコは何も答えなかった。
ただ、黙ってシーツを掴んだ自分の手を見下ろしている。
「なぁ、ドラコ」
アリスが、ドラコのファーストネームを呼ぶのを初めて聞いた。
幼い頃は、きっとこうして、名前で呼び合っていたのだろう。そういうことが分かる、優しい声音だった。
「ずっと、ガキのまんまじゃいられねぇんだ。自分の人生だ、どう生きるか、早めに決めとけよ……幼なじみからの忠告だ」
「……ふふっ、偉そうに言うわね。あなたもこの前、やっと決断した癖に。……散々迷って、家飛び出して、好きなだけ親に迷惑を掛けたのは、一体どこの誰だったかしら?」
アクアは、ちょっとだけ嬉しそうにそう言った。
「うるさい」とアリスは眉を寄せるも、声には怒気が感じられない。
「丸くなったね、アリス」
感慨深く呟くと、途端にゲンコツが飛んできた。慌てて飛び上がり、拳が当たらないところまで下がると、アリスは露骨に舌打ちをした。
アクアはぼくらのやり取りを見てクスクスと笑う。
「……アリス」
その時、黙っていたドラコが口を開いた。
アクアよりも濃い灰色の瞳が、縋るように揺れている。
「フィスナーの名前は、今もまだ、健在か?」
ぼくには、その言葉の意味はよく分からなかった。
しかし、アリスには伝わったらしい。
「……あぁ」
はっきりと、頷く。
それにドラコは、安堵の表情を浮かべてみせた。
「……死ぬなよ、アリス・フィスナー」
ドラコはそれだけ言うと、身をベッドに倒し、シーツを頭まで被る。
もう、話す気はないようだ。
「……難儀な性格してんよ、お前も」
アリスはそう吐き捨てるように言うと、立ち上がった。
「んじゃ……俺、先戻っとくわ。レーンからバスケ誘われてんだった」
「えっ? あ……」
言い残して、あっという間に病室から出て行ってしまう。まるで風のようだ。
「……気の遣い方が、下手くそなのよ、バカ」
「どうしたの、アクア?」
ぼくの声に、アクアは恨みがましい目を向けた。理由が分からず、ただたじろぐ。
「……鈍感というか、無神経というか、何も考えてないというか」
「えぇ!?」
酷い言われようだ。
アクアは「……じゃあね、ドラコ」というと病室から出て行ってしまう。
慌ててぼくも「ドラコ、お大事に!」と声を掛けると、彼女の後を追った。
「ま、待ってよ、アクア!」
アクアは振り返った。ぷく、とむくれるように頬を膨らませている。そんな子供っぽい仕草も滅茶苦茶可愛い。
「……今年のクリスマス」
「うん?」
「……ホグワーツに残る? って、聞いてんのよ」
察しなさいよ、バカ、と、アクアは頬を染めて呟いた。
思わず、ぼくの顔も赤くなる。
「……あー、えっと」
多分、今年はホグワーツには残らないだろう。夏休みの最後、モリーおばさんが「またクリスマスに」と言っていたと思うし。
だけど、それをアクアにそのまま伝えるのは、憚られた。
ぼくの無言の間を解釈して、アクアの瞳が曇った。申し訳なさに、胸がぎゅっと痛む。
「……ごめん」
「うぅん……私こそ、ごめんなさい」
「で、でもさ! その……」
勢いで、アクアの手を掴んだ。
「手紙……贈るから。プレゼントも……」
アクアは顔を赤らめてぼくを見ていたが、こっくりと頷いた。
いや、大きく俯いただけかもしれない。それからアクアが顔を上げるまで、長く時間が掛かったから。
「……き、期待してる」
「あ……うん」
しばらく、何とも言えない気まずい時間が流れた。それを断ち切るように、アクアが「じゃあ……バイバイ」と言って、顔を上げると僅かに微笑んだ。
「あ、う、送ってくよ」
「あら……ありがとう」
いつの間に、自分はアクアの手を握っていたのか。はっと気がついて手を離そうとしたが、アクアは咎めるように首を振った。
ぼくのローブのポケットの中に、自分の手も一緒に入れる。
どうにかなってしまうかと思った。足取りが軽すぎて、ふわふわしている。
自分のポケットの中に、アクアの手が入っている。冷たい指が、暖かさに包まれて、じんわりと熱を持ってくる。
幸せすぎて、こんなに幸せでいいのかと、考えてしまう。
「……ディゴリーの様子も、見に行かなくちゃ」
アクアの声で、一気に現実に引き戻された。
「どうにかできないものかな?」
「……難しいでしょうね。でも、生きてはいるはずよ。殺すつもりなら、初めから殺していたでしょうし」
「……ヴォルデモートが何を考えているのか、予想がつかないな……っと、ごめん」
『ヴォルデモート』の単語を聞いて、アクアは大きく身震いをした。
慌てて謝ると、アクアは息を吐いて「大丈夫」と頭を左右に揺らした。ポケットの中で、ぼくの手を握るアクアの力が、僅かに強まる。
「あの活動は、順調?」
アクアの言う『あの活動』が、DAのことを指しているだろうことは、容易に分かった。
「いい感じだよ。これならふくろうもO間違いなしだろうね」
あえてぼかして告げる。
アクアはクスクスと笑って「皆してOをとったら、先生方、驚くでしょうね」と言った。
「……アクアもいたら、きっと、もっと……」
ぼくの言葉を、アクアは静かに止めた。少し、切なげな笑みだった。
「……その気持ちだけで嬉しいわ、アキ」
「…………」
「ここで、いいよ」
いつの間にか、スリザリン寮の目の前まで来ていた。
アクアはぼくのポケットから手を抜くと、「……手紙とプレゼント、楽しみにしてる」と言って駆け出して行ってしまった。
一人取り残されたぼくは、小さく呻いた。
「……失敗したなぁ」
DA のことは、ほかの誰でもない、アクア自身が一番、気にしていたことなのに。それをぼくは、分かってあげないといけなかったのに。
「……バカで鈍感なところ、どうやったら治るんだろうな」
ね、幣原。
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