六月中旬。暖かい風が吹き始めた頃、闇祓いの本試験が開催される。
ホグワーツを出発したのは、明け方だった。
闇祓い本部から送られてきた切符を手掛かりに、試験会場へと足を運ぶ。『姿あらわし』や『フルーパウダー』『箒』は禁止。マグルの交通機関や足を使って来ることが原則として求められた。
「こういうことで、落ちる人もいるんだろうなぁ」
ずっと魔法界で育ってきた人にとっては、マグルの地下鉄やらバスやらは本当に未知のものだろう。
と、始めは楽観視していたのだが。
「……本当に、どこへ行くんだ……!?」
船に乗せられ、本当にこの行先であっているんだろうなと何度も確かめる。
二時間に及ぶ船旅の末に降ろされたのは、地図にはない島だった。
島に降り立つと、風景が溶けた。
ぐにゃりと歪んだ後、気付けばぼくは広い部屋に立っていた。ホテルのロビーのような、ただっ広いところだ。ぼくと同年代くらいの人が数人(受験者だろうか)、適当にソファに腰掛けて時間を潰している。
「幣原様ですね」
突然声を掛けられて、飛び上がるかと思った。少なくとも、心臓はドキリと跳ねた。
すぐ脇に、人が立っていた。気配もなく、全然気付かなかった。以前見たエリス先輩やムーディ先生と同じ、闇祓いの制服を身に纏っている。
「番号札を一枚お取りください」
そう言って、その人は手に持っている箱を振った。引いた番号は二十八番。
「番号札を胸につけてお待ちください」
淡々とそれだけを言うと、その人は現れた時と同じ唐突さで消えてしまった。
面食らったけれども、言われた通りに胸につける。
何もすることが見当たらなかったので、ひとまず辺りをキョロキョロと見回した。
勉強道具は一切持ってきていない。むしろ置いてこいと厳命されていた。持ってきた唯一の手荷物であるカバンの中には、筆記具と手帳、後は財布と、マグルの本屋でついさっき手に取った一冊の文庫本のみ。
途中マグルの公共交通機関を使う、ということで、ローブですらない。杖は見えないようにベルトで仕舞ってある。
「初めまして」
声を掛けられ、ぼくは顔を向けた。
肩までの金髪に、どことなく勝気そうな青色の瞳をした女の子だ。胸元には『六』と書かれた番号札がついている。
「良かったぁ。女の子、あたしだけかと思ってた。あたし、ソフィア・エレメント。ソフィでいいよ」
「あ……えっと、その、ぼく、男なんだ」
多分、この髪型から女の子だと判別したのだろう。ぼくの顔立ち自体も、非常に残念なことながら、女の子っぽい顔立ちだとよく言われるし。目が大きいのがアレなのか?
「えぇ、嘘だぁ」
「う、嘘じゃないよ……」
証拠を出せと言われても困るけれども。
ブンブンと頭を振るぼくの顔を、彼女──ソフィは覗き込んだ。
「あんた、名前は?」
「幣原秋」
「ん、あれ? 外国人?」
「まぁ、そう。日本人」
ソフィは大きな青い瞳をぱちくりと瞬かせた。ビスクドールみたいだ。
「秋は、どこの学校の卒業生なの?」
「ホグワーツだよ」
「おー、名門じゃん。あたしはレオンハルトってちっちゃい魔法学校だったんだ。多分知らないと思うけど」
「……うーん、知らない」
そうか、ホグワーツ以外にも魔法学校ってあるんだよな。うっかり忘れそうになる。
「学長のジジイがうるさくってさぁ。『ソフィ! お前は闇祓いになるのじゃー! ドーン!』って。ホンット口うるさいジジイでね。でもま、育ててくれた恩は感じてるし、特にやりたいことも見つかんないし、闇祓いになってみるのもいいかなーって」
「へ、へぇ……」
なんかこの子、ちょいと変な子だ。この短い間でも、そのことは理解出来た。
「本当に男の子?」
「ほ、本当だよ……」
こういう絡まれ方をしたのは初めてで、戸惑ってしまう。
そのときアナウンスが聞こえた。
『受験生の方は前方の扉の先にお進みください』
言葉が終わるのと同時に、さっきまでただの真っ白い壁だった部分に突如扉が出現した。大広間のような、両開きの扉だ。この声も、一体どこから響いているのやら。
ぼくは周囲を見渡したが、ソフィは気にもしていないようだ。ピョンとぼくの隣から立ち上がると「さ、行こ」と微笑む。全く緊張していないらしい。
受験者全員が扉の中に入ると、扉は消えた。代わりに十個もの扉が、一斉に姿を表す。
「わぁおー」
隣でソフィが、物凄く気が抜ける声を発した。思わずガクンと肩を落とす。
『それぞれ一部屋にお入りください』
そう言われ周囲の受験生の数を数えると、扉と同じく十人。なるほど。
「じゃーね、まったねー」
ソフィがまったりと手を振った。それに軽く手を振り返し、適当に一つの部屋を選んで入る。
小さな部屋だった。机と椅子の他は何もない。
『全ての荷物をここにお預けください』
またもアナウンス。同時に大きめのバスケットが出現した。
「筆記具も?」
『筆記具も時計も全てお預けください。杖だけをお持ちください』
はぁ、徹底している。
言われた通りに荷物をバスケットの中に入れると、バスケットごと消えてしまった。代わりに姿を現したのは、大鍋と魔法薬の材料戸棚。
何もなかった机の上には、試験問題と羽根ペンにインク壺が置かれている。
『今からの筆記試験に、制限時間はございません。あなたの精神力と体力が続く限り、回答をお続けください。それでは、始めてください』
無機質な声は、フツンと消えてしまった。
「……求めるものが分かりやすくっていいじゃないか」
さぁ、自分の限界を試す時間の始まりだ。
部屋の二階は、受験者の寝室になっていた。泊まりがけとは思いもしていなかった。
一人一部屋与えられて、そこで一晩を過ごした後(と言っても、時計は取り上げられているし、窓はないしで、本当に一晩を過ごしたかは定かではない)、闇祓い試験二日目。
『受験生の方は前方の扉の先にお進みください』
昨日と全く同じアナウンスの声。同時に部屋の壁に出現した扉の先に、受験生は各々足を踏み入れた。筆記試験の時とは少し違う色味の扉だ。
そして、目を瞠る。
ホグワーツの廊下、のような場所だった。雰囲気的に、城、だろうか。
一緒に足を踏み入れたはずの他の受験生の姿はなく、今ここにいるのはぼくとソフィだけだった。
どこからともなく、紙飛行機が飛んできた。ぼくとソフィ、それぞれ一機ずつ。
飛び込んできた紙飛行機を両手で掴む。
『今から実技試験を始めます。今、共にいる人とペアを組み、与えられた任務を遂行してください』
反射的に、隣にいたソフィを振り返った。ソフィはにっこり笑顔で「よろしく、秋」と首を傾ける。
「……よろしく」
紙飛行機を広げると、中には一文、こう書かれていた。
『司令塔最奥にある機密文書を奪え』
読んだ瞬間、紙飛行機は炎に包まれる。炎は粒子となってぼくの左手首に巻き付くと、やがて赤いブレスレットのように変化した。金属のような素材だが、冷たくはなく、軽い。見るとソフィの手首にも、同じ色合いのそれが嵌まっている。
『ペア以外の受験生は、任務における『敵』です。『死の呪文』『磔の呪文』、これら二つの呪文の使用を禁じます。タイムリミットは日没、太陽が地平線に全て沈んだ瞬間とします。それまでに任務を遂行してください。健闘を祈ります』
アナウンスの声が消える。
大きく開いた窓から空を見上げると、太陽はちょうど真上に輝いていた。
「……『服従の呪文』の行使はオッケーってことか」
小さく呟いた。
「ソフィ、君の任務は何だった?」
「んー? えっとね、『東塔地下に囚われし物を守れ』って」
「囚われし物……?」
さぁ、とソフィは肩を竦めた。
「秋は?」
「『司令塔最奥にある機密文書を奪え』って」
「わー、なんだか映画みたい。スパイ映画でこういうのない?」
「映画はあまり興味がないから……とりあえず、どれが東塔で、どれが司令塔なのかも分からないから、とりあえず東に行ってみよう」
太陽を見て、方角に見当をつける。
ホグワーツから、『魔法学校』という機能を抜いたような城だという思いは、段々と強くなっていった。縦横無尽に通路や廊下、階段で入り組んでいて、しっかり意識していないと迷ってしまいそうだ。
しかも、様々な仕掛けが施されていて、一筋縄じゃあ全然いかない。
「ソフィ、いろんなことしないでよ!」
ソフィが壁に手をついた瞬間、再びぼくらは見たことがない廊下に放り出された。これで四度目だ。
さっきは手頃な教室にソフィが足を踏み入れて飛ばされたし(二度も)、それよりもう一個前は、「窓から出てみたらどうなるかな?」と呟き、止める間もなく窓を開けて飛び降りた瞬間、気付いたらまたも廊下に立っていた。太陽を見て方角を確かめると、東塔に全然近付いてないことが一目瞭然だった。
「イライラしないでよ、秋。どういう仕掛けがされてるのか確かめるのも大事だよー?」
「そりゃ、そうだけどさ……」
嘆息したが、ソフィの言うことももっともではある。たくさんの教室があるにはあるが、どれも入れない(足を踏み入れた瞬間別の廊下に飛ばされることが、ソフィの二度もの実験によって証明されたし、城の外に出ることも、壁に触れることも出来ないということが分かったのは、確かに貴重な発見だった。この場所での『ルール』を数多く知ることもまた大切だろう。そう考えて、溜飲を下げた。
まずの目的地は、東塔の地下。城の構造から行っても、この塔が東塔なのは確定で大丈夫だろう。
螺旋階段を降りていくと、段々と空気が冷たいものになっていく。魔法薬学の教室に向かっている気分だ。足音が反響するのが気にかかって、杖を振り、音が響かないようにする。
「……足音がしないって、変な感じ」
「仕方ないでしょ、ぼくら以外は敵だってアナウンスも流れてたんだし」
話し声も、密やかに。
地下は、灯りが届かないからか真っ暗だった。杖先に光を灯して歩くと、いきなり襲われたときに唯一頼れる光源がなくなってしまう。だから魔法で小さな火の玉を出すと、数個そのあたりに転がした。ふわふわと、淡い光が空中に漂う。
「気をつけてね」
「君の方こそ」
廊下を進んだ先に、扉があった。押し開くと、少し広い部屋に出た。大きなソファが二対に、床に敷き詰められた絨毯。
「『囚われし物』だから、何か捕まえられてるのかなぁ?」
「そういうものを探さないとだ」
そのとき、カタリと背後で物音がした。振り返りざまに『隠密探知呪文』を掛ける。
すると先ほどまで何もないと思っていた空間から、二人の受験者が姿を現した。手首には共に緑色のブレスレットが輝いている。胸にはそれぞれ『二』『三十五』と書かれたバッジがついていた。
「バカ、お前が物音を立てるから」
「アンタがグズグズしてんのが悪い」
軽口を叩きつつも、二人はぴったりと杖をぼくとソフィに合わせている。
「おい、『囚われし物』とは何だ?」
「知らないよぉ」
ソフィはのんびりとした口調で答えた。本当に何と言うか、胆が据わっているというか。
そんなソフィに苛立ったのか、二番のやつがソフィに一歩踏み出した。反射的に、彼女を庇うように手を広げる。二番はぼくに目を遣った。
「女守るたぁ見上げた奴だな、チビ」
……ひょっとしなくても、「チビ」ってぼくのことなのか。
「その意気は評価してやるよ。だが……」
「……お喋りが多いなぁ」
ポツリと呟いて、杖を振った。
ソフィに杖を向けていた二番は、ぼくの放った『失神呪文』を避けられずに地に伏せる。返す腕で、三十五番の呪文を防ぐと、パッとソフィが躍り出た。想像以上に敏捷な動きで、三十五番を戦闘不能にしてしまう。
「ふぃー、びっくりしたねぇ」
伸びた二人をそのまま転がしておくのもどうかと思ったので、縛り上げてクローゼットの中に放り込む。
クローゼットに『施錠呪文』を掛けると、ぼくらは再び『囚われし物』を探しにかかる。
部屋のずうっと奥に、『囚われし物』は置いてあった。
談話室くらいの広さの部屋だ。家具は何もないし、地下であるため当然ながら窓もない。
部屋の中央に、椅子が。そしてその上には、鳥籠らしきものが置かれていた。
「これ……スニジェットだ! 初めて見たぁ」
ソフィが息を呑んで鳥籠に駆け寄った。
スニジェット。確か、クィディッチでの昔のスニッチが、これだったか。乱獲され過ぎて、今や絶滅危惧に指定されていたはずだ。
ふと嫌な予感がした。
「ソフィ!」
叫んで、手を掴むと思いっきり引っ張った。しかし、少しだけ遅かった。
鳥籠に僅かに触れたソフィの手が、『仕掛け』を作動させる。
けたたましいサイレンの音と共に、部屋中に煙が立ち込める。濃い煙はあっという間に視界を奪っていって、慌ててぼくらは部屋を飛び出した。
煙の中から、呪文がこちら目掛けて飛んでくる。『盾の呪文』を周囲に張り巡らせたまま、ぼくらは走った。
階段を駆け上がり、地下から抜け出たところで、煙からやっと解放される。
「きっつ……」
息が整わない。壁に手をつく訳にもいかないので、前屈みになって息をつく。
ソフィも地に膝をついて喘いでいたが、いつの間にかその手にはスニジェットの鳥籠が握られていた。よく持ち出せたな。
「え、へへ……どんなもんだい」
ソフィは鳥籠を胸に抱きかかえ、満足げに笑みを浮かべた。
これで、ソフィの任務は終わり。後は、ぼくの司令塔奥の機密文書。
肩の力を抜きかけて、後ろから聞こえた音にハッと身を強張らせた。
さっきからずっと張りっぱなしの『盾の呪文』により、ぼくとソフィを狙った青白い閃光は離散する。
ソフィは小さく悲鳴を上げて鳥籠をぎゅっと抱きしめた。
「……次が、早いよ……」
未だ息は上がったままだし、さっきいきなり走ったせいで足も少し震えている。しかし、そんなことを言ったところで誰も配慮なんてしてくれはしない。
十七番と四十九番の番号札をつけた二人組だった。ブレスレットの色は白。
疲れを顔に出さずに、背筋を伸ばした。
握りっぱなしだった杖を、見せつけるようにくるりと回してみせる。
「後ろから攻撃するのは、流石に卑怯なんじゃない?」
余裕たっぷりに笑うと、二人は僅かに怯んだようだった。
その時、四十九番の男がこちらに一歩歩み寄る。
「なるほど。凄いね、『盾の呪文』をずっと張りっぱなしだなんて、並の人間に出来ることじゃない」
芝居がかった笑みを浮かべて、彼はぼくらに提案した。
「僕たちと手を組まないか?」
◇ ◆ ◇
ハリーがシリウスと話したいということで、ぼくらはハリーがアンブリッジの暖炉を使ってシリウスと話している間、出来るだけ派手にアンブリッジを引きつけておこう、ということになった。
一体何を、ハリーはシリウスと話したいのか。尋ねても、ハリーは苦笑いを浮かべるばかりで、一向に答えてくれようとしない。
ハリーがぼくに隠し事をするというのはなんだか珍しくて、なんだかハリーが大人になって少し遠くに行ってしまったかのような、そんな一抹の寂しさを覚えてしまう。
渡り廊下から上半身を乗り出し、杖から青い閃光を空に向かって放った。準備完了、の合図だ。
それを見て、南棟と北棟、そして東棟でもそれぞれ合図が上がる。やがて赤い閃光が東棟から上がった。これは、戦闘開始、の合図。
乗り出していた身を引くと、杖を鋭く振った。瞬時に、廊下中に仕掛けていた煙幕が同時に爆発する。ぼくがいる西棟も、悲鳴が響き渡った。
東棟は、確かジョージが担当だったはずだ。あそこはアンブリッジの部屋があるところだし、無事に済めばいいのだけれど。
逃げ惑う生徒たちを避けて、上へ上へと上がった。
最中、双子が作った長々花火を惜しげもなく消費していく。廊下に、階段に、落とし穴を作ることも忘れない。
爆発音に、悲鳴に叫び声。ホグワーツ中に響き渡る大音量が何とも愉快で、ぼくは大きな声で笑った。
ここまでの大規模なことは、悪戯仕掛人はしたことがない。せいぜい、一つの棟を爆破してみせるくらい。当時はそんなことも凄いと目を見張っていたけれど、双子とリーのここまでの大暴れを見た後だと、なんだか物足りなくなる。
ポケットから時計を出して、時間を確認した。
濃い煙幕で一メートル先すら見えないが、杖をかざすとその部分だけ煙幕が引いた。
ぼくらがそれぞれ別行動を取る時間は二十分。その二十分間、ぼくらはアンブリッジにも『尋問官親衛隊』にも捕まらないように逃げ回らなければならない。
正面から大きなざわめき。再びどこかの集団にかち合ったらしい。
この煙幕の中、集団を突っ切るのも至難の技だ。ぼくはくるりと身を翻し──
「アキっ!!」
思いっきりローブのフードを引っ張られ、勢いで足が滑った。妙な体勢のまますっ転ぶ。
そのまま腕を後ろに捻られ、思わず杖を落とした。頭を後ろから押さえつけられ、背中に重みが加わる。おそらく、膝で体重を掛けているのだろう。手加減している風なのが、なおさら腹立たしい。
「……っ、君の存在を忘れていたよ……」
頬を廊下に擦り付けられた状態のまま、ぼくは眼球をその人物に向けた。
濃い煙幕の中、見えたのは青いネクタイと、青い裏地のローブ。
「お前に忘れられるほど、俺はキャラが薄くはねぇつもりだが」
「誰がメタ発言をしろと言った」
「メタって程でもねぇだろ。……はぁ、またお前か」
「うんそう、ぼくだよ。だからアリス、この手を離してくれたら、ぼくとっても嬉しいなぁ」
「バーカ」
ぐ、と、背中に更なる重みが加わった。
「楽しそうなことしてんじゃねぇか。俺も混ぜてくれよ」
「やーだね。こんな楽しいこと、君に渡してなるものか」
「そんな悲しいこと言うなよ、俺たち親友だろ?」
「親友でも、秘めておきたいことくらいあるだろう? ねぇ、見逃してよ、お願い」
「さぁて、どうしようかね」
楽しげに笑うアリス。畜生憎たらしい。
ぼくはアプローチを変えてみることにした。
「アンブリッジに取り入ったところで、君にメリットはないよね? ぼくをガマガエルに突き出して、後からぼくに報復されるのと、今ぼくを見逃してぼくに報復されないの、どっちがいい?」
「個人的には、お前の呪文の的にだけは絶対になりたくないから見逃してやりたいんだがな。メリットはなくとも、奴に背くデメリットはあんだよ」
「君が、たとえ家督のためとは言え、自分のやりたくないことをやるなんて、出会ったときは考えられなかったな。本当に同一人物?」
「人は変わるもんさ」
「なるほど、違いない。……じゃあ、力尽くで抜け出すしかないわけだ」
押さえも何もない右手で、指を鳴らした。いくらアリスでも、腕は二本しかない。片手をぼくの頭に、もう片手でぼくの腕を押さえたとしたって、もう一方の手は自由なのだ。
弾かれたようにアリスがぼくの上から飛び退いた。本当、野生じみた危機察知能力だ。時折羨ましいとまで思う。見習いたくはないけれど。
「……なーんてね」
呟き、杖を掴むとダッシュした。「あっ!?」とアリスが叫ぶもお構いなしだ。魔法を掛けてくるだろうと思い込んで騙される方が悪い。
風の流れを操り、ぼくの前の視界を開く。ついでに追い風に乗って駆け抜けるぼくに、さすがのアリスも追いつけなかったようだ。
振り切った、と確信して、立ち止まる。止まった瞬間、汗がどっと流れた。久しぶりにこんなに運動した気がする。
「良かった! 無事だったか、アキ!」
声に振り向くと、リー・ジョーダンがこちらに走ってくるところだった。インスタント煙幕の効果が段々と薄れてきているのか、先ほどよりも視界がクリアだ。
「何とかね」
そう言いつつ時計を見ると、この騒ぎが始まって大体二十五分を指していた。ノルマは一応達成したらしい。
「大丈夫だった? そっちは」
「『尋問官親衛隊』を三人ほど吹き飛ばしてやった。DAは意外なところで役に立つ」
「それは重畳」
その時、ゆるやかにざわめきがぼくらのところまでやって来た。階下から足元を伝い、噂がぼくらを通り過ぎていく。
『ウィーズリーの双子が追い詰められたらしい』
そんな言葉を聞いて、ぼくらは顔を見合わせると、噂の源を辿って駆け出した。
噂は本当だった。『尋問官親衛隊』がフレッドとジョージを囲んでいる。
双子はたった今追い詰められた、という顔をして、お互い背中合わせに周囲を見回している。
アンブリッジの姿を見つけ、ぼくとリーは慌てて隠れた。物陰から様子を伺う。
フィルチがアンブリッジに駆け寄った。
息を荒げて手元の羊皮紙を振りながら、
「校長先生、書類を持ってきました。それに、鞭も準備してあります……今すぐ執行させてください」
「いいでしょう、アーガス。その二人、わたくしの学校で悪事を働けばどういう目に遭うかを、これから思い知らせてあげましょう」
アンブリッジの言葉に、双子はまったく堪えていない様子だ。むしろにやりと笑ってみせた。
「ところがどっこい、思い知らないね」
そう言って、双子の片割れを振り返る。
「ジョージ、どうやら俺たちは、学生稼業を卒業しちまったな?」
「あぁ、俺もずっとそんな気がしてたよ」
「俺たちの才能を世の中で試すときが来たな?」
「まったくだ」
そして二人声を揃えて「「アクシオ! 箒よ、来い!」」と叫んだ。
どこか遠くから、鋭い風切り音。アンブリッジの部屋から、忠実な部下のように主人の元へと馳せ参じた箒は、双子の前でピタリと止まった。一本にはまだ重たい鎖を引きずっている。軽く指を鳴らすと、ガチャン、と鎖は地に落ちて、箒を解放した。
「またお会いすることもないでしょう」
「あぁ、連絡もくださいますな」
「上の階で実演した『携帯沼地』をお買い求めになりたい方は、ダイアゴン横丁九十三番地までお越しください。『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ店WWW』でございます。我々の新店舗です!」
「我々の商品を、この老いぼれ婆ぁを追い出すために使うと誓っていただいたホグワーツ生には、特別割引をいたします」
そう言い残して、双子は地を蹴って宙に飛び上がった。
「二人を止めなさい!」
アンブリッジが叫ぶも、双子はもう既に手の届かない空中へと上がっていた。
ピーブズと同じ目線になった双子は、にやりとピーブズに笑いかける。
「ピーブズ、俺たちに代わってあの女をてこずらせてやれよ」
信じられないことに、ピーブズは双子の声に帽子を脱ぐと、さっと敬礼の姿勢を取った。
アンブリッジとフィルチ、それに『尋問官親衛隊』以外の全ての生徒が、双子に喝采を送る。声援に手を振りながら、ふと双子がぼくとリーに目を止めた。
「頑張れよお前ら! 俺の分までな!」
隣でリーが叫ぶ。
双子は声を揃えて「「心配するな、我が親友よ、待ってるぞ!」」と応えた。
「君も頑張れよ、アキ」
「レイブンクローの悪い子ちゃん?」
「ハリーと買い物に行くよ、待っててね!」
ぼくも、大きく手を振った。
大歓声の中、双子は正面の扉を素早く通り抜け、自由への階段を一足飛びに駆け上がって行った。
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