破綻論理。

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空の記憶

第19話 真実の代償First posted : 2015.11.23
Last update : 2022.10.14

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「何から語ろうか。まず、幣原家についてから語り始めるべきか」

 笑顔は崩さず、梓さんは口を開いた。テーブルの上で、両手の指を合わせている。ぼくと同じ癖だ、と少し驚いた。今にも合わせようとしていた指を、意識して離す。

「君は確か、ホグワーツ魔法魔術学校に通ってるんだよね? 直兄と同じだ」
「梓さんは……?」
「僕? 僕は違うよ。魔法処、まぁ、ホグワーツの日本版みたいなものかな、そこに通った」
「日本にも魔法学校があるんですか!?」

 目を瞠った。
 ぼくの反応に、梓さんはクスクスと笑う。

「あるよ。ホグワーツとは少し毛色が違うけどね。陰陽師、って、聞いたことない?」
「……一応は」
「それは重畳。僕ら幣原は、今や相当に少なくなった日本呪術の使い手、陰陽師の生き残り家系の一つだ。例えば……これ」

 そう言うと梓さんは立ち上がり、ふらりと台所へ消えた。
 やがて戻ってきた時には、一枚の板を持っていた。真ん中に正方形が描かれている。
 これは確か、父が母を呼ぶ時によく使っていたっけ。

「式神の応用版さ。ある程度の距離なら、声を飛ばして相手に伝えることが出来る。……はぁ、すっごいな、よくこんなもの作り出したものだ。直兄は発明家気質でね、よく色んなものを気まぐれに作っていたよ」

 それは、確かに、そうだ。
 首にいつも掛けているロケットを、シャツの上から握った。

「どうして父は、ホグワーツに? 弟のあなたは、日本の魔法学校に通ったんですよね。一体どうして……」
「ちょっとその辺りはゴタゴタしててね。一言でざっくりと言えば、直兄は飛ばされたんだ。政略的な意味で」

 椅子に座り直した梓さんは、ほんの少しだけ仄暗い目つきをした。

「ちょいとばっかしね、直兄は有能過ぎた。僕らの父……まぁつまり、君のお祖父さんに当たる人だね。あの人は次男だった。幣原の正式な跡取りはちゃんといた……ちょいと前に飛び降りて死んだがね。直兄の死の知らせを聞いた瞬間だった、止める間もなかったらしい……バカな奴。いつまでも直兄をライバル視してた、叶いっこないのに。
 結局のところ、幣原の当主は直兄になったから、直兄が飛ばされた意味はまるっきりなかったんだ。直兄は、それほどまでにずば抜けていた。可哀想に、あの跡取りは人生を直兄の才能に振り回されて、まさしく全てを棒に振ってしまった」

 思わず息を呑んでいた。
 梓さんはその話のフォローを一切せず、指を合わせてにっこり笑う。

「話を続けよう。直兄は邪魔だったからホグワーツに飛ばされたんだ。程よく遠く、程よく有名で、程よく言葉の通じない異国の地へ。僕は邪魔になるほど能力がなかったから、そのまま魔法処に入学した。それだけの話だよ。……ショックだった? でも、君が聞きたいって言ったんだ」
「……そうですね。大丈夫です」

 詰めていた息を吐き出した。
 テーブルの下、梓さんから見えないところで、指を合わせる。そうすることで、少しだけ落ち着いた。

「直兄はホグワーツを卒業して、日本に帰ってきた。まさか英国から女の子を連れてくるとは思いもしていなかったけどね。直兄の縁談を手ぐすね引いて待ち構えてた奴らには、大打撃を与えたよ。そして少々の厄介事も引き連れてきた。最近よく耳にするよ、直兄と君のお母さんを殺した人の話をね。英国で暴れ回っているんだって?」
「……はい」

 ふぅん、と、梓さんは軽く返事をした。
 聞きようによっては、どうでもいい、とも取れる声音だった。

「直兄を殺せる人が、この世にいるなんてね。僕はそっちの方が驚きだけど……どこまで話したっけ?」
「ぼくの父が、母を連れて日本に戻ってきたところまで……」
「あぁ、そうだった」

 なんとなく、だけど、少しずつ、両親が──父が、ぼくと親戚とを──実の弟である梓さんとを引き離していた理由が、分かってきた気がする。

 少し、怖い。

 この人からは、あまり人間味というものが感じられない。
 事実を事実として、ありのままに語っている。淡々とし過ぎている。

 その率直さ故、嘘を語られているのではない、ということが分かるのはありがたかったが。

「直兄は幣原の家が嫌いだった。嫌いだった理由は、何だろうね。『夢』で色んな人間の思惑を見たから嫌いだったのか、それともその逆か。
 ともかく、日本に帰ってきてすぐさま、あの人はうちの両親に……君にとっては祖父母か。彼らに絶縁状を叩きつけていった。当主という肩書きも誰かに押し付けたかったのだろうが、生憎と残っているのは跡継ぎの見込みもない痴れ者と、昼行灯の僕。いろんな人に説得されて、名ばかり当主でいいならと直兄はしぶしぶ受け入れた。それからしばらくして、君が生まれた。自覚しているのだろうが、君の魔力はそれはそれは恐ろしいものでね。君が三つの時は家を半壊にしたと聞いたよ」

 あぁ、それは──以前両親から聞いた覚えがある。

「とんでもない魔法力を保持する君を、君の両親は、幣原からも、英国で暴れている奴からも、守らなくちゃいけなくなった。どちらも厄介だが、最重要は幣原から君を守ることだ。君の能力を垣間見た幣原の人間は、まさしく君を当主にしたいと思うだろう。直兄はそれが嫌だったんだろうなぁ。息子を自分と同じ目には合わせたくなかったんだろうな」

 そう──だったのか。

 梓さんは、薄く微笑んだ。

「良かったね、くん。幣原当主は君には行かない。直兄が死んで、僕が継いだ。僕が死んだら、多分僕の息子が継いでくれるだろう……君のいとこ、に当たるのかな。今年で十五になる。直兄と君のお母さんの葬儀で、君も見たはずだ」

 覚えている。梓さんの隣にいた。学生服を着た少年だ。名前は、どうだろう、覚えていない。じっとぼくを睨みつけるその目が、印象的だった。

「才能ってのは、凄まじく人を振り回す。才能を持つそいつも、そいつの周りの人間も。本物の才能というのはね、人を狂わせるんだ。それを、僕はずっと部外者として見てきた。そうでもしないと、直兄の才能に巻き込まれてた」

 淡々と、梓さんは言葉を紡いだ。

「直兄の場合、狂ったのはあの跡取り。そして君の場合、狂わされたのは一体誰だろうね」

 挑むような目だった。
 ぼくは静かに目を閉じると、両手を組み合わせ、額を擦り付ける。

「……まだ、どうしてぼくに会いたかったのか、その理由を聞いていません」

 目を開けた。
 まっすぐ見据えたぼくに、梓さんは少しだけ感嘆したような眼差しを送る。

「あはは。……おいで、くん」





「この家で一番本が置いてある部屋はどこかな?」

 そう、梓さんは尋ねた。

「必要な本があるんだ。きっとこの家に置いてあるはずだ」

 なるほど、だから梓さんは、墓でぼくを待っていたのか。いつ来るとも知れぬぼくを。

 一番本が置いてある部屋、といえば、ここしか思い浮かばない。
 父の書斎だ。

 扉以外の壁を天井まで覆う本棚に、圧倒されたように梓さんは黙り込んだ。

「……あの、聞いてもいいかい、くん」
「なんです?」
「この本たち、分類分けされてたりとか……」
「まさか。ぼくの父は案外適当でしたから、取り出した本は、一番近くの棚の空いた部分に適当に戻していました」

 ぼくは結構神経質だったから、そんな父の仕草にちょっとイライラしていたものだったけど。

「あー……直兄、困るよそれは……あの人、自分が覚えてるからそれでいいってタイプの人間だものなぁ……机の上に物を放置はしないけど、引き出しの中開けたらぐっちゃぐちゃなんだよなぁ……」

 梓さんが呻いている。
 その形容は悔しいがかなり真実を突いていて、ぼくは思わず笑ってしまった。

「手伝いましょうか? どんな本なんですか」
「それは助かるよ。んー、一目で分かると思う。手に取った瞬間、文字が浮き出てくるんだ。『血』に反応するから」
「血に?」
「そう、幣原の血に。だから、君にも反応するはずだ」

 へぇ、とも、ほぅ、ともつかない声を、ぼくは上げた。

 探し始めて数時間が経ち、だんだんとこれが随分とロクでもない作業なのだということが分かってきた。
 一冊一冊ただ手に取り中身を確かめるだけの作業なのだが、本があまりにも膨大過ぎた。キリがない、と言ってもいい。

 それでもやっと三日目の夜に、全ての本を確かめ終わった。

 結論。
 そんな本は、見つからなかった。

「……はぁ、なるほど、なるほど」

 梓さんは疲労困憊の体だったが、面白そうに笑った。
 積み上げられた本の隙間に、身体を横たえる。

「……本当に、この家にあるもんなんですか、その本って……」
「んー、なけりゃあおかしいんだよ。……うん、ちょっと待って」

 身体を起こすと、梓さんはぼんやりした眼差しを宙に彷徨わせた。
 何を一体思いついたのか、今度はもう少し生産性のあるものがいいなぁ、と思いつつ、空っぽになった本棚に背中を預けて座り込む。

「……もしかして」

 そう呟いて、梓さんは瞬時に書斎を飛び出して行った。
 あまりの素早さに、声をかける隙もない。パチパチと目を瞬かせた。

 やがて帰ってきた梓さんは、楽しげに口元を緩ませていた。
 もっとも、この人はいつだって笑っている。

くん」

 随分とあっさりと。三日間の苦労全てが水の泡と消えたというのに、梓さんは笑顔でぼくを振り返った。

「おいで」

 首を傾げながらも梓さんの元へと駆け寄ると、梓さんは「押してみて」と言ってぼくの手を空っぽのある本棚に持っていった。
 首を傾げながらも、力を込めて──

「……っ!?」

 いきなり本棚が回転した。支点を失ったぼくの腕は、そのままつんのめるように倒れ込み、その奥、隠し部屋の中へとダイブする。
 どのくらい開かれていなかったのか、ものすごい量の埃が溜まっていて、ぼくは慌てて立ち上がった。

「あっはっは、大丈夫かい、くん?」

 全然心配してない口調で、梓さんが隠し部屋の中に入ってきた。少し咳き込みながらもこくりと頷く。
 指を鳴らせば、もうもうと舞っていた埃はすぐさま部屋の外へと出ていった。クリアになった空気に、息をつく。

「まさか、こんな部屋があったなんて……」
「直兄は子供っぽいところがあったからね。息子の君から見ても、そうだったんじゃない?」

 当たっている。
 忘れもしない、十一歳の誕生日に、『君は魔法使いだ』と言って本の雨を降らせようとしたり。

 隠し部屋は、大体一畳くらいの広さだった。
 梓さんが左手を広げると、手の上にふわふわとした灯りが出現した。部屋には何も置かれていない。

「あの人のことだから……」

 そう言って梓さんは、空いている右手を懐に突っ込んだ。
 やがて一枚の細長い紙を取り出すと、床に触れさせる。

カイ

 瞬間、何もなかった床に、光輝く緑の線が浮かび上がった。
 線で四角く区切られたその部分は、光が収まった、と思った瞬間、勝手にパカリと開く。開いた先を覗き込むと、ずっと階段が続いていた。

「じゃ、行こうか、くん」

 

  ◇  ◆  ◇

 

 クリスマス休暇の直前、最後の DA の会合で、ハリーは「今夜はこれまでやったことを復習するだけにしようと思う」と宣言した。
 不満は少し出たようだが、ハリーの狙いは的を射ている。新しいことを始めたところで、クリスマス休暇で三週間も間が空くのだ。

アキ、手合わせ願いたい」

 皆が『妨害呪文』を練習している傍ら、ハリーが杖をくるりと回し、ぼくに向けた。

「かかっておいで、どこからでもね」

 杖を抜くと、ぼくも立ち上がる。
 見えない障壁を、ぼくらと他の人との間に張り巡らせた。この前、思わぬ事故でハリーをあちら側に吹き飛ばしてしまい、大騒ぎになってしまったから。

 会合で、ハリーは毎回こうしてぼくに挑む。
 段々と、術の使い方も鋭くなってきた。ハリーの成長を実感できて、ぼくも嬉しい。

アキ

 まっすぐに、ハリーはぼくを見つめた。

「君に、本気を出させたい」
「……やってみな」

 杖を突き出し、構える。

「三……二、いち!」

 どちらともなくカウントダウンをして、ぼくらの手合わせは始まった。

(本当、強くなったよ、ハリー)

 前は一辺倒な攻撃ばかりだったのに、少しずつ頭を使えるようになってきた。
 常に、二手目、三手目、もっと先の手を考える。この攻撃が受け流されることを前提に、次の手を打つ。それも、出来る限り迅速に。

 受け流し方もいろいろある。避けるか、受け止めるか、相殺させるか。一瞬で、どのパターンが良いかを弾き出し、魔法式を組み立てる。相手よりも早く、そして威力のある式を。その過程を、いかに素早く行うかが、魔法使いの決闘では重要な役割を担ってくる。

『失神術』を杖を振って打ち消した。すぐさま『妨害呪文』が飛んでくる。
 しかし、それは読めていた。ハリーはこの呪文を連続で放つのが、半ば癖だ。後で教えてやらないと、ぼくみたいに読まれてしまうぞ。

 ハリーより早く『妨害呪文』を放つと、それらの呪文はぼくらの間で打ち消しあう。
 ハリーが次の魔法式を組み上げるより、ぼくが杖を振る方が早かった。

「レラシオ!」

 ハリーがその術を、身体を仰け反らせて避ける。
 その隙に杖を振り掛けて──ハリーの緑の瞳の奥に、闇から這い寄り蠢く、赤い目を見た気がした。

 嫌な予感に、組み立てかけた魔法を放棄して『盾の呪文』に切り替えた。
 呪文を声に出している暇は、なかった。

 一瞬後──爆発、と言ったがいいだろうか。そんな轟音と爆風に襲われる。
『盾の呪文』を貼っていなかったら、間違いなく吹き飛ばされていた。

 普段のハリーの呪文とは比べものにならない、桁違いの魔力が放出された。
 そのことに驚いたのは、ぼくだけではないようだった。ハリーも、びっくりしたように目を見張っている。

 隙を逃さず『武装解除』を掛けると、あっさりと──あまりにもあっさりと、ハリーの杖が飛んできた。
 ぼくの目の前に直立するハリーの杖を掴んで、ぼくは詰めていた息を吐いた。

 汗が滲んでいた。

 今のは一体何なんだ。

 さっき目の前にいたのは、本当に、本当に、我が兄、ハリー・ポッターなのか? 

「さすが、アキ。勝てないなぁ」

 ハリーはぼくに歩み寄ると、にっこりと微笑んだ。
 杖を受け取ろうと、ぼくに手を伸ばす。

 僅かに、躊躇した。
 杖を、ハリーに渡しても大丈夫なのか? 

 ──何を考えているんだ、ぼくは。

 杞憂だ、と、首を振った。
 ハリーに杖を渡す。

「上達したよ、ハリー。ぼくに『無言呪文』を使わせるなんて」
「本当かい? それは嬉しいなぁ」

 無邪気に微笑むハリーの瞳に、先ほど垣間見えた赤い瞳は、ちらとも確認出来なかった。

 ──気のせいか、見間違いだったのだ。

 光の悪戯なのだろう、と、ぼくはそう結論づけた。

 ──それが間違いだったことを、引っかかったことを、もっと深く考えるべきだったことを、ぼくは後から、後悔することになる。



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