彼らたっての願いで、ぼくが悪戯仕掛人とリリーを不死鳥の騎士団に案内したのは、雪が腰までの高さに積もった頃だった。
古びた屋敷に訝しんでいた彼らだったが、中を一目見るなり納得したようだ。
彼らを不死鳥の騎士団員に紹介し、会議が終わってひと段落ついたところで、ぼくはエリス先輩の元に近付いて行った。
エリス先輩は任務が書かれた紙を難しい表情で眺めていたが、ぼくに気付くと笑顔を見せた。畳んで懐に直す。
「幣原。久しぶりだね、少し背が伸びた?」
「お久しぶりです。ほんのちょっぴり、ですけどね」
待望した成長期の恩恵か。もっとも、ぼくの成長期は人よりも遅く、しかも短いようで、もうそろそろ成長が止まりそうで、最近のぼくはヒヤヒヤしている。
エリス先輩は楽しげに笑った。
「髪も伸びたようだ。切らないの?」
「切ってもいいんですけど、あそこにいる眼鏡と赤毛の可愛い女の子が悲しむので」
「なるほど」
ジェームズとリリーは、少し離れた場所でムーディ先生と歓談している。シリウスはギデオン・プルウェットと、リーマスはマクゴナガル教授とそれぞれ話しているし、ピーターは……ピーターはエルファイアス・ドージに絡まれている。思わず苦笑した。彼の話は長いからなぁ、ピーターに合掌。
「闇祓いになろうと思っているんです」
ぼくの言葉に、エリス先輩はパチパチと目を瞬かせた後、ゆっくりと微笑んだ。
「努力を履き違えない君なら、必ず合格するはずだ。待っているよ、幣原」
「ありがとうございます」
と、背中に軽い衝撃が入って振り返る。てっきりジェームズかシリウスかリリーだと思っていたのだが、全然違った。アリス・プルウェットさんだ。
「幣原くん、闇祓いになるの? 大歓迎! こんな可愛い後輩がずっと欲しかったの!」
「プルウェット、仮にも幣原は成人した男だよ。可愛いって形容は、私はどうかと思うがね」
「可愛い子を可愛いと言って何が悪い! エリスくんは本当にそういうところがダメだよねぇ!」
うぐ、とエリス先輩はたじろいだ。同期の人と絡むと、エリス先輩は途端に無邪気な表情をする。ぼくはそんなエリス先輩が嫌いにはなれないのだった。
「今日は、ロングボトム先輩はいらっしゃらないんですか?」
尋ねると、プルウェット先輩は肩を竦めた。
「一昨日から任務なのよね。無事に戻ってくるのを祈るばかりだわ」
「……本当に」
脳裏に日刊預言者新聞の記事がちらつく。しかしプルウェット先輩は笑顔だった。
「きっとだいじょうぶよ、フランクは」
「…………」
どうしてそう言い切れるんです、と言いかけたが、堪えた。
彼女の笑顔を曇らせるだけの発言のように思えたから。
だから代わりに、微笑んだ。
「……えぇ、そうですね」
信じよう。
信じることしか、ぼくらには出来ないのだから。
◇ ◆ ◇
「ぼくとデートしてくれたら、やめるよ。どうだい? そうすれば、親愛なるスニベリーには二度と杖を上げない、約束しようじゃないか」
ハリーは呆然と、目の前で起こっている光景を見ていた。
スネイプとの、何度目かとも分からない『閉心術』の個人授業。腹が立ってヤケクソめいた気持ちで、スネイプの憂いの篩を覗き込んだことを、ハリーは今、死ぬほど後悔していた。
目の前で繰り広げられる、自分の父親と仲間たちが仕出かす悪行。
見物人のど真ん中で辱められるスネイプが、今一体どんな気持ちなのか、ハリーには痛いほど分かっていた。
「あなたか巨大イカのどちらかを選ぶことになっても、あなたとはデートしないわ」
辛辣なリリーの──母の声。嫌悪に満ち溢れるその声は、数年後に結婚する相手に向けられたものとは到底思えない。
その時、懐かしい顔を見た気がした。ハリーは思わず、目を瞠る。
──幣原、だ。
アキ・ポッターと全く同じ姿形。艶やかな黒髪も、後ろに一つで縛る髪型も、また同一で。
悲しげに歪むその表情も、どこかで見たことがあるもので。
初めて出会った、というには、あまりにも見知りすぎていた。
──彼が、幣原秋。
愛しい弟を作り出した、誰もが天才と称する男。
弟の中で眠っている、もう一つの人格。
『あの少年に情を込めすぎちゃいけないよ、ハリー』
以前言われた、リーマス・ルーピンの声が、脳裏に蘇る。
『幣原秋は、アキのことを何とも思っていないのだから』
──そんな、幣原秋が、まるで情の欠片も持ち合わせていない人物の様に言うものだから。
三年時に初めて出会った幣原の、酷く無機質な眼差しを思い出していた。
ピーター・ペティグリューに。かつての友に、杖を向けた幣原秋を。
『ぼくが君を殺してあげる。そうすれば、ヴォルデモートも死喰い人ももう怖くない』
天使のような、完璧な笑顔を浮かべた彼。
あの彼と、ルーピンの言葉は、案外簡単に結びついた。結びついて、しまった。
それなのに。
──今、目の前にいる少年は。
目前で行われていることに、青ざめて、絶望の色を浮かべるこの少年は、ハリーの知る、何もかもを知ったような、どこか達観したような幣原秋とは、いくら容姿が全く同じでも、似ても似つかなかった。
──憎んでいたのに。怒っていたのに。
優勝杯が移動キーと知っていたのに、みすみすハリーを死地に向かわせた、と、アキは本気で怒っていた。
ハリー本人だって、自分をヴォルデモートの元に送り込んだ幣原を、よく思っている訳はない。そこに、何らかの思惑があったところでだ。愛しい弟をどこまでも苦しめる幣原を、憎んでさえいた。
でも、どうだ。
──憎める訳がない。
「あんな汚らわしい『穢れた血』の助けなんか、必要ない!」
スネイプの悲痛な叫び声に、幣原は大きな瞳を、溢れんばかりに見開いた。
呆然と、小さな身体を震わせ立ち竦む幣原は、どこまでも、自分の弟に、アキにそっくりで。
アキは、この情景を見たのだろうか。
幣原秋の『夢』の中で。
アキは一体、何を思ったのだろう。
それが気になったけれど、同時に、それだけは絶対に聞きたくない、とも感じた。
「楽しいか?」
二の腕を、思い切り掴まれた。ハリーは振り返り、戦慄する。
大人のスネイプが、怒りで顔を蒼白にして、ハリーのすぐ脇に立っていた。
「楽しいか?」
周囲の風景が、ぐるりと様変わりする。
気付けば、再びハリーは、魔法薬学の研究室にいた。
「お楽しみだった訳だな? ポッター?」
「い……いいえ」
「お前の父親は、愉快な男だったな?」
スネイプは激しくハリーを揺さぶった。そしてありったけの力でハリーを投げ飛ばす。
地下牢の床に叩きつけられ、思わず絶息した。
「見たことは、誰にも喋るな!!」
「はい、もちろん、僕──」
慌てて立ち上がると、スネイプから離れるために後ずさった。瞬間、頭上の死んだゴキブリが入った瓶が爆発する。
脇目もふらずにハリーはドアに向かって走ると、廊下を駆け抜け、階段を駆け上がる。膝が疲れでガクンと抜けたところで、やっとハリーは止まった。
震えが止まらなかった。
無意識に髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜ、自分の父も同じ仕草をしていたことを思い出し、慌てて髪から手を外した。
──自分の父親は、どこまでも傲慢だった。
そんなことはないと信じていたかったのに。
あんなことをする人だと思っていなかった。まさか自分が、スネイプに同情する日が来るなんて、死んでも思わなかった。
幣原秋も、スネイプも。彼らに抱く憎しみは、いつの間にやら消え失せていた。
「……幣原、秋」
彼に会いたかった。
でも一体、どうやって会えるのかは、分からなかった。
初めて、アキにだけは会いたくないと思った。
でも、どうしても、あの日のことについて知っている誰かに尋ねたかった。自分の父は、あんなクズのような人間じゃないということを、誰かに知らしめて欲しかった。
「……シリウス」
ふと、心に一人の顔が浮かぶ。
「シリウスに、会わなくちゃ」
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