「秋」
図書館。名を呼ばれ顔を上げると、目の前には友人、セブルスの姿があった。無表情でぼくを見下ろしている。
ぼくは勉強する手を休めて、セブルスを見上げた。
「やぁ、セブルス。どうしたの?」
ぼくは微笑みを浮かべたが、セブルスはニコリともしなかった。
「少し、いいか」
「…………」
声の調子は、平坦だった。
「いいよ」
「最近、どう?」
「悪くはないよ」
途切れ途切れに会話をしながら、ぼくらは校舎を歩いた。
セブルスは、どこか行くあてでもあるのだろうか。
目的地があるとき、セブルスは早足だ。のんびり彷徨うことを嫌う。反対に、目的地がないときはすごくぼんやり歩く。そういう癖がある。
七年間も友達でいれば、そのくらいは分かる。
今日は、目的地がないタイプのようだ。歩みが遅い。
だから「どこに行くの?」とか、そういう問いかけは無意味。
「もうすぐ卒業だな」
きっとセブルスは、ぼくと話がしたかったのだろう。
七年生ともなれば、いもり試験で受験する科目と、あとはもう個人の趣味で授業を取っている。ぼくとセブルスが被っている授業は、魔法薬学しかなかった。魔法薬学なんて、集中していたらあっという間に終わってしまう。七年生ともなれば内容も高度で、何かに気を取られている隙はない。
「そうだね」
「……秋は、この先どうするんだ?」
階段を降り、一階へ。大広間の前を通り、中庭へと抜けた。
「闇祓いになろうと思ってる。……なれるかどうか分からないけど」
ぼくの言葉に、セブルスはしばらく沈黙した。
目は開いていたが、何もセブルスの目には映っていないんだろうな、ということが分かった。
「君ならなれるさ」
「……へぇ」
返ってきた言葉は、少しだけ意外なものだった。
だって、今のぼくの言葉は、『闇祓いになる』というその言葉の真意は──君たちの敵になると、真正面から言っているようなものだったから。
「君の努力を、僕は知っている。……多分、君を一番近くで見続けてきたのは僕だ。一年足らずで、英語を喋れるようになった君を、魔法魔術大会で優勝した君を──僕は見てきたのだから」
「……ありがとう」
風が冷たい。思わず身震いをした。カバンからマフラーを取り出し、巻きつける。
まだまだ雪は、降ることは減ったものの、未だうず高く積もっていた。中庭のそこかしこに、雪の山が作ってある。
中庭は、ぼくらの他に誰もいなかった。もう夕暮れだからかもしれない。傾く西日が、積もった雪に、凍った湖に照りつけていた。
夕焼けの中佇むホグワーツ城は、普段と少し違った印象を与える。普段の、穏やかな優美さは消え去って、荘厳な、少し怖いくらいの存在感を醸し出す。
急に、背中を押された。
強い力に、堪え切れず凍った地面に倒れ込む。
左腕を捻り上げられ、思わず呻いた。
「な、に……」
「……ごめん、秋」
振り返る。
見慣れた親友の姿は、夕日に照らされたことも相まって、見たことのない色に染まっていた。
「僕を恨んで、秋」
左の手首に触れる、冷たい金属の感触。
手錠のような見た目のそれは、肌に触れた瞬間、なんとも形容しがたい不快感をもたらした。魔力をせき止める拘束具なのだと、感覚で予想がついた。
左手首の次は、右手首に。しかし、黙ってされるがままのぼくじゃない。
右の人差し指をついっと上げ、魔力を籠める。利き腕ではないから、細かい調整は上手く出来ないけれど、セブルスを吹き飛ばすくらいは余裕で出来た。
慌てて立ち上がると距離を取る。左手首にぶら下がる手錠に、眉を寄せた。
「……セブルス」
強く、強く、睨みつけた。
「何のつもり」
指を鳴らすと、手錠が外れる。
手錠を地に叩きつけた。
セブルスは、変わらぬ無表情だった。瞳はさざ波さえも波立っていない。
それが、自らの心を押し隠すための術の結果だということを、ぼくは知っていた。
セブルスが、心を閉ざした状態でぼくに接してきたことが、本当に、どうしようもなく、腹立たしかった。
「解けよ、それ」
左の拳を、強く握りしめる。
「閉心術なんて使ってんなよ」
もう、終わりだ。
何もかも。
友情ごっこも、親友ごっこも。
「ふざけるな」
杖を、左手に取った。
ゆっくりと持ち上げ、杖先をピタリとセブルスに合わせる。
「ぼくを拘束しようとしたのは、ヴォルデモートの命令?」
セブルスは、僅かに驚いたように目を見開いた。
「左腕をまくって見せて」
その言葉に、セブルスは明らかに躊躇うそぶりを見せた。
しかし、逡巡する暇を与えるほど、ぼくは優しくは出来ていない。
「早く」
苛立って足を踏み鳴らした。
緩慢な動作で、セブルスが左腕をまくる。
──あぁ。
これが全部、悪い夢だったらいいのに。
「……何で。ねぇ、何でだよ。どうしてなんだよ」
囁いたぼくの言葉に、セブルスは唇を噛み締めた。
既に今までの、何が起こっても波立たない瞳ではなくなっていた。
目に映るのは、激しい感情。
どうして。どうして。どうして。
疑問ばかりが降り積もる。
いや──本当は分かっていたんだ。
何もかも、ぼくは気付いていたんだ。
目を逸らしていたツケは、高かった。
「……僕こそ、聞きたいよ。どうして分からないんだ。これからの魔法界には、あの方の力が不可欠なんだ」
セブルスの瞳は、真剣だった。
真剣に、ヴォルデモートに忠誠を誓う瞳だった。
「秋。どうして教えてくれなかった」
「……何を」
セブルスの唇が、言葉を紡ぐ。
「君の両親が、死んでいたことに」
その言葉に。
一瞬、世界が凍りついた。
「……知ってたの」
自分の口から零れた言葉が、自分のものでないような、そんな錯覚を感じた。
「知ってたんだ、セブルス。ぼくの両親が、ヴォルデモートに殺されたって。……ヴォルデモートに聞いたのか。じゃあどのようにぼくの両親が死んだのかも、きっと聞いた訳だ」
ギリリ、と奥歯を噛み締める。
「さぞや愉快だったろうね? 痛快だっただろう、きっといい御伽噺になっただろう、ぼくの両親の死は。高みからぼくを見下ろすのは、いい気分だっただろう。両親の復讐のために足掻くぼくは、きっと滑稽だっただろう。君にとってはぼくの両親の死ですら、あの方の崇高な理想のための犠牲に過ぎないんだったね」
ぼくの言葉に、セブルスは動揺の色を見せた。
「違う、違うんだ、秋。僕は……」
「聞きたくない!! 今更、今更何を言う!!」
頭を振った。目を細め、セブルスを睨みつける。
呆然と、セブルスはぼくを見つめていた。
「選べ」
杖を突きつけて、ぼくは言った。
「ぼくか、ヴォルデモートか。君自身の意志で選べよ。さあ!!」
杖の先端から、火花がパチパチと零れた。ぼくの想いに反応しているのか。
「これが、最後だ。ぼくの手を取るか、取らないか。リリーに『穢れた血』と口走った時のように」
セブルスは息を詰めてぼくを見返していたが、『リリー』という単語に我に返ったようだった。
瞳に光を灯し、強く、強くぼくを睨みつける。ぼくに言い返したい、それでも言葉が見つからない、そんな憎々しい眼差しだった。
数瞬前まで友人だと、親友だと思っていた。
今はその彼を、いくらでも傷つけてやりたくてたまらない。
きっとそれは、向こうも同じ。
「僕は君の敵だ、幣原秋」
──友情なんて、幻想だ。
水面に映った月と同義。
花開いた朝顔に誓うのと、同意。
永遠に続く友情なんて、存在しない。
そんな、当たり前のことに。
「こんな形で、気付きたくなかった……」
さっきまで、隣り合って肩を並べていたのに。
どうして今、向かい合っているのだろう。
どうしてぼくは、彼に杖を向けているのだろう。
「ぼくらは一体、どこで間違ってしまったのかな」
ぼくの言葉に、セブルスは。
「出会ってしまった、ところから」
酷く苦しげに、そう答えた。
「……秋。君は」
「セブルス。もう元へは戻らない。ぼくは……ぼくらは……」
はっきりと。
断言する。
「ぼくらは君たちの敵だ。ぼくにぶちのめされたくなかったら、とっとと視界から消えてくれ」
ぼくの言葉に、セブルスは異論はないようだった。
踵を返しかけ、一歩歩みを進めたところで、足が止まる。
「なぁ、秋」
酷く悲しげな瞳だった。
全てを諦めきったような、一切抗わずに運命を受け入れたような瞳だった。
「僕を恨んで。僕を憎んで。君が、気が済むまで」
「……嫌だ」
「……どうして」
「君も、ぼくを恨んで。ぼくを憎んで。好きなだけ、心の底から。そうじゃないと、釣り合わない」
セブルスは、ほんの少しだけ、笑顔を見せた。
傷跡が引きつるような、笑顔だった。
「でも、僕には君を恨む理由なんてない」
「──じゃあ、こうしよう」
杖を、振り上げた。
魔力を、最大の火力まで。
容赦も、手加減も、何もなく。
「最大限の力で、今から君をぶちのめすから」
だから、ぼくを許さないで。
ぼくも、君を許さないから。
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